死にたてのゾンビ

とあるゾンビの生涯について《不定期連載:死にたてのゾンビ》

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2021/02/08/公開
記事:ユウスケ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
※この物語はフィクションです。
 
 
ゾンビというのは、大学時代のアパート近くによく出没した野良猫の名前だった。誰が最初にそんな名前を付けたのかはわからないが、みんながその猫のことをゾンビと呼んでいた。
確かにその猫は控え目に言ってもゾンビだった。片方の耳は、ほかの猫との喧嘩でかじられたのか上半分がなかったし、右目はまぶたにひっかき傷があっていつも半開きで、左の後ろ脚は妙な角度に折れ曲がっていた。灰色のトラ猫なのだが、毛並みはぼさぼさでところどころに禿げが目立つ。近所の人は気味悪がって誰もその猫に近寄ろうとはしなかった。時々小学生の子どもたちが肝試し的にゾンビに近づくのだが、ゾンビの黄色くて鋭い目を見ると怖気づいて逃げていった。
ゾンビは夕暮れ時になるとどこからともなく現れて、街中をよたよた歩きで闊歩した。駅や公園、商店街の裏路地を歩き回って、食べるものが何かないかを探し、時々誰かが残したパンやおにぎり、お弁当の食べ残しを見つけるとさっと駆け寄り、貪り食った。
僕はたまたま彼(ゾンビはオスだった)の食事の最中、近くを通りかかったことがあった。彼は公園で見つけたパンの食べ残しを一心不乱に食べあさっており、その様子を茂みの影で数匹の他の野良猫たちがじっと見つめていた。そのうち、茂みの中の一匹がゾンビの食事のおこぼれをいただこうと近づいた。それを見たゾンビはその猫をにらみつけ、鋭く威嚇の声を出した。近づいた猫はその場で凍りつき、やがてそそくさと茂みの中に戻っていった。ゾンビはそんな猫だった。
 
ハルカがゾンビを初めて見たのは、僕と彼女が付き合いたての頃のことである。彼女は他大学の獣医学部生で、僕たちは大学間の合同サークルで知り合った。僕と彼女は近くのアパートに住んでいて、よくお互いの家でデートをしていた。
その日は僕の部屋でアイスを食べながら映画を見る予定で、近所のレンタルビデオ屋で映画を借り、コンビニでアイスを買い、僕のアパートに戻ろうとしていた。
「あれ? 猫がいるわ」
コンビニを出たところで、ハルカが言った。彼女が指さすほうを見ると、そこにはゾンビがいた。ゾンビは家と家の間の狭い路地にいて、頭を上げてこっちを見ている。
「あ、ゾンビだ」
「ゾンビ?」
「うん。ゾンビ。体中傷だらけでゾンビみたいだから、近所の人はみんなそう呼んでる」
「ふーん」
そう言うとハルカは立ちどまり、ゆっくりとゾンビのほうに近寄っていった。
「あんまり近づくと危ないよ。こいつとっても獰猛なんだ。僕たちが持ってるアイスを狙ってるのかもしれない」
ハルカはそれを聞き流して、ゾンビのほうをじっと見ていた。ゾンビもハルカを見つめているようだった。彼の眼光が黄色く光るのが僕には見えた。
「ねえ、そろそろ行こうよ」
僕はそう、彼女に声をかけた。
「うーん。ちょっと待ってて」
そういうと、彼女はまたコンビニに入ってゆき、しばらくしてから買い物袋を提げて戻ってきた。中にはソーセージが入っていた。
「まさか、それをあげるんじゃ……」
「黙っててよ!」
「っていってもなあ、襲われても知らないからね」
彼女はまたゆっくりとゾンビに近づいた。ゾンビはハルカのことをじっと見ていてが、手が届くところまで近づくと、体を低くして、今にも飛びかからんばかりの体勢を取って、鋭く唸った。
「大丈夫。怖くないよ」
彼女はそう言い、じっとゾンビのほうを見た。ハルカもゾンビも、お互いの目を見つめあったまま、身動き一つしない。
しばらくしてハルカは、ゾンビから目をそらさないままその場にしゃがんで、買い物袋の中のソーセージを取り出して、フィルムをはいで、ゾンビに差し出した。
「食べる?」ハルカは優しく声をかけた。
ゾンビは恐る恐るそのソーセージに近づき、においをかいだ。そしてまたハルカの目を見つめた。
「食べなよ」
ゾンビはすこし、静かに唸った。そして、一口ソーセージをかじった。そしてまた一口。
ハルカはソーセージのフィルムをすべてはぎ取ると、ゾンビに放り投げた。ゾンビはそれを見つめた。そして、がつがつとそのソーセージを食べ始めた。
「かわいい猫ね」
「多分、この猫をかわいいっていうのは君だけだと思うよ」
しばらく、僕たちはゾンビがソーセージを食べるのを見守っていた。彼はあっという間に食べ終えると、体を丸めて座り込んだ。そして、こちらをじっと見つめた。
ハルカはもう少しゾンビに近づいて、頭を撫でようとした。ゾンビはぴくっと体を震わせたが、首を垂れて目を閉じ、ハルカに撫でられるがままになった。ハルカはずっとその猫を撫でていた。
「私、この猫を飼いたい!」
そう言った彼女の目は輝いていた。
 
僕たちは僕の部屋で映画を見る予定をキャンセルして、ゾンビを抱えて彼女のアパートの部屋へと向かった。家に帰ると、彼女は風呂のお湯を沸かし、その間にゾンビの体を調べ、傷口を一つ一つ丁寧に観察していった。そこには無数の大小さまざまな切り傷やひっかき傷があり、一部からは血がまだ出ていて、一部からは膿が出ていた。ゾンビの体からは生乾きの雑巾と腐ったキャベツを合わせたようなとんでもない匂いがした。
けれどもハルカはそんなことお構いなしに、ゾンビの手当をしていった。最初ゾンビはじたばたと暴れていたが、僕もゾンビから鼻を背けながら手伝い、二人がかりで彼を押さえつけ、何とか傷口の手当をした。ゾンビも観念して途中からおとなしくなったが、それでも傷口が痛むようで、時々しっぽをピンととがらせて、低くごろごろとした声でうめいた。
「じっとしてなさい」
ゾンビがじたばたするたびに、ハルカは叱った。しかし、その言葉が彼に届いているのかどうか、僕にはよくわからなかった。
傷口の処置を終えると彼女はゾンビを浴室に連れて行って、体をお湯で洗った。風呂場の中のお湯を真っ黒に染めながら、一時間くらいかけて二人で何とか彼をきれいにし、最後はドライヤーを充てて、彼の毛並みを整えた。
「これでちょっとはましになったでしょう」
「ああ、何とかね」
僕たちはへとへとになった。ゾンビも疲れ果てたのか、最後はハルカのベッドの脇で死んだように力尽きて眠っていた。
 
それから三か月が過ぎたが、その間、ゾンビはハルカのもとで驚異的な回復を見せていった。もともと生命力が並外れて強い猫なのかもしれないが、一か月を過ぎたあたりで、不健康そうな毛並みのぼさぼさ感は消えて、禿げていたところもキレイな灰色の毛が生えそろい、ふかふかのバスタオルのような毛並みになった。体重も増え、見た目も一回りくらい大きくなった。さすがに、かじられた片耳と折れ曲がった左後ろ脚は治らず、歩き方は相変わらずよたよたとしていたが、野良猫の時のような、悲壮的で剣呑な雰囲気も消えて、完全にハウスキャットになっていた。たぶん以前のゾンビを知っている人が(場合によっては他の野良猫が)その猫を見ても、本当にあのゾンビと同じ猫なのかは絶対に判別できないだろう。それくらい、彼は変貌を遂げた。そして、その頃までにはゾンビは完全にハルカに懐いていた。僕が見ている限り、ハルカの言うことは何でも聞いた。待てと言えば飯を食うのを待ったし、「お手」まで覚えるようになった。
「この子、とっても賢いの! すごいでしょう」ハルカのアパートに行って最初にその「お手」を見せられたとき、ハルカは僕にそう言った。
「よくここまで手なずけたね。大したもんだ」
「へへへ。ほめられたよ。よかったね。コハク」
「コハク?」
「そうよ。この子はコハク。私がいつまでも“ゾンビ”なんて気色悪い名前で呼ぶわけないじゃない」
ゾンビ改めコハクは、ハルカに呼ばれるとごろごろと満足そうに喉を鳴らした。
 
その頃からハルカは少し困ったトラブルを抱えるようになった。彼女曰く「気のせい」だというのだが、「近頃、誰かにつけ狙われている気がする」というのだ。夕方大学からアパートに帰るときなどに誰かが後ろからついてくる気配がして、振り向くとそこには誰もいない。そんなことが続いたそうだ。
「ストーカーとか? 心当たりある?」
「わからないわ。全く……」
「そうか。でも、変な奴も多いからね。変質者だったら何考えてるかわからないし。警察に一度相談してみたら?」
「一度行ってみたけど、あんまり相手にされなかったわ。『この辺りの巡回を強化してみます。もしずっと続くようだったら、もう一度来てください』だってさ」
「そっか。僕も解決するまで、できるだけそばにいるようにするね。いつ頃から“気配”を感じるようになったの?」
僕が聞くと、ぽつりとハルカはこうつぶやいた。
「……そういえば、今思い出したけど、ちょうどコハクを拾ってきてくらいかしら」
僕たちはハルカの部屋のクッションで丸まって寝ているコハクを見た。コハクはびくっと体を震わせて、顔を上げた。そして、きょろきょろその黄色い瞳を動かした。
 
僕はそれ以来、ほぼ毎日ハルカの家に立ち寄るようにして、よっぽどの用事がない限り、できるだけハルカの部屋で夜を明かすことにした。
その頃からコハクの様子も何だかおかしくなった。夜中に飛び起きて、うなされるみたいに鳴いたり、僕とハルカが夕食後部屋で話をしているときに、ぱっと起き上がって、あたりを見回したり、そうしたおかしな素振りを見せることが多くなった。
「なんか変なのよね、最近様子が。この子」
ハルカはコハクが変調をきたす度に、心配して彼を抱きしめて、頭を撫でた。
「コハクもコハクなりに警戒してくれているのかもよ?」僕はそう言った。
「そうかしらね……」
 
その日も僕はハルカの家に泊まっていた。ハルカの部屋にはベッドが一つとソファーが一つあり、ハルカはベッドで寝て、僕はいつもソファーで寝ていた。そしてコハクは僕たちの間のカーペットに座布団を敷いて、そこで丸まって眠っていた。
それが何時頃だったか、僕はよく覚えていない。ふと、夜中に目が覚めた。妙に静かで、窓の外からは満月の光が部屋の中に差し込んでいた。僕は妙に喉が渇いていた。
ふと、玄関のほうで物音がした。最初は気のせいだと思っていたのだが、その後間違いなくロックがカチッと外される音と、玄関のドアが静かに開く音がした。
誰かが、何かがアパートの部屋に入ってきた。僕は入ってきたものを確認しようと顔を上げようとするが、金縛りにかかったように、体が動かない。僕は全身に恐怖が回るのを感じる。ハルカの気配を確認するが、寝ている。何とか彼女に危険を知らせなければならない。でも、体が動かない。
その影は、玄関の通路を通って、僕たちが寝ている部屋へと近づいてくる。そして、影は部屋に通じるドアを開けてするすると部屋の中に入ってくる。
僕は何とか顔を動かして影のほうを見る。影の右手には何かが握られている。窓の外から漏れる月明かりがその影の手に持っているものを銀色に、細長く、冷たく照らす。
影はゆっくりと、ゆっくりと音もたてずに進み、ハルカのベッドに近づいていく。僕は何とか体を動かそうとするが全く体が動かない。
その時、暗闇から小さな影が、ハルカが寝ているベッドと影の間に飛び出してきた。そして、部屋に入ってきた大きな影の“顔”と思われる部分に飛び掛かって、野獣のような大きな鳴き声を上げた。影もうめき声をあげて、手に持っている銀色に光るものを振り回し、小さな影を振り払おうとした。
小さな影は一度振り落とされたが、再び、大きな影に飛び掛かった。大きな影はまたナイフを振り回す。一瞬、ナイフが見えなくなる。やがて、この世のものとは思えない咆哮を上げ、大きな影はナイフを取り落とすと、その場から逃げようとした。
その瞬間、僕の金縛りが切れた。
「ハルカ! 起きろ!」
僕はそう叫んで、その影の方に向かって飛び掛かった。影は僕をかわして部屋を出て、玄関のドアを開けると逃げていった。そして、何事もなかったかのように再び静かになった。
 
僕は起き上がると、部屋の電気をつけた。ハルカはベッドの隅っこで、布団をかぶって震えていた。
「何? 今の?」
「さあ、わからない」
「ああ!」
ハルカは叫び声をあげて、ベッドの脇に落ちていたものに駆け寄った。コハクは腹に大きな切り傷を受けていて、血をどくどくと流していた。
「コハク、死んじゃダメ、コハク」
ハルカはそう叫んだ。コハクは頭を上げてゆっくりとハルカを見た。その琥珀色の瞳をハルカに向けて、苦しそうに、けれども少し穏やかな表情を浮かべて。
「早く手当しないと」ハルカは震える声でそう言って、血まみれのコハクを抱きかかえた。
けれども、もう手遅れだった。コハクは苦しそうな声を上げて、体を震わせていた。そして、最後の力を振り絞り、ハルカのほうに顔を上げた。そして優しく微笑んだ。
「コハク、だめ。コハク」
僕はハルカに駆け寄り、ハルカを抱きしめた。ハルカの手の中で、ゆっくりと、コハクの鼓動は弱くなり、コハクは目を閉じた。それがコハクの最後だった。ハルカはずっとコハクを抱きかかえたまま泣いていた。僕はハルカを後ろから抱きかかえるようにして、コハクの体を抱いた。
コハクと名前を与えられたその死にたてのゾンビの体はまだ温かったものの、次第にその温かさを失っていった。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
ユウスケ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

愛知県生まれ。東京在住のサラリーマン(転勤族)。人生模索中。
山と小説と酒が好き。

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2021-02-08 | Posted in 死にたてのゾンビ

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