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週刊READING LIFE vol.51

真夜中に聴く「かてぃん」の音《 週刊READING LIFE Vol.51「大人のための「夜ふかし」カタログ」》


記事:千葉 なお美(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 

あれは、恩田陸の『蜜蜂と遠雷』を読んでいるときだった。作中に出てくる楽曲を聴こうとYouTubeで検索すると、お目当ての楽曲とは別に「おすすめ動画」としてある動画があがってきた。
 
【卒業式ピアノドッキリ】もしもオタクがコンクール全国優勝者だったら。。
 
……胡散臭い。この手のものはあまり得意ではない。ドッキリ系はたいていオチが決まっていて、ある程度結末が予想できてしまうところがある。動画のタイトルには興味をそそられなかったが、クラシック曲を検索したにも関わらず「おすすめ」としてあがってきたこの動画に、どこか引っかかるものがあったのかもしれない。何気なく再生ボタンをクリックした。このワンクリックが、後に私の夜を一変させることになるとは思ってもいなかった。
 
動画は全体で10分程度。ダラダラ過ごせばあっという間にすぎてしまう時間だが、寝床に入って眠りにつくまでの時間としては、貴重な10分だ。つまらないものに割く時間ほどもったいないことはない。しかしそんなこちらの状況はお構いなしに、動画の前半はこの企画の趣旨説明と、ネタバラシをするまでの余興がちんたら続く。
 
「……なんだ、この茶番は」
 
ドッキリ企画を仕掛けられている動画の中の卒業生さながら、それを見ている私もげんなりする。見ているこちらが恥ずかしくなるほどのクオリティーだ。4分ほど経ち、しびれを切らして早送りしようと思ったそのとき、やっとおまちかねのネタバラシに差し掛かった。
 
「4分もつまらない茶番に付き合わされたんだから、それなりのネタバラシなんでしょうね」
 
若干の苛立ちを感じながら、半ば挑戦的な目で動画の続きを待つ。
 
登場したのは、黒ぶち眼鏡にチェックシャツをズボンにインした、いわゆるオタク姿の青年。演技がかったおどおどした様子で、一台のグランドピアノの前に座る。卒業生らは、茶番の後に現れた頼りない青年に、不安を隠せない様子である。依然として会場は不穏な空気のまま、オタクはおもむろにピアノを弾き始める。
 
——と、彼が最初の音を発した瞬間。
一瞬にして目を、いや耳を奪われた。
 
えっ?!
 
動画の中で、会場の空気ががらりと変わったのがわかる。
流れたのは、ベートーヴェンの交響曲第九番。
目を見張り、動画に全神経を集中させる。
 
なに、この音は。
 
その凄まじさは、『蜜蜂と遠雷』の言葉を借りるなら、こんなにも〝ピアノが鳴る〟なんて、という表現そのものだ。青年の指使いが段違いであることはもちろん、驚くべきは音の迫力。子供の頃にピアノを習ったきり、音楽を生業としていない素人の私ですら、「この人はタダモノじゃない」と一瞬で汲みとれる凄みがあった。
 
音の勢いは中弛みすることなく終盤に突入し、大音量で幕を閉じる。彼が鍵盤から手を離した瞬間、わっという歓声とともに、鳴りやまない拍手が飛び交う。
 
会場の興奮冷めやらぬまま、彼は再びピアノに向き直る。
 
続けて流れたのは、新世紀エヴァンゲリオンのテーマ曲『残酷な天使のテーゼ』。導入部の静かなメロディーは、先程とは打って変わって切ない音を響かせる。イントロが終わると、曲調が一変。音の厚みが増し、アップテンポなリズムで一気に加速する。気付くともう一人、オタク姿の青年が彼の隣に座っている。連弾だ。
 
『残酷な天使のテーゼ』は、高橋洋子が歌うアニメの主題歌だ。カラオケのアニソンランキングで常にトップ10入りするほど人気の曲だが、あれをピアノで弾くとなると、心揺さぶられるあの高揚感を表現することは難しいように思える。時に、小説や漫画の原作ファンが実写化された映像を見て落胆することがあるように、表現するツールが変わることで少なからず「オリジナルの劣化」は免れないように思えるのだ。
 
しかし彼らの『残酷な天使のテーゼ』は、その範疇を優に超える。無機質にもなり得る白黒の鍵盤から、歌とは違った臨場感を湧き起こす。特に、中間のアレンジは圧巻だ。聴き手のテンションを最高潮まで引き上げ、エヴァンゲリオンの世界へと誘っていく。
 
すごい。
 
ぐんぐん惹き込まれる演奏に、それまでの苛立ちが吹っ飛ぶどころか、魂を射抜かれた。と同時に、ひとつの疑問が頭をよぎる。
 
何者なんだ、この人は。
 
彼はこの企画の主催者ではないようだった。ゲスト出演した形で、演奏終了後も大して自己紹介もせずに動画から消え去った青年が気になって調べた。
 
彼の名は、角野隼斗(すみのはやと)。
若干20代のピアニストである。
 
彼は2018年の「ピティナ・ピアノコンペティション(以下、PTNA)」で、最上級である「特級」のグランプリに輝いた。PTNAは、例年約4万5千組(予選〜決勝の延べ人数)が参加する、世界的に見ても最大規模を誇るピアノコンクールだ。そのコンクールの頂点「特級グランプリ」に輝いただけでももちろん注目に値するのだが、彼には特筆されるべきもうひとつの経歴があった。
 
彼は、音大出身ではないのだ。
東京大学を卒業後、今も大学院で工学研究をしている、現役東大院生なのである。
 
コンクールに出場するピアニストともなれば、人生の大半を音楽に費やしてきたような、生粋の音楽家たちばかりである。ましてや、PTNAの特級ともなれば、音大出身かもしくは芸術大学のピアノ科専攻というのが当たり前の世界。そんな中、理系の東大院生がグランプリをかっさらったとなれば、業界を賑わすのも無理ないだろう。
 
しかし彼は、大学院生ピアニストという肩書きの他に、さらにもうひとつの顔を持つ。
 
「Cateen(かてぃん)」という名のYou Tuberだ。
 
前述したドッキリ企画とは別に、自身のピアノ演奏動画をYou Tubeにあげており、その総再生回数は、500万回を突破。演奏曲は多岐にわたり、J-POP、洋楽、ゲーム挿入歌、ボーカロイドなど様々だ。それらの楽曲に彼独自のアレンジを加え、自ら作編曲した演奏動画を投稿している。
 
素人の私には難しいことはわからないが、その凄さは動画を見ただけでも一目瞭然だ。動画自体はピアノの鍵盤と手を映しただけのいたってシンプルなものだが、そのシンプルさゆえ、彼のアレンジと演奏技巧がより際立っている。88個の鍵盤を縦横無尽に駆け巡る様は、彼の腕は本当に2本だろうか、心臓あたりからもう1本生えていやしないだろうか、と思うほど異次元の動きである。
 
もちろん、演奏が素晴らしいことは言うまでもない。彼の音は、変幻自在だ。ゲーム「スーパーマリオオデッセイ」の主題歌『Jump Up, Super Star!』では、ビッグバンド特有のグルーヴ感とマリオの効果音が見事に再現されている。一方で、米津玄師の『海の幽霊』では、ものかなしい響きの中に、海の壮大さと水面の波紋、弾ける水の音が聴こえてくる。
 
そして「Cateen」動画最大の魅力は、彼の楽しそうに演奏する姿である。いや、実際には手しか映っていない動画から彼の様子は伺えないはずなのだが、どういうわけか、手から、音から、楽しそうに弾く様子が伝わってくるのである。曲をアレンジする楽しさ、それを演奏する楽しさ、だろうか。本人にしか分かり得ない、もしかすると本人も気づいていないかもしれないこの溢れんばかりの楽しさは、『蜜蜂と遠雷』の「おのれの才能を駆使する喜び」という言葉を想起させる。
 
私は前述のドッキリ動画に始まり「Cateen」に出会ってからというもの、毎晩You Tubeを開いては夜な夜な鍵盤の上を滑る手を眺め、ピアノの音にじっと聴き入っている。何回見ても何回聴いても飽きないほど、彼の音は面白い。寝るのも忘れて音に浸る甘美な夜は、何物にも代えがたい。
 
毎晩聴いているとやはり、「あの音を生で聴きたい」「楽しそうに演奏する姿を生で見たい」という思いが芽生えてくる。
 
先日、運良くチケットを入手できた私は、都内の「光が丘IMAホール」で開催された彼のブランチコンサートに行ってきた。コンサートは二部制で、一部はクラシックの「編曲」に焦点を当てたコンサート、二部はゲームやアニメ音楽を中心とした、親子で楽しめるプログラムだった。
 
結論からいうと、至極の一言だった。
こんなに楽しいピアノコンサートは、生まれてはじめてだった。
演奏の素晴らしさに加え、よく考えられたプログラム構成と、彼の落ち着きつつも気取らないお茶目なMCに、会場は笑いが絶えなかった。
 
二部の途中、観客が開演前に書いたリクエスト曲の中から、いくつかピックアップしてその場で即興演奏をするというコーナーがあった。膨大な紙の束をその場でランダムにめくり最後に引いた紙は、私のリクエスト曲『カントリー・ロード』だった。
 
『カントリー・ロード』を含めた即興演奏は、まさに至福のひとときだった。その場でしか味わえない感動を会場にいる全員でわかちあうような不思議な一体感。一方で、まるで私一人に向けて弾いてくれているかのように届く音。形容しがたい様々な感情が入り乱れて、思わず目が潤んだ。

 

 

 

彼の活動は、一部の人たちからは異端だと思われるのかもしれない。PTNA特級グランプリ受賞者が、クラシックに留まらず、多様なジャンルの曲をアレンジしてはYou Tubeに投稿し、かたやオタクに扮してドッキリ企画に参戦しストリートライブを繰り広げる。様々な意見があって当然だが、もしかすると中には彼の活動に反感を抱く人もいるのかもしれない。
 
それでも彼がYou Tuberとしての活動を続ける理由を、彼は『“東大生ピアニスト”になってから1年』という記事で、こう語っている。(以下、一部抜粋)
 
  
クラシックは、一般には敷居が高いものと見られることが多いと思います。それゆえにポップスなどの音楽に比べて市場は遥かに小さく、クラシックのCDは売れないだとか、コンサートの集客が難しいだとか、よく聞く話です。
クラシックに限らずあらゆるコミュニティは、成熟していくにつれ徐々にレベルが上がっていきます。レベルが上がると、一部の中級者や上級者は、それが意図的でなくとも、初心者が入り込みにくい環境を作り上げます。そうして新規参入者がいなくなってくると、徐々にコミュニティは衰退します。コミュニティのレベルを維持するためには、最先端のレベルを維持する教育システムの整備はもちろん重要です。しかしもっと長いスパンでコミュニティを維持するために必要なのは… 参入障壁を減らして裾野を広げることです。
(中略)
僕はこのYouTubeでの活動に意味があると確信しました。
クラシックの世界には、同じように誰しもが感動できるはずの名曲が沢山あります。そしてそれは恐らく、”敷居が高い”という何となくの理由で敬遠されているだけなのです。ジャンルに捉われる必要なんてなくて、魅せ方を変えるだけで、多くの人にクラシックのような音楽の素晴らしさを知ってもらえるポテンシャルを秘めています。

 
 
彼はまだ20代。恐らく、グランプリ受賞後に目まぐるしく変化した環境に戸惑いながら、様々な葛藤を経たうえで、今でもYou Tuberとしての活動を続けているのだろう。少なくとも私は、その彼の動画に吸い寄せられ、こうして今音楽を楽しんでいる。彼の動画を見るようになってから、クラシック曲も聴くようになった。子供の頃から遠ざかっていたピアノを、聴き手として再び楽しむようになった。将来子供を授かれば、ピアノを習わせるかもしれない。彼の動画から、無限の可能性が広がっている。記事を読んだのはつい最近のことだが、私は知らぬ間に、彼の意図するところを歩んでいたのである。
 
現在大学院生である彼は、これからの生き方でまた悩むことがあるかもしれない。状況が変わってYou Tuberとしての活動を続けられなくなるかもしれない。しかし、すでにある「Cateen」の動画は、よっぽどのことがない限り消えることはないだろう。私はそのことに歓びを感じながら、動画を眺める。
 
彼の音を聴きながら、思う。
また、コンサートに行こう。
 
その日を心待ちにしながら、私は今宵も「Cateen」の音に耳を傾け、夜を明かすのである。

 
 
 
 
【引用】

角野隼斗『”東大生ピアニスト” になってから1年』
2019年8月30日更新(最終閲覧日:2019年9月30日)

https://note.mu/880hz/n/n8a72ae6e17cb
 
【You Tube】

動画投稿者:POCKET WIZ【ポケットウィズ】
【卒業式ピアノドッキリ】もしもオタクがコンクール全国優勝者だったら。。(♪残酷な天使のテーゼ/piano performance in Graduation Ceremony)祝!新元号 令和
2019年4月1日更新(最終閲覧日:2019年9月30日)

https://www.youtube.com/watch?v=uo8t33NYRKM
 

◻︎ライタープロフィール
千葉 なお美(READING LIFE公認ライター)

青森県出身。都内でOLとして働く傍ら、2019年6月より天狼院書店ライターズ倶楽部に参加。同年9月よりREADING LIFE公認ライターとなる。
趣味は人間観察と舞台鑑賞、雑誌『an・an』SEX特集の表紙予想。
天狼院メディアグランプリ29th Season 総合優勝。週間1位複数回。

 
 
 
 

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2019-09-30 | Posted in 週刊READING LIFE vol.51

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