宇宙一わかりやすい科学の教科書

本当の<わたし>ってなんだろう?《宇宙一わかりやすい科学の教科書》


記事:増田 明(READING LIFE公認ライター)

「わたし」とはいったいなんなのだろう?

こんなことを人に言うと、「どうしたの? なにか悩みでもあるの?」と心配されてしまいそうですね。しかし、こんな哲学的な深い問いを、一度くらいは考えたことがある人も多いのではないでしょうか。

例えば、10年前の「わたし」と、今の「わたし」は本当に同じ人間なのでしょうか? 肉体的にはだいぶ変わっていますね。細胞のほとんどは入れ替わっているし、頭に入っている知識も違うし、考え方も能力も違います。本当に同じ人間なのでしょうか?

いやいや、そうは言っても「わたし」は「わたし」だよ! 10年前も今も同じ「わたし」だよ。なぜなら、10年前も今も、この「わたし」という意識はずっと続いている。外見は変わってるかもしれないけど、主観的な「わたし」という意識は、ずっと変わらず同じものだよ。

多くの人がそう答えるかもしれません。
この主観的な「わたし」という意識。それこそがわたしが「わたし」である証し。自分が自分である根拠。何が変わっても、極端なことを言えば、大事故にあって体が使えなくなり、サイボーグになってしまったとしても、この「わたし」という意識がある限り、わたしは「わたし」なのです。この「わたし」の意識が、自分の中心であり、自分の根本なのです。

今回は、この「わたし」の正体について、心理学や脳科学の知見から考察していきたいと思います。

わたしの知らない「わたし」


19世紀末のこと、ドイツの精神科医ジークムント・フロイトは、多くの精神病患者を診察していくうちに、ある奇妙な考えに至りました。

人の心の中には、本人が気づいていない、意識にのぼらない広大な「無意識」の領域があるのではないか。その「無意識」が人の様々な行動に影響を及ぼしているのではないか。

この考えは、よく以下のような氷山の絵で表現されます。

巨大な氷山が人間の心だとすると、本人が気づいている「意識」はごく一部で、本人が気づいていない、意識できない巨大な「無意識」が水面下に沈んでいる。

フロイトはこう考えました。
患者は、患者にとって見たくないモノ、例えばショッキングな出来事の記憶などを、無意識の中に押し込めてしまうことがある。その押し込めたモノが心の病の原因になりうる。それを無意識の中から引き上げ、意識の領域に出してやることで心の病が治る。

フロイトは、患者とのカウンセリングを通して、患者の話す内容、行動パターン、見た夢の内容などから、患者の無意識に隠れているモノを探り出し治療していく「精神分析」という手法を開発しました。「精神分析」は今でも多くの心理療法の基礎となっています。

フロイトの時代は、まだ心理学や脳科学が発展していなかったため、患者の話や行動などから、頭の中の仕組みを推測していくしかありませんでした。時代が進むにつれ、より詳しく無意識の解明が進んでいきます。

「無意識」は働き者


例えば、今あなたは自転車に乗っているとしましょう。
実は自転車という乗り物は、力学的に極めて不安定な乗り物です。あなたは常にハンドルの切り方、姿勢、足の動かし方を絶妙にコントロールしながら、自転車を走らせています。初めて自転車に乗ったときは、ものすごく集中して、意識的にそれらをコントロールしていました。しかし慣れてしまうと、ほとんど何も意識せずに、自転車に乗ることができます。まったく別のことを考えながら、無意識に体と自転車をコントロールし、乗りこなすことができます。

このように、人は多くの行動を無意識に行っています。他に例をあげると、例えば、毎日同じ道を通って帰宅していると、そのうちほとんど意識せず、自動的に家に帰ることができるようになります。酔っ払って前後不覚になり、記憶がとんでしまっても、いつの間にか家についていた、という経験がある方も多いかもしれません。

わたし達は、自分の意識が自分の行動のほとんどをコントロールしている、とつい思ってしまいますが、それは少し意識の働きを過大評価しているのかもしれません。実は無意識の働きは思った以上に大きいのです。

それが分かるこんな興味深い事例があります。
「前方性健忘症」という、意識的な記憶が一日でリセットされてしまう病気があります。この病気の患者は、意識的な新しい記憶が残りません。しかし無意識的な記憶だけは残るのです。

この病気の患者に、患者がやったことのないテレビゲームを教えます。例えばテトリスを教え、半日くらいやってもらいます。
翌日になると、患者は前日にテトリスをやったことを、意識の上では完全に忘れてしまいます。再びテトリスをやらせても、こんなゲームは初めてだ、といいます。しかし、明らかに前日の練習の成果が残っていて、上手にプレイできるのです。これは意識的なテトリスの記憶が消えても、無意識的な記憶が残っているためです。
つまり、テトリスをやっているとき、患者は意識だけではなく、無意識を使ってプレイしているのです。そのため、翌日意識がテトリスを忘れてしまっても、無意識が覚えていて上手にプレイできるのです。

脳の中では、気づかない内に様々な無意識的処理が行われています。
無意識のすごいところは、意識と違って、多くの処理を同時に行えることです。例えば自動車を運転しているとき、前方の車との距離を測りながら、信号を確認しつつ、アクセルとブレーキを加減しながら、ステレオから流れる音楽を聞きつつ、助手席の友人の話を聞くことができます。脳の中には無意識の小人達がたくさんいて、それぞれが分業しながら同時並行で働いているのです。

意識は嘘をつく?


脳の中の無意識的な処理を、意識は自覚することができません。自転車に乗るなどの運動だけでなく、知的な作業についても、同じように無意識が働いていると言われています。

例えば、なかなか解けない難しい数学の問題に取り組んでいたとしましょう。解けないのであきらめて、ご飯を食べたり、散歩をしたり別のことをしていると、突然その解答ひらめくことがあります。これは、意識が知らないうちに、無意識が問題に取り組んでいたからです。しかし意識は「なぜか急に解答がひらめいた! 俺すごい!」と思います。無意識の働きを正当に評価していないのです。まあ、意識は無意識の働きが見えないので仕方ないことですが……。

正当に評価しないだけならまだしも、意識は後付で間違ったでっち上げをすることもあります。例えば、スーパーで買い物の精算するとき、複数のレジから1つのレジを選んだとします。その時、意識は「そのレジが一番空いていたから」選んだと思っていますが、本当はそのレジの店員さんが、昔好きだった人と似ていたから、無意識的に選んだのかもしれません。意識はその本当の理由に気づかないだけではなく、間違った理由を後からでっち上げてしまうこともあるのです。

そのでっち上げを証明する有名な実験が、1978年に行われました。脳科学者マイケル・ガザニガが「分離脳患者」にある実験を行ったのです。分離脳とはなんでしょうか?

分離脳の説明をするために、左脳と右脳について少し説明をしておきます。人間の脳は、左脳と右脳の2つに分かれています。

左脳は体の右半身をコントロールしていて、右脳は左半身をコントロールしています。つまり左脳は右手を動かし、右脳は左手を動かすのです。又、右脳は左視野(視野の左側)を見ていて、左脳は右視野(視野の右側)を見ています。

左脳と右脳はだいたい同じような機能を持っていますが、違いもあります。言葉を話したり聞いたりする言語機能は、左脳にあります。左脳しか言葉を理解できないのです。この左脳と右脳は「脳梁(のうりょう)」という神経の束でつながれていて、情報をやり取りしています。

重度のてんかん患者の治療として、この脳梁を切断する手術があります。左右の脳を分離することで、てんかんの発作が脳全体に広がることを防ぐためです。意外にも患者は手術後、特に問題なく日常生活を送ることができます。ほとんど副作用はありません。しかし脳梁がないため、左右の脳同士が情報をやり取りできなくなっています。
このような特殊なケースの患者にある実験をすると、驚くべきことがわかるのです。

特殊な装置を使って、患者の左視野、つまり右脳にだけ「雪景色」の写真を見せます。そして患者の右視野、つまり左脳にだけ「ニワトリ」の写真を見せます。左右の脳が分離しているため、どちらかの脳にだけ特定の写真を見せる、ということができるのです。

そして、用意した数枚の絵の中から、見た写真に関係するものを選んでもらいます。すると「ニワトリ」を見せられた患者の左脳は、左脳につながっている右手で「ニワトリ」の絵を選びました。次に「雪景色」を見せられた患者の右脳は、右脳につながっている左手で「スコップ」の絵を選びました。雪かきをするためのスコップを選んだのでしょう。

実験者は患者に「なぜスコップの絵を選んだのですか?」と質問します。患者は、理由を言葉で答えようとします。しかしここで患者の脳内で大問題が起きるのです。

理由を答えるためには言葉を使う必要があります。言葉は「左脳」でしか使うことができません。そのため「左脳」が質問に答えようとするのです。しかし困ったことに「雪景色」の写真を見て、「スコップ」の絵を選んだのは「右脳」です。「左脳」ではありません。そのため「左脳」は、「スコップ」を選んだ理由がわからないのです。

普通の人は左右の脳が脳梁でつながっているので、右脳の情報が左脳に伝わり、なぜ右脳がスコップを選んだのかを左脳が理解し、答えることができます。しかし分離脳患者は、左脳と右脳で情報のやりとりができないため、「右脳」が「スコップ」を選んだ理由を「左脳」が知ることはできないのです。

しかし、この絶対に答えられないはずの質問に対して、患者の「左脳」は平然とこう答えたのです。
「ニワトリ小屋を掃除するためにスコップを選びました」

これは完全に「左脳」のでっち上げです。スコップを選んだ本当の理由は、「右脳」が「雪景色」の写真を見て雪かきを連想したからです。しかし患者本人はまったく嘘をついたとは思っていません。本気でニワトリ小屋の掃除のために、スコップを選んだと思いこんでいるのです。
「左脳」は「右脳」が「スコップ」を選んだ結果を見て、ニワトリ→ニワトリ小屋の掃除→スコップ、と瞬時にこじつけ、理由を後から作ってしまったのです。そして後から作ったとは思わず、始めから「わたし」の判断で、ニワトリ小屋の掃除のためにスコップを選んだのだ、と思いこむのです。
他にも同じような実験がいくつか行われ、同様の結果が得られました。その結果からガザニガは、
「左脳には自分の活動を観察し、つじつまが合うように物語を作り上げる”意味解釈機能”がある」
と結論づけました。

これは分離脳患者以外の正常な人の脳でも同じです。左脳の「意味解釈機能」は、常に自分の行動や体験に意味を探し、物語を与えようとしています。それが偶然起こったことだったとしても、自覚がない無意識の働きによるものだったとしても、そこに筋の通った物語を与え、「わたし」がそう考えたからそうしたのだ、と思い込むのです。そして、その思い込みは時々間違ってしまいます。本当の理由ではない、別の理由を作り出し、それが「わたし」の考えた結果だ、と思い込んでしまうのです。

本当の<わたし>ってなんだろう?


このような研究結果から、意識的な「わたし」という存在に対する、従来のイメージが怪しくなってきます。
自分の全てをコントロールしている存在。自分の思考を決め、行動を決めている、司令官のような存在。統一された唯一の存在。そのような誰もが持っている「わたし」のイメージは、本当の「わたし」とは少し違うのかもしれません。
本当の「わたし」とは、自覚できないたくさんの小さな「わたし」が、同時並行で無意識的に働き、その結果を左脳の「意味解釈機能」が観察し、作り上げた一つの「物語」なのかもしれません。自分をコントロールする司令官というよりも、色々な自分をまとめ上げ、書かれた一つの「わたし」物語なのかもしれません。

脳に組み込まれた「物語」を作るこの機能によって、毎日たくさんの小物語が作られ、それが日々積み重なって「わたし」物語が作られていきます。

個人の物語だけではなく、多くの「わたし」物語が絡み合い融合し、「社会」という巨大な物語を作り、さらにそれが積み重なり「国家」や「文明」という、より巨大な物語が作られているのかもしれません。

記録に残らないほど遠い昔から、人類は無数の物語を作り続けてきました。これから先も、人類が滅びない限り、この物語の連鎖、「わたし」の連鎖は永遠に続いていくのではないでしょうか。

【参考文献】
「〈わたし〉はどこにあるのか ガザニガ脳科学講義」 マイケル・S・ガザニガ 訳:藤井留美 紀伊國屋書店
「あなたの知らない脳 意識は傍観者である」 デイヴィット・イーグルマン 訳:太田直子 早川書房

❏ライタープロフィール
増田 明(READING LIFE公認ライター)
神奈川県横浜市出身。上智大学理工学部物理学科卒業。同大学院物理学専攻修士課程修了。同大学院電気電子工学専攻修士課程修了。
大手オフィス機器メーカでプリンタやプロジェクタの研究開発に従事。

父は数学者、母は理科教師という理系一家に生まれる。子供の頃から科学好きで、絵本代わりに図鑑を読んで育つ。
学生時代の塾講師アルバイトや、大学院時代の学生指導の経験から、難しい話をわかりやすく説明するスキルを身につける。そのスキルと豊富な科学知識を活かし、難しい科学ネタを誰にでもわかりやすく紹介する記事を得意とする。

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