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週刊READING LIFE Vol.42

だから私は断捨離トレーナーという仕事を選んだ《 週刊READING LIFE Vol.42「大人のための仕事図鑑」》


記事:丸山ゆり(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

「いっつもお家、きれいにしてはるねぇ」
 
わが家を訪れた人は、必ずそうほめてくれる。
 
物心ついたときから、整理・整頓が勝手にできていた私。
小学生の頃には、子ども部屋を与えられていたが、家じゅうのどの部屋よりもきれいだった。
勉強机の引き出しの中は、おかしの空き箱を使ってパズルのように仕切って文房具を整理していた。
タンスの引き出しの中の洋服も、きちんとたたんでしまっていた。
そのころの私を周りの大人は、「几帳面な子」と良い意味で表現していた。
 
一方、昭和一桁生まれの母は、片づけが全くできない人だった。
どちらかというと、広い敷地の一軒家だったわが家は、応接間も座敷もどこもかしこもモノだらけの状態だった。
趣味が多かった母は、例えば、何か新しいことを始めるたびに、それらの材料をどんどん増やしていったのだった。
とにかく、モノは次々に増えてゆく一方だった。
 
そんな母は、例えば、保管しなくてはいけない大切な書類があると、決まって私に預けたものだ。
だって、私はモノをなくさない子だったから。
 
そんな私も、高校生くらいになると、家のモノの多さに呆れ、母の片づけ下手を見かねて、あるとき、キッチンの引き出しを片づけたのだった。
そこには、お箸やスプーン、フォークなどのカトラリー類が入れてあったが、常にぐちゃぐちゃの状態だった。
元々、仕切りがある引き出しだが、そんなものは完全に無視され、とにかく押し込まれていたのだ。
日々、そんな引き出しを見て、カトラリーを使うことに嫌気がさして、きちんと仕切りに収まるように入れなおしたのだ。
すると、母はとても喜んでくれたのだ。
 
「ああ、やってあげてよかった。これで、この引き出しも使いやすくなるわ」
 
そう思ったのもつかの間、次に母が洗い物を終えて、カトラリーをしまう際には、またガッサ~っとその引き出しに入れたのだ。
その様子を見た私は、無性に腹が立ち、「もう二度と片づけてやるもんか」と思ったのだ。
 
そこから私も成長し、やがて結婚、子どもを育てるようになって、ママ友たちとの付き合いが始まった。
ことあるごとに、ママ友たちの口から、「片づけられないのよね」という言葉が飛び交うのだ。
わが家は娘一人だが、幼い子どもが2人、3人といる家庭では、そりゃあ大変だろうと察することはできた。
なので、ママ友の家に遊びに行くたびに、片づけを手伝うこともしばしばあった。
すると、皆からとても喜ばれたのだ。
 
「ああ、そうか、片づけって簡単なことではないんだな」
そのことが、やっとわかったのだった。
 
母が片づけ下手なのは、特別なことではなく、片づけとはちょっと特殊な技術や才能が必要だったのだ。
例えば、仕切りやカゴを使って、そこにあるモノを使いやすいように収めたり。
Tシャツやセーターも、しわがよることなく、かつ、効率よく引き出しにしまったり。
そういうことは、誰にでも簡単にできることではなかったのだ。
 
そこから、だんだんと私は、整理・収納が上手くできるのは、私の特技だと確信したのだった。
 
当時、ちょうど整理・収納のブームでもあった。
テレビの番組では、整理・収納の先生方が個人のお宅を片づけ、BEFORE AFTERを見せるような内容のものをよくやっていた。
整理・収納好きの私は、そんな先生方が書かれた本も大好きで、よく本屋さんで立ち読みしていたのだった。
 
そんなある日のこと、ふと目の前にあったある本に釘付けになったのだ。
表紙に、黒い文字で「断捨離」と、力強く書かれてある本だった。
 
「だん・しゃ・り……」
思わず小さく声に出して読んでいる私がいた。
確かに書いてある漢字は読めた。
 
「でも、いったい、なんのことだろう?」
 
不思議な感覚に包まれて、その本を思わず手にとったのだ。
 
それが、私と「断捨離」との出会いだった。
 
整理・収納の先生方の本というのは、本屋さんの「趣味と実用」のコーナーに置かれている。
どちらかというと、ゆる~いカンジの本の中に、いかにもがっちりとした字面の「断捨離」という本が、その時の私は違和感を感じた。
 
引き寄せられるように、手にしたその本のページをめくると、そこにあった写真にショックを受けたのだ。
それは、小さなキッチンの引き出しだったのだが、そこには、はらはらとモノが置かれていたのだ。
箸置き、ワインオープナー、茶こしなどが、何の仕切りもしていない引き出しにただ置いてあるだけの写真。
それは、まるで博物館の展示物のように、とても美しく、輝いて見えたのだ。
特に高価なモノでもなさそうなのに、なぜか素敵なのだ。
 
その写真を見た瞬間、私の身体の中では、何かがガラガラと音を立ててくずれていくような感覚に陥った。
しかも、その本の中にかかれてあった文章は、こうだった。
 
「モノをたくさん持っているのが幸せではない。自分にとってお気に入りなモノを側において暮らすのが、ごきげんで幸せ」
 
そう、ずっと片づいた家に住んでいた私だったが、実は家にいることが好きではなかったのだ。
本が読みたくなったら、駅前のカフェへ行って読んで。
新築のマンションに越してきたのに、新居に友だちを呼びたいとも思わなかった。
いつもイライラして子どもを叱ってばかりいたのだ。
 
人からは、いつも家が片づいていることをほめられる自分。
でも、その家の中にいると、いつも落ち着かないでいる自分。
 
このギャップに、心の中ではいつもモヤモヤしていたのだ。
それでも、長い間、なぜか気づかないフリをしている自分がそこにいた。
 
「断捨離」という本に出会い、衝撃的な写真を目にして、私の中には直感の思いが走った。
これまで、モヤモヤしてきた思いが、この「断捨離」をやることで何か解決できるのではないか?
 
そう思った私は、自分なりに「断捨離」というものをやり始めたのだ。
 
それから、この「断捨離」というものを提唱した、やましたひでこという人に会ってみたいと思い、セミナーに申し込んだのが2011年のことだった。
セミナー当日、生で初めて見たやましたひでこは、満面の笑顔で、あの本に書いてあった文章を語ってくれた。
 
「モノがたくさんあるのが幸せではないのよ。自分にとって、必要で、ふさわしく、心地よいモノを側に置いて暮らすのがごきげんな人生よ」
 
「もう、必要でなくて、ふさわしくなくて、心地よくないモノは、出してゆきましょう」
 
その言葉を聞いた瞬間、私の頭に浮かんだのは夫だった。
ずっとぎくしゃくしていた夫婦関係。
そんなところにも、向き合うきっかけをくれたのだ。
 
それでも、断捨離はまずはモノからやってゆく。
そのモノが今の自分にとって、どんな関係にあるかを問い直してゆくのだ。
目の前にある、これまでずっと整理・収納してきたモノを一つずつ引っ張り出して、「今の私にとって、必要?」「今の私にとって、ふさわしい?」「今の私にとって、心地よい?」
 
どれくらい、その問いかけを繰り返しただろうか。
 
例えば、当時の私がせっせと整理・収納していたモノには、もう期間が過ぎた火災保険の証書だったり。
娘を出産したときの助産院のパンフレットだったり。
海外赴任をしていたときの、会社からの資料だったり。
 
「ああ、どれもこれも、今の私にとっては、もう関係が機能していない、不要なモノばかりじゃない」
 
大量にモノを持っていた私は、気が遠くなるくらいモノを通して自分に向き合うこととなったのだ。
そうすると、不思議なことに、これまでうやむやにしてきた様々なことが頭に浮かんできたのだ。
ずっと、決めることができなかった厄介な問題、先送りしてきたことに対しての自分の思いが徐々に明確になってきたのだ。
何度も、自分に問いかける行動が、自分の思いを知ることへとつながったのだ。
 
「今の私はどうしたいのか?」
 
その思いがはっきりとわかってきたのだ。
 
そうして、私は家の中にあった大量のモノも、半分以上は必要でないとわかり、出してゆくことになった。
 
それと同時に、12年間ずっと悩んでいた夫婦の問題を解消することができ、離婚を決めたのだ。
 
「断捨離」は、ただのモノの片づけのように思っていたのが、実はモノを通して自分に向き合うことで、自分の思いに正直になってゆけたのだ。
これまで持ち続けていた、観念や世間の常識にとらわれることなく、自分の思いを活かす行動がとれたのだ。
親や周りの人間からの刷り込みを信じ、さまざまな制限をかけてきたことに気づき、それらも手放すことができることで、気持ちはうんと軽やかになっていったのだ。
 
これまで、整理・収納をして大量のモノを持っていたが、実はそれらは、要るか要らないかを決めることを先送りしていたようなものだったのだ。
なので、自分の人生においても、大切な問題を決めることができなかったのだ。
モノを片づけてゆくにつれて、そんな問題に対しても、自分がどうしたいのか?という思いがはっきりとしていったのだ。
 
「断捨離」をすることで、家が片づくのはもちろんだが、人生を自分の手で変えることができ、私は命を救われた。
 
当時、50歳手前だった私は、ちょうど人生の転機にあったように思うのだ。
周りの同年代の友人たちも、同様だった。
子どもが成長し、自立を始めるような時期で。
元気だった親が、少しずつ体力を落としていくような時期で。
バリバリ働いてきてくれた夫が、健康診断の数値に問題が出始めて。
更年期に差し掛かり、身体的にも精神的にも不安定になり始めて。
 
50歳という年齢は、「まだまだ人生これから!」と思いながらも、実際には様々な問題が一度に起こるような時期でもあったのだ。
友人の中には、体調を崩してしまう人もいて、とても残念で仕方がなかった。
 
そんな時、ぜひ、私自身が人生を変えることができた「断捨離」を通して、自分自身を整えていってくれれば、その人の人生も変えることができるはずだと確信したのだ。
 
ただのモノの片づけと捉えられがちな「断捨離」
モノを通して自分に向き合うことで、実は人生を変えてゆくことができるのだ。
 
そんな私自身の実体験から、今、私は「断捨離トレーナー」という仕事をしている。
 
あの時の私のように、自分ではどうしようもできなかった問題を、かかえている同年代の女性たち。
その人たちに、モノの片づけを通して自分に向き合うことで、問題を一つずつ解決してゆく支援を楽しくやっている。
 
そう、今の私は、もうかつてのなんでもモノを取っておいていた私ではないのだ。
今の私にとって必要なモノをしっかりと選び取る力がついてきている。
 
そんな私は、あの日、手にした「断捨離」の本に書いてあったように、自分にとってお気に入りのモノを側においてごきげんに暮らしている。

 
 
 
 

◻︎ライタープロフィール
丸山ゆり(週刊READING LIFE編集部 ライターズ倶楽部)

関西初のやましたひでこ<公認>断捨離トレーナー。

カルチャーセンター10か所以上、延べ100回以上断捨離講座で講師を務める。
地元の公共団体での断捨離講座、国内外の企業の研修でセミナーを行う。
1963年兵庫県西宮市生まれ。短大卒業後、商社に勤務した後、結婚。ごく普通の主婦として家事に専念している時に、断捨離に出会う。自分とモノとの今の関係性を問う発想に感銘を受けて、断捨離を通して、身近な人から笑顔にしていくことを開始。片づけの苦手な人を片づけ好きにさせるレッスンに定評あり。部屋を片づけるだけでなく、心地よく暮らせて、機能的な収納術を提案している。モットーは、断捨離で「エレガントな女性に」。
2013年1月断捨離提唱者やましたひでこより第1期公認トレーナーと認定される。
整理・収納アドバイザー1級。

 
 
 
 

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2019-07-22 | Posted in 週刊READING LIFE Vol.42

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