祭り(READING LIFE)

45歳過ぎたら、自分生誕祭をお薦めします《READING LIFE不定期連載「祭り」 》


記事:射手座右聴き(天狼院公認ライター)

「もう歳だから、誕生日なんか祝ってもらわなくていいよ」
という人がいる。
たしかに、年々誕生日は恥ずかしくなる。
何歳? と聞かれるのがしんどい。
ローソクを何本立てますか?
ということで気を使われるのが、煩わしい。
ついつい、誕生日から逃げたくなるのだ。

かつて、私もそんな気持ちでいた。
それを変えざるを得なくなったのは、DJを始めてからだった。
東京では毎日毎日100以上のパーティーがある。
でも、クラブ人口は限られている。
みんな用事もある。毎日行けるわけではない。
そんななか、「これは行かなければ」 と思わされるパーティーがある。

ずばり「生誕祭」 だ。
パーティーが誰かの誕生日と重なる時、クラブに来る理由が一つ増える。
そして、その空間は理屈抜きにハッピーになる。

この感情、みなさんも経験があるはずだ。

レストランで突然、電気が消えたことはないだろうか。
ハッピーバースデーが流れ、店員さんがケーキを運ぶ。
お客さんの一人が顔をほころばせるとき、思わず拍手をし、歌を歌ってしまう。

あれを爆音とシャンパンとともに繰り広げるのだ。盛り上がらないわけがない。

イベントを主催するようになると、出演DJさんの誕生日を確認する。お祝いするためだ。
みんなの誕生日をお祝いする楽しさは、やみつきになるからだ。
毎月毎月、誰かの誕生日を祝った。でも、自分のはなんだか恥ずかしかった。

そんなことを繰り返している間に、私は会社をやめ、フリーランスになった。
どこにも属さなくなったのは、6月。そして年末には初めての誕生日がやってくる。
独身で交際相手もいない誕生日。さて、どうしよう。8月半ばくらいから不安になった。

「自分の生誕祭、やってみるか」
アイドルとか芸能人ならともかく。普通のおっさんが自分の生誕祭をやる。
何を血迷っているのか。今考えても無謀だ。しかし、そのとき、背中を押してくれた友達がいた。

D君というDJさんだった。彼は寂しがり屋で、いつも自分でパーティーをしていた。その年の9月のことだ。彼が自分生誕祭をやった。しかも、2週続けてだ。
1週目、私は忙しくて参加できなかった。2週目、参加してみた。
なんと、会場はシーンとしていた。
友達と私が初めてのお客さんだったのだ。
お客さんが1週目に集中し、2週目は、お客さんが2人だったのだ。
DJさんは5人。お客さんが2人。
でも、朝までとても楽しいパーティーだった。人数の少なさにぶれることなく、自分生誕祭をやりとげたその姿は、とてもかっこよかったのだ。

パリピというと、メディアの影響で、いつも盛り上がっている印象があるだろう。でも、人が少ない日もあるのだ。そして、そこを盛り上げる姿を、ぜひみて欲しい。ポジティブに、その場を楽しもうという姿がそこには、ある。

明け方帰って思った。
「俺も自分生誕祭、やろう」

次の日から計画を練った。

2012年12月12日。
ゾロ目の誕生日でも、なかなかない、3つのゾロ目だった。そうか、100年に一度の自分生誕祭だ。

「12月12日、自分生誕祭やります。来てください」

いい大人が誰彼かまわず言って回った。
恥ずかしかった。
はずだった。

がしかし、みんな、反応はやさしかった。
「おめでとうございます。空けておきます」

会場も、やさしかった。「ぜひぜひ、借りてください。会場費、少し割引します」
DJさんも快く引き受けてくれた。

始まる前から、たくさんの笑顔をもらった。
なんだか嬉しくなった。
SNSにイベントを立ち上げた。日に日に参加者が増えてきた。

ふと、思うところがあって、お店に相談をした。
「12月12日なので」

「なんですか?」

「1200円、食べ放題飲み放題にさせてください」 思い切って言ってみた。

「え?それは無理ですよ」 ちょっと怒ったようにお店の人が言った。

「もちろんです。一人3000円でやってもらって」 私は続けた。

「え?」 お店の人がぽかんとした。

「マイナスは自分が持ちます」 勇気を出して言ってみた。

「はあ? いいんですか」 とお店の人。

「誕生日を祝うより、みんなに、ありがとうを言いたくなりました」
なんといういい子ぶったおっさんだろう。でも、本当にそう思ったのだ。
気づけば、年下の友達が増えている。SNSの参加希望者も年下が7割だった。

そこで思ったのだ。
「私が、ありがとう、を言いたい人に来て欲しい」

本当に来てくれるだろうか。当日までドキドキした。恥ずかしげもなくお誘いした。
なにしろ、100年に一度のトリプルゾロ目だ。

なんと、100人以上が来てくれた。
100回以上のありがとう、を言えた。

タクシー1台分のプレゼントをいただいた。ありがたかった。
でも、「ありがとう」 を言えたことが嬉しかった。
さらにさらに、自分の生誕祭を介して、友達がつながったりすると、嬉しさは倍増する。

何が言いたいかというと、45歳過ぎたら、誕生日の意味が変わるかもしれない
ということだ。
静かにしていたら年々、遊べる友だちは減ってしまう。
自分から声をかけていければ、友達は増えていく。
年齢を経たからこそ、積極的に。恥ずかしがらずに。みんなに心を開いていけたら。
そして、そのつながりを感謝しても許される機会があったら。
誕生日は、そのニーズに合う、最高の日かもしれない。何を言っても笑って許してもらえる。
照れずに話ができる。なんと素晴らしいことだろう。

誕生日は、「ありがとう」 を言う日。
そう決めてから、楽しみで仕方ない。

ひとつだけ、問題は忘年会シーズンが誕生日であることだ。

そこで、1月に自分生誕祭をすることにした。
それは、楽しむためでもあり、自分がみんなにどれだけ関われているか
を見直す場所でもある。

さあ、誰と誰と誰に「ありがとう」 を言えるか。
いまから、1月の自分生誕祭が楽しみだ。

この文章を読んだ45歳以上のあなた、いつか、やってみてほしいです。
その時は迷わず行きます。気軽にお声がけください。

あ、その前に、読んでくださって、「ありがとう」 を言わなければ。

❏ライタープロフィール
射手座右聴き (天狼院公認ライター)
東京生まれ静岡育ち。バツイチ独身。
大学卒業後、広告会社でCM制作に携わる。40代半ばで、フリーのクリエイティブディレクターに。退職時のキャリア相談を
きっかけに、中高年男性の人生転換期に大きな関心を持つ。本業の合間に、1時間1000円で自分を貸し出す「おっさんレンタル」に
登録。4年で300人ほどの相談や依頼を受ける。同じ時期に、某有名WEBライターのイベントでのDJをきっかけに
WEBライティングに興味を持ち、天狼院書店ライティングゼミの門を叩く。「人生100年時代の折り返し地点をどう生きるか」
「普通のおっさんが、世間から疎まれずに生きていくにはどうするか」 をメインテーマに楽しく元気の出るライティングを志す。
READING LIFE公認ライター。

メディア出演:スマステーション(2015年),スーパーJチャンネル, BBCラジオ(2016年)におっさんレンタルメンバー
として出演

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2018-12-31 | Posted in 祭り(READING LIFE)

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