週刊READING LIFE vol.20

夫がお弁当を食べてくれなくなりました。《週刊 READING LIFE vol.20「食のマイルール」》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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田中 香(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

結婚して15年、つわりの時と、新生児子育て中で、夜中に何度も起きていた時期以外は、毎日お弁当を作っていました。結婚したら、妻は夫のためにお弁当を作るもの、と思い込んでいたのかもしれません。
新婚旅行から帰ってきた翌日から、私は夫の分と自分の分、2つのお弁当を作りました。夫はとても喜んでくれました。昼休みに「豚しゃぶ、うまい!」と携帯にメールが届いたこともありました。忙しいから食堂に行く手間が省けて助かる、とも言ってくれていました。自分が役に立てているということがとても嬉しかったです。
とはいえ、私は別に尽くす妻というわけでも、古風なわけでもありません。朝食とお弁当を作る以外はあまり何もしていません。そもそも私は、掃除も洗濯も好きではありません。唯一好きなのが料理。正確には料理が好きなのではなく、食べることが好きなので、そのためのことを厭わずにやるということになるでしょう。とにかく、朝、お弁当を作るのが楽しみでした。自分の分だけを作るときには、少し手抜きをすることもあっても、でもやはり数時間後の自分のために準備する、それは言い換えれば、自分を大切にすることにつながる気がしていたからだと思います。
自分で作るから、その日のお弁当の中身は分かっています。今日はこれが食べたいなと思いながら作ったり、冷蔵庫、冷凍庫の中身と相談しながら作ることもありました。どちらにしても、11時過ぎに少しおなかが空いてきたときに、今日は「鶏肉の照り焼きだな」と思い出したり、お弁当箱を開けて、朝彩りよく詰めたものを再び目にする度に、安心感、大げさにいえば、ちょっとした幸福感を覚えていました。多少おかずが寄っていても、白いご飯に味が染み込んでいても、それでも大満足でした。
夫もそんな風に感じてくれたらいいなと思って、今日のお弁当は、焼き鮭入りだよ、とか、予告することもありました。お弁当を楽しみにしてくれたら嬉しいと思っていました。そして、結婚して15年経って、子どももいるのに、こんな風に夫のことを大切に思っている私は、良い妻だと思っていました。こんな良い妻と一緒にいる夫は、絶対に幸せなはずで、夫は私に感謝すべきとまで思い込んでいました。

 
 
 

それが、最近は様子が変わってきました。
出張が多かったり、頻繁に人と会ったりする機会が増えたからかもしれません。弁当をいらないという日が増えてきました。それでも、前日に教えてくれていたから、やっぱり弁当を喜んでくれているのだと思い込んでいました。
ある時、子どもたちと帰宅して、夕飯を作ろうと冷蔵庫を開けると、弁当箱が袋ごと入っていました。お昼が不要なことに出かける前に気付いて、そのままにしておけば腐るからと冷蔵庫に入れたのでしょう。夕飯のおかずを少なめにして、弁当を温め直して食べつつ、少しだけ寂しい気持ちがしました。
それから、週末に翌週のお弁当の予定を訊くようにしました。何曜日にお弁当がいらないかを教えてくれることもあれば、予定を忘れたから、月曜日はとりあえずいらないと言われることもありました。
私は部下もいなくて、自分の仕事のスケジュールは自分で決めています。だから、翌週の予定もほとんど頭に入っています。子どもの急な病気で迎えに行かなければいけないこともあるので、この日は絶対に外せなくて、この日は休んでもどうにかなる、ということをいつも考えていました。でも夫は既に部下を何人か抱えているので、スケジュールが開いていればアポを入れられるのでしょう。確認をされても、全部把握できていないのかもしれません。だから分からないこともあるのでしょう。確かに私の上司たちも、予定表に入っていなければ予定を入れていいと言ってくれていて、本人も確認しているけれど、直前に声をかけると「何だっけ?」ということもあるから、分かるような気もします。
頭では分かっていました。でも納得できませんでした。私のお弁当を食べたいという気持ちがあれば、そのために予定をきちんと把握しておくんじゃないか、と考えました。私のお弁当が優先されていないことが不満でした。
週末の度に訊いたり、「とりあえず月曜は分からないからいらない」と言われた途端にあからさまに不機嫌そうな反応をしたりを繰り返していたからかもしれません。
お弁当をいらない、と言われたら、「それなら私も外食しようかな?」とか「自分の好きなものだけお弁当に入れられるから良かった」、「手抜きしちゃおう」と考えられれば、良かったのかもしれません。私はそんな風に思えませんでした。
夫が私のお弁当に感謝をして、楽しみにしてくれることは当然のことと考えていました。そうしなければおかしいと考えていました。そしてその気持ちが伝わっていたのかもしれません。
いつものように日曜日の夜に夫に尋ねました。いきなり、
「分からないって言ってるだろ」
と不機嫌そうな声を出しました。本当は、何か他のことで虫の居所が悪かったということもあったのかもしれません。私は驚いて、言いました。
「ひどい、なんでそんな言い方をするの?」
その日、翌週のお弁当のことについて尋ねたのは初めてでした。それなのに私が何度もしつこく訊いたかのように「言ってるだろ」という言葉が出たのは、多分、もうずっと前から、お昼の予定を欠かさず確かめることを鬱陶しく思っていたのだなと分かりました。
私は夫を責めたくて、泣きました。泣いているうちにどんどん涙が出てきて、本当に悲しくなって、自分が可愛そうになりました。3歳の娘が寄ってきて「ママだいじょうぶ?」と訊きました。「パパがひどいことを言ったから」と私は言いました。親同士がこんな風にもめたり、夫の悪口をしたりしたくないと思っていたのに、私はやってしまいました。夫は謝ってはくれませんでした。ただ、娘の手前もあり、ひどくバツの悪そうな顔をしていました。

 
 
 

私がお弁当にこだわるのは、両親の影響もるかもしれません。
私の両親はいつもケンカばかりしていました。父は仕事が忙しく、早く帰れる時はめったにないのに、そんな時は飲みに行っていました。だんだんお酒に弱くなって、終電で乗り過ごしてしまい、朝まで帰って来ないこともありました。当時、携帯電話もありませんでした。母はいつもやきもきしていました。最初は心配をしていたのかもしれませんが、それを通り過ぎると怒りに変わっていました。母は父の悪口をよく私に言っていました。私は二人はいつか離婚するのではないかと、いつも心配でたまりませんでした。
でもお弁当だけはいつも作っていました。あまり稼ぎの多くない父と、専業主婦だった母にとっては、母がお弁当を作らないと家計が回らなかったのかもしれません。子どもだった私は、そういうことまでは分かりませんでした。ただ、夕飯のおかずを取り分けてお弁当用に残して置いたり、天ぷらを翌日甘辛く煮て詰めていたのを見ていて、ケンカばかりしているけれど、心の底では、きっと母は父を、父は母を愛しているのだろうと考えていました。中学、高校の時は、母は私のためにもお弁当を作ってくれました。それはとてもおいしかったです。「寝坊しちゃったから手抜きでごめんね」と言われたお弁当でさえ、とてもおいしかったです。母は私にもとても厳しく、私はいつも怒られてばかりいました。でも母の作ったお弁当を食べていると、自分は大切にされていると感じられました。私にとってお弁当は、一番の愛情表現でした。

 
 
 

でもいつの間にか、お弁当を作ってさえいれば、夫を愛しているというつもりになっていたのかもしれません。子どもたちのために自分だけ仕事をいつも定時で切り上げて、子どもの体調が悪ければ自分ばかり休むことになり、自分だけが我慢しているという態度が、出ていたのかもしれません。夫が土日にでかけようとしても、疲れているからと面倒がったり、文句を言ったりしていました。誰か少しでも体調の悪い子がいたら、その子と留守番することができて、喜んでいる様子が伝わっていたかもしれません。私が夫にお弁当を食べて欲しいと思っているのと同じように、夫も私に一緒におでかけを楽しんで欲しいと思っていたのかもしれません。でも私は公園で遊ぶ子どもたちを見守りつつも、本に夢中になっていたり、スマホをいじってばかりいました。夕方が近づくと、夕飯や翌日の支度のことが頭に浮かんで、早く帰ろうとイライラしてしまいました。夫がせっかく楽しく過ごそうと考えてくれているのに、私はそれを受け入れていませんでした。
ケンカばかりしている両親の下で育って、私は子どもたちにこんな思いをさせないようにしようと思っていたのに、子どもの前で夫の前でもめて泣いたり、子どもに夫の悪口を吹き込んだりしていました。

 
 
 

ここ1カ月、私は、自分のお弁当だけを作っています。でもたまに、他の部署にいる友達と約束して、お昼休みに外に出て食べることもあります。普段話さない色んな友達と久しぶりに情報交換できるのも楽しいです。出された食事を食べながら、何も感じないこともあるけれど、たまに、「ああこの食事は、本当に食べる人のことを思いやって作っているんだな」としみじみ感じることがあります。お金を支払って欲しいから、お客さんにまた来てもらってお店がはやるように、頑張っているのかもしれません。でもそれだけじゃない、と感じることがあるんです。プレートの上の彩りや、色んな味の組み合わせ、食感のバランスに工夫がされていて、食べる人に楽しんでもらいたい、幸せになってもらいたい、という想いがあふれているのが分かります。急いで飲み込んだわけじゃないのに、胸がきゅうっとして、うっすら涙まで出てきてしまいそうです。そこには愛があります。やっぱり食べるものに、愛を込めることはできるんです。

 
 
 

しつこいかもしれないけれど、つい日曜日の夜になると、夫に声をかけてしまいます。でも、前みたいに「来週のお昼の予定は?」と訊くのではなく、「またお弁当が食べたくなったら、言ってね」と言っています。夫はこの前のことがあるから、穏やかに「うん、とりあえず大丈夫」と答えます。多分、当分は必要ないのだと思います。本当は、こんな声かけも、しばらくはやめた方がいいのかもしれません。今度の日曜日には、ぐっと我慢することにします。
そういえば結婚して5年くらい経った頃、夫とその後輩に会う機会がありました。その時、その後輩が私に教えてくれました。
「ご主人はいつも奥さんのお弁当を大事にしていて、お昼に食べられなかった時は、冷蔵庫に入れておいて、夜食べているんですよ」
確かに、夫がお弁当を持って行った時には、必ず空になって戻ってきていました。20代、30代の時はそれで良かったかもしれませんが、40代の胃には夜冷えきったご飯を食べるのはつらいかもしれません。
まず私がやるべきことは、夫が考えてくれるおでかけを楽しむことなのでしょう。もちろん夫自身がおでかけしたいから、出かけているのだとは思うけれど、それは私がお弁当を作りたくて、夫にお弁当を食べてもらおうとしていたことと同じでしょう。だから、夫が私のお弁当を断るなら、私もおでかけを断ればいいということにはなりません。どちらが正しいとか、どうすれば公平かということではないのだと思います。私の方が前みたいにもっと仲良くなりたいと思っているのだから、まずは私から行動を起こさなければいけません。過去と他人は変えられません。変えられるのは、自分と未来だけ。
そして、夫が食べてくれる平日の朝のごはんと、土日のごはん作りを丁寧にしようと思います。夫も子どもたちも喜んでくれるようなメニューを作りたいです。
結局は私の両親もケンカを続けながらも、母は父の悪口ばかり言いながらも、今でも総じて仲良く暮らしています。
食べ物に愛を込めることはできると、私は信じています。

 
 
 

❏ライタープロフィール
田中 香(Tanaka Kaoru)
READING LIFE編集部ライターズ倶楽部。1976年生まれ。
2017年8月に受講を開始した天狼院ライティングゼミをきっかけにライターを目指す。

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2019-02-20 | Posted in 週刊READING LIFE vol.20

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