週刊READING LIFE Vol.28

オフィスに潜むブラックホールに気をつけろ!《週刊READING LIFE Vol.28「新社会人に送る、これだけは!」》


記事:飯田峰空(READING LIFE 編集部ライターズ倶楽部)
 
 

社会人1年目に私が起こしたあの日のことを、私はずっと忘れられずにいる。
 
私は大学卒業後、新卒で出版社に入社した。配属されたのが書籍の編集をする部署だった。「編集者」という希望の職業に就けた私は、嬉々として先輩に上司に仕事を教えてもらった。
会社に入社すると、色々なものが備品として与えられる。自分専用のデスクに、パソコンに筆記用具。最初は緊張しながら、これでいいのか、と思いながら恐る恐る使っていく。次第に取り扱い方や社内のルールがわかり、自分の使いやすいようにカスタマイズするようにもなった。当たり前だけど、会社の中に自分専用のスペースができていくことは、自分がここにいていいと承認されたようで嬉しくもあった。
仕事は、先輩のアシスタントをしながら、何度も企画書を出した。ボツになった企画は数しれない。その中で、なんとか自分の企画が通った。初めて、本の巻末の【編集】のところに名前が載る。その喜びと高揚で、より仕事に熱が入った。
 
その企画は、発達障害の一つである自閉症を取り上げたものだった。自閉症児への治療・教育の分野で第一人者である医師の先生の著作だ。
 
ライターの人が先生に取材し、原稿を書き上げる。その原稿を著者の先生にみてもらい、言い回しや表現が異なる部分に赤ペンで修正を加えて、文章を固めていく。本の表紙や体裁を、デザイナーと打ち合わせして決めていく。できあがった文章に合わせて、わかりやすく、ニュアンスの伝わりやすいイラストや図を入れていく。いろんな分野のプロが技術を発揮して、ひとつの箱をつくり、その箱に中身を詰めていく。みんなで力を結集して、ひとつのお弁当を作っていくような作業に私は夢中になった。
 
講演会などで忙しい先生と少しの時間でも打ち合わせができるよう、新幹線待ちの東京駅で打ち合わせをしたこともある。まだ当時は、働き方改革なんて取り組みはなかったから、泊まりで仕事をすることもあった。深夜にライターさんとやり取りをして、深夜に働いているのは私だけじゃないと、感慨と妙な一体感を感じたこともある。手探りで難しいながらも、充実して楽しい時間だった。
しかし、その中で事件が起こった。
 
その日、私は確認作業に追われていた。書類を確認する前のものは右に、確認したものは左に置きながら作業を進めていた。写真データやら手書きのイラストなど必要なパーツも多く、全体的に見渡しながら作業がしたかった。
だから、次第に作業スペースを広げていった。机の上だけにとどまらず、隣の先輩の机にも侵食した。もっと場所が欲しくて、机の横の引き出しを開けてそのスペースにも書類を置いた。段ボールや足元にあるものにも、順番に書類を置いていった。座っていても見やすい絶妙な高さになった。
そして、私にとって作業のしやすい完璧なスペースを完成させた。さながら、キーボードを弾く小室哲哉のような格好だ。この完璧な配置のおかげで、仕事に集中できた。気がつくともう終電間近だった。
明日もこのやりやすい配置のまま、仕事を再開したい。そう思った私は、急いで机の上を整え、会社を後にした。ぬかりなく、すべての書類の上におもしも置いた。これで書類が飛んだりすることもない、大丈夫だ。
 
翌日も、机の周りの完璧な配置のおかげですぐに業務再開でき、しばらくしてその仕事がひと段落した。さて、少し休憩して、自分の担当の仕事をしよう。そう思った時だった。
 
どこを探してもないのだ。先生の赤ペンで修正の入った原稿が。まず、引き出しを探したが……ない。立ててある封筒を探したがそこにもない。キャビネットにも、もちろんなかった。隣の先輩のスペースも探させてもらったけれど、どこにもない。
言いようもない焦りが全身を駆け巡った。やばい。でも落ち着け。もう一度、しっかり見て確認しよう。そう思って立ち上がった時だった。
何だか、昨日と景色が違うのを感じた。足元が妙にすっきりしている。
 
何が違うのか目を凝らした時、昨日まではあって今日はないものに気づいた。
そこには、空っぽで黒いゴミ箱が口をあけるかのように私を向いていた。
そうだ、ここにも昨日書類を積んでいたのだ。
 
それがなく、ゴミ箱がすっきりしているということは……。冷や汗が流れた。もしかして捨てられた!!!
 
私が勤務していたビルは、毎日早朝に清掃が入る。ゴミ箱に入ったゴミを、捨ててくれるありがたい存在の清掃員さんがいるのだ。
もしや……。私はビルの管理室に急いだ。そこには管理人のおじさんがいた。
 
おそるおそるおじさんに話かけた。
「あの、今日の朝のゴミって今どこにありますか?」
私が只事ではない顔をしていたのだと思う。雰囲気を察した管理人さんが言ってくれた。
「えっと、もう外のゴミ捨て場に置いてあるから、そこにあるか、もう回収されたかだよ」
 
その話を聞くや否や、私は外に駆け出した。ビルとビルの間の路地裏に、青い特大ボリバケツがある。
そのふたを開けると、そこには何もない。空のゴミ箱があるだけだった。
今の時間、すでに10時半。
どうゆるく見積もっても、朝の回収時間は過ぎている。
周りにはどう見ても、紙ゴミは入っていないゴミ袋があった。私は一縷の望みを託して、そのゴミ袋を開け、中身をあさった。ゴミ袋を漁る女に、何の演出か知らないが、雨もざぁざぁと降ってきた。もちろん、そこに私の望んでいるものはなかった。
 
終わった。
先生の原稿をなくした。ゴミに埋もれながら、私は泣いた。声を上げて泣いた。よりによって先生の直しの入った直筆の原稿を。
入社して初めての担当本。しかも、忙しい先生を口説き落としてようやく実現した企画。仕事は経験していないくても、自分が犯してしまった失敗がどれだけ重大なことかは想像がついた。
 
路地裏で、雨に濡れ、ゴミにまみれながら泣く自分。情けなかった。
こんな社会人になるとは、大学生の時には想像もしていなかった。
 
結局、著者の先生には謝り倒して、もう一度原稿を修正してもらった。声を荒げもせず、優しい顔でうなずいてくれた先生の顔は一生忘れない。素人の私の文章でさえ、パソコンから書きかけの原稿が消えたときの喪失感は想像できる。それを、専門家の先生にさせてしまったかと思うと本当に申し訳ない。
今でも、先生は多くの講演や本を出されていて、メディアや本屋でお名前を目にする。そのたびに、私は心の中で謝罪する。本当に申し訳ありませんでした。
 
結局、後から清掃員の方に話を聞いたら、
「ゴミ箱に乗せてあったから、捨てるものだと思ったよ」
と言っていた。ゴミ箱に入れられないけれど、捨てたいというメッセージだと思ったそうだ。そりゃそうだ、私でもそう思う。
 
それ以来、私はゴミ箱の取り扱いに細心の注意を払うようになった。もちろん、ゴミ箱を棚代わりにしない。
あと、手近なところに置いていくのもやめた。少しだけ距離を離す。無意識で流れで捨てられないように、ワンクッション置けるようにした。
 
ゴミ箱には、不思議な磁場が働いている。仕事じゃなくても、料理を作っている時に、皮を捨てるはずが野菜そのものを捨ててしまうことって経験があると思う。ゴミを捨てるための単純な道具なのだが、何かを完了させたい時、すっきりさせたい、リセットしたい気持ちが先行すると、判断力が鈍ってついついエイっと勢い良くやってしまう傾向がある。
疲れている時こそ、そんなミスが起こりうる。
 
ゴミ箱は、誰でも仕事で絶対に使うものだ。だからこそ、私と同じような失敗を繰り返してほしくない。大切なものをうっかり捨てて、泣く人がいなくなるならば、誰にも言わなかったこの恥ずかしい経験が報われる。
ゴミ箱は、ブラックホールだ。机の横のブラックホールには用心してもらいたい。

 
 
 
 

❏ライタープロフィール
飯田峰空(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
神奈川県生まれ、東京都在住。
大学卒業後、出版社・スポーツメーカーに勤務。その後、26年続けている書道で独立。書道家として、商品ロゴ、広告・テレビの番組タイトルなどを手がけている。文字に命とストーリーを吹き込んで届けるのがテーマ。魅力的な文章を書きたくて、天狼院書店ライティング・ゼミに参加。2020年東京オリンピックに、書道家・作家として関わるのが目標。

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2019-04-16 | Posted in 週刊READING LIFE Vol.28

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