屋久島Life&People

屋久島のグローバル教育とこれから《第8回 屋久島Life&People 》


2022/04/11/公開
記事:杉下真絹子(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
屋久島に移住してから出会う人たちとの新たな展開は非常に面白く、それまで考えもしなかったことがたくさん起こっている。
 
今からちょうど一年前のこと。
「杉下さん、ぜひ屋久島の学校にグローバルな風を吹かせてください」
すべては当時教育委員会教育振興課の指導主事だった福留忠洋先生の一言から始まった。
 
実は、元々まったく違う目的で私から会いに行ったのが最初のきっかけだ。
その時、福留先生は学校回りを終えて外から戻ってきたからか、会議室に入ってきたときには、汗をかいていた(そんなに暑い時期でもなかったのに!)。今思うと、いろんな意味ですでに「アツい人」キャラが見え隠れしていたのかもしれない。
 
そして、あっという間に私は屋久島町ESDグローバルアドバイザーとして委嘱を受け、学校教育に携わることになった。
 

(八幡小学校で開催した教員研修後に福留先生と)

 
ESD(Education for Sustainable Development)とは「持続可能な開発のための教育」のことで、昨今いろんなところで耳にするSDGs(Sustainable Development Goals)「持続可能な開発目標」を実現できる人材を育てることを指す。
 
人口1万2千人ほどの屋久島には、9つの小学校、4つの中学校、そして2つの高校(県立屋久島高校と通信制おおぞら高校)がある。我が家の子どもたち(4月から小2と小4)も島内にある神山小学校に毎日元気に通っている。
 

(登下校する子どもたちの様子)

 
これまで、子供の保護者としてしか学校と接点がなかった私が、思いもよらぬ形で教育委員会や学校の先生たち、そして子どもたちと関わり始めたのだ。その中で見えてきたことや感じていること、これからの屋久島のグローバル教育の可能性について、綴っていこうと思う。
 
振り返ってみると福留先生は、屋久島の学校教育のみならず、グローバルな社会課題やアフリカの暮らしなど、いつもいろんなことに興味関心を示してくれたからか、私もやり取りの中からいろんな発想やアイデアが生まれワクワクすることが多かった。
 
そんな時間もあっという間過ぎ、福留先生は今年の3月末をもって3年間の任務を終え、4月1日から鹿児島市立広木小学校の教頭先生として新たな新天地に就き始めた。本当は、屋久島の任期中にこの記事を書き上げるつもりだったが、これが少し遅めの門出を祝うメッセージとなる。
 
 

【思いもよらぬ新たなお役目】


「引き受けますよ!」
と教育委員会には軽く返事したものの、いざ教員研修のためのプレゼンテーションを準備するとなると、なかなかさくさく進まない。
 
まずは、屋久島の学校の方針や抱えている課題やニーズを私自身が理解するところから始まった。そして、これまで私のアフリカや東南アジアの国際協力事業の現場経験や教訓をどう活かせるのか、またグローバルな社会課題をどう自分事として捉え、行動に移せるのかなどのアプローチを私なりに見出すために、これまでの自分の軌跡を振り返ることになった。
 
そもそも子連れで屋久島に移住した2年前、教育分野のお手伝いをするとは考えてもみなかった。屋久島に来る前まではアフリカや東南アジアで国際協力分野の専門家やコンサルタントとして長年従事してきたが、この島ではそれを完全に手放し新たな人生のステージに入るつもりでいた。
 

(生後5か月の娘とケニア北部のサンブル族の子どもたちと)

 
そんな中、
いやいや、まだまだ。これからはグローバルな視点やこれまでの経験を新天地でも活かし社会課題を解決できる人づくりのお手伝いをしなさい。
 
とでも神さまが福留先生を通して私に伝えているような気がするのだ。
 
「この研修は波及効果大だと思っております。知らなければ知ることのできない体験をご教授ください」
 
福留先生の独特な乗せ方で(そして、その後も「福留節」は続く!)、心地よいプレッシャーを感じながらも、第1回屋久島町小・中学校持続発展教育(ESD)担当者等研修会にて『世界の貧困課題から学ぶ:私たちにできること~SDGs/ESD研修』を開催した。
 
研修会にいた先生方の中には、アフリカに行った経験がある人は一人もいなく、また東南アジアに旅行で行ったことある先生が、一人か二人いたほどだった。
 
それでも、自分事として考えてもらうような参加型手法など入れた講演研修は無事終わり、早速参加されたESD担当の先生方からびっしり書かれた感想が届いた。それを読んで今回の内容は参加者に響いた、と確信を持て正直ホッとした。
 
屋久島型ESD(持続可能な開発のための教育)が始まって約10年、屋久島は比較的早い段階から総合・探究の学習に取り組んできたのだが、それでも先生たちは「これでいいのだろうか」と日々思い悩みながら実践してきたことが伺えた。
 

(「世界自然遺産に学ぶ屋久島の教育」報告書)

 
この初回の研修を皮切りに、3月年度末までの10か月の間に、7つの小中学校と教育委員会から依頼を受け、合計25回ほどの講演会ならびに教員研修や子供たちへの授業などを実施してきた。内容は多岐にわたりその一部を紹介すると、教員研修では「総合的な学習の時間を核としたカリキュラムマネージメントの在り方」や「ESD教育の充実に向けた探求的な学習への提言」などのテーマで話をした。
 
また、子供たちへの授業として「SDGsと地球とわたし」、「世界は多様性に満ちている(人権教育)」、「ぼくたち、わたしたちの旅立ち(キャリア教育)」、さらには奈良と屋久島の学校をオンラインで繋げて「水の力~SDGsの実現へ」という話をする機会を頂いた。
 

(国際協力で使う問題・目的分析手法の一部を中学校の授業に紹介)

 
実は、学校の先生に負けず子供たちの純粋な学びの意欲がすごい。すでに学校で取り扱う前にSDGsに興味を持っている子供たちもいて、自ら図書室で本を探して読んだり、自主的に海岸にごみ拾いを始めたりと積極的だ。
 
そんなある日、
「真優ちゃんのお母さん、週末真優ちゃんの家に行っていい?SDGsのこともっと教えてほしい」
と、娘のお友達2~3人が言ってきたのがもともとのきっかけだ。それを担任の上園先生に相談したところ、せっかくだからと実際の授業にまで発展したのだ。これには驚いた、というか屋久島の先生たちや教育環境が子供たちの学びに合わせてここまで柔軟に対応しようとしていることがとても嬉しかった。
 

(授業後、子供たちからたくさんの質問が止まらない)

 
面白いのが、さらにここで終わらず、子供たちの探求の学びはグローバルに広がっていて、それをサポートする学校の土壌が醸成されつつあるのだ。その例としてが、「質の高い教育をみんなにを実現するためにランドセルを送りたい」というある子の想いが発展して、実際にアフガニスタンにランドセルを送る活動を長年続けている国際協力NGOジョイセフ(私も以前一緒にミャンマー案件の仕事を一緒にしていたこともあって)と学校を繋げ、アフガニスタン現地での活動についてのオンライン授業をする流れになった。
 

(子供たちの感想「質の高い教育をみんなに」を実現するために)

 
その後、授業だけに終わらず、実際に子供たちがランドセルを送ろうという準備しているというではないか。屋久島の子どもたちがグローバルに繋がっていくことに、私のワクワクも止まらない!
 

(ランドセルをアフガニスタンに送る事業について話を聞く様子)

 
 

【教師ではなく恩師になる】


福留先生とは、屋久島の子どもたちのより良い学びのために、日々密にコミュニケーションを取り、屋久島の学校の今そして未来を見据えながら今どんなアプローチが必要なのか、グローバル視点からできることは何かを共に考えるようになった。
 
ちなみに、福留先生はこれまでの教え導く教師イメージと少し違う気がしていて、トレードマークの黒縁メガネの奥には人を観る鋭い眼と嗅覚で、その時必要な人を引き付ける能力と魅力もあるのだ。
 
そして、彼は「教師ではなく恩師になる」と言っていた。
 
役場で次の研修の打ち合わせをしながら、ふと先生の生い立ちを聞いてみると、小さい頃父親はアルコール依存症で、それを支える母親は病院の調理員として働いていたという。
 
「そんな私の家庭状況をよく知る当時小学校6年生の時の担任は、飲みにケーションが上手で、うちの父親ともよく飲んでくれたのです。こんな家庭環境を把握してくれていたこともありますが、とにかく学校行くのが楽しかったですね。だから学校教育には、感謝しきれないのです、たくさんの友と出会い、葛藤し、成長することができました」
 
そんな恩師に巡り合ったからこそ、今度は自分が恩師になって恩返しをしたい。
 
なるほど、それを福留先生は体現しているよなぁ、とある時こんな話を聞きながら思った。
「この前、初任1年目に担任だった時の教え子が屋久島に遊びに来たので、一緒に宮之浦岳に登ってきました。頂上に着いて、約20年ぶりにまた「さよなら!」と別れの挨拶をして、教え子は縄文杉を目指し、私は淀川に向かったのですよ」
と、ニコニコしながら嬉しそうに話してくれた。
 
20年も昔に担任だった先生を訪ねて屋久島まで遊びに来る、しかも一緒に宮之浦岳登頂する。そこに教え子が福留先生という「恩師」と今でも繋がっている所以のような気がするのだ。
 
 

【マッチングメーカー】


3年間の任期中、福留先生はこんな想いを持ち続けたそうだ。
「これからの教育は学校内に留まらず、より社会と繋がって学びを深める必要がある」
「自分の強みは、人と繋がり、さらに人と人を繋げられること」
 
確かに、初めてお会いした時も
「私はマッチングメーカーみたいなもんです」
と彼はつぶやいていたのを思い出す。
 
「教員は転勤族、でも地元に屋久島で育った人や屋久島を愛して移住された人が多くいらっしゃる。その人たちと繋がることで屋久島の教育を見守っていく環境を作るのが大切です。そう、屋久島には素晴らしい人材や学ぶ素材もゴロゴロ転がっている。それを活かさないわけにはいかないでしょう」
 
それは想いだけにとどまらず、実際に私を含む様々な外部人材を発掘し、屋久島の教育に新たな風を吹き込んできた。例えば、サンカラホテル基金で起業家たちと連携し小学生からのSDGs教育に最適なボードゲーム「Get The Point」の屋久島版の開発に取り組んだり、慶応義塾大学の環境情報学部生との「おにぎりプロジェクト」連携事業、屋久島環境文化研修センター所属ESDアドバイザーとの連携企画、またコロナ禍で来日できない外国語指導助手(ALT)を補充するために町内に住む外国人を発掘するなど、学校教育が外に目を向けるだけでなく、積極的に手を取り合って具体的な行動に踏み切ったのだ。
 
なんだか、学校が変わろうとしている。
 

(屋久島町教育長と教育委員会関係者)

 
それを、そばで感じて、正直私もワクワクし始めていた。
もっと協力したいし、私も一人の大人として、保護者として、またアドバイザーとして一緒に挑戦して成長したい、そんな想いがどんどん大きくなっていった。
 

(中学校のポスターセッションの準備の様子)

 
実は、屋久島の学校では、PTA活動や朝の読書会など、保護者は様々な形で先生や子供たちと接することが多く、以前通っていた東京都内の小学校に比べると、学校や先生と保護者との距離はとても近くて心地よい。
 
ただ、ふと世界に目を向けると自然環境の破壊、紛争や差別の拡大に歯止めがかからない時代に突入しているのも確かであり、もはや他人事にはできない地球規模の課題がある。そのような中、これからの子供たちがより良い未来を自ら創造していくために、社会の中でこれまでの教育の在り方を根本的に見直さなければならないのも事実である。
 
最近では、屋久島の学校が積極的に実社会の扉をたたき始め、福留先生が着任した後はそれが加速したと言える。その具体的な例として「第12回全国世界遺産学習サミットin屋久島」の開催がそれにあたる。当初、世界遺産登録地域から様々な教育関係者が屋久島に来てサミット開催の予定だったが、コロナ収束が見えず、急遽オンラインとオフラインと合わせたハイブリッド型に切り替え、無事開催することができた。
 

(「全国世界遺産学習サミットin屋久島」の様子)

 
ここ1~2年の間に、屋久島にも光回線が入り、インターネット通信が劇的に改善したこともあいまって、屋久島でもGIGAスクールも加速化し、これまで想像もしていなかった奈良や他地域の学校との交流授業なども可能になるなど、教育の在り方が大きく変化してきた。
 
そして、2月に開催されたサミットも無事成功に終わり、あっという間に3月下旬、福留先生が屋久島を去る日がやってきた。この日が来ると分かっていたけど、港で船に乗り込む前の最後のスピーチを聞いて、もはや涙をこらえられなかった。
 
まさに屋久島で学校教育の大改革に取り組んだ業績を残されたと思う。
 

(船に乗り込む前の最後のスピーチの様子)

 
何よりも、私自身も福留先生と一緒に仕事ができて楽しかったし、共にいろんなことに挑戦し、成長できたと感じている。この3月末は、これまで子供たちのために探究学習の時間をどん欲に活かしてきた上園先生や上村校長先生が任期を終え屋久島を去ることになったが、先生たちの異動でこんな想いを抱くのはこれまでなかったことだ。
 

(娘が大好きな担任の上園弘太朗先生のお見送り)

 

(お見送りをする子どもたち)

 
実は、私が海外で仕事をしていたとき、任期が終わると私は去る側だった。
そして、今回初めて「残される側」の気持ちを味わった気がする。
 
昔一緒に働いていた元同僚たちを残して、ミャンマー、ザンビアやケニアいろんな国を離れるのは私だった。ようやく今、残された彼らの想いを重ね、馳せることができる。
 
それでも、元気よく手を振って「さよなら!」とすると、またタイミングが来ると道が交差して出会い、そして人生は続いていくのだろう。まるで20年後に教え子と恩師が屋久島で再会し、宮之浦岳登頂で再び「さよなら!」をしてそれぞれ縄文杉と淀川の違う方面に向って進んでいくように……。
 
4月から、福留先生は広木小学校の教頭先生だ。屋久島での単身生活から解放され、今は3人のお子さんと奥さまのいる家族の元からから毎日職場(学校)に通っている。
 
そして、私自身も福留先生のこれからのご活躍を願うとともに、これまでと変わらず子供たちの学びや未来を想う「同志」であり続けよう。
 

(船に乗り込む前の「さよなら!」また会いましょう)

 
 
 
 
<写真提供>
©︎2022 Makiko Sugishita. Tadahiro Fukutome. All Rights Reserved.

□ライターズプロフィール
杉下真絹子(READING LIFE編集部公認ライター)

大阪生まれ、2児の母。
1998年より、アフリカやアジア諸国で、地域保健/国際保健分野の専門家として国際協力事業に従事。娘は2歳までケニアで育つ。そこで色んな生き方をしている多種多様な人々と出逢いや豊かな自然環境の中で、自身の人生に彩りを与えてきた。
その後人生の方向転換を果たし、2020年春、子連れで屋久島に移住。現在【森と健康】をテーマに屋久島で森林セラピーを中心とした森林ウェルネスプログラムの活動を展開している(カレイドスコープ代表)。
関西大学卒業、米国ピッツバーグ大学院(社会経済開発)修士号取得、米国ジョンズホプキンス大学院(公衆衛生)修士号取得。

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2022-04-06 | Posted in 屋久島Life&People

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