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週刊READING LIFE Vol.38

「社会」という言葉が、「個人の想い」でできているんだとしたら。《週刊READING LIFE Vol.38「社会と個人」》


記事:井上かほる(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

「社会」という言葉を聞いたとき、なにを思い浮かべるだろう。
「社会人」「日本人社会」「国際社会」「社会に貢献する」「縦社会」「社会に適応する」「ネット社会」……。とにかく、いろんなところで使われる言葉で、たくさんの場所に存在している。
どんなところにも存在し、この言葉を使うだけで、なんでもその場所やその集まりが、「社会」と言えばひとくくりにまとめてくれているように思える。
 
辞書で、「社会」と引いてみる。
goo国語辞典によると、“人間の共同生活の総称。また、広く人間の集団としての営みや組織的な営みをいう”と、1つ目の意味として出てきた。つまり、社会人と言われ、働くことがメインになった大人たちだけではなく、子どもにだって、家族にだって、年齢も性別も人種も、働いているかどうかも、関係ないということだ。そして、物理的に人が目の前に存在する場所だけではなく、もちろん、ネットという空間にも、社会が存在する。
 
けれど。
調べてみると、考えてみると、「社会」というのは、すでにそこに存在しているもので、「社会」というところに個人が飛び込むことが前提のような気がしてくる。「社会に適応する」とか「社会不適合者」とかいう言葉があるから、すでに存在している「社会」に、個人が、自分が、合わせていかなければならないんだと思ってしまう。
果たしてそうなのだろうか。
ネットで「社会」と打ってみると、検索候補には「社会  とは」「社会とは  簡単に」「社会  語源」、とだれもが社会とはなにかを知ろうとし、確認しようとしている。
 
わたしもそうだ。
わたしは、つい最近、会社をやめた。
2社目をやめた。
13年勤めた会社をやめて、ようやっと、人のご縁がつないでくれた会社に入ったのに、「働くとは、人の役に立つこと。それが、いつのまにか自分のやりたいことになっている」と天狼院書店の三浦さんにも教えてもらったのに、やめてしまった。たったの2ヶ月半で。
役に立てると、思っていた。役に立ちたいと、思っていた。
これまでの経験や知識を用いて、そして、前職をやめてから学び始めた文章を書くことで、できることがあるはずだと。けれど、やめてしまった。
わたしは、すでに存在している、その会社の「社会」に、混じろうとした。混じることでなにか新しい色が出せたらいいな、と思っていた。CMYKでつくられている今の色に、わたしだったり、他の新しいメンバーだったりが混ざることで、抱えている課題を解決したり、新しい発想が生まれたり。ときにうまくいかなくなって悲しい色になるかもしれないけれど、やさしい色にも変えられるような要素が生まれてきたり。この会社で働くことで、そんな変化が自分にも起こればいいなと思っていた。
ところがそれは、わたしには難しかった。
どうやら、わたしの色は合わないのだ。
会社の色に異なる色が混ざることは、悪いことではないと思う。けれど、想定していなかった色が一気に入りこむのは、望ましいことじゃない。相手だって驚いてしまう。だから、理想は、徐々に徐々に自分の色を入れていくことだ。コーヒーにミルクが溶けこんでいくように、なめらかに。
 
ただし、だ。
わたしは、混ざろうとしたときに気づいてしまった。
混ざろうとしているその社会には、自分とは共通点がないのだと。
きれいに混ざる可能性がないものも、あるのだと。
「ミルク以外でコーヒーに混ぜられるものを探してみたけど、これは分量変えて混ぜたとしても、合わないよね」というふうに。

 

 

 

 

すでに存在する社会に、新たに参加するのは不安だ。
わたしであれば、「(前職のときと同じように)また体調崩したらどうしよう」とか「喘息の発作が出たらどうしよう」とか「全然仕事についていけなかったらどうしよう」とか「自分だけ売り上げ達成できなかったらどうしよう」とか「そもそも馴染めなかったらどうしよう」とか、キリがない。
社会と呼ばれる場所には、たくさんの人がいる。
個人的に思うのは、人が集まれば集まるほど、その人の社会に対する考えは異なり、いくら決まりごとだったとしても守らない人はいるし、その決まりごとを理解していても誤解していて守れない人もいる。
すでに存在している社会というのは、そういうものなんだとわたしは思っている。
 
けれど、それだと悲しいのだ。
同じ目的があって、本当はみんな「よりよくしたい」と思っているはずなのに、手段が変わってしまったり、いつのまにか目的が変わってしまったり。

 

 

 

 

先月、とある団体の活動説明会というものに参加した。
「どういうきっかけがあってこの活動をしようと思ったのか」
「実際になにをやっているのか」
「協力してくれている人たちはどういう想いで参加しているのか」
 
説明をしてくれる人たちは、みんな、考えを強制しない。
ただ、わたしたちはこういう考えのもとに活動している、と。そこはこれまでも、これからも変わらないのだ、と。けれど、つづけていくためには仲間が必要だと。わたしたちと同じように考えている人、共感してくれる人に、なんらかの形で活動に参加してほしいということを話していた。
協力している人たちは、根っこにある考えや活動に共感し、そこから出てきた想いの種を共有し、自分の中でも育てているような人たちだった。
 
そして、これを書いている数日前にも、わたしは似たような体験をした。
北海道を観光だけではなく、「北海道=教育、と言われるようにする」と動いている人の話を聞いたのだ。
共感してくれる教育機関も出てきて、成果も徐々に現れてきていると。
ただ、北海道全体に広く広めていくためには、広める側の人間が足りないと。
だから、こうして考えていることや実際にやっていることを話して、同じように考えてくれる人を探している、と。

 

 

 

 

個人が強い想いを持って始めたことが、人に共感され、その人たちが同じ想いを持って動き出すと、「社会」になる。社会とは、きっと、「個人の想い」の集合体なのだ。
 
ただ、「個人の想い」はそう簡単には伝わらない。
たとえば、甘いクリームのところだけ味わうのではなく、相性の合う別のものが混じり合うことで、本当においしさがわかるように。深いところまで知って、「あぁ、これはそういうことなのね」と理解しないと、本当の共感は生まれず、自分の種は育たない。
 
そのためには、とことん、話さないといけないのだ。
聞く側も、わからないのであれば、根っこのところを理解できるまで、聞かないといけないのだ。
そうしないとわからない。
わたしは、2社目でそれが足りなかった。
どこかに所属することが目的になり、その職種を経験することが目的になり、「この会社の考えに共感できるか。その言葉と行動に共感し、同じように行動できるかどうか。この会社の言葉と行動を広めたいと本気で思うかどうか」を考えることを怠ってしまった。
 
「うるさい」と言われるかもしれない。
けれど、それで終わってしまうのであれば、そこまでだ。
説明する側も、本当に達成したい目標があるのであれば、それはやっぱり、回数を重ねて、話さないといけない。1回の時間は短くていい。けれど、伝わるまで何度も話さないといけない。
根っこの部分をとことん理解するまで聞き、共感できるかどうか。同じように考え、それを人に広め、共感してくれる人を自らが増やそうと思えるかどうか。
それが、北海道とか日本とか、身近にある1番大きな社会のなかで存在するっていうことなんじゃないかと、わたしは思う。
 
でも、それにしても、めんどくさい!
いま書いてても、「ここまでしないといけないのか!  めんどくさっ!」と思っている。
こんなめんどくさいことをしなくても、いろんな社会に馴染める人は山のようにいるだろう。
けれど、残念ながら、わたしはどうやらめんどくさいことをしないと見つけられない。
幸い、今は、伝える方法がたくさんある。
あとは、言葉と行動がリンクしているかどうか。
そして、自分の根っこと共通する部分があるかどうかで判断すればいい。「もしかしたら自分は違うんじゃないだろうか?」と思うようなことがあれば、その都度、話す機会を持っていきたい。
 
おそらく、わたしが聞いた先の2つの話をしていた人たちは、そういう人たちだ。
根っこが間違っていなければ、「そういう考えも、もちろんいいよ」と受け入れて、一緒に不安を小さくしてくれるような気がする。全くもって根っこが違うのであれば、自分が存在すべき場所はそこではないのだ。そうなれば、今度は自分が探す側になるだけである。自分の考えを人に話し、共感してくれる人を探す。そして、同じように考えてくれて、広めたいと思ってくれる人と、新たに社会をつくればいい。
 
辞書に載っていた「社会」の意味。
「人間の共同生活の総称。また、広く人間の集団としての営みや組織的な営みをいう」
 
社会は参加するものではない。
 
個人が、自分以外の個人に共感し、そうして個人だった人たちが集まると、それは「社会」になる。
そして同じ社会を一緒につくり、広めていく。
それで、「共同」になる。
 
社会はこうしてできるんだと、わたしは思う。

 
 
 
 

◻︎ライタープロフィール
井上かほる(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

札幌市在住。元・求人広告営業。
2018年6月開講の「ライティング・ゼミ」を受講し、12月より天狼院ライターズ倶楽部に所属中。
IT企業のブログにて、働く女性に向けての記事も書いている。
現在は、プロのライターになるべく勉強中。
エネルギー源は妹と暮らすうさぎさん、バスケットボール、お笑い&落語、映画、苦くなくて甘すぎないカフェモカ。

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2019-06-24 | Posted in 週刊READING LIFE Vol.38

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