週刊READING LIFE Vol.42

ホールスタッフで雇われたはずが、呼びこみメインに変わっていた《 週刊READING LIFE Vol.42「大人のための仕事図鑑」》


記事:うえたゆみ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

「聞きたいことがあるんだが?」
眼の前には、品の良さそうなご夫婦がいた。
「予算これぐらいで、あっさりした食事がしたい」
「当店では、ご要望にお応えできませんね。100m向こうのお店なら、ご希望にぴったりなメニューがありますよ」
「助かったよ。別のお店なのに悪いね」
「お気になさらず、この街を楽しんでくださいね」
「次の機会があったら、寄らせてもらうよ」
そう言い残して、ご夫婦は去っていった。
 
こういう場合、3組の内1組は来店される。長い目で見れば、むりやり自店を勧めるより良い結果が出る。家族や友人などをお連れになり、団体様に変わることも少なくない。手応えを感じる一方で、いつもよぎる疑問があった。店内で注文を受け、料理を運び、食器洗いをしているはずが、なぜ店頭呼びこみをしているのだろう。
 
私の職業経験のほとんどは、営業や接客業などの対人商売である。そして、毎回のように仕事の範囲が広がる。お金の管理や仕入れ、新人教育など「バイトがしていいのか?」と悩むパターンも少なくなかった。その中で最も仕事内容の変更が激しかったのが、焼肉店に勤めていたときだった。
 
求人情報誌にホールスタッフの募集があり、自宅から近く待遇が他よりも良かったので応募した。面接の日に採用が決まり、翌日から働き始めた。はじめの2週間は、店内の仕事ばかりだった。料理や飲物の注文を受け、テーブルに運んで片付ける。そして開店前と閉店後の清掃、それだけだった。
 
ホールスタッフの仕事に慣れた頃、レジの仕事を教わることになった。その焼肉店では、レジは社員が担当だった。だがホールスタッフは仕事を一通りできるように教育するのが、その会社の方針だった。ゆえに仕事を覚えるための数日間だけ、新人がレジに触るのが慣例になっていた。そしてレジ仕事だけだと手が空くので、店頭に出て呼びこみもする、という決まりだった。この数日が、転機だった。
 
初日、忙しかった。すぐに満席になった。2日目も、忙しかった。3日目、主任に呼び出された。「これからはレジ担当をお願いする。呼びこみ頑張って」社員専用の仕事へ、チェンジである。
 
最初は、なんで変更になったのかわからなかった。けれどもアトピー持ちで肌が弱かったので、「手荒れが減りそう、ラッキー」と喜んで引き受けた。疑問は1ヶ月後に解けた。「うえたさんが店前にいると、お客さんが吸い込まれてくる」、仕事仲間から言われた。その瞬間まで、お客さんの数に変化があったなんて、まったく気づいていなかった。その発言を受け、店でのあだ名が『お客さんバキューム』になった。喜んでいいか、悲しんでいいか、反応に困るネーミングである。
 
呼びこみの差が、そんなにあるのだろうか。とても気になったので、周りを観察してみた。勤めていた焼肉店は激戦区にあり、周囲に食事処が30店はあった。しかも8割は焼肉屋である。ほとんどのお店が呼びこみをしており、観察対象は豊富だった。答えは1週間で出た。
 
声がボソボソで、かき消される。
表情がガチガチで、笑顔になってない。
売上優先で、お客さんの希望を聞き流している。
 
これでは、お客さんに逃げられるのも当然である。
 
私は実家が商売をしていたので、呼びかけも表情も出来上がっていた。どんなに不機嫌でも「すいません」の声で、仮面をかぶるように笑顔に自動変更するレベルである。そして、商売の基本は『三方一両得』自分よし、相手よし、周りよし、である。お客さんの要望を尋ねないなんて、想像できない世界である。
 
それに加え、企業の打ち上げにも利用される店舗だったので、毎日ニュースは経済中心にチェックしていた。外国からのお客さんも多かったので、色んな国の「ありがとうございます」を覚えた。常連さんの情報を記すための、メモ用紙も持ち歩いていた。
 
この積み重ねの結果、地域で呼びこみNo.1になった。さらにその後、高卒中途採用で一部上場企業の営業に就職できた。決め手は経済について話せる知識と、呼びこみで身についたアピール力である。その企業の研修で、最低限のビジネスマナーを身につけることができた。
 
仕事が予想通りになることは、まずない。長く勤めるほど、予測範囲外の分野に放り込まれる確率は上がる。トラブルだって、発生する。焼肉店の時は、階段からお客さんが落ちてきて流血騒ぎになった。主任も社員も硬直したので、応急処置から救急車の手配まで仕切った。どう考えても、バイトの権限範囲ではない。だが、仕事とはそんなものだ。解決できる人間に、仕事が回ってくる。その代りに、給料や権限が増える。
 
ライフワークバランスが重要視される時代だ。余分な仕事をするのは損だ、という意見も多い。それは同意する。健康も、仕事以外の生活も大事だ。人生100年と考えれば、仕事を除いた時間のほうが長い。仕事最優先は、自分の首を絞めるだけである。だが、なんでもかんでも断るのはもったいない。後につながるチャンスは、規定外の仕事がきっかけのパターンも少なくない。
 
私がパーティーや会議に参加しても困らないのは、元をたどれば焼肉店で呼び込みを頑張ったのがはじまりである。あの時、約束と違うと断っていたら、今の私はいない。
 
どんな仕事でも、熱意をこめて続けていれば、次に繋がる。これは分野も、雇用形態も、働き方もまったく関係ない。だから今も、私は手を抜かない。それが自分のためだと、確信しているからだ。

 
 
 
 

◻︎ライタープロフィール
うえたゆみ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

1980年 生まれ38歳。
一部上場企業の営業職だったが、体調不良が原因で退社。
現在はフリーで活動中。
食事を忘れても、文章を読むのは忘れない物語好き。
物語とゲームがあれば、3日飯抜きでも苦にならない。
全国高校文化祭、将棋の部女子個人戦でベスト8、
スレイヤーズのカードゲームで西日本大会優勝経験あり。

 
 
 
 
http://tenro-in.com/zemi/86808

 


2019-07-22 | Posted in 週刊READING LIFE Vol.42

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