尾之間温泉が人々を魅了するワケ《第5回 屋久島Life&People 》
2021/03/09/公開
記事:杉下真絹子(READING LIFE編集部公認ライター)
屋久島に温泉があるのをどれくらいの人が知っているだろう?
屋久島に火山がないのにどうして?と思う人がいるかもしれないが、実は屋久島は霧島火山帯に属していて、霧島から桜島、指宿そして屋久島と一帯に温泉が湧き出ているのだ。
しかもこんな小さな屋久島に、天然温泉が1つと言わず8つもあるのはさらに驚きかもしれない。そして、8つの天然温泉はどれ一つとってもおもむきがあってユニークなものが多い。
今回は、その中でも代表的な屋久島の温泉として知られる「尾之間(おのあいだ)温泉」について紹介したい。
この温泉は私が住む集落にあり、毎日夕方になると子供たちを連れて行く馴染みの場所だ。そして、地元でも尾之間といえば温泉と言われるほど、この集落に尾之間温泉はなくてはならない存在だ。
しかも、これがまた正真正銘の足元からふつふつと湧き出ている源泉かけ流しの温泉なのだ。
そんな天然温泉だから、温泉好きな観光客向けの尾之間温泉の情報はネットにたくさんあるが、今回毎日温泉を利用する目線でこの温泉を紹介してみたいと思う。また、屋久島で暮らしている人でも意外に知られていない情報も多く、せっかくなのでその辺りも取りこぼしがないように書いていこうと思う。それだけでなく、集落に住んでいるという利点を大いに活用し、温泉のキーパーソンたちへの聞き取り取材を通して見えてきた新たな尾之間温泉の役割と可能性についてもお伝えしたいと思う。
(尾之間温泉のれんをかける湯守り)
さてまずは、温泉の由来と効能などについて紹介していこう。
尾之間温泉の由来と効能
遡ること350年も昔、地元の猟師に撃たれ傷ついた鹿がお湯につかって癒やしていたところを、住民が発見し温泉が湧き出ていることに気がついたと記録されている。
(温泉の由来が書かれている入り口の看板)
上記の『薩隅日地理纂考』(1871年)の言い伝えもそうだが、それよりもさらに古い書物『三国名勝図会』(1841年)にはこのように記されている。
「治効一切の疾病を治すといへども、第一刀傷を癒すこと神の如し。(中略)かかる不思議の神泉なれば、此村の人民、常に浴する故にや、一生疾病の者なく、多く長寿なるとかや。實に希有の神泉なり。」
これを見ると、なんとも神がかった温泉と思われていたようだ。
特に、刀傷には抜群に効くと書いてあるように、今でも子供が怪我をしたり、すり傷ができると、周りの人たちは、尾之間温泉に浸かっておいでというのはそのためだ。
もちろんお肌にも良くて、アトピーが治ったという話もよく聞く。実際、以前カサカサだった息子の肌も、毎日温泉に入っている今ではしっとりしている。
それ以外にも、子供が授かった、ねんざ打撲が治った、偏頭痛が消えた、さらには「邪気を取る」なんて言う人もいて、様々な言い伝えも数しれずだ。
ちなみに、世界中どこの人も動物も温泉に惹かれるのだろうか。
私が以前住んでいたケニア国にもマガディ湖から湧き出る絶景の温泉があって、そこはマサイ族も利用する。pH値も10以上あってまさにヌルヌルの美肌湯だったが、温泉湖はフラミンゴやペリカンの生息地でもあったことをふと思い出した。
尾之間温泉の魅力と特徴
この温泉の特徴は入れば入るほど実感できるのだが、ここでいくつか具体的に紹介していこうと思う。
まず、良くも悪くもお湯は49.0度で熱い。
初めて尾之間温泉に入る人の第一声は、たいてい「あっつー!」となる。
(この下から湧いてます、張り紙)
それが毎日通い始めると、不思議とこの熱さがたまらなくなり、気がついたら病みつきになるし、特に冬時期は身体の芯まで温めてくれるのが良い。よく見ると、湯船の床に敷き詰められた石ころのすき間からポコポコと天然のお湯が湧いてる!しかもpH値9.6だからまさにトロトロのお湯に浸かった後は、お肌ツルンツルンになる。
また、初めて尾之間温泉に入ると、なんだか独特のマナーがあることに気がつく、というか戸惑う。だから、毎日温泉に入っている地元のおばちゃんたちは、使い勝手がわからずオロオロしている観光客を見ると絶妙のタイミングでアドバイスをする。
「こっちは足元からお湯湧き出て熱いから、あっちのほうから入ったほうがええよ」
「シャワーのお湯は洗髪だけで、身体を洗うときは湯船のお湯を使うんよ」
「あんまり長くお湯に浸かったら、湯あたりするよ」
そんな世話好きでおせっかいな地元のおばちゃん・おじちゃんたちにとっても、尾之間温泉は大切な情報交換の場となり、今日のイカ釣りの場所、今年のじゃがいもの出来栄え、タンカン作業の手伝い募集などの情報網が常に張り巡らされ、へたすれば普通のインターネットよりも早いと言ってもおかしくない。
それだけでなく、お互い元気でいるか、暮らしているかなどの安否確認の場にもなる。
「あれ、最近あの人見てないね。どうしてるんやろ、大丈夫やろか」
そんな会話が湯船から聞こえてくるのだ。
そもそも、尾之間区と隣の小島区の住民は利用料タダという恩恵を受けているため、地元民の交流の場であり憩いの場になっている。だから温泉に気兼ねなく入れるこの地域にわざわざ引っ越してくる人もいるほどだ。
最近は減少傾向にあるものの、利用者の数は1日平均300~350人となっている。内訳は尾之間住民6割、小島住民1割、それ以外の島民と観光客3割だそうだ。
憩いの場は温泉内にとどまらず、温泉の向かいには「サロン湯の峰」が地域住民の交流の場としてお茶ができるスペースを提供している。ここは障がい者の就労を支援するNPO法人「じゃがいものおうち」が運営していて、カフェのみならず美味しい手作りの豆腐などを販売している。
また、建て替え自体は平成6年なのに、なんだか昭和レトロの匂いがプンプンする。ここでは、巨大な大根が採れた時には柱に立て掛けられていたり、毎月26日のフロ(26)の日に湯守りとジャンケンして勝ったらタダになるとか、なんだか不思議な空間を醸し出している。それに、少し昔までは夕方になると家にテレビがない子供たちが、仮面ライダーのような番組時間に合わせて、ここにみんな集まって温泉にテレビにワイワイすることもあったそうだ。
(誰かしら持ってきた自慢の巨大な大根が温泉の見せ柱に)
ちなみに尾之間温泉の湯守りを30年もの間やっていて、温泉を知り尽くす人と言えば岩川通孝さん夫婦だ。そう、彼らが温泉の看板夫婦と言わずして何と言おう。
そして、もちろんのこと屋久島内外問わず多くの温泉ファンを魅了する。
待合室の柱にも利用者が送っただろう絵葉書が貼られていて、こんなコメントを見ると思わず笑みがこみ上げてくる。
アツすぎる温泉と聞いて入泉したのですが……想像以上にアツかった(笑)。
ただ、それ以上に、みなさんの「入り方」がとても興味深かったです!!
だって……「お風呂に入る時間より、体を洗う時間のほうが長いんです」もの。
あれ以来、自宅では『尾之間流』でお風呂を楽しんでます。
心地よい時間に感謝です。
確かにわかる、この『尾之間流』(笑)。
尾之間温泉の昔と今
350年という時とともに、尾之間温泉の活用も変わってきたようだ。
そもそもまだみんなの家に風呂がない頃、この温泉は住民の銭湯として広く使われていた。それだけでなく、湯治場としての役割もあり、島の遠方の人が病を治すため長期間滞在することもあったそうだ。
((上)大正9年100年前の様子、(下)昭和36年60年前の様子)
また、現在湯船は一つだが、昔はこの湯船が3つに仕切られ温度の違うお湯に入ることができたそうだ。一番端の温度が低いお湯から入って、次に真ん中に入り、最後は下から湧き出ているところに入るという入り方だったそう。まぁ、温度低めのお湯と言っても普通の感覚では熱いと言いたいのだが。
(男湯入り口から見た様子)
「わしらの小さい頃は、騒いで最初に入るぬるめのお湯をすっ飛ばして熱い湯船に入ったら、よく大人からこらー、って怒られたりしたよ」
と、懐かしそうに語る日高信一(ひだかしんいち)さんは、78歳になった今でも毎日2~3回温泉に入るそうで、肌ツヤや声にハリもあり、さすがだ。
なお、尾之間温泉は湧出地が3箇所(尾之間1号~3号)あるのだが、現在私たちは尾之間2号と呼ばれる源泉を利用している。これら3箇所すべてが住民に開放されていた頃は、家族風呂、VIPや観光客専用、牛洗いや洗濯、さらには種籾の発芽など、時代のニーズに合わせて温泉が利用されてきたようだ。
そのうち地元で山湯と呼ばれている源泉(尾之間1号)は、現在150メートル先にある介護事業所「こまどり館」までパイプを引いて、そこに通う利用者さんが温泉を利用できるようになっている。また、外に設置している足湯にも山湯が引かれていて、足がクタクタになって戻ってきた登山客が利用するなど、温泉は様々な人たちに喜ばれている。
(建物の外に設置している足湯)
残る尾之間3号は、少し温度が低いことからシャワーとして使われている。
ちなみに、温泉関係者に聞き取りしていくと、3つの源泉の中でも特に尾之間1号の山湯が素晴らしいとみんな口を揃えて言う。
「とにかく、石の割れ目から出る山湯はキレイで飲めるし、温度もちょうど良くて、最高だよ」
残念ながら今は足湯でしか入ることができないため、なんだか私の妄想が膨らんでしょうがない。いつか、山湯に入れる日がくるといいなぁ。
(奥にある温泉神社からみた尾之間温泉)
尾之間温泉から亜熱帯ジャングルへ
さて、尾之間温泉のすぐそばは登山道の入り口になっていて、入るとすぐにヘゴやビロウの植物そして南国の花や虫たちが歓迎してくれ、南国ジャングルの世界が広がっている。
(熱帯植物の風合いを見せるヘゴの木)
そこから蛇ノ口滝や淀川登山口に行くことができる。
数時間亜熱帯ジャングルの森を歩くと落差30mの蛇ノ口滝が見えてくる。夏場は絶景エメラルドグリーンの滝壺で泳ぐこともできて、なかなかワイルドなハイキングコースになっている。
(エメラルドグリーン色の蛇ノ口滝壺)
温泉を中心とした村づくり・人づくり
尾之間温泉は、最高の泉質と効能があることは間違いないのだが、取材を進めるうちにこの温泉の存在や取り巻く出来事が、尾之間のむらづくり・人づくりとしての大きな役割を担ってきたことが分かってきた。
それが際立った出来事として、二つのストーリーとそこで関わった人たちを紹介していきたい。
現在の建物の建替えになったのは、1994年今から27年前のこと。
建て替え工事の総監督として抜擢されたのが当時まだ40歳頃の楯篤雄(たてあつお)さんだった。この楯さんという方、今ではこの辺では誰もが知る存在なのだが、当時は屋久島に移住してきてまだ4年ほどの、いわゆる外者・よそ者だった。
その彼に突然バトンが渡されたのだ。
「元々プロの大工でもなかった私に当時の区長から声がかかって。一瞬、私でいいの?と思ったよ」
と当時を懐かしそうに楯さんは振り返る。
普段の楯さんは必要なこと以外あまり話さないイメージを持っていたからか、封を切ったように話し始めた彼を見て、なんだかこちらも嬉しくなった。
彼を抜擢したのは、当時区長だった岩川宏(いわかわひろし)さんだ。彼はインタビューの中で楯さんを引き込んだ理由を教えてくれた。
「とにかく、地元住民と移住者の交わる機会を作って両者の垣根を外すことを意識してましたね。それに、私は楯さんの人間性も買っていたし、彼が丸太を上手に使って色んなものを作っていたのを知っていましてね。その丸太を使って温泉の建物を作りたいと思っていたのですよ」
そして、建替え着工にあたり、岩川宏区長は全区民に「建替え工事中は、各家庭から最低でも2日間奉仕に来るように」というお達しを出した。
(建替え前のコンクリートでできた尾之間温泉の建物)
当時のことについて楯さんは懐かしそうに当時の写真をパラパラとめくりながら、こう続けた。
「本当に奇跡的だったね。ここに来ている区民は全員ボランティアだよ。プロの人雇うとお金かかるからね。多い時なんて一日50人くらい来てそれを仕切るのは自分だったからそれは大変だった。でも想像以上にたくさんの人が来てくれて、丸太の皮むいたり、自動かんながけしてくれたり、懐かしいなあ」
丸太は、尾之間区が所有する地杉を伐採して使われた。
まさしく、温泉づくりは人も資材も「メイドイン尾之間」ということになる。
尾之間温泉建替えプロジェクトは、4ヶ月で完成した。
区民総出の大プロジェクト、地元の人も移住者も尾之間に住む皆が集まって一つになった瞬間だった。
まさしく「尾之間ワンチーム」とはこのことかもしれない。
(完成した建物、区民総出の温泉建替えプロジェクトの様子)
「昼夜関係なくずっと働き続けたなぁ。あれが自分の原点だよね。ほんと、何かに突き動かされる感じで進んでいった」
楯さんは言葉を重ねていった。
みんなのちからがあのようにギュッと集まると、どんなことでも可能になるっていうことを見せてくれた体験だったという。あれ以来、楯さんの情熱と力量が買われ、彼の会社「モッチョムクリエイト」は地元で様々な建築工事を手掛けてきた。それだけでなく、彼はNPO法人「じゃがいものおうち」の理事長として障害者福祉の事業にも取り組むなど、今やこの地域になくてはならない存在の一人だ。
だから尾之間温泉に来たら、温泉を堪能するだけでなく、丸太でできた手作りの温泉建物やストーリーを感じてもらいたい。
(尾之間温泉の全貌)
風呂の壁画
もう一つ、尾之間温泉の特徴として挙げられるのは、お風呂の壁に描かれている壁画だ。男湯と女湯を仕切る壁には、尾之間集落に伝わる棒踊りや鬼火焚きなどの伝統行事、そしてモッチョム岳や蛇ノ口滝などの自然が描かれている。それに、男女の壁で描かれている絵が違うので、なんとなく手が届きそうで届かない魅惑の絵とも言える(笑)。
(女湯から見る壁画)
その絵を描いた人が、2000年に京都から移住してきた画家の黒飛淳(くろとびあつし)さんだ。現在、宮之浦の歴史民俗資料館で働いている。彼も同じく屋久島・尾之間に移住して間もないうちに、温泉壁画の依頼が来たそうだ。今度は、あの楯さんが黒飛さんを温泉プロジェクトに引き込んだという話だ。
「あれは、画期的なことやったんよ」
なんだか、黒飛さんも楯さんと同じような発言!で当時を振り返る。
その依頼に応えるべく1年かけて毎日夜な夜な公民館のスペースを借りて壁画を製作することになった。そんな頑張る黒飛さんに、時折集落の人たちからの温かい差し入れもあったそうだ。
尾之間の伝統文化や芸能を壁画に描くといっても、よそから来た黒飛さんには、「十五夜の綱打ち」や「棒踊り」なんて実際に体験していないからよくわからなかったという。だから保存されている写真とにらめっこしながら、こうでもないああでもないと言いながら、なんとか描き終えたそうだ。
「面白いことに、後で自分が保存会に入って実際に「棒踊り」を踊ることになって、その時初めて棒の角度や持ち方ってこうだとリアルに理解できたんよ。壁画製作のときには気が付かなかった微妙な違いが見えてきた」
(実際の棒踊りの様子、疫病退散や家内安全を願う祇園まつりで奉納する)
と、黒飛さんは実際に体験することの大切さをしみじみ語り始めた。
見るだけでなく、自分で体験して初めていろんなことが分かってきたそうだ。
その頃、途絶えかけていた伝統の十五夜の綱打ちも同じだったそうだ。
「そもそも綱打ちの原料のワラが十分じゃなかったので、田んぼから始めないといけなかったよね。でも、そのおかげで昔ながらの農耕具の使い方も分かったし、綱打ちもできるようになった」
その経験が原点となり、黒飛さんは現在の歴史民俗資料館での仕事や平内民具倉庫の取り組みがあると言う。
まさしく彼も尾之間温泉から始まり、そこからいろんな可能性のドアが開いていった一人だが、実はこれまでにも尾之間温泉を中心とした村づくり・人づくりのドラマが繰り返されてきたのだ。
「ここは、尾之間温泉は、宝だよ」
インタビューの最後に黒飛さんがポツリと放った一言を受け止めながら、尾之間温泉の存在の大きさと深さをしみじみ感じた。
そんな尾之間温泉でお会いましょう!
(ただいま尾之間温泉を独占中)
<参考資料・情報提供元>
薩隅日地理纂考(1871年)
三国名勝図会(1841年)
屋久島町郷土史
聞き取り協力者(聞き取り順(敬称略)):
日高典孝、日高信一、楯篤雄、岩川宏、岩川通孝、黒飛淳、温泉利用者
尾之間区事務所
<写真提供>
©︎2020 Makiko Sugishita. All Rights Reserved.
□ライターズプロフィール
杉下真絹子(READING LIFE編集部公認ライター)
大阪生まれ、2児の母。
1998年より、アフリカやアジア諸国で、地域保健/国際保健分野の専門家として国際協力事業に従事。娘は2歳までケニアで育つ。そこで色んな生き方をしている多種多様な人々と出逢いや豊かな自然環境の中で、自身の人生に彩りを与えてきた。
その後人生の方向転換を果たし、2020年春、子連れで屋久島に移住。【森の中でウェルビーングする/archaic FORESTING】をキーコンセプトに屋久島で森林浴・森林セラピーなどの活動開始(カレイドスコープ代表)。
関西大学卒業、米国ピッツバーグ大学院(社会経済開発)修士号取得、米国ジョンズホプキンス大学院(公衆衛生)修士号取得。
この記事は、人生を変える天狼院「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」をご受講の方が書きました。 ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。
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