週刊READING LIFE vol.22

愛され頑固がススム道~本気で貫く信条の行方~《週刊 READING LIFE vol.22「妥協論」》


記事:松原さくら(READING LIFE 編集部ライターズ倶楽部)
 
 

昔々、私には、とてもお世話になっていた頑固者の上司がいた。
見るからに頑固そうで田原総一朗に少し似ている。
京都大学を卒業していて努力家の秀才だ。
彼は、最善と考えた組織への提案を、テコでも引こうとしなかった。
調べつくし考えつくした結論は、いつも素晴らしく強い理論で完全武装されている。
正論なのだろう。その方針に明るい未来があるのかも知れない。
しかし、上層部にも方針転換できない理由がある。
予算や、経営戦略の考え方には様々な切り口があるからだ。

 
 
 

そんな頑固者の私の元上司は、鈴木係長(仮名)。
普段はたわいもない雑談で盛り上がる。
鈴木係長の場合は、雑談の時にも教養的エッセンスを振りまくのが必須だ。
 
「次の夏休みに富士山に登りに行きたいと思って、最近、友人と計画しているんです」
「富士山は、何も無くて面白くないよ。ただ岩場を歩くだけで。人も多いしね。それより、白山や剣岳に行けば高山植物も楽しめるし、川の水も美味しい。雷鳥もいる。雷鳥は夏と冬で色が変わる珍しい鳥なんだ。夏は土の色、冬は雪の色。天敵に見つからないよう羽が抜け替わる。日本アルプスはね、大陸プレートが東西からぶつかって出来た高い山々が連なっている場所だから、良い山がたくさんあるんだよ」
「一度、富士山に登ってみたかったのですけど……。日本アルプスも良いですね」
 
披露される教養的エッセンスは、彼の記憶されている情報が単純にあふれ出している状況なだけであって、全く嫌味はない。
それに彼のユーモアは、「絶対に誰も落としめない。傷つけない」という信念が貫かれていて、周りの人たちをいつもハッピーな笑顔にする。

 
 
 

部下に対しては、気さくで優しく人気があった。鈴木係長の頑固な一面は、部下にとって引率力の強さでもあった。
ところが鈴木係長は、課長や部長に対しても部下に対するのと同じように頑固だった。組織の経営方針にも納得がいかず長時間の議論を繰り返していた。
 
鈴木係長は議論の時も穏やかな口調だ。対して課長や部長の方は段々とヒートアップしてくる。上司の言い分が部下にどうしても通らないのだから、腹立たしくもなるのだろう。
どこまでも頑固な鈴木係長の長い議論は、私たちにとって日常の出来事だった。
 
ある日、組織の方針を頑なに提案し続けた鈴木係長は胃癌になった。
それとほぼ同時に、鈴木係長の上司である田村課長(仮名)も大病を患った。
鈴木係長は、相当なストレスを顧みず、命を削るようにして組織改革とも言える提案をしていたに違いなかった。
一方で、上層部と鈴木係長の板挟みに合った田村課長にも大変な苦労があっただろう。
鈴木係長の意見に賛同する気持ちが、もし田村課長にあったとしても、上層部の経営方針から逸脱することはできないからだ。
田村課長を大病になるまで苦しめた鈴木係長の提案は、保身や出世のためでは決してなかった。組織の今後を考えての提案だった。鈴木係長もまた、大変な思いをしていたに違いなかった。

 
 
 

きっと多くの人には、「ここだけは絶対に譲れない」と死守するものがあるのではないだろうか。
理念というか、信条というか、ポリシーというか、つまりそういう心の拠り所のようなものも死守したいものだろう。
それが、社会や組織を巻き込んだ形で目的づけられている場合、自己完結できるものよりも大きな苦労が伴う。
 
また、それをどこまで声高に叫んで、身を削って戦うのか、その程度にも違いがあるのかも知れない。
戦うためには勇気と体力と、覚悟が要る。
鈴木係長には、その時、どうしても譲れないものがあったのだ。
 
こんな時にはいつも「北風と太陽」という童話を思い出す。
北風と太陽が旅人に上着を脱がせる競争をする。北風がビュービューと冷たい風を吹き付けると、旅人は、ますますしっかりと上着を抑えた。ところが、太陽が暖かい光を注ぐと、旅人は暑くなって上着を脱いだ。
 
北風のように、声高に叫んで戦うことだけが鋭い戦略とは限らない。
もしかすると、太陽の暖かい光を注ぎ続けることで変化が起きるかも知れないのだ。
 
最高の理念を主張して届かなかった場合に、一旦、相手の話を心の底で聞いてみたり、相手の立場になりきって想像してみたりする。
相反する意見だったのに、もし自分がその立場だったら、きっとそう思ったに違いないとさえ感じる程に、傾聴し共感してみる。
もしそれができなくても、異なる意見が出来上がってきた筋道を考えて、尊重してみる。
大変な心配や苦労があったのか、素晴らしい成功体験があったのか、きっとそこにも物語がある。
 
太陽と旅人に感動の物語がたくさんあるのと同時に、北風と旅人にも素敵な物語がたくさんあるに違いないのだ。

 
 
 

私は鈴木係長に本当にとてもお世話になった。語り尽くせない程、感謝し尊敬もしている。
そして、彼が組織のために激しく議論しているのが誇らしかった。いつも陰ながら応援していた。
 
ただもし、鈴木係長がもう少し戦略家だったらどうなっただろうとか、太陽のように照らすことしかできない部分が彼の弱さとしてあったらどうなっただろうと、時々考えることがある。
 
もしも、鈴木係長にとって、どうしても強く発言できない魅力的な女性上司がいたとしたら。
まるでルパン三世が、峰不二子にだけには勝てないのと同じ関係性で。
絶対に譲れない提案をルパンが不二子に持っていく。
 
「あら! ルパン。これ何? 面白そうね」
「そうだろ? 不二子。これは、俺様がこの世の全てを調べつくし、何日も寝ずに考え抜いた、世界で最高の提案なんだぜ!」
「ふ~ん。そんなにこの提案を組織に浸透させたいの?」
「そりゃそうさ~。それが俺様にできる、この組織への最高のプレゼントなんだから!」
「で~も~。こんな苦労する提案を実現しようなんて、きっと誰も思わないわよ?」
「そ~んなこと、言わないでくれよ~。頼むぜ、不二子ちゃ~ん」
「じゃあ、私に任せてくれる?」
「お? そうこなくっちゃ~!」
 
そうして、ルパンは不二子に騙される。騙されるかも知れないと、きっと解っているに違いない。騙されると解っていてもルパンは不二子に弱いから仕方ないのだ。
 
どんなに素晴らしく見える人でも、きっと弱い部分を持っているものだと思う。
その逆もまたしかりだ。弱いだけの人に見えても、きっと強い部分があるのだろう。
 
太陽が、ただ光を当てるだけしかできない弱さ。ルパンが、不二子に見せる弱さ。
 
その弱く見える部分というのは、時には強みにもなって、旅人の上着を脱がせるのではないだろうか。
 
例えば、鈴木係長が田村課長に騙されて、提案を変な人に持っていかれて、盗まれて、挙句、違う使い方をされる。それでも鈴木係長は田村課長に惚れているから怒れない。
 
「仕方ないな。いつかこの提案から芽が出て種を作って、どこかに飛んでいって実を結ぶ時が来れば良いな」
そんな風に考えながら、また次の提案を作成する。
弱くて負けているように見えて、しなやかに強く、次の手を考え続ける。

 
 
 

誰かが弱い部分を見せた時、周囲の人は大概それを見て「あの人は妥協した」と噂するに違いない。
声高に主張していた人が、百歩譲って相手の意見を飲み込んだ場合に、「あの人は、我慢して自分の意見を引っ込めた。負けたのだな」と、こっそりささやくのだ。
 
本当に我慢して譲ったのかも知れない。しかし、実は納得して譲歩したのかも知れない。
 
もし、納得して譲り合い、意見の対立が解消されたのなら、こんなに素晴らしいハッピーエンドはない。
そこには並々ならぬ努力があったはずだ。
自分の信念を脇に置いて、相手のストーリーに身も心も委ねる。高さ10mの橋の上から川に飛び込むような勇気が必要だ。
それは決して我慢でも負けでもない。
 
ただ、もし本当に我慢して譲った場合、それは本当に負けてしまったことになるのだろうか。
 
人には必ず弱い部分がある。弱い部分でしなやかに対立意見を受け止めて、脇へ流すように譲る。
その弱く見える部分が実は強みになっていることもある。
弱く見える太陽の暖かさで旅人が上着を脱いだり、落ちてしまった種から芽が出て、また新たな種が飛んで行ったりするかも知れない。
それは譲った時に感じているほど少ない頻度ではないと思う。
だからこそ「北風と太陽」の童話が語り継がれているに違いないのだ。
 
「妥協する」ことも弱い行為に見えることがある。
たとえ納得して譲歩したとしても、本当は我慢して譲ったのだろうと負け惜しみしているように受け止められる。
 
でも本当に弱いことなのだろうか。一切妥協をせずに、自分の言い分を100%貫き通そうとして、途中で折れてしまうことも多い。
相手に100%譲らせてしまって、その後の展開は果たして良いものになるのだろうか。
誰かが不満を募らせると、その結果、いつか爆発してしまうか、去っていくかだ。どの道、良い関係性は保たれない。
それは、本当の意味で強い人がすることだろうか。
 
弱く見えることが、強みになる状況がある。また、強くみえることが、弱みになる場合もある。
 
「妥協する」ことができる人は、自分を弱く見せかけて、強みに転換していける人ではないだろうか。
豊かな想像力を働かせ、しなやかに強く問題を乗り越えていく力の根源の一つに「妥協」があり、その「妥協」はきっと、私たちの頑固な信念を守ろうとしてくれる、大切な仲間なのだ。

 
 
 

鈴木係長と田村課長は、病気療養から回復した後、それぞれ別々の部署へ異動していった。
私から遠い場所で働く鈴木係長は、やはり部下からの信頼が厚く慕われているとの噂だった。
それに、彼は胃癌の手術で胃の半分以上を切り取ったらしく、体力が落ちたのか、これまでより議論をしなくなったそうだ。
彼のことを「妥協するようになった」とみんなは思っているに違いない。
私は弱さを身につけて強くなる鈴木係長を想像して、遠くからひっそりと応援し続けた。
 
あれから十数年が経ち、鈴木係長は鈴木部長となって、活躍している。
完璧な理論武装をした鈴木係長よりも、さらにバージョンアップした鈴木部長に、私はこれからも尊敬と感謝の気持ちを込めて応援し続けていく。
固い信念を持っても、なお妥協する強さに憧れを抱きながら。
 
 

❏ライタープロフィール
松原さくら(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
京都生まれ。大阪府北部育ち。
経営学部を卒業後、IT企業に就職。その後、転職し事務仕事。
ネイチャーフォトグラファー。ファシリテーター。
地球の色んな生き物のことをたくさん知って感じたい。
みんながノビノビしている時が一番幸せ。

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2019-03-05 | Posted in 週刊READING LIFE vol.22

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