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祭り(READING LIFE)

スペイン・フェスティバルは、五感で堪能するものだった。《READING LIFE不定期連載「祭り」》


記事:中野 篤史(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

 

 

はて、その情報をどこで知ったのか? 駅のポスターだったかネットのニュースだったかは全く思い出せない。とにかく妻を誘ってみようと思った。

 

「今度の週末、代々木公園でスペイン・フェスティバルがあるからいこうよ」
「いいねえ! いこういこう。ねえ、あれ食べようよ。なんていったっけ? あれだよ」
「もしかして、パエリヤ?」
「そうそう! ご飯のやつ」

 

11月17日土曜日のお昼前。私と妻は、田園都市線の渋谷駅からセンター街をぬけて、公園通りへ向かった。ちなみにセンター街は現在「バスケットボールストリート」という名前に改名されている。立ち並ぶ街灯にもバスケットボールストリートと書かれているが、誰かがその名でこの通りを呼ぶのを、まだ聞いたことがない

 

「おなかすいたー」と妻が言う。
「もうすぐ、食べられるよ!」と、彼女をはげます。

 

公園通りからNHKの前を通り過ぎると、『フェスタ・デ・エスパーニャ2018』の看板をつけた白い門が見えた。会場の代々木公園イベント広場はすでに多くの人が集まっていた。おそらく1000人以上はいるだろうか。気分が徐々に高揚してくるのを感じる。子どもの頃、お祭りに行く時に感じたあれと同じだ。いくつになっても、お祭りは人の心を高揚させるのだろう。

 

門の近くに、黒くておいしそうなトラックが止まっている。やっぱり。ケータリング用に改装されたキッチントラックだ。荷台の側面がフルオープンになっていて、中には厨房が見える。

 

「すごくない、あれ!」私は自分の目を疑った。
「うわー、なにあれ!」妻も驚いている。
そのキッチントラックの外には、深さ20cm、直径が150cmはありそうな鉄鍋が置かれていた。そしてその鉄鍋の中で、出来立てのパエリアが正午の日差しの直撃を受けて金色に輝いている。その上に花が咲いたように、えびやムール貝が散りばめられていた。スペイン人らしき美しい女性が、せっせとパエリアを皿に盛り付けている。よく見るとキッチンの男性も外国の人だ。多分かれもスペイン人なのだろう。スペイン・フェスティバルにきている実感というか、もはやスペインにいるような気さえしてきた。

 

「食べようよ!」妻はもう食べる気まんまんだった。
「いや、会場を一回りしてから決めない? 他にも旨そうなのがあるかもしれないし」と、冷静に検討をしたい私であった。
「大丈夫だよ。そしたら、また食べればいいんだから」と、結局妻の勢いに押され、金色に輝くパエリアを2皿購入した。それにしても、凄い人出だ。広場の中央には数百人が食べられるほどのテント席が用意されていたが、座れる場所を見つけることはできなかった。隅のほうにあった青空テーブルが丁度あいたので、仕方なくそこで食べることにした。11月にしては暖かい。直射日光を受けていると暑いくらいだ。パエリアの味付けやライスの硬さは、大陸的というか、あれだけの大鍋で料理をしているのだから、繊細さは感じられない。ただ、秋の日差しの中で食べるパエリアの味は格別で、2人とも満面の笑顔だ。

 

さは、前菜はたいらげた。次の獲物を探して二人は再び歩きだした。魚介のパエリア、イベリコ豚のスペアリブ、ハーブソーセージ、鶏とマッシュルームのアヒージョ、タコのオリーブオイル炒め、サングリア、ワイン……。目移りが半端ない。ニンニクのいい匂いも半端ない。人気の店の前には20人、30人と人が並んでいる。どこの店もおいしそうだ。そんな中、一番端っこのせいか、すいているお店があった。看板にポロアサドと書かれている。そこは、鶏肉のロースト屋さんだった。ポロアサドとは鶏のことらしい。私は外国人の女性スタッフから、1/2ポロアサドと鶏とキノコのアヒージョを買った。今度は広場中央のテント席に空きを見つけることが出来た。

 

「これおいしい! 皮も香ばしくていい」先に妻が声をあげた。
「肉も柔らかくて良いね。けっこうレベル高いよ! こんなに上手いのに、あのお店に人が並んでないなんてもったいない」
「そうだね。場所がよくないのかも」
「確かに。あと看板の見せ方とかあるんだろうね」

 

特に人が並んでいるお店を見ると、看板がシンプルで料理の写真と名前がドーンと出ている店が多かった。逆に、メニューの写真と名前と価格が親切に書かれている看板は、細々としてわかりにくいのかもしれない。

 

実は、私には持論があって、こういうフェティバルや野外イベントで、お店の人気と味は殆ど比例しない。なぜなら客である私たちは、わざわざどこの店の味がどうでこうでと、知らない人に共有したりはしないからだ。じゃあ何で店を選んでいるのかというと、ただ行列が出来ているだけという事実と、見た目でおいしいそうなところで判断している。まあ、それらの情報だけで判断するしかない。出店(でみせ)の料理の情報なんてネットでも調べるのは難しいし、そんなことをしていたら折角の祭りの興をそいでしまう。じゃあ、どうやっておいしいお店を判断するのかと言うと、それは食べてみないと分からない。だから、私は行列に並んで時間を無駄にするよりも、できるだけ空いているお店から、どんどん回ることにしている。今回も長時間並んで買った料理が残念な感じだったり、逆に並ばずに買った料理がメチャメチャ旨かったりした。また、場当たり的な方が、くじ引き的な要素も加わり、よりフェスティバルを楽しむことが出来るのだ。

 

その後も、私と妻は席をキープしたまま、交互に買出しに出ては、スペイン風もつ煮込みやハーブソーセージなどを買ってきてはたいらげていった。スペイン料理の特徴は、素材の味を活かすために味付けがシンプルなところ。今日食べた料理も、基本的に塩とニンニク、そしてオリーブオイルという素朴な味付けになっている。それだけに、魚介や肉が持っている本来の味を堪能できる。そういう意味では、同じように素材の味を活かす和食にも通じるところがあり、日本人にとっては馴染みやすい料理といえる。

 

午後も1時を過ぎる頃には、どの店にも長い行列が出来る状態となっていた。しばらく買出しに出ていた妻が、嬉しそうな顔で戻ってきた。手にはパエリアを4パック抱えている。

「あのね、聞いて聞いて」
「どうしたの?」
「列に並んでいたらさ、後ろの方か入ってきた人が、どんどん私の横に寄せてきて、しまいには私の前に割り込もうとしてきたの。列が進むごとに強引に入ろうとしてくるから、もういいやと思って、前に入れてあげたの」
「そうなんだ。なんで嬉しそうなの?」
「そしたらね、お店の前まで来たら、大きい鍋に残っていたパエリアが、ちょうどその人の分で無くなっちゃったの。結局その人の買った分は最後だったから具も残ってなかったの。残念ね。そして、私の番から新しいく大きな鍋がやってきたの! 最初だから具も沢山のっていて、いっぱいい入れてくれたの!」
見ると、エビやムール貝が沢山盛られていた。
「さすがだね。やっぱり持ってるね」

 

妻は、私のように打算的なところがなく、いつも気前がいい。本当に気前がいい人のところには、気前よく様々なものがやってくるのだ。

 

そういえば先ほどから、ステージの方が賑やかになり始めていた。メロディーも聞こえている。スペイン・フェスティバルへ来たのだから当然アレがみたい。情熱の国スペインといえば、フラメンコだ。「オーレ!」と言いたいのだ。というわけで、スペイン料理を堪能した私と妻は、踊りと歌を堪能すべくステージへ向かった。それにしても、このフラメンコという歌と音楽はどのようにして生まれたのか。それを理解するために、少しスペインの歴史にも触れる必要がある。

 

スペインがあるイベリア半島は、ヨーロッパの南西にありアフリカとも近い。紀元前3000年頃に、北アフリカからやってきたイベリア族がこの地に住み着いた。紀元前900年頃には、中央ヨーロッパから騎馬ケルト民族が、この地へやってる。そして、紀元前8世紀頃には東部シリアの方からフェニキア人がやってきた。紀元前7世紀頃にはギリシア人が、そしてカルタゴ人が到来。そして紀元前2世紀頃からはローマ人がスペインに上陸し、この地を支配することになる。

 

つまり、イベリア半島は紀元前から既に、いくつもの民族や文化、宗教が入り混じっていた。しかし、フラメンコがスペインの歴史に登場するのは、もっとずっと最近になってからである。フラメンコの創成に大きく関わっているのが、ヒータノと呼ばれる移動民族だ。ヒターノの起源は、5世紀ごろスペインよりずっつずっと東にあるインドの北部に住んでいた人たち。彼らが何世紀も流れ流れてイベリア半島にやって来たのは15世紀になってからになる。ヒターノ達は定住を嫌い、また他民族との混血を好まなかったため、社会からは爪弾きのような存在だった。そんな彼らの辛く悲しい歴史が、歌に表現されるようになった。彼らの歌にフラメンコという言葉が使われるようになったのは19世紀になってからの話だ。フラメンコの歌はカンテと呼ばれ、彼らの悲しさや苦しい思いが込められている。

 

野外ステージの席は人で埋まっていた。ステージ中央には、6人が椅子に座っている。向かって右から、外国人のフォークギーターと歌手が1人づつ。ギターは黒い上下スーツに白シャツ姿。そして赤いギーターを持っている。恰幅のいい歌手は、黒いパンツに白いシャツを胸元まで開けている。いかにもな感じだ。中央には、手をたたく役の日本人が黒い衣装で男女2名。そして、左側には日本人ダンサーの男女が2名。男性ダンサーは黒いパンツに、真っ白な上着、そして首に赤と青が混ざった派手なスカーフを巻いている。女性ダンサーは真っ白なドレスに、白地に花柄の
長いフリンジのついたショールのようなものを肩から巻いている。粋を具現化したような姿だ。

 

私たちは後方から立ち見でステージを見守った。歌が始まると、会場の空気が変わった。その郷愁を帯び高い歌声は、アンダルシアの丘陵を何百年もの時を超えて、今ここに届いたように響く。その声に暗さはなく、あくまでドライだ。エキゾチックなフォークギターのメロディーと、手拍子のリズムが、心の奥にある切なさを揺さぶり、高揚感を引き出していく。

 

ステージの端から白い女性ダンサーが静かに、ステップを進める。彼女の黒いハイヒールは、手拍子とともに、早く正確にフロアを叩き始めた。ステップをふむ彼女の頭は、フロアーと一定の高さを保ち、殆どブレることがない。両手に掴まれた幾重にもフリルのついたスカートは、螺旋を描き宙を舞う。緩急をつけながら、早くなる手拍子。黒いハイヒールがステージを打つ。ギターはかき鳴らされる。高く切ない歌声は会場をはるかに超え、青い空の彼方へと吸い込まれていく。妻もリズムに合わせ踊り出す。私は、しびれるような情熱に飲み込まれた。会場から拍手が沸き起こる。これがフラメンコか……。

 

それは理屈ではない。私は舌でスペインを味わった。目でスペインを見た。耳でスペインを聞いた。肌でスペインを感じた。スペインフェスティバルは、五感で体験できる祭りだった。そしてまた、歌が始まった。会場が沸く。間違いないジブシー・キングスもカバーしたあの歌だ。
私と妻は一緒に歌い出した。「ヴォーラレ! ウォーオ♪」

 

 

❏ライタープロフィール
中野 篤史
’99に日本体育大学を卒業後、当時千駄ヶ谷にあった世界中の旅人が集まるゲストハウスにて20代を過ごす。またバックパッカーとして、国内やアジアを中心に欧米諸国を漫遊。どいうわけか、現在は上場IT企業に勤め、子供2人を持つ40代の父親になっている。最近は、暇さえあればスパイスカレーを食べ歩く日々をつづけていて、天狼院書店でライターズ倶楽部に所属しながら、食と旅行を中心に記事を執筆中。

【12月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜


2018-12-17 | Posted in 祭り(READING LIFE)

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