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週刊READING LIFE vol.54

資格を取ることを目的としてはならぬ《 週刊READING LIFE Vol.54「10年前の自分へ」》


記事:長島綾子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

「資格は取ることが目的ではない。取った後が肝心である」
ということはよく言われている。
私はもう一つ
「資格は取ることが目的ではない。勉強の仕方も肝心である」
ということを、10年前の私にクドクドと説教したい。
 
10年前、私はソムリエの資格を取得した。「日本ソムリエ協会」認定ソムリエである。
「アルコール飲料を提供する飲食サービスを3年以上経験し、試験当日も従事していること」が現在の受験資格であり、当時は5年以上の経験が必要であった。「せっかくCAの仕事をしているんだから、辞めないうちに取っておきたいね」と仲良しの同期とその年に受けることを決めた。「大学入試のときと同じくらい勉強した」と先輩から脅されていた。二人で同じワインスクールに申し込み、全身脱毛をするのと同じくらいの金額を振り込んだ。スクールは春から始まり、夏の終わりから一次試験・二次試験と続く。合否の発表は10月の下旬であった。自身の結婚も決まり生活も変化する時だったので、猛烈に慌ただしい生活がスタートした。
 
仕事も忙しく、その合間を縫っての勉強とスクール通い。いくらワインが好きとはいえ、テイスティングも試験対策である。本当に1分1秒が惜しく、まるで「二宮金次郎」さながら、歩きながら教材を持ってブツブツ唱えながら勉強した。
 
大きな間違いをおかしてしまった。「二宮金次郎」の手に持つ教材である。私は安易な考えから本来持つべき教材でないものだけで勉強してしまったのだ。
 
ソムリエ試験対策は暗記とテイスティングだ。ワインの歴史、ブドウの品種や産地、フランスの有名なシャトーなど、ほとんどがカタカナである。私はカタカナが大の苦手なのだ。大学受験もカタカナがすっと読めず、頭に入らないので日本史を選考した。そんな私にカタカナを覚えさせるとは拷問ではないか。そこで私はワインの歴史の年号やブドウ品種、地名や村名など、すべての記憶ものを「語呂合わせ」で覚えることにした。通っていたワインスクールの講師の方が出している有名な語呂合わせの単語帳があり、記憶のすべてはそれに頼った。つまり、記憶がすべての資格試験に、その語呂合わせだけで臨んでしまったのだ。
 
誤解がないように言っておくと、この本を書かれた先生はワインにたいへん精通されていて、様々なソムリエの大会にも出場して素晴らしい結果を出されている、日本のワイン界において著名な方だ。講座も人気でとても普通に話しかけられるような方ではない。
 
この語呂合わせのインパクトがものすごい。
例をここに挙げてみよう。(かなりお出ししても良いものを厳選した)
 
・ブルゴーニュではシャブリに煮干しマーボーを合わせる(ブルゴーニュ地方の各地区名の覚え方)
・リッチでヴィヴァ!ロマネコンティは大通りで用を足す(ヴォーヌロマネ村の特級クラスの畑の覚え方)
・一人よがりのルックスで、フラれてポイされ、スイーツ食べた。(国民一人あたり年間ワイン消費量順位 一位ルクセンブルク・二位フランス・三位ポルトガル・四位イタリア・五位スイス)
 
そしてイラストがまたものすごいインパクトなのである。
 
この単語帳は本来、ワインスクールでもらうテキストや試験を申し込むと購入できる「日本ソムリエ協会」が発行する「教本」という分厚い本をメインで勉強する傍ら、記憶するために補助的に使うものなのだ。だが私は甘かった。重教本を持ち歩くことを煩わしいと感じ、手軽に覚えたいというズルさから、語呂合わせだけで試験対策をしてしまったのだ。
 
当然、私が覚えているのは語呂合わせだけ、その語呂が文字として出てくれば、ひも付けて思い出すことができるが、自身の口からシャトー名や村名、何級のワインであるかなど全く言うことができなかった。結果として、現在の私はフランスボルドー地方で第1級の称号を与えられた「五大シャトー」さえ出てこないばかりか、咄嗟に「あれ、三大シャトーだっけ」などと言いだす始末である。どうしようもない。
 
ワインの複雑な香りやふくよかな風味を思い出すでもなく、ただ思い出すのはただこの語呂合わせとおかしなイラストだけなのだ。
 
そんな調子でただ覚えただけの一次試験もひどいが、二次試験もひどかった。現在は一次試験で筆記試験、二次試験でテイスティングと論述試験、三次試験でサービス実技を行うようであるが、10年前は
一次試験は筆記テストであり、二次試験はテイスティングとサービス実技であった。テイスティングはワインが三種類グラスに用意され、それぞれを口に含んで品種を当てるもの。また、もう一つのグラスにはワイン以外のお酒が入っており、それを口に含みなんのお酒か当てるというものだ。サービス実技は実際に仕事でサービスするユニフォームを着用したうえで、試験監督をお客様としサービスする。
 
このテイスティングで、私は三種類すべての品種を外した。ワイン以外のお酒はポートワインで、それだけはかろうじて当たったのだが、それ以外の赤も白も、三つのグラスすべての品種を外したのだ。かなりテイスティングと称しワインを試飲したにも関わらず。
 
それでもなんとか手にしたソムリエバッチ。当時はやっと勉強から解放され、バッチも手にできた喜びで浮かれ遊んだ。浮かれるたびに語呂合わせでしか覚えていないワインの浅い知識はボロボロとこぼれ落ちた。なんの意味もなかった。
今となっては五大シャトーすら満足に言えない私。ソムリエバッチを持っていても、恥ずかしくて資格欄にすら記入できない。もう一度教本を見ながら学びなおさねばならない。おまけに10年前と今とでは、ワインの様子も様変わりしてまたゼロから覚え直しである。テイスティングを三種すべて間違え、安ワインしか普段飲まない私の舌は、もはやなんの価値もない。
 
資格は取ることだけを目標にしても全く意味がない。ましてや半年以上の時間を費やし、全身脱毛ができるくらいの大金をはたいて出した一生物の資格である。資格を取得してからソムリエやワインスクールでの講師といった道も開けたかもしれないであろうに、こんなことでは資格を持っていることを書くことさえはばかられる。
 
資格といえばもう一つ、社会人になってから運転免許を取得した。当時、まだ未婚だった私はマニュアルとオートマチックで迷う際、「農家に嫁に行ってトラック運転するかもしれないよ」と姉にそそのかされ、バカ真面目に「マニュアル」を選択した。坂道発進でつまずき、教習所のシステムを理解していない私は、回数を受講したのにハンコが押されていないことに気づかなかった。そしてどんどん講義が追加されることに憤慨した。やっとのことでマニュアル免許を取得したくせに、今となっては全く運転しないためエンジンのかけ方すら分からない。しかも夫は農家でも漁師でもない、鉄道会社に勤めるサラリーマンだ。我が家には車も自転車もない。全くの笑い話である。苦労して取ったマニュアル免許も身分証の足しにしかならない。
 
資格は取ればどうにかなる、という考えはあやまちである。資格はそれをどう生かすかが重要だ。それが今後の人生にどう生きるか、どう生かすか。
 
今回の記事を書くにあたり、私の「二宮金次郎」本を本棚から出してみた。開いた途端、あまりの懐かしさとくだらなさに涙がこみ上げた。ああ、10年前の私よ。考えすぎて前に進めないのもいけないが、考えずに安易な方に逃げるのも良くない。かといって、もう一度勉強することもしない現在の私である。
 
 
 
 

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2019-10-21 | Posted in 週刊READING LIFE vol.54

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