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週刊READING LIFE Vol.30

ライフワークとライスワークのマーブル模様《週刊READING LIFE Vol.30「ライスワークとライフワークーーお金には代えられない私の人生テーマ」》


記事:青木文子(天狼院公認ライター)
 
 

夕暮れの田んぼの畦。足元に長い影が落ちている。
大学でゼミがはじまった大学2年目。秋の田んぼの風景の中を私は泣き出したい気持ちで、ひとり歩いていた。
 
「なんで、お前みたいな大学生の小娘に答えなきゃいかんのや」
 
大学の農村社会学のゼミの実習。群馬の山奥の集落に泊まり込みで2週間。フィールドワーク実習に行ったときのことだ。
 
フィールドワークとは研究をする際に、実際に現地を訪れ、直接観察したり、関係者に聞き取り調査やアンケート調査を行うことをいう。
 
泊まるのは村の公民館。泊まり込んでのフィールドワーク実習が大変だとは聞いていたけれど、これほどとは思わなかった。実習ではゼミ生が手分けして、一軒一軒の家を回る。事前に作ってある、調査票を持って、その家の家族構成や収入や仕事を聞いて書き込んでいく。
 
集落の中では回覧板を回してもらって、これが大学生の研究のためだということは事前に伝えてある。自治会でも承認をもらっている。もちろん、気持ちよく答えてくれる家がほとんどだ。しかし、だからと言って、どの家も気持ちよく回答してもらえるわけではない。個人情報は守られるとはいえ、いきなりやってきた東京の大学生に家の台所事情を話してくれない人もいる。
 
ちょうどこの日、Gさんという家に行って断られたところだった。
 
断られたのは3度目だった。断られるというのはなかなかに心が折れる。私は、どうしようもない気持ちを抱えて、重い足取りで公民館への道のりを帰るところだった。
公民館につくと、夕食のお弁当が届いていた。公民館の会議机でお弁当を食べ終わると、夜のミーティングだ。それぞれの調査票の進捗状態などを報告し合う。
 
「今日、またGさんの家に断られました」
私が凹み気味に言った。
 
私の言葉を聞いたゼミの先生は、顔色をひとつも変えずに言った。
「じゃ、もう一度行ってこようか」
 
「えっ? もう断られたの3度目ですよ?」
 
3度目の正直という言葉があるが、3度目だって無理だったのだ。
もう一度あの家の玄関でピンポンするなんて考えただけでも気持ちが萎える。
 
「だから、もう一度行くんだよ」
 
先生の言葉を聞いて泣きそうになる。しかし、先生の顔色は変わらない。ゼミの説明会で、このゼミは学部中で一番大変なゼミだよと言っていた意味が今頃になってようやくわかる。
 
私がGさんに苦戦していることは、もう集落中で知られていた。
 
「Gさんはねぇ、変わり者だから」
「でもねぇ、Gさんは一家言と言うか、筋は通っている人だよ」
 
いくつかのお宅で同情気味に声をかけられた。
 
Gさんが変わり者でも、筋が通っていても、私がGさんの家でまったく取り合ってもらえていないのは事実だ。
 
仕方がない。翌日、またGさんの家に行った。玄関に出たのはGさんの奥さんだった。
 
「ごめんなさいねぇ、何度も来てもらって」
「うちの人頑固だから」
少し声をひそめて言う。
 
突然、奥さんの後ろのとびらがガラリとあいた。Gさんだ。
「また、来たんか」
 
あ~、そうですよ、また来ましたよ、と心の中でつぶやく。
もうやぶれかぶれだ。ここまできたら開き直るしかない。
 
「まあ、いい上がっていけ」
 
Gさんは意外なことを言った。
奥さんと顔を見合わせた。
おそるおそる上がらせてもらった居間。出してもらったお茶を前にどう切り出そうかと迷っているとGさんは言った。
 
「お前は、なかなか根性がある」
 
根性? 根性というよりも泣きそうなんですけれど。
 
「その根性に免じて話をきいてやる」
「何を答えればいいんや?」
 
そこからはGさんはこちらの質問票の質問に答えてくれるようになった。そして、自分の生い立ちや、どう育ってきたか、を聞かせてくれた。
 
そこからは打って変わって、Gさんは何くれとなく力になってくれるようになった。私が他の家で苦労していると口添えをしてくれたりしたし、公民館の弁当は冷たいだろうから、夕食を一緒に食べていけと勧めてくれたりした。
 
その実習の中で、私はGさんをはじめとして、何人ものひとの物語を聞かせてもらった。もともと本が好きだった。本の中にある物語はもちろん好きだが、人が語る物語にはまた違う魅力があった。目の前の人が語る物語には体温があった。その体温のある物語を聴くことに魅力を感じるようになっていた。
 
これがフィールドワークなんだ。
フィールドワークってすごい。
そう思った。フィールドワークに魅せられた私は、もっとフィールドワークを学んでみたいと思った。
 
フィールドワークとは何か?
私にとってのフィールドワークは物語を聴かせてもらうこと、そして物語を語り伝えることだった。フィールドワークで調査したことを論文にすることも、私にとっては「物語を語り伝えること」だ。
 
隣の学科には民俗学のゼミがあった。学科を飛び越えてそのゼミの先生にお願いすると、快くOKをもらうことができた。今度は民俗学の中でフィールドワークを学ぶことになった。
 
その先生のカバン持ちで佐渡ヶ島の調査や、伊豆七島の調査についていった。そこでやることは、やはり、物語を聴かせてもらうこと、そして物語を語り伝えることだった。
 
私がカバン持ちをさせてもらった、そのゼミの先生は、私に大学院に残るように勧めてくれた。
 
「論文のできはともかく、君は人の話を聞き出す能力がある」
「そしてその話をするときに、とても楽しそうだ」
「よかったら、そのまま大学院に残って研究者にならないか。推薦状は書いてあげるよ」
 
迷った。フィールドワークをもって続けていきたいと思った。
結局、私は大学院には進まずに就職することにした。
そのことをお礼とともに先生に伝えに行った。先生はじっと聞いていてくれてこういった。
 
「そうか。でも覚えておいて欲しい。世の中のどんな仕事でも、フィールドワークはできる」
「すべてのことを、自分の目でみて、自分の足で確かめていきなさい」
「君は、どこでもフィールドワーカーでいることはできるよ」
 
この言葉は先生の私へのはなむけの言葉だったのだと今、思う。
 
人が自分の生活のために稼ぐ仕事のことをライスワークという。それに相対して使われる言葉がライフワークだ。お金になるかならないかにかかわらず、生涯携わって行きたいテーマや仕事のことをライフワークという。
 
私は大学を卒業した。新卒で入った会社は文具のメーカーだった。3年して退職した後、いくつもの仕事を経験した。リフレクソロジスト、NPOの職員、フリースクールの先生、セミナー講師、映画の上映主宰、等々。これらの仕事の中には自分に向いている仕事も、そうでない仕事も混じっていた。
 
私の今の本業は司法書士だ。
下の子が0歳のときから4年間受験生をして司法書士になった。司法書士は司法の書士だ。司法書士になって数年してわかったことがある。私は「書士」としての書類をつくる仕事には向いていない、ということだ。緻密に間違いなく書類を作るということが得意ではないのだ。今更といえばいまさらだが、事実だから仕方がない。仕事としてこなしているとはいえ、時々凹む。どうして、こんなにもこの仕事に向いていないのだろうか。
 
そんな仕事の中でも、自分がイキイキとしている瞬間があることに気がついた。
それは、司法書士の相談業務であったり、講演会仕事であったりした。
 
事務所に依頼者の方が来ての相談業務。その人の人生の物語を聴くと心が踊った。講演会での講師仕事では、司法書士の仕事の中で見聞きした、いくつもの事例を話す。その話をしているときは自分がとてもエネルギーに満ちていることがわかる。
 
そして数年経って、気がついた。
私がイキイキとする場面にある共通点があることを。それは、物語を聴かせてもらうとき、物語を語り伝えるときだった。
 
私にとってのライフワークはフィールドワークだと気がついた。
 
先生の言葉を思い出した。
「君は、どこでもフィールドワーカーでいることはできるよ」
 
ライスワークとライフワークは黒と白ではないようだ。それは限りなく黒に近い黒から、限りなく白に近い白までのグラデーションの色調。もしくは黒と白が複雑に混じり合ったマーブル模様。私はライスワークとしての司法書士をしているつもりだったけれど、その中にはライフワークのかけらがいくつも隠れていた。
 
ライフワークとはその人の生き方なのかもしれない。
ライフワークとはその人の魂の色合いなのかもしれない。
 
フィールドワーク実習という簡単でない状況の中ではじめて磨かれたものがある。あのフィールドワーク実習がなければ私は自分のライフワークには出会えなかった。
 
ライスワークの中には必ずライフワークのかけらが眠っている。ライスワーク=稼ぐ、ということは、簡単でないこともある。でもライスワークの中にあるからこそ、そのライフワークのかけらは磨かれることがある。制約の中でこそ、簡単でない中でこそ、磨かれるものがあるのだ。川上の瓦礫が、川を下って、海に出る頃には、つやつやとした丸石になっているように。
 
だから目の前のライスワークをしながら、目を凝らしてみるといい。そのライスワークの中に必ず、あなたのライフワークのかけらがある。そして、そのライスワークの中で磨かれたライフワークのかけらたちは、いつかあなたがライフワークに力を注ぐときに、ひとつひとつが大事なパーツになっていくはずだから。

 
 
 
 

❏ライタープロフィール
青木文子(あおきあやこ)

愛知県生まれ、岐阜県在住。早稲田大学人間科学部卒業。大学時代は民俗学を専攻。民俗学の学びの中でフィールドワークの基礎を身に付ける。子どもを二人出産してから司法書士試験に挑戦。法学部出身でなく、下の子が0歳の時から4年の受験勉強を経て2008年司法書士試験合格。
人前で話すこと、伝えることが身上。「人が物語を語ること」の可能性を信じている。貫くテーマは「あなたの物語」。
天狼院書店ライティングゼミの受講をきっかけにライターになる。天狼院メディアグランプリ23nd season総合優勝。雑誌『READING LIFE』公認ライター、天狼院公認ライター。

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2019-04-29 | Posted in 週刊READING LIFE Vol.30

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