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週刊READING LIFE vol.22

海外生活を終えた私を苦しませた「妥協」という「最良の選択」《週刊 READING LIFE vol.22「妥協論」》


記事:江島 ぴりか(READING LIFE公認ライター)
 
 

〝しかたがない〟という言葉は嫌いだ。
この言葉を繰り返しているうちに、人生は〝しかたがない〟という残念なものになっていく気がする。
でも、〝しかたがない〟という気持ちを受け入れざるを得ないときもある。
私が一番そんな状況になったのは、数年間の海外生活を終えて日本で転職活動をしていたときだった。

 

 

 

ロシアで数年間仕事していたんですよ、と言うと、たいていは「すごいね」という反応が返ってくる。
さらに、イギリスに短期留学していました、と続けると「じゃあ、ロシア語も英語もできるんだ!」とうらやましがられる。正直、周囲の想像よりかなり下のレベルだが、現地でなんとか生きてはいけるので、あえて否定はしない。
私自身も、ロシアでの経験はなかなかのもんだと思っていたし、少なくとも、これからこの経験を活かして、もっとすごいことができるはずだと期待していた。大丈夫だ、帰国後もすぐに仕事は見つかると、当時の私はあまり不安を抱いていなかった。

 

でも、そんな感嘆の声が聞けるのは、知人との飲みの席くらいだ。
長い海外経験は、海外に赴任するときは重宝されても、日本の就職活動では「ほぉ」か「へぇ」のあいづちで終わってしまう程度なのだと気づくのに、時間はかからなかった。

 

イギリス滞在中から、希望していた国際交流や国際協力の仕事を検索しまくり、留学を早めに切り上げて仙台にまで出向いたが、結局不合格となった。
その後も、ここぞと思う企業に次々応募をしてみるものの、面接にすらたどり着かない日々が続いた。後で気が付いたことだが、国際交流や国際協力であっても、通常業務の大半は一般的な事務だ。書類作成や経費の計算やその他もろもろの雑務だ。語学力は確かに求められるが、それ以上に、日本の会社での事務経験の有無が重視される。応募者の多くは海外経験や海外への興味がある人なので、私の経歴は取り立ててすごいものでもなんでもないのだ。

 

思うように結果が出せずに3か月が過ぎて、私の自信も希望もすっかり打ち砕かれてしまった。
夢だった海外生活も果たし、貯まったお金で念願のイギリスにも行けて、人生はきっとこのままうまくいくと疑っていなかった私にとって、行く先が見えないままで実家にこもっているのは耐え難かった。そんな状況に陥っている自分が信じられなかった。
今思えばたったの3か月なのだが、その頃はそれが永遠になってしまいそうで怖かった。
出口の見えないトンネルとはこういうことなのか。こんなに恐ろしくて不安になるものなのか。

 

家に居ると母に就活状況を聞かれるので、わざわざ30分歩いてカフェに行き、TOEICの問題集を解いて時間をつぶすようになった。ロシアにいた頃は、日々娘の無事を心配して、電話をするたびに早く帰ってきてと言っていたのに、無職で家にいられるのは不愉快なようだった。無職でも元気ならそれでいい、とはならなかった。おそらく母も、娘のその後を心配していたのだろうけど。

 

 

 

たまたま、母校の大学の事務職を見つけたとき、ずいぶん悩んだ。
留学生を担当する業務内容は興味があったし、語学も活かせる。
それに勝手を知った母校というのは、採用側にとっても私にとってもメリットがある。
ただ、とにかく給料が安いのだ。正直、ちゃんとひとり暮らしができるだろうか? と不安になる額だった。
おまけに契約職員だ。
予想通り、母も待遇が良くないと反対した。
私はもう彼女と一緒に暮らしたくなかったが、このときの気持ちは彼女と一緒だった。
「大学院も出て、社会経験もあって、今までこんなに頑張ってきたのに、これしかもらえないのか……」

 

最終的に、私は母校での仕事を選んだ。そして無事に採用された。
しかし、しばらくは自分に対して惨めさと情けなさを感じていた。
もう少し就活を続けてもっといい待遇の仕事を探すこともできたはずだし、あるいはまた海外で働くという道もあったはずだ。もう一度大学院に戻って、博士号を目指したってよかったはずだ。
でも、精神的に追い詰められていた自分は、それ以上頑張ることができず、結局妥協してしまったような気がした。
採用してくれた当時の上司には失礼だが、そのときの私にとっては、まったく不本意な職場だったのだ。
だから、新天地で仕事を初めてからも、「これでいいんだろうか」という思いをずっと抱えていた。
しまいには、ロシアやイギリスに行ったことすら、無意味なことだったんじゃないかと思うこともあった。

 

 

 

けれど、今ふりかえると、そのときの妥協は私にとって〝最良の選択〟だったのだ。
日本での実務経験がなかった私にとって、大学での仕事は初めてのことが多かった。予算を考えて物品を購入したり、いろいろな申請書を作成したり、上司に報告書を提出してハンコをもらったり、イベントを企画したり。週に1度朝早く来て掃除したり、年末に仕事納め・年始に仕事始めの行事があったり、組織にはそういう慣習があることも知った。財務課とか、企画課とか、施設課とかたくさんの部署があり、ひとつのことを決めるのにとても時間がかかること、逆に日頃から交流しておくことでスムーズに物事が進むことも学んだ。

 

そして3年後、私は再度転職を試みるが、今度はびっくりするぐらい次々に採用通知をもらった。
3年間、大学で事務職を務めたことが、大きな勝因になったことは間違いない。
大学での給与は希望通りではなかったかもしれないが、いくつかある選択肢の中から、私はあのとき「自分に足りない経験を積む」ための選択をしたのだ。
その結果、ついに希望通りの職種に就き、今もこうして働いている。

 

大学では、実務面以外でもたくさんの経験と人脈を得ることができた。
日本における、勤務時間外の飲みにケーションの重要性もよくわかったし、ロシアの高級ウォッカが日本人にもウケることを知った。
不本意な職場だった、なんて言ったけど、同僚も担当した留学生たちもゆかいな人ばかりで、またあの頃のようなパーティをしたいなぁなんて、ときどき懐かしんでいたりする。
本当に信頼できる素晴らしい上司に恵まれて、離職した今でも突然お願いごとをすることもある。
思い出すと、貴重な体験ばかりで、今の仕事をする上でも確実に役に立っている。

 

やっぱり、あのときの転職は妥協なんかじゃなくて、その後の私の人生を豊かにするための、〝最良の選択〟だったのだ。

 

 

 

私は人間の持つ直感力、本能的な力を信じている。
しかたがなくそうしてしまった、と感じることでも、本当はちゃんと、そのときに最も良い方法や道を選んでいるのではないかと思う。時間を経たとき、その意味がきっとわかると思う。
だから、人生に妥協はないのだ。あるのはいつも最良の選択だけなのだ。

 
 

❏ライタープロフィール
江島 ぴりか  Etou Pirika (READING LIFE公認ライター)
北海道生まれ、北海道育ち、ロシア帰り。
大学は理系だったが、某局で放送されていた『海の向こうで暮らしてみれば』に憧れ、日本語教師を目指して上京。その後、主にロシアと東京を行ったり来たりの10年間を過ごす。現在は、国際交流・日本語教育に関する仕事に従事している。
2018年9月から天狼院書店READING LIFE編集部ライターズ倶楽部に参加。
趣味はミニシアターと美術館めぐり。特技はタロット占い。ゾンビと妖怪とオカルト好き。中途半端なベジタリアン。夢は海外を移住し続けながら生きることと、バチカンにあるエクソシスト(悪魔祓い)養成講座への潜入取材。

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2019-03-05 | Posted in 週刊READING LIFE vol.22

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