それでも私が出産を諦めた理由《週刊READING LIFE vol.4「いくら泣いても、泣き足りないの。」》
▼【2019年12月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」
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記事:牧 美帆(READING LIFE公認ライター)
2007年6月12日
久しぶりにmixiで日記書くよー。
今日は私の27歳の誕生日。そして結婚一周年!
そして……なんと妊娠発覚(*´艸`*)
検査薬を使ったら陽性やった。
産婦人科行って来ようっと♪
6月13日
妊娠反応はあるけど、卵は見つからないって言われた。
子宮外妊娠の可能性もあるかもって。
来週、もう一度検査受けることになった。
でも旦那が、どちらにしても広いところに引っ越そうって言ってくれてるから嬉しい!
2DKで探していたけど、同じ家賃で2LDKのお部屋を見つけたから、そこにしようかな。
あー、でも今住んでる家、ベッドのところの壁が破れちゃってるから、お金請求されそう……。
壁が破れた理由は秘密っ(≧∇≦)
引っ越したら遊びに来てね(^_-)-☆
6月16日
今日は旦那が早く帰ってきたから、二人で「天空の城ラピュタ」を観たよー。
旦那は宮崎アニメでラピュタが一番好きなんだって! ラピュタ面白いよね!
あと、検診の日、一緒に産婦人科についてきてくれるって。やったー!
6月21日
同僚のハンドクリーム、ラベンダーの匂いが辛い。
ずっと気にならなかったのに。
もしや、「つわり」ってやつかなぁ。
6月22日
産婦人科行ってきたー。
ちゃんと「たまご」あったよ。単に受診が早すぎただけみたい。
「一卵性の双子の可能性があります。また来週診てみましょう。楽しみですねぇ」
だって!
そのまま旦那と一緒に実家に行って、報告したよ。
母「あんた太ってるのに、双子とか大丈夫なん?」
妹「えー、美帆が二人増えるん? きもっ」
みんな失礼やしヽ(`Д´)ノ
6月24日
旦那の実家にも報告に行ったよ!
ご両親、「何とかなる!」やって。
我が家よりポジティブ!
お祝いやーゆうて、高級なお肉焼いてくれたし、ラッキー(*^^)v
でも、不安もいっぱい。
私、仕事続けられるかなぁ。
うちらの経済的に、子どもは一人で手一杯かなと思ってたから心配。
6月25日
旦那、休みやのに「打ち納めや!」ゆうて、友達と朝から晩までパチンコに行きよった。
ゆるせん(# ゚Д゚)
友達も、ちょっとは遠慮してくれー!
次の検診は来週の金曜日。
次は、心拍が聞こえてくれるといいなぁ。
6月30日
やっぱり双子やった。
一卵性双生児で、6週。 でも、
「うちのクリニックでは出産できません」
って言われちゃった……。
「一卵性双生児はね、リスクが高いんですよ。本来なら1人を育てる場所に、2人が入り込んでしまっている訳ですからね。設備のあるところでないと。」
「じゃあどこの病院なら出産できますか? 一番近いのは?」
「うちの市には、一卵性の双子を出産できるところはありません。隣の市にもほとんどありません」
うちの市は人口20万、隣の市なんて50万人近く住んでるのに。
「今回のケースの場合、出産費用はどれ位見ておけばいいでしょうか」
「そうですねぇ。最低80~90万は見ておいてください。でも、二人だったら出産育児一時金が、35万(※1)の2倍で、70万返って来ますから」
双子なら2倍、それはちょっと安心。
なんせ毎回の検診費用の約4000円(※2)も地味に痛い。
7月1日
先生に勧められた提携の病院、口コミで見たらなかなかよさそう。
でも、遠いんよね……。
7月4日
親が経営している塾が入っているマンション、上に住んでるご夫婦が双子を出産したんやって。
で、親がどこで出産したか聞いたら、県立病院やって。
でもそこは、土曜日診療してないし、初診は9時から11時の間に行かないとあかん。
働く妊婦にはきつい。
あと会社の育児休業規程もみたけど、やっぱり休業中は無給やった。
不安やなぁ。旦那に相談したら「何とかなるさー」って言ってるけど。
7月13日
母から電話かかってきた。
なんか歩いてたら前から知らない人がベビーカーを押して歩いてきたから、どこで出産したか聞いたんやて。そしたら東京の病院やったってがっかりしてた。
母の行動力、すごい。どちらかというと、おとなしい人なのに。
7月15日
二週間ぶりに、お腹のわが子とエコーでご対面!
前にみたときは、まだ黒い丸の中に白い点が2つという感じで、なんかあやしい生き物みたいだったのに……。
二人とも18センチ!
明日から9週。
予定日も出たよー! 2008年2月17日。
でも、この日に生まれることは、まずないって。
産休に入る日も計算したよ。通常は産前42日やけど、うちは双子やから産前98日。
11月11日で合ってるのかな?
……4ヶ月切ってるΣ( ̄ロ ̄lll)
引き継ぎ資料、早く仕上げなきゃ!
つわりで4kg痩せたー。
わんぱくでもいいから、たくましく育ってほしいな(*´ε`*)
そして、早く転院先を決めないと……。
7月19日
うちの母が、実家のそばにある妹を出産した病院の竹田先生(仮)ってところに相談したら、
「一卵性の双子にも色んなケースがあります。うちでも出産できるかもしれません。一度見せに来てください」
って言ってくれたから、さっそく竹田先生のところに受診してきた!
個人の病院は無理かもって思ってたから、嬉しいな。夜も19時半までやってるし。
一卵性双生児は、3つのケースに分けることができて、下に行くほど、リスクは高くなるらしい。
・二絨毛膜二羊膜双胎…胎盤が2つ、赤ちゃんのお部屋が2つ
・一絨毛膜二羊膜双胎…胎盤が1つ、赤ちゃんのお部屋が2つ
※このケースが一卵性双生児には一番多い。
・一絨毛膜一羊膜双胎…胎盤が1つ、赤ちゃんのお部屋が1つ
胎盤が1つだと、栄養や血液を1つのルートで分け合わないといけない。
血液の供給のバランスが崩れ、片方の赤ちゃんに血がいきわたりすぎ、もう片方の赤ちゃんには血がいきわたらない…そんなことも発生するらしい。
また、片方の赤ちゃんが残念な結果になってしまった場合、もう一方の赤ちゃんも影響を受けてしまう。
お部屋が1つだと、お互いのへその緒が絡まって危険らしい。
私の場合は、一卵性双生児の中では一番リスクの低い、「二絨毛膜二羊膜双胎」やって。
よかったぁ♪
100%うちで面倒見るとは言い切れないが、うちの病院でも出産可能だと言われた。
今まで双子で大学病院に搬送したことはないとのこと。
体重は、また1キロ減ってた。
週1に1キロペースで減ってる。
7月24日
会社の上司や先輩と4人で、今後の引継ぎについて打ち合わせをしたよ!
復帰の希望日を聞かれたので、2009年の4月って答えたよ!
その間は、派遣の方を探してもらえることになった。
ネットワークの知識がある人が、来てくれるといいなぁ。
そんな話を旦那にしたら、「お前ネットワークの知識あるんや、すごいな!」ってびっくりされた。今更すぎ(^-^;
でも、一日に何百もの料理を作る旦那の方がすごい(≧∇≦)
7月30日
お休みもらって、引っ越ししたよー!
旦那の両親も、旦那の妹も来てくれた!
そして私は「身重やからあかん!」とほとんど手伝わせてもらえなかった。
申し訳ない(-_-;)
7月31日
まだ性別もわからないのに、名前色々考えちゃう(^-^;
女の子だったら、円(まどか)と環(たまき)がいいなぁ。
どちらもまるい意味があるよね。
8 月1日
二週間ぶりに産婦人科に行ったよ!
まず、子宮を縛る手術をすれば、双子でも臨月まで持たせられる可能性が高まるとの事で、9月中旬に一週間入院する話をしました。
そして、いざ診察台へ!
「先生、ちゃんと心臓、動いてますか?」
「うーん、動いてはいる…が」
そこで黙り込む先生。
まさかあまり大きくなってないとか?
心臓の動きが弱いとか?
「……三つ子やな、こりゃあ」
み、み、三つ子!?
確かに、エコーには、3人映っていました。
4.1センチの子。
3.7センチの子。
3.8センチの子。
不安と驚きでぐちゃぐちゃになって、少し泣いてしまった。
先生にも、
「申し訳ないけど、うちでもさすがに三つ子は無理やわ…」
って言われちゃった。
いい病院、見つけたって思ったのに……。
県立病院への紹介状を書いてくれることになったよ。
まだ動揺してるけど、明日から仕事も含め、ゆっくりと今後のことを考えます。
そして旦那は、私の話を聞いた後、ふらふらと夜の散歩に出かけていきました……。
パパ、頑張って!
8月3日
11週。やっと念願の母子手帳をもらったよ。三人分。
妊娠がわかったら、すぐにもらえるものだと思ってた(^-^;
心拍が確認できてから、もらうものらしい。
妊娠届を見て、担当の人が「えっ、三つ子!?」って叫んで、周りが一斉に振り返った(^-^;
あとうちの市は、一万五千円まで妊娠に関する医療費の負担をしてくれる制度があるのも教えてもらったよ! 使えるものは使わないとね!
母子手帳、書くことが3倍で大変だけど、3倍の喜びをかみしめながら、大切に記入するね!
8月4日
旦那の先輩が、「日本一の施設や」って産婦人科を教えてくれた!
日本に数か所しかない、母子に特化した医療施設やねんて!
旦那の実家からも近いし、よく相談して決めよう……。
8月5日
さっそく先輩に教えてもらった病院に電話したけど、ベッドがいっぱいって言われちゃった……。
でも、三つ子であることを説明したら、紹介状があれば受け入れますって言ってくれた。
8月8日。
胎児ネームをつけてみたよ!
とん吉・ちん平・かん太……。
他に思いつかない(^-^;
8月10日
12週。お腹が出てきたような気がする。
でももともとポッコリしてたから、妊娠によるものなのか、元からなのかわからない(^-^;
ブラックジャックによろしくってドラマ、私は観てなかったんやけど、NICUに関する話があるんやね。
TSUTAYAにDVDあるかな?
でも旦那に
「美帆が観たいんやったら止めへんけど、俺はやめた方がいいと思う」
って言われた(´・ω・`)
そういえば昨日、旦那が
「献血でも行こうかなぁ」
ってつぶやいてた。
私が昨日
「三つ子の帝王切開は、輸血が必要になるケースが多いんやって。よろしくね!」
って言ったからかなぁ……。
8月11日
竹田先生のところに行ってきたよ。
旦那も仕事を切り上げて、かけつけてくれた(*´ε`*)
一人、心臓の動きがとても弱い子がいるみたい……がんばって!!
竹田先生からは、県立病院の受け入れが整ったと説明を受けたよ。
県立病院で、8月末に子宮口を縛る手術をして、もう9月から入院した方がいいって……。
会社は11月から産休に入るって言ってるから、大変!
代わりの派遣の人も見つからないし……。
仕事を投げ出してしまう形になるのが辛い。
これがもし、普通の妊婦だったら、年末まで働けるのに……。
しかも、復帰できるかもわからないよね。これ。
その話を旦那にしたら、
「お前はお腹の子と仕事とどっちが大事やねん!」
ってケンカになっちゃった……。
8月12日
オーストリアで一卵性の三つ子誕生、確率2億分の1ってニュースでやってた。
私も一卵性三つ子!
三つ子というのは、だいたい「二卵性と一卵性」で、一卵性というのは非常に珍しいらしい。
そんなすごいことなら、私もTVや新聞から取材受けたりして……!
でも、大変なのはたぶんこれから。このニュースを励みにがんばろう。
8月18日
竹田先生のところへ行ってきた。
三人とも元気でぴちぴち動いてるー!!
旦那なんて、仕事中なのに抜け出して、
「心臓弱いやつ、大丈夫やった!?」
って電話してきたよ。心配なんやなぁ……。
ただ、私の方に妊娠中毒症の兆候が出てしまった。
まだ13週やのに……。
気を付けなきゃ。
男の子かな。女の子かな。
早く、性別を知りたいな……。
本当は、13週にもなれば、検診も月1回でOKみたいなんやけどね。
そして、来週は、いよいよ県立病院の受診。
手術や入院手続きなど、具体的な話をしにいくよ!
出産育児一時金、前払い(※3)できたらいいのに……。
8月21日
実は、民間の医療保険に入ってなかったんだよね。
普通に妊娠して出産できるって思ってた。
まさか自分が三つ子を授かって、長期に入院することになるなんて、思ってもみなかったよ。
甘かった……。
8月23日
県立病院に行ってきたよ。8月30日に入院。8月31日に子宮を縛る手術をすることが決まったよ。
色々話を聞かされた。
何らかの障害が出る確率は、単胎の二倍以上だから、覚悟してくださいとか……。
一番ショックだったのが、県立病院で3台のNICUを確保するのは無理だということ。
二人は、別の病院に移されるらしい。
これは、県立病院に限らず、どこの病院も一緒だって言われた。
理由は、NICUのある病院は、緊急時の搬送先に指定されているから。
搬送されても空きがなくて受け入れられないという事態を避けるためらしい。
頭ではわかるんだけど、でも納得できない。
そんな、あるかどうかわからないよりも、いま確実に必要としている私を優先してほしいというのは、わがままなんだろうか……。
8月25日
30日と31日、旦那が仕事を休んで付き添ってくれることになった。
子宮を縛る手術自体は、20分くらいで終わるらしいけどね(^-^;
でも嬉しい(≧∇≦)
8月27日
県立病院から電話があった。
「検査の結果をもとに話し合ったところ、当院でも受け入れは難しいのではという話になっています。明日来てください」
だって……。
転院先に勧められた病院、電車で2時間ちかくかかるんですが……。
「さすがに遠すぎます」
って言ったら、
「そんなこと言ってる状況じゃありません、子供のことを考えてください!」
って怒られた。
8月28日
会社を早退して、県立病院に行った。
はっきりと、うちでは出産できないと言われた。
転院先の病院は、今の家からも実家からも義実家からも遠すぎると訴えましたが、他に選択肢はないと言われた。
近隣のいろんな大学病院にかけあったが、断られてしまった。
旦那の先輩に紹介してもらった病院にもかけあってみたが、
「同時期に出産する四つ子がいるから無理だ」
と断られてしまった。
大きくて元気な赤ちゃんを授かれる可能性は、ほぼゼロに近いと言われた。
「で、どうしますか?」
と、先生に聞かれる。
そのとき私の脳裏に浮かんだのは、最悪の選択肢だった。
この妊娠を、諦めるという選択肢。
でも、いろんな病院に断られて、もう疲れてしまった。
障害のある子を育てる自信なんてない。
一人でも不安なのに、三人分を育てる自信なんてない。
生まれてくる三人の子を、幸せにしてあげられる自信なんてない。
それでも、生むの?
次はきっと、単体の赤ちゃんを授かれる。
万一、手術をして子供が授かれない体になってしまたとしても、旦那は
「もし二人だけの暮らしになったとしても、一緒なら楽しいよ」
って言ってくれたし……。
もうだめだと思った。
考えさせてほしい、と言って病院を出た。
8月29日
旦那と相談した。
結婚式のこと、仕事のこと、引っ越しのこと。
いつもはいろんなことを旦那に相談しても、
「美帆のやりたいように、好きにやればいいよ」
と言っていた。
でも、今回は違った。
「俺は、三つ子の顔がみたい」
「週1ぐらいしかお見舞いに行けないし、美帆ばかりに苦労をかけて、自分は何も出来なくて申し訳ないけど、三つ子に会いたい」
「今子どもを諦めて、二人で一生苦しむより、生きてみんなで苦労したらいいやん」
私は、やっぱり子供を産もうと思う。
遠いけど、紹介してもらった病院に行く。
旦那は、忙しいのに、何度も抜け出して付き添ってくれた。
きっと、大丈夫だ。
病院の紹介状、もらってきた。31日に行ってくる。
8月31日。
県で一番大きい病院に行ってきた。
周産期医療センター長という人が診察してくれた。
そして私は初めて直接、先生から「中絶」という選択肢を提示された。
双子の時点では、「二絨毛膜二羊膜」と診断されていた。
しかし診察の結果は、「一絨毛膜三羊膜」。
そしてこのケースを扱ったことは、県で一番大きいこの病院でも無いと言われた。
そして、二つの学会発表の事例を印刷したプリントを手渡された。
ひとつは23週で1人が亡くなり、緊急帝王切開したけど、3人とも助からなかった例。
もうひとつは、19週で2人が亡くなり、1人は生存したものの、脳性まひの疑いがある例…。
突きつけられた、厳しい現実。
私のケースは、治療法がない。とにかく安静にし、何事もない事を祈るより他ない。
こども達の血液の量、羊水の量に差異が生じても、治療する手だても薬も何も無い。
もし1人が亡くなったら、凝固した血液が、胎盤を通じて他の子に流れ込んでしまう。
とにかく、週数にもよるけど、何か異変があったら、もう外に出すしかない……。
町で走ってる子どもを見ると、今までは、それに自分のお腹の子たちを重ねてた。
でも私の子は、もしかしたら一生走り回ることはないのかもしれない……。
旦那は、「前に言った、産んでほしいという気持ちは変わらないから」と私に言った。
9月3日
今日も、朝から中絶の話をされた。
前回は、胎児の危険に関する話がメインだった。
でも今回は、母体の危険性に関する話をされた。
破裂や大量出血による、子宮全摘出の可能性。
身体に三人分の重圧がかかる事により、血栓ができたり羊水が破れたりして、それが肺に入った場合の、最悪の可能性……。
「同じ状況で三人とも無事に生まれたケース」の学会発表資料を探してはいますが、見つかりません」
そう言われた。
さすがに旦那も黙り込んでいる。
そのあとで、エコーをした。
旦那も同じ部屋にいた。
ポコン、ポコン。
心音が聞こえる。
私は涙を流した。
旦那は、そんな私をじっと見ていた。
9月5日
前日の夜、旦那から電話をもらった。
「うちの親と、お前の両親と話をした。みんなお前の身体が一番大事やって言ってる。俺もや。だから……帰ってこい」
そう言われた。
そして今日、私は退院した。
引き止められることはなかった。
すでに16週になっていた。
中絶手術は、約95%が12週までに行われるそうだ。
私の場合は、普通のお産と同じになる。
両親が迎えにきてくれた。
竹田先生が、手術を引き受けてくれることになり、そのまま直行した。
早い方がいいだろうって、今日から早速入院することになった。
なるべく他の妊婦さんと会わないように、離れの部屋を用意してくれた。
そして明日手術を受けることになった。
今は病室で横になってる。
お腹が痛い。
移動もままならない。
ラミナリアとう器具でむりやり子宮口を拡げた。
タバコくらいの太さの棒を、8本入れた。
出産経験もなかった私にはとても強烈な痛みだった。
先生に、何度も「力を抜け」と言われても、どうしたらいいかわからなかった。
先生も辛い。
子どもたちも辛い。
でもそこまで考えられない。痛い。
さっき、トイレに行ったら、下から出血してた。
妊娠してから今まで、出血なんてしたことがなかったのに。
それはつまり、ずっと順調だったということだ。
これで、よかったのかな。
例えば今、
「産みたいです! やっぱり止めてください!」
ってお願いしても、もう無理なんだろうな。
後戻りできないんだろうな……。
痛くて眠れそうにない。
でもこの痛みは、お腹の子たちの自己主張なんだ。
自分の存在を、痛みで訴えているんだ。
この痛みが終わったあとも、私には、この後の人生が待ってる。
この子たちにはもうないんだ……。
9月6日
これが、最後の妊娠記録。
全部終わった。
朝から陣痛促進剤を何錠も追加され、分娩台で陣痛を待っていた。
ポンっと破水した。まるで体の中が破裂したみたいだった。
それからは痛すぎて、何がなんだかよくわからなかった。
全員が逆子なので、取り出すのが大変だった。
子どもの姿は見ない方がいい。
そう、先生からも親からも言われていたので見なかった。
全員、男の子だった。
痛みが引いてから、自分で死産届を三枚書いた。
提出は、病院がやってくれるそうだ。
竹田先生も、その前に入院した病院の先生たちも、
「あなたの選択は間違っていない」
と言った。
しかし私が心からそう思える日は、きっと永遠に来ないのだろう。
ごめんね。
mixiに書いた私の妊娠日記は、ここで終わっていた。
結局当時の旦那とは、その2年後に離婚した。
旦那に他に好きな女性ができたのが、その理由だった。
「俺は子どもが欲しかった。でもお前と子どもを作るのは怖かった」
きっと旦那は、最後まで私に出産を選んで欲しかったのだろう。
そして、最後の最後で諦めてしまった私を、心のどこかで許せなかったのだろう。
さらに2年後、私は病院を紹介してもらった旦那の先輩と縁あって結婚し、1年後に一人の男の子を授かった。
今日はちょうど、彼の保育園での最後の体育大会だった。
ニコニコしながら、手を大きく振ってダンスしたり、走ったりする姿を見て、私は泣きっぱなしだった。
「ママ、僕のダンス、どうやった?」
「めっちゃ上手やったよ!」
駆け寄ってきた息子を、抱き上げて頬ずりする。
私の幸せは、3つの小さな命という、大きな犠牲の上に成り立っている。
その分、彼を全力で、命をかけて幸せにすることが、私の使命だと思っている。
※1 出産育児一時金は、2018年現在42万円が支給される。
※2 2018年現在は、各市町村で妊婦健診費の助成を受けることができる。
※3 出産育児一時金については、2009年10月以降「直接支払制度」を利用できるようになった。
❏ライタープロフィール
牧 美帆(Miho MAKI)
兵庫県尼崎市生まれ、大阪府堺市在住のコテコテ関西人。
幼少の頃から記憶力に難ありで、見聞きしたことを片っ端から忘れていくが、文章を書きつづり、ITを使い倒すことでなんとか社会人として生き延びている。
ITインストラクター、企業のシステム管理者を経て、現在は在宅勤務&副業OKのベンチャー企業でメディア全般を担当。趣味は温泉。
メディアグランプリ週間1位3回/READING LIFE公認ライター。
この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。
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