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人生を変える割烹

おひとりめ 料理ができないオンナ、ユミコとその偏食息子、タカやん《 小説連載「人生を変える割烹」》


記事:ギール里映(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 

「やだー、食べたくない!」
 
またか……。
ユミコはこっそりと毒づいた。たかが3歳の子どもにどうしてここまでイライラするものかと思うけれど、自分の感情にはウソはつけない。
 
「ほら、美味しいよ、ご飯。一口だけ食べてみよっか」
「いやー」
 
このやりとりをもう、何回続けてきただろう。
 
「もう3歳ですよね。もうちょっといろいろ食べられるようになってもらわないと、保育園ではみんなで行動するので大変なんですよね」
 
保育士の先生に昨日も言われたばかりだ。保育園では集団生活。それでなくてもアレルギー対応やなんやらで手がかかるのに、食べない我が子、タカやんの相手をしなければならないことほど、骨が折れることはないだろう。
 
なぜならタカやんは、極度の偏食である。スルメと唐揚げしか食べないのだ。
 
結婚して10年、子どもが生まれてまだ3年。私も夫も仕事がすきで、しばらくは子どもを作らないでおこうと決めて、夫婦で好きなことをして暮らしていた。夫の仕事が北京で決まったので、私もそれについて中国へ渡った。そこで適当な駐在向けの保険の仕事を得て、空いた時間に中国語を習い、気ままな海外生活をしていた。
 
北京では毎日外食するのが当たり前で、料理をすることは一切なかった。料理が苦手な私にとって、それは最高に好都合だった。食べることは人並みに好きだけど、自分が作るとなるとあまりの難しさに気が遠くなるほどだ。
 
「食べないと、お腹すいちゃうよ。ご飯がいやだったら、お味噌汁だけでも飲んでみよっか」
 
私の言葉なんてまるで耳に入っていないかのように、タカやんは目の前のご飯粒を、一粒ずつ茶碗から取り出して、テーブルの上に並べている。数を数えているようだ。ご飯粒がくっついていて上手く並べられず、あちこちにぺたぺたとなすりつけはじめた。それでも一心不乱にタカやんはご飯粒を数えている。
 
「ああ、また始まった……」
 
どっと疲れが出た。
タカやんは一度こういう作業を始めてしまうと、気が済むまでやめようとしない。この間も雑居ビルのエレベータで、1時間ひたすらボタンを押し続けた。周りの人のことなどまったく気にしない。ただひたすらボタンを押し続けるのだ。きっとタカやんはまた、お茶碗のご飯粒を全部取り出して、また全部戻すまでやめないだろう。止めたって無駄だ、自分が疲れるだけだ。
 
ユミコはうんざりしながらテーブルの上を片付けて、一人もくもくと集中するタカやんをそのままに、スマホをチェックし始めた。

 

 

 

「人生が変わる料理屋?」
 
突然同僚のエリカが変なことを言い始めて、ランチのエビフライを思わず吹き出しそうになった。
 
「京都は先斗町の一角に、たった1日そこで食事をするだけで、人生をがらりと変えることができる料理屋があるらしいの。だけど、完全紹介制で、普通の人は入れないんだって」
 
エリカは冗談をいうタイプの女ではない。社内でも有数のバリバリのキャリアウーマンで、取引先からの信頼も厚い。いつもタイトスカートをすらりとはきこなし、ハイヒールで颯爽と歩く。そのくせ人懐こい笑顔のせいか、なぜか心を許していろいろ話をしてしまう、そんな得な女性だ。もともと外資系の航空会社でキャビンアテンダントをしていただけのことはある。そのせいでエリカは、いつも面白いネタをあちこちから仕込んでくる。今日もきっとそんな話に違いない。
 
「絶対内緒って言われたんだけど、どうしてもユミコには伝えたくて。約束してね、誰にも言わないって」
 
エリカの形のいい唇が、キュっと引きしまる。真剣な話をするときの彼女の癖だ。ユミコはごくり、とツバを飲み込んだ。
 
「もちろん、言うわけないでしょ。そもそもそんな話信じられないし。まるでSFじゃん」
 
「うちの営業部長Gの奥さん、うつが酷くて、自殺未遂までしたらしいことは、ユミコも知ってるよね。あの奥さん、ちょっと暗くて有名だったから。だけどその奥さん、昨日の社内ゴルフコンペに来てたんだけど、そんな面影は一切なくて、めちゃくちゃ明るくニコニコしてるわけ。それできいたの、営業部長さんに。そしたらね、その料理屋さんのことをコッソリ教えてくれたわけ」
 
「さすがエリカ。絶対営業部長、エリカに気があると思う。そんな話、普通してくれないよね」
 
エビフライを頬張り、話に聞き入った。うんうんと聞いてはいたけど、話はほとんど頭に入ってこない。そんな料理屋がもし本当にあるなら、うちの息子だって変わるかも知れない。

 

 

 

「もしかしたら息子さん、ちょっと発達に問題があるかもしれませんね」
 
ある日保育園にお迎えにいくと、おもむろに保育士さんから話しかけられた。
残業で遅くなり、今日も最後のお迎えだ。
息子は一人、積み木を積み上げて遊んでいる。
 
「どういうことですか?」
 
「お子さん、ちょっとこだわりが強くて、集団に馴染めないようなんですよね。
もちろん子どもですから、いろんなこだわりをみんな多かれ少なかれ持っているものですけど、タカやんくんは、ちょっと……」
 
頭が、真っ白になった。
もしかして、発達障害ということ?うちの子が?
にわかには信じられなかった。
しかし現実は容赦なかった。
 
「アスペルガー症候群だと思われます、つまり自閉症の一種ですね」
 
「うちの子が、まさか、自閉症?」
 
「はい、最近増えてきているんですが、だいたい4000人に1人の割合でいらっしゃいます。こだわりが強くて一つのことをずっとやり続けたり、集団のなかで馴染めなくて、親しい交友関係を築けないというような特質があります」
 
翌日訪れた精神科で、はっきりと告げられた。
そうだったのか、だからうちの子は食べないんだ。
食べない理由がわかってほっとしたのと同時に、発達障害の息子をどうやって育てていけば良いのだろうかと考えると、自分が直面している現実とそのプレッシャーに押しつぶされそうになった。

 

 

 

「でね、その料理屋さんなんだけど」
 
エリカは、すっと扇子を差し出した。
 
「これにね、その電話番号がかいてあるの。ここから予約ができるみたい」
 
営業部長からもらったらしいその扇子を広げたら、そこには数字が書かれていた。
 
お昼休みはもう終わりの時間だったが、ユミコはスマホを握りしめ、トイレに駆け込んですぐに電話をかけた。

 

 

 

京都の料亭なんて、怖くて足を踏み入れたことがない。
京都に生まれ育ったとはいえ、ユミコの家は普通のサラリーマンだから、料亭に行くような機会はまずない。基本的に一見さんはおことわりで、紹介でないと入れない。にこにこと上品な笑顔で接客をする女将の目が実は笑っていないのは有名な話だ。常連のお客さんの好みを熟知し、何度訪れても必ず違うお品書きを出してくれるのが優秀な女将の証。そんな化物のような人がいるところに私なんかがいってもいいのかしらと、躊躇がなかったといえば嘘になる。

 
 

「こんばんは、ユミコはんどすね。ようこそ、おいでやす」
 
そう言っておかみは、慣れた手付きで脱いだ履物をそろえ、中に案内してくれた。電話で言われたとおりに先斗町に入り、指定の路地をまがったところにひっそりと入り口があった。店の名前はもちろん、ない。
 
「どちらから、いらしたんどす?ああ、京都の方やね。お住まいはどちら?」
「あ、今は東京に住んでるんです……」
 
上品な鶯色の着物を着た女将の、テキパキと無駄がない動きに見とれていると、あっという間に促されて和室にたどり着いた。
 
「今日は、どないしましょ?もう暑いから、冷酒にしましょか」
「あ、はい、おねがいします」
「ほなちょっと、お待ち下さいね」
 
女将は屈託なく話しかけてくる。
 
和室には座卓が一つと、小さな床の間があった。鮎の絵がかかれた軸がかかっている。先斗町は細い路地だけど、さすが京都の町家造りで、奥まで長く続いている。外は暑いが室内はほどよい温度に調節されていて、まるで異次元にきたみたいだ。木造の料理屋だから古くて大変と勝手に思い込んでいたが、実はものすごくハイテクな建物なのかもしれない。
 
廊下をすすすっと歩く音がした。
失礼します、と言ってふすまが開いた。お盆の上には冷酒と、先付と呼ばれる小さな前菜がのっていた。
 
「こちら、お酒とご一緒にお召し上がりくださいね」
 
女将はそう言って、にっこりと微笑んだ。お皿にはなんと、スルメと唐揚げが乗っていた。驚きであいた口が塞がらなかった。私は女将にまだ一言も、家族のことも息子のことも伝えたわけではない。
 
「今日はようこそいらっしゃいました」
「は、はい、よろしくおねがいします」
「あんまり緊張せんでかまへんさかい、ゆっくりしていってや。今日は、ユミコはんに心からくつろいでもらえるよう、しっかり見繕させてもらいますね。お嫌いなものはないっちゅうことですけど、それで間違いおまへんか」
「は、はい」
 
女将はハキハキと、しかし温かみを持った声でユミコに話しかけた。想像していた女将よりは随分小柄で驚いたが、女将のもつオーラのようなものに圧倒されながらも、その不思議な存在感になぜか惹かれていった。
 
ユミコは緊張して、「はい」とか「ええ、まあ」と応えるだけで精一杯だった。女将はそんなユミコに上から下まで一巡視線を送ると、すっと立ち上がって厨房に帰っていった。
 
「今日はゆっくりしていっておくれやす。ほな、始めさしてもらいますね」
と言い残して。

 

 

 

子どもをかわいいと思ったことは、実は一度もない。
小学生の頃、「保母さんになりたい」と将来の夢を語る友達をみながら、「コイツラ本気か」と驚いた。それでも大好きな夫と結婚して、自分の子どもが生まれたら変わるかもしれない、子どもを可愛いと思えるようになるかもしれない、と思い、出産はある意味、賭けだった。
 
「ユミコさん、元気な男の子ですよ。3200グラムですね」
 
初めての出産。イタイとか怖いとかあったけど、生まれてきた我が子の顔を見たらすべてがふっとんだ。子どもがきらいと思っていた過去は一瞬に消え去り、我が子のためなら死んでもいいと思える自分に驚いた。それほど我が子が自分にもたらしたパラダイム・シフトは大きかったのだ。
 
おっぱいもよく飲んだ。ときにぐずって泣くことはあっても、赤ちゃんだもの、それは当然のことだ。慣れない育児に翻弄されながらも、初めてのわが子との新しい生活は楽しく充実していた。
 
離乳食が始まるまでは。
 
「はい、あーんしてごらん」
「ほーら、おいしいでしゅよー」
 
声掛けとはうらはらに、タカやんは全く食べない。
 
離乳食の本も買った、講座にもいってみた、一通り試してみたが、全く食べようとしないのだ。あまりにも食べないので、手作りすることをやめた。市販の離乳食や惣菜で間に合わせるようになり、それでもなかなかタカやんは食べようとしなかった。
 
ある日、夫が晩酌をしていた。つまみにおいてあったスルメと唐揚げを見つけたタカやんは、それを掴んで食べた。まさかのおつまみと驚いたが、食べてくれるならこの際なんでもいい。それから私はスルメと唐揚げだけをあげるようになった。
 
「こんなことで、いいはずがない。こんなご飯で、子どもが育つはずがない」
 
そんなことはわかっていたが、どうすることもできなかった。
そもそも料理が苦手。作れるメニューは限られている。しかも仕事をやめて専業主婦になって料理をして、食べない息子と二人きりだなんて、考えただけでも気が滅入る。

 
 

それでも成長していく息子をみるのは、喜びであった。ある一つの癖を除いては。
 
「これ、見たい」
 
タカやんがそう言うと、軽く2,3時間はその場を動かない。
気になったものはとことん追求したい性格なのか、周りのことは全くおかまいなし。我が子だからかわいいはずだが、それに毎日付き合う時間など到底ない。
 
「こんなことなら、子どもなんて産むんじゃなかった」
 
毎日の苦行のような息子との付き合いに、いつしか息子への愛は敵意に変わった。こんな育てにくい子はいらない、こんなことなら、子どもなんて産まなきゃよかった。
 
敵意はいつしか、自分をも攻撃しはじめた。
これまで幸せに、駐在員夫の妻として、またキャリアウーマンとして優雅に暮らしてきた自分の、全人格が否定されるような気がした。
 
「だめじゃない、色々食べさせないと。栄養が偏ってしまうでしょう」
「うちの子が小さいときは、なんでもきちんと食べたわよ」
そんな姑の何気ない言葉に、いちいち反応してしまう。
 
一人の子どももろくに育てられないなんて、私はなんてだめな母親なんだろう。
息子のことを産まなきゃよかったなんて、私はなんて鬼なんだろう。
しかも息子はアスペルガー。自分なんて……

 
 
 

「ユミコはん、今日はおおきに、ありがとうございました。お口に合いました?
またよっておくれやす」
 
玄関口で女将は満足げな表情を浮かべながら、私の履物を整えてくれる。
 
「もし、どうしてもお誘いしたいお友達がいはったら、これをわたしておくれやす」
 
そう言って女将は例の扇子を手渡して、軽く会釈をしながらユミコを送りだした。

 

 

 

翌日、私はいつものように、タカやんの朝ごはんを用意していた。どうせ食べないのはわかっている。だけど作らないわけにはいかない。簡単なおむすびとお味噌汁だけだ。それでも食べない我が子にはたいへんな量だ。
 
ぱく。
 
タカやんが、食べた。
 
ぱくり、ぱくり、ごくごくごく。
タカやんが完食するのを、初めて見た。
 
ご飯とお味噌汁は、あの晩京都で食べたものだった。女将が
「お子さんに作ってあげてや」
と言って、懐紙にレシピをさらさらと書いてくれたのだ。
 
 
 
「タカやんくん、すっごく明るくて元気になりましたね。まるで別人みたいです」
 
保育士の先生はそう言うと、にこにこと部屋を片付けはじめた。残業でお迎えが遅くなり、今日もタカやんが最後の子どもだった。
 
「今日も元気でしっかり遊んでましたよ。もうぐずって大変なこともなくなりましたし、むしろお友達を気遣って、自分のおもちゃを貸してあげたりしているぐらいです」
「え、ほんとですか?!」
「ええ、あまりにも変わったので、お家でなにかあったんですか。どんなふうに声かけてあげたんですか。よかったですね」
 
とにかく、褒められた。
これまではいつでも一番の問題児で、なかなか言うことをきかず、いくら3歳とは言え、自分のペースで物事が進まないと火がついたみたいにぐずっていたタカやんが、すっかり聞き分けがよくなったというのだ。
 
 
 
あいかわらず熱中しやすい性格で、電車の本を眺めては全部の車種を覚えたり、日本地図を眺めては、駅の名前を全部覚えたりしているが、そんな息子をみながらいまは、心配どころか頼もしく思える。自分が好きなことをとことん追求して何がわるい?思う存分興味の対象を、掘り下げていってほしいと思う。
 
私は、女将の笑顔を思い出した。
 
「一体女将は、私に何を食べさせてくれたのだろう?」
 
ちょっと女将にきいてみたいと思い、もらってきた扇子をひらいてそこにかいてある電話番号に電話をかけようとした。
 
扇子を開いた瞬間、私は凍りついた。
 
扇子には、何も書かれていなかったのである。
 
 
 
<<第2話につづく>>

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女将のお懐紙レシピ
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タカやんが夢中で食べた!
ココロが強くなるねぎ味噌入おむすびとお味噌汁

ねぎ味噌入りおむすび
ご飯のお供の鉄板、ねぎ味噌を具にしたおむすびです。

土鍋炊き玄米ご飯
<材料>
玄米 3カップ(600cc)
水 4カップ(800cc)
自然海塩 小さじ1/3
 
<作り方>
1 玄米はよく洗って、土鍋に分量の水とともに入れ、浸水しておく。(2〜8時間)
2 土鍋を中火にかける。ふつふつと沸騰してきたら塩を入れ、蓋をしめて弱火にし、40分炊飯する。
3 炊きあがったら蓋をあけ、天地返しをして蓋をし、そのまま10分程度蒸らす。
4 おひつや保温ジャーに移し替えておく。
 
イライラ癇癪が治まるネギ味噌
<材料>
白ネギ3本
麦味噌 大さじ2
ごま油 小さじ1
水少々
 
<作り方>
1 ネギは小口切りにして、白い部分と緑の部分を分けておく。
2 フライパンにごま油をしき、緑の部分を炒める。
3 2に白い部分を加えて、さらに炒める。
4 全体に火がとおったらネギをフライパンの真ん中によせて、てっぺんに麦味噌をおき、水少々を入れて蓋をし、弱火で20分ほど蒸し焼きにする。
5 ネギがしんなりして、麦味噌がふわっとしていたら火をとめ、全体を混ぜ合わせてできあがり。
 
ココロを落ちつけて強くする味噌汁

 
<材料>3人分
だし汁 480cc(昆布と干し椎茸の出汁)
麦味噌 15g
豆味噌 15g
しじみ 15個ぐらい
乾燥わかめ 3つまみ
 
<作り方>
1 しじみは塩水(塩分濃度0.8%)のなかにいれて、砂出しをしておく。
砂出しが面倒であれば、すでに砂出ししてあるものを買ってくる。
2 だし汁に洗ったしじみをいれ、弱めの中火にかけてじわじわと加熱する。
3 すり鉢に麦味噌、豆味噌を入れて、すり合わせておく。よく合わさったらそこにだし汁(分量外)少々を加えてのばしておく。
4 2が沸騰してきたら3の味噌、乾燥わかめを入れて、沸騰させずに火を止めてできあがり。
 

 
* * この物語はフィクションであり、登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
* * レシピの効果には個人差があり、効果・効用を保証するものではありません。
* * 発達障害の定義には諸説あります。

 
 

◻︎ライタープロフィール
ギール里映(READING LIFE編集部公認ライター)

食べかた研究家。京都の老舗料亭3代目として生まれ、現在は東京でイギリス人の夫、息子と3人ぐらし。食べることが好き、が仕事になり、現職は食べるトレーニングキッズアカデミー協会の代表を勤める。2019年には書籍「1日5分!子どもの能力を引き出す!最強の食事」、「子どもの才能を引き出す!2ステップレシピ」を出版。

 
 
 
 

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2019-09-16 | Posted in 人生を変える割烹

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