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週刊READING LIFE vol.43

理不尽があるから、理不尽の実態を知る《 週刊READING LIFE Vol.43「「どん底」があるから、強くなれる」》


記事:高林忠正(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

「あなた、それでも百貨店の社員さん?」
 
異動初日、午前10時の開店直後のことだった。
お客さまが私の目を見据えて言った。
なにがなんだか分からなかった。
言葉が出なかった。身体も動かない。何よりも頭が真っ白の状態。
しかも、まわりの誰もが助けてくれない。
のどがカラカラに乾いていた。
 
入社22年目の春、内勤生活が10年になろうとしてとき、店頭の販売に異動が決まった。
人事異動は、サラリーマンにとって常である。
しかしそのときの辞令は、私にとって人生を左右するようなものになった。
 
当時私は、食品の仕入を担当するゼネラルマネージャーの下で、百貨店全体の売上高集計をはじめ、秘書的な仕事をしていた。
食品の仕入に在籍してはいるものの、食品の販売の経験はゼロ。
その2年前に、食品の仕入に新たな血を導入しようという総務部長の一声で、スポーツ用品のバイヤーだった私に白羽の矢が立ったのである。
 
2年間の間、売上高の集計とともに、強面のゼネラルマネージャーから、「おい、あれどうなった?」と言われるたびに資料を作成する毎日。同時に、来客へのお茶出しなど、食品の仕入にいてもまるでヒューマンリレーションズ部門の担当であった。
 
「日本橋本店 食品部セールスマネージャーを命ず」
店頭での販売の責任者を意味する。
入社したときはアパレルの販売がスタートだった私にとって食品は未経験。
しかも、内勤生活は10年に及ぼうとしていた。
会社として本業は品物を販売することであっても、私自身は安穏としていたといえるかもしれない。
 
接客の経験があったとしても、恥ずかしながらそれは過去のこと。
気づかいに偏差値があるとしたら、新入社員なみ、いやトレーニングがされていないことから、限りなく高くない指数だったといえる。
 
社長から辞令を渡された辞令を手に、新しい職場にあいさつに行った。
日本橋本店の食品の事務所で、食品販売全体を統括するゼネラルマネージャーにあいさつをした。
すでに私の担当は決まっていた。
 
輸入食品の販売である。
内容は、英国製のジャムや、紅茶、OEM生産によるフランスのブランドの惣菜とパン、さらにはティーサロンが2ヶ所だった。
 
品物も初めてなら、仕事も初めて。さらに私が新たにマネジメントする社員は、女性だけで63名。男性社員はゼロ。
前任のマネージャーとの引き継ぎ時間は15分。
それも、「この資料を読んどいてください。なんとかなりますよ」というもの。
質問をしようにも、食品の販売というものが自分のなかにイメージできないのである。
 
仕事の流れや、品物の流通、さらにはどんな仕事にもある要ともいえる業務が分かっているならば、なんとかなるかもしれない。
1年間の仕事の流れ、毎月の歳時記に合わせた販売など、数え上げれば問題が湧いてくる。
人間関係はゼロの環境。担当が誰かも分からない。
したがって、誰に聞いたらよいのかもまったく見当がつかない状態。
 
しかし、業務開始は2日後に迫っていた。
 
そのうえ、それまで担当していた仕事の引き継ぎがあった。
まさにぶっつけ本番で、初日を迎えたのである。
 
午前10時の開店
鏡に映ったアイボリーホワイトの食品販売のジャケット姿は、決して似合っては見えなかった。
 
開店のチャイムとともに、ヨハン・シュトラウスの『美しき青きドナウ』のBGMが流れ始める。
(どうしよう……、でもやるっきゃない)
肚を決めた。いや、肚を決めたつもりでいた。
心地よくない予感がした。それはこれから始まる予想もしないできごとの到来を察していたのかもしれない。
 
3分間のBGMが終了したときだった。
気がつくと40代のご婦人のお客さまが目の前にいた。
 
「ちょいと、あんたんとこの品物ってなんなのよ!!」
 
ボクシングで開始のゴングとともに、いきなりストレートパンチを食らった感じである。
落ち着こうとしても、なんと言っていいか分からない。
ようやく口を開くことができた。
「どうなされました?」
 
従来、ノー天気と言われる私のひとことで、日に油を注いでしまったのかもしれない。
 
「このジャムよ。ジャムをご覧なさいよ」
それは、その日から販売を担当することになった英国製のマーマレードジャムだった。
小売価格は800円。伝統と格式のある品物として古くから有名な品物である。
 
「よぉーく見なさいよ」
 
(よぉーく見ろって言われたって、いったい、なにがあるんだろう?)
 
手渡されたジャムを横から眺めてみた。
(なんだろう?)
 
オレンジ色のジャムに、オレンジの切れ端だろうか。ふつうのジャムである。
 
「要領を得ない人ね!」
ご婦人は、いきなり私の手にあったジャムを取るやいなや、ふたを開けた。
 
そして、なかを見せたのである。
 
すると、なにか細い糸のようなものが見える。
 
(なんだろう。糸かなぁ、それとも細い繊維?)
まっすぐではない。
細くて色は黄色だろうか。軽く波打っているような長さ2センチほどのもの。オレンジ・マーマレードのなかで別の色彩を出している。
 
(これって、もしかして人の髪?)
事実、金髪だった。
 
(うそだろ……)
私は言葉をなくした。
その日から担当している品物の1つ。
英国製のジャムのなかに髪の毛、しかも金髪が入っているという事実。
開店直後であるから、分かっていることは前日までに販売されたということである。
 
「あんたんときは、金髪入のジャムを販売するの?」
 
いくら食品販売未経験だとはいっても、こんなことあってはならないことくらい、素人でも分かる。
 
「総業300年かどうか知らないけど、天下の百貨店ともあろうものが、安全面、衛生面の配慮ってどこにいったの?」
 
ごもっともである。
 
「申し訳ございません。すぐに新しい品物と取替させていただきます」
 
すぐに店頭から新しい品物を持ってきた。
こちらは平身低頭。しかしお許しいただけるわけがなかった。
 
「ふざけんじゃないわよ。もう金輪際、あんたんとこでは買い物しないからね」
どうしてよいか分からなかった。
気づくと、お客さまは立ち去ったあとだった。
 
異物混入。
幸か不幸か、自分の人生で初めてのことだった。
近くにいた女性社員に聞いてみた。
 
「あ、またありましたか」
ごくごく普通の口調だった。
 
(またって、こんなことってよくあるの?)
 
「そうなんですよ。異物混入が多いんですよ」
 
しかも前任者からの説明はなかった。
 
マーマレードジャムをはじめ、ストロベリージャムは紅茶とセットされて、ギフト用のパッケージに収められた定番商品でもある。
 
全国15の店舗だけでなく、通信販売、さらには提携している別の百貨店でも販売する商品。
百貨店全体として特別に販売拡大を図っている品物であるにもかかわらずそんな問題があるとは……。
 
なにより、品物のラベルには、成分とともに、販売元として書かれている住所と連絡先は日本橋本店の私が担当するセクションになっているのである。
 
つまり、表向きその品物の責任の所在は、私の担当する輸入食品コーナーなのである。
その日から毎日のように、異物混入の電話が入ることになった。
東京都内、首都圏、さらには日本全国から。
 
そのたびに、電話口で謝り、足を運ぶことができるところは昼と言わず夜と言わず、品物を持ってお詫びに伺うのである。
ジャムの異物は1ヶ月で、数えたところ36件にのぼった。
1日あたり、1件以上のクレーム。
 
異物は髪の毛ばかりではない。なかにはプラスチック片もあった。
輸入品を仕入れるバイヤーに現実を伝えても改善されるものではない。
輸入相手との契約から、一定数が入ってくる仕組みになっていた。
 
連絡があった異物混入が36件だったとしても、それがすべてではないことは自明の理である。
普通、クレームで連絡するお客さまはクレーム全体の1割から多くて2割と言われている。
 
残りの8割以上のお客さまは、連絡しないばかりか、なにも言わずに立ち去るのみである。
 
食品販売未経験であっても、私は危機感を感じた。
上司を通じて、再三にわたって、異物混入の改善について英国に打診を試みた。
しかし、マーケットではまったく改善がされないまま時間が過ぎていった。
セールスマネージャーでありながら、いつしか異物混入クレーム担当マネージャーと呼ばれるようになっていた。
 
安心、安全をモットーにしながら、その対応の最前線に立ち続けることになったのである。
お客さまにお詫びに伺うたびに言われたフレーズ、それは、「天下の百貨店ともあろうものが」というもの。
いつしか、お詫びのたびに責任を感じた。
「髪の毛が入ったジャム」の電話が入るたびに、自分のせいのように感じるのである。
さすがに6ヶ月経ったとき、週に1回、心理カウンセリングに行くことになった。
 
どうしようもなかった。
毎日が空虚感と、無力感で満たされていた。
出勤すると、「ジャムに髪が」のクレーム。
 
とうとう、出勤するときに身体がなにか声を上げ始めてくるようだった。
 
そんなとき、カウンセラーが一言アドバイスをしてくれたのである。
 
「なにか心に浮かんだことがあったら、紙に書いてみたら」
 
紙に書く?
そんなまどろっこしいことしてて解決できるのかよ
 
最初は相手にしなかった。
 
しかし、いつしか会社支給の手帳にその日のできごとを書き記すようになっていた。
1週間、3週間。
1ヶ月経ったときである。
 
クレームは減らなくても、心が落ち着き始めているのである。
 
2ヶ月経ったとき、まわりが見え始めてきた。
 
異物混入は問題である。
それは、自分の人間性を否定するようなものとは別物である。
 
そうなんだ。
紙に書き始めて、自分の感情を文字にして手帳に書き出すと、そのときの感情も身体から離れることに気づいた。
 
すると私がクレーム対応しているときに、女性社員たちが店頭の販売で売上高を上げてくれていることが見えてきたのである。
単なる手帳に書くだけが、いつしか客観視できるようになってきたのである。
 
さらに2ヶ月後、クレームに対して仕事として対応している自分がいた。
異動1年で、法人営業に異動することになった。
なぜかは分からない。
 
1つ言えることは、輸入食品のコーナーを去って半年後、ジャムの異物混入が私が担当したときの1/10以下に減ったという事実である。
 
私にとっては、輸入食品の販売を担当したときはどん底そのものであった。
光がまったく見えなかった。
しかし、あるべき行動をしていくことの大切さを教えてくれた。

 
 
 
 

◻︎ライタープロフィール
高林忠正(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

ベストメモリーコンシェルジュ。
慶應義塾大学商学部を卒業後、三越に入社。
販売、仕入をはじめ、24年間で14の職務を担当後、社内公募で
法人外商を志望。ノベルティ(おまけ)の企画提案営業により、
その後の4年間で3度の社内MVPを受賞。新入社員時代、
三百年の伝統に培われた「変わらざるもの=まごころの精神」と、
「変わるべきもの=時代の変化に合わせて自らを変革すること」が職業観の根幹となる。

一方で、10年間のブランクの後に店頭の販売に復帰した40代、
「人は言えないことが9割」という認識の下、お客様の観察に活路を見いだす。
現在は、三越の先人から引き継がれる原理原則を基に、接遇を含めた問題解決に当たっている。

 
 
 
 

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2019-07-30 | Posted in 週刊READING LIFE vol.43

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