週刊READING LIFE vol.52

「どこかの誰かを」《 週刊READING LIFE Vol.52「生産性アップ大作戦!」》


記事:青木文子(天狼院公認ライター)
 
 

「まいったなぁ」
 
思わず口からでたつぶやきだった。営業先から営業先へ行く間の短い時間。公園のベンチに腰掛けて手にしたコンビニのコーヒーを一口飲んだ。
 
ここのところ上司から「お前の仕事の密度が低すぎる」と散々に言われていたところだった。
 
今日の営業先の反応を報告したらなんと言われるだろう。そう考えると、次への営業先に真っ直ぐに足が向かなくなっていた。
 
「どうした兄ちゃん」
 
突然、だみ声がした。
 
びっくりして横をみた。すこし離れたベンチにおじさんが座っていた。持ち物をみてホームレスであろうことがわかった。よく見れば大きい荷物。擦り切れたズボンの膝。普通なら無視していただろう。
 
しかし、この人の声の張りや、こちらをみた眼の光にはなにか無視できないものがあった。
 
「いや、どうせ生産性が低いんですよ、僕は」
 
思わず昨日上司から言われた言葉が口からこぼれた。
 
「生産性だぁ?」
「生産性ってなんだよ、言ってみろよ」
 
酔っ払っているわけでもないのに、おじさんが絡んできた。言葉には粗雑さだけでない何かが含まれていた。
 
「え、生産性っていったら生産性ですよ」
 
すこしムッとして答えた。
 
「営業先から帰ってきて報告書を書くのにも時間がかかる、そもそも営業先に資料をもっていっても成果がでない。ついつい残業続きになる」
 
「けっきょく、やってもやっても終わらない仕事と、関係各所の調整とそれに時間がかかって仕方がない。そしてその能力がない僕は生産性が低いってことですよ」
 
一息でいってから、ちょっと息をついた
 
「お前の生産性の低さはちょっと考えたほうがいいぞって、いつも言われていて」
 
そこまで口にして、急に感情がこみ上げてきた。
あ、自分は悔しかったんだ、思わずうつむいた。いつも営業の同期連中と比べられていた。やりたくて入った仕事だったし、会社だった。でも3年のうちにそんなやる気はとうの昔に擦り切れていた。
 
すこし目頭がシパシパした。目を落とすと、自分の足もとを歩く蟻がいた。蟻は行列になっていた足の横を通り、ベンチの下を通って、後ろの茂みに続いていた。
 
「そうか、兄ちゃんも大変なんだな」
 
おじさんの声にちいさなやさしさが混じっていた。
 
「生産性なんて簡単だ」
 
知らない間におじさんがこちらのベンチの横に座り直していた。
 
「生産性なんて、余分なことをやめればいいだけだ」
 
おじさんは空を眺めていた。
 
「おれは昔、そんな仕事をしていたからな」
 
「大事なのは、誰が、誰のために、なぜそれをするのか、だけだ」
 
思わずおじさんの横顔をみた。
 
「それを決めたら、それに関係ないことは全部やめればいい」
 
そうはいっても、と思わず声にでた。
 
おじさんの家、というか居場所はここから少し行った橋の下らしい。確かにそのあたりにいわゆるダンボールハウスが並んでいたのをみたことがある。
聞けばおじさんは誰もが知っている有名国立大学を出ていた。これまた有名な某コンサルティング会社にいたらしい。もちろん嘘かもしれない。ちょっと頭がおかしい人かもしれない。でも淡々と語るおじさんの声はそうだと思わせるだけの響きがあった。
 
「だいたい、おまえはそれを決めてるのか?」
 
「それってなんですか?」
 
「誰が、誰のために、なぜそれをするのか、だ」
 
そんなの当然じゃないですか、といいかけて、考えてみた。
ハタと気がついた。確かに今から行く営業先の仕事、誰が、誰のために、なぜそれをするのか。明確に答えられない自分がいた。
 
「世の中は余分なことが多すぎるんだよ」
 
小さな声でおじさんが言ったのが、耳に聞こえてきた。
 
「そのうちに兄ちゃんが仕事で、誰が、誰のために、なぜそれをするのか、が見えてくるかもしれん」
「それも見えてこんかもしれん。まあ、若者、今はもがけ」
 
おじさんがこちらをみた。目があった。こちらの目に浮かんでいる「?」を感じたのだろう。おじさんが言った。
 
「おれはおれで最大の生産性をあげるために今こうしてるよ」
 
面食らった。仕事の話をしているのに、なぜホームレスの人生の話になるのだろう。
 
「おれが、おれのために、なぜこうしているかには理由があるからだ」
 
それに関係しないことを全部やめたらこうなったというんですか? それにしてはあまりにもやめたことが多すぎるんじゃないですか? それが今のホームレスってことですか?
 
それは聞けなかった。その質問がなんだか愚問に思えたからだった。
 
そろそろ次の営業先にいかなくてはいけない時間だった。立ち上がった。最後にどうしても聞きたいことがあった。ふりむいた。どうしても聞いておこうと思った。
 
思い切って口を開いた。
 
「あの、そもそも仕事ってなんですかね?」
 
また空を見上げていたおじさんがこちらをみた。
 
「あぁん? 仕事か?」
 
また急にめんどくさそうにおじさんは答えた。
 
それに構わず、うなずいた。
 
「簡単だよ。どこかの誰かを幸せにすることだ」
 
公園を後にした。いつまでもおじさんの言葉が、頭の中で繰り返し響いていた。
それは自分がこの仕事をしたいと思ったときの気持ちになにか通じているようだった。
 
「それは例えば自分自身かもしれん、他の誰かかもしれん」
「でもな、それ抜きに仕事なんてものは意味がないんだよ」
 
営業先の玄関に来た。
 
自分に問いかけてみた。
 
「誰が、誰のために、なぜそれをするのだろう」
 
すこし背筋が伸びた気がした。
 
会社の扉をあけた。受付の前に立った。
 
もう一度声が聞こえてきた。
 
「簡単だよ。どこかの誰かを幸せにすることだ」

 
 
 
 

◻︎ライタープロフィール
青木文子(あおきあやこ)(天狼院公認ライター)

愛知県生まれ、岐阜県在住。早稲田大学人間科学部卒業。大学時代は民俗学を専攻。民俗学の学びの中でフィールドワークの基礎を身に付ける。子どもを二人出産してから司法書士試験に挑戦。法学部出身でなく、下の子が0歳の時から4年の受験勉強を経て2008年司法書士試験合格。
人前で話すこと、伝えることが身上。「人が物語を語ること」の可能性を信じている。貫くテーマは「あなたの物語」。
天狼院書店ライティングゼミの受講をきっかけにライターになる。天狼院メディアグランプリ23rd season及び28th season総合優勝。雑誌『READING LIFE』公認ライター、天狼院公認ライター。

 
 
 
 
http://tenro-in.com/zemi/97290

 


2019-10-07 | Posted in 週刊READING LIFE vol.52

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