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死にたてのゾンビ

ワーママゾンビが一旦死んでみました《不定期連載「死にたてのゾンビ」》


記事:北村涼子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 

 

こけた。
 
会社フロアの真ん中で、ひとに囲まれた真ん中で。
思いっきり派手にこけた。
誰かのイスのコロコロに私の足が引っかかったように思う。
かれこれ10年ほど前の私のワーママ時代の話。
 
あれもこれもやらないと! なのに娘の保育園から「〇〇ちゃん、お熱が……」と連絡が入った。
今すぐに迎えにいかないと!
でも! やることが山のようにあって、できれば迎えに行きたくない!
でもでも! どう考えても迎えに行くしか選択肢が無い!
今すぐに会社を出ても娘を確保するまでに1時間以上かかる。
保育園の先生に「何時頃にお迎え来てもらえそうですか?」と聞かれて、どうして私は短く見積もって回答してしまったのだろうか。すぐにでも駆け付けたい気持ちからなのか、病児を保育園に置いておく申し訳なさからなのか。強烈に悔やまれる。
 
必死にばたばたと仕事の片付け、引き継ぎ連絡をしていた矢先に、こけた。
恥ずかしい。頭に血がのぼる。
そして、倒れ込んだ際に床に強打した私の手のひらにはいろんな意味の激痛が走った。
 
「やばい」
この一言に尽きる。
こけた衝撃とショックで私のギリギリで締め続けていた涙腺がゆるみそうだ。
張りつめていた私の「気」がゆるみそうだ。
こみあげてくる、日々のいろんな緊張が、こけた拍子で思いっきりこみあげてくる。
 
「やばいーーーーー!!!」
トイレへダッシュ。
トイレに入った瞬間、感情崩壊。緊張崩壊。涙腺崩壊……。
思いっきり泣いた。
「毎日がしんどい! 仕事と家事と育児にどうにもうまく立ち回れない!」
あれもこれもそれもどれも、全部全部私がやらないと。やらないといけないのに出来ていない。
泣いてやった。思いっきり泣いてやった。トイレに誰もいないことを確認した上で。
 
泣きながら考える。今の私ってどうよ? ずるずるでぼろぼろで、息も絶え絶え。
「やらないといけない」という意思だけで必死に動いている。仕事も家事も育児も。
それってまるでゾンビじゃないか? はたから見た私、きっと必死の形相のはず。
そんな恐ろしい形相で、走り回っている。
 
朝は娘を乗せて自転車で爆走している。雨の日も風の日も、保育園まで送り届ける。娘がゴネようが、自分の体調が少々悪かろうがそんなもの構っていられない。その後電車に乗って1時間かけて会社へ向かう。
行きの電車に遅延が出た時には、帰りの時間までに業務を終えられるか!? と電車の中で心配とイライラに襲われる。会社に着く時間が遅くなるとお迎えのために帰らないといけない時間までが自ずと短くなる。日中、また必死の形相で余裕なんて全くないまま仕事をこなしていかないといけない。
はたまた帰りの電車に遅延が出た時には、お迎えの時間に間に合うか!? とこれも心配とイライラが襲ってくる。人身事故などで電車が止まった日には「なぜ今!?」とやり場のない形容しがたい気持ちになる。「待たれている身にもなって!」と誰に訴えているのかもわからない訴えを心の底に持つ。そんなことを思っている私の顔はもう見るに堪えない形相だったろう。私から周囲にまき散らしているオーラもおどろおどろしく、奇妙な色をしていただろう。
そう、生きていながらのゾンビ体験である。
動かないと! とにかくこなしていかないと! 私がやらないと! という執念だけでずるずるになりながらも、息も絶え絶えの中、体を動かしている。
 
そんなゾンビがこけた。
即、立ち上がった。つもりでいた。
でも今から思うとあれはきっとゾンビが地から這い上がってくる姿にそっくりだったんじゃなかろうか。
全身でこけて、全身が地について、そこから起立するわけである。いや、這い上がるわけである。
こけている場合じゃない。そんな時間がもったいない! と。
そして立ち上がった瞬間に「やばい」に襲われ、トイレへ駈け込んだ。
 
ただ、ひとつ言えるのは「こけた」ことがゾンビにとって好転した。
泣いた。張りつめていたものが崩壊して思いっきり泣いた。
そして、ゾンビは気がついた。
「私、何してるんやろ。なんでひとりでこなそうとしてるんやろ」と。
 
「子どもができたから、育児短時間勤務だからって仕事をおざなりにしたくない。今までと同じ業務をこなしたい」とか「私は仕事も家事も育児もしっかりこなしている」とか「迷惑をかけたくない」とか、意地を張っていたのであろう、意味のないプライドが私を苦しめていたのだろう。
 
そう、ゾンビは一旦こけて、一旦這い上がって、一旦泣いて、一旦死んでみた。
私のゾンビ、死んでくれ。と殺してみた。
泣いて泣いてずるずるの表面を洗い流した。表面が洗い流されていくと次は心の中まで何かが流されていった。そして「そんなに一人できばらんでもどうにでもなるでー! 周囲にしっかり甘えればいいんやでー!」という思いを持てるつるつるの新しい綺麗な何かが芽生えてきた。
 
ゾンビが死ぬ。もともと死んでいるはずのゾンビが死ぬとどうなるか。
死にたてのワーママゾンビはいさぎよい、あっけらかんとした、こだわりもキレイにそぎ落とした人一倍新鮮なヒトに変わっていった。
 
涙とともに緊張を手離すことで良い意味で「適当」に日々をこなしていく術を手に入れる工夫をするようになる。
あの床についた手の激痛が今までの全ての痛みや苦しみを集約して、ゾンビを死なせてくれた。その手の痛みが無くなっていくようにゾンビの全身の痛みもすーっと無くなっていき、一皮むけたヒトが現れた。
 
さて、落ち着いて穏やかな気持ちで娘を迎えにいこう。仕事? どうにでもなる。私の周囲にいてくれる人達に感謝しながら任せよう。
そして、死んだゾンビを葬ってつるつるの綺麗なオーラを放っていこう。
こんな経験から何事も張りつめ過ぎる前に、一旦全てを崩壊させて葬るという手段を幾度ともなく行い、その都度なんとか娘と一緒に成長してきたこの12年。
娘は今年中学生になる。
 
 

❏ライタープロフィール
北村涼子
1976年京都生まれ。京都育ち、京都市在住。
大阪の老舗三流女子大を卒業後、普通にOL、普通に結婚、普通に子育て、普通に兼業主婦、普通に生活してきたつもりでいた。
ある時、生きにくさを感じて自分が普通じゃないことに気付く。
そんな自分を表現する術を知るために天狼院ライティングゼミを受講。
京都人全員が腹黒いってわけやないで! と言いつつ誰よりも腹黒さを感じる自分。
趣味は楽しいお酒を飲むことと無になれる描きモノ。

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2019-02-25 | Posted in 死にたてのゾンビ

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