fbpx
週刊READING LIFE vol.22

たとえ、世界の片隅で私が転んでも《週刊 READING LIFE vol.22「妥協論」》


記事:水峰愛(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

カルピスアイスバーが溶けて手を汚さないよう、注意を払いながらテレビに向かっていた。映画のあらすじを追うことにも意識を集中していたから、自然と行儀の悪い食べ方になる。アイスの木の棒はちゃんと木の味がして、カルピスの爽やかな酸味と混ざり合うと、それは夏の味だった。
私は短大生で、夏休みで帰省をしていた。深夜、家族が寝静まったあと、映画を観るのが習慣だった。
母が手術のため入院した時期と重なって、私は夜明けから昼過ぎまで、実家の家業を手伝っていた。だから、だと思う。無性に時間を無駄にしたくない気持ちが働いて、空いた時間のほとんどを、音楽を聴いたり本を読んだり、映画を観たりということに費やした。
映画は、松田龍平と酒井若菜が主演で、たしか監督は松尾スズキ。
一生売れなさそうな「自称漫画家」の男と、今でいう同人漫画家の女の、ラブコメだった。テンポよく進む展開と、現実離れしているようでいて妙に人間の真を突いたそれぞれのキャラクターの立ち方が面白くて、目が離せなかった。
そして、松田龍平演じる男が、漫画家としての起死回生と、同人漫画家との恋のチャンスをかけて新人賞に挑むシーン。
彼は高らかに言い放つ。
「俺はすべてを手に入れる! 恋も漫画も諦めない!」
 
雷に打たれたような、とは、まさにこのことだと思う。
そのセリフを聞いた瞬間、身体中に血が巡るのがわかった。私はすっかり感動に震え、呼吸を止めてテレビに釘付けになった。
気がつけば、右手は溶けたアイスでべたべたに汚れていた。
 
その映画のタイトルを、「恋の門」という。公開は2004年。だから私がDVD
で観たのは恐らく2005年のことだ。
主題歌はサンボマスターが歌っていた。内田春菊や庵野秀明&安野モヨコ夫妻などの文化人がちょい役で出ていた。松尾スズキと酒井若菜のキスシーンがエロかった。細かいことはそれくらいしか覚えていないけれど、主人公が放ったそのセリフだけは、15年近く経った今も、鮮明に覚えている。
 
「妥協」とは、結果ではなくて過程に使う言葉だ。
あれから15年近く生きた私だが、無論あの日の感動のままに、「すべてを手に入れる」と言い切れることばかりではない人生を、生きてきた。
先回りして折衷案を打ち出した方がいい状況や、嫌でも片方を諦めなくてはならないことが最初からわかっていることなんて、生きていくうえではめちゃくちゃたくさんある。当たり前にある。なぜなら人間の時間や資産は有限で、その中で最良の結果を手に入れるためには、諦めの悪さが仇になることが往々にしてあるからだ。
もっと言ってしまえば、生きることは損切りの連続だし、気持ちに折り合いをつけて違う展望を歓迎できる思考の柔軟さは、人間のひとつの美質と言っていい。
だから、「妥協の美学」を持つことは、とても賢明な、自分を守る方法。
そう思う。
思うのだけれど。
 
その理性を情熱が上回った時、妥協することが何よりの後悔を生みそうだと判断した時。背水の陣でも挑まねばならないことも、あるいは人生にはあると思う。
ちょうど「恋の門」の主人公が、「恋も漫画も諦めない!」と言い放ったようにして。

で、背水の陣と言えば、この私。
ライターズ倶楽部も、最後の1ヶ月に差し掛かっている。審判が下されるときが刻一刻と迫っていると言うのに、2週連続で不掲載を食らい、挙句、先週は1行も書けないときた。まずい。まずすぎる。と気持ちは焦り、無駄に隣の駅まで走ってみたりしているが、走ったところで書けるようにはならない。
 
ライターズ倶楽部への入会を決めた時、じつは迷っていることがあった。
趣味でやっているベリーダンスで、年に一度の大きな舞台に立つ機会に恵まれたのだ。その稽古日も、ライターズ倶楽部と同じ日曜。本番の数ヶ月前からは、稽古は朝から夕方まで行われる。振り付けやフォーメーションも覚えなくてはならない。
どちらも、やるやらないは、自分の意思で決めることができた。
ソファにしがみ付いて叫ぶほど(大袈裟)迷いに迷った私は、結局、両方やることにした。
だからこそ、両方ちゃんとやりたかった。どっちも、納得いく結果まで持って行きたかった。中途半端に取り組んで、両方脱落するのは最悪だ。
そのためには、時間の使い方や、稽古の受け方を工夫する必要があった。何より、集中力と意思と、ブレないビジョンが必要だった。優秀な人なら難なくこなせるのかもしれないけれど、不器用な上に根性の無い私にとっては、一大事業の気分だ。
つまり、今こそあれだ。あのダメダメな自称漫画家のように、こう叫ぶ時がきたのだ。
「私は、文章もダンスも諦めない!」
 
しかし爽やかに張り切ったところで、うまく行くことばかりではないのが人生。
たしかあの漫画家は、新人賞で一等を取れなかった。恋も、微妙な雰囲気で終わった気がする。
頑張ったけどだめだった、というオチも、また生きる上ではつきものだ。
だから、矛盾しているようだけれど、じつは失敗することも覚悟のうちには入れいてる。
しかしそれは、「どうせだめだから」という諦めとは、まったく別のものだ。
腹をくくっている、と言っていいかもしれない。
「諦めること」と「諦めないこと」は、多分メビウスの輪のように繋がっていて、どちらも自分の心を守るためにバランスを取る。達成感を選ぶのか、ダメージレスを選ぶのか。その時々でどちらに進むかは、どちらを選んだほうがより心に豊かさをもたらすのかを、無意識に計算しながら選択されてゆくものだと思う。
 
だから諦めることが最悪の選択となる状況では、失敗を恐れずに進めよ。
たとえ私が世界の片隅で転んでも、誰も傷つけないし誰も困らないのだから。
 
「妥協」とは、結果でなく過程に使う言葉だと、書いた。
人生が死ぬまでの一本道だとしたら、またひとつひとつの結果も、過程なのかもしれない。そしてその時々に、納得がいくまでやりきった上で、「ま、いいか」と気持ちを昇華させること。真の妥協とは、そういうことを指すのかもしれない。
 
だから、頑張れよ、私。
そしてこれを読んでいる、あなたもどうか。

 
 

❏ライタープロフィール
水峰愛(Mizumine Ai)
1984年鳥取県生まれ。2014年より東京在住。
化粧とお酒と読書とベリーダンスが趣味の欲深い微熟女。欲深さの反動か、仏教思想にも興味を持つ。好きな言葉は「色即是空」

この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

【4月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜


2019-03-05 | Posted in 週刊READING LIFE vol.22

関連記事