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週刊READING LIFE vol.54

それ、全力でやってます?《 週刊READING LIFE Vol.54「10年前の自分へ」》


記事:ギール里映(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 

「まいぺんらい」
 
タイ語で確か、大丈夫、という意味だったと思う。
結局のところ大丈夫なのである。そのときを全力で生きていさえすれば。
 
10年前の私は、今とはまるで別人で、どちらかというとストイックで暗いオンナだった。世の中の全てが敵だとばかりにいつも何かを憎み、毒づいていた。そういうアドレッセンスは普通10代で終わらせているべきものだが、なぜか私はそれをこじらせてしまったようだ。
 
37歳、無職、バツイチ、独身。28歳のときに結婚した夫が実は精神を病んでいたことが発覚して離婚、その後程なくして家族の病気や死、リストラが相次ぎ、オンナ1人で生きるんだと息巻いていたものの、なかなか仕事が思うようにいかず、なんとなく生きていた。仕事もないのにどうやって食べていたのか今となっては不明だが、もともと無駄遣いをしない性格だから、食いつなぐだけの貯金は少なからずあったのだろう。
 
確か、ヒモノオンナ、とか言うんじゃなかったっけ?
再婚する気は全くなかったし、はやりの婚活やコンパなどには一切参加もせず、この先どうしたらいいのかという不安をうっすら感じながらも、じゃあどうすればいいの、という具体的な案は何も思い浮かばない。何もしない時間が、ただ流れていった。
 
そんな頃、今の夫と知り合った。たまたまカフェで隣り合わせたときに会話が始まったのをきっかけに、気づいたら翌週は築地でお寿司を食べることになっていた。初めて会った人だったにもかかわらず、しかも、いわゆるナンパである。もう少し警戒すべきなんだろうけれど、なぜか不思議な、心地良さがあったのだ。この人には何でも話せるような気がする、という、承認されている感覚とでもいうのだろうか。とにかくなぜか、安心するのである。
 
自然な流れで、お付き合いすることになった。なんでも気負わず話し合える関係は心地よく、この人とだったらまた家族を持つことを考えてもいいかな、と思えるぐらい、少しずつ心がほぐれていった。素直に花火に感動したり、寿司を美味しそうに食べたり、家族の話をしてくれたり、そんな他愛ない普通の会話から「この人は、私のことを認めてくれている」と、初めて感じることができたのである。
 
2人の幸せな交際が始まった。2人でいろんなところに旅行したり、食事したり、遊びにいったり、どのカップルでもそうだと思うが、付き合い始めての最初の1,2年は最高に楽しい。私たちももれなく、最高に楽しい時間を過ごしていたのである。
 
そんな生活に陰りが出始めたのは、2人で子どもを作ろうと決めた時だった。
結婚するよりも前に子どもの話?とツッコみたいのは山々だと思うが、そこはこの際無視してほしい。私たちは子どもが欲しいねということで意見が一致した。
 
しかし、なかなか子どもが出来る様子がない。産婦人科で調べてみたら、なかなか子どもが出来づらいカラダであるということで、早速不妊治療を開始した。妊娠を促進するための排卵誘発剤を飲んだり、タイミング法を試したりと治療をすすめる傍ら、たくさんの検査をして原因を探求していった。するべき検査は全て行ったものの、私も彼も、どこにも悪いところが見つからなかった。「全く問題ありませんね」とお医者さんに言われるものの、何をやってもまったく妊娠しない日が続き、治療は行き詰まっていった。
そうしてある日医者に言われた言葉は、
 
「これ以上、できることがありません」
 
だった。
申し訳無さそうなわけでもなく、ただただ淡々と言われた言葉は、私をどん底に突き落とした。
 
もしかして、一生子どもが持てないということ? 医学ではもう、どうにもならないの?
 
怒りや悲しみや、憤りが入り混じった複雑な感情で、一度彼と出会ってほぐれていた私のココロは、また頑ななアドレッセンスに逆戻りしてしまった。
 
やっぱり、だめなのか。幸せにはなれないのか。人生ってこういうものなのか。
考えて、悩んだ。悩んで悩んで悩んだ結果、私が決めたことは、「とことんまで、自分で向き合ってやろうじゃないか」だった。医者に何を言われようと、自分のカラダは自分が一番よく知っている。そして自分の人生は自分のものだ。ここで何もせず諦めてしまったら、この先どんな未来が待っているのかと想像したら怖くなった。ならばいまここで、精一杯できることをやりたい、でないと絶対に後で後悔する、そう思ったのである。
 
後悔しない人生を送りたい、というのは、子どものころからの信条だ。
迷って悩んで行動せず、後からやらなかったことに後悔することほど、悔しいことはない。ならば失敗しようと怪我をしようと、とにかく気が済むまでやりきってやるという心意気でここまで生きてきたはずだ。何も失うものはない、だったら死ぬ気でやってみよう。
 
そこから私は、医学に頼らない形で、カラダを改善出来る方法がないかと、学びに学びまくった。東京だけでは飽き足らず、京都やアメリカにまで渡り、とことんまで東洋医学や食養生を学びまくった。もちろん実践もしていった。肉や魚などの動物性のものを食べるのを一切やめて、砂糖やカフェイン、アルコールも摂らない。厳しく処方された食箋にしたがって、ストイックな食事制限に1年半ほど没入した。
 
友達の誘いには一切のらず、家族との会食もすべて別メニューを食べる。「ちょっと食べる?」という誘惑には一切お断りをし、ストイックな食生活を貫いていった。母や姉は、また私がなにかとんでもないことを始めたと呆れた。友人たちも「最近誘いにくくなったよね」と離れていった。私はまた、一人ぼっちになりそうだった。いつもそうなのだ。1人で突っ走るから、周りが呆れて突き放す。子どものころからこれの繰り返しで、友達なんていなかった。自分は1人で生きていけばいいんだと心から信じていたし、そう信じることで自分の感情を押し殺していたことは、この頃の自分は気づいていない。
 
そんなとき、彼、つまり今の夫は、変わらず天真爛漫だった。
 
気持ちが荒れている私といても、いつもの無邪気さはかわらない。毎日ニコニコとテレビでサッカーをみたり、家族や仕事といった普通の話をしてくれる。
 
また不妊治療にも理解を示し、最大限の協力をしてくれた。
毎日自分で注射をする必要があったときは、その役を買って出てくれた。彼に注射の経験は、一切ない。人のカラダに針を突き刺すことなど、医者か看護師かヤク中の人しか慣れてはいないものだ。ときに差しどころが悪くて血が吹き出すこともありはしたが、毎日嫌な顔ひとつせず、注射を打ってくれていた。
 
なかなか進まない治療に、私も彼も疲れてきた頃、とある人から質問をされた。
 
「あなたは、何のために食べているの?」
 
当時ガチガチの食事制限をしていた私は、傍から見たら偏って不自然な食生活だったのだろう。それを見かねた知人が訊いてきたのである。私は、答えられなかった。
 
子どもを作るためにご飯を食べていた私は、この返事がダメなことにはたと気づいてしまったのである。そうか、私は、子どもを作るためにご飯を食べている、わけじゃないよな。では一体人は、なんのために食べるのだろう。
 
活動のエネルギーを作るため?空腹を満たすため?美味しいものを食べたいという欲を満たすため?いろいろと思いついたが、どれも違う。どれもしっくりこないじゃない。私は一体なんのために、こんなストイックな食事をしているのだろう。私はそれで幸せなんだろうか。食べることに振り回されて、周りが見えなくなってしまっていることに、その時初めて気づいたのである。
 
「そうか、わかった。そうだよね。子どもを作ること、それがゴールじゃなかったよね」
 
妊娠は、結婚のようなものだ。決してゴールにはならない、
結婚したい人たちは結婚自体をゴールと勘違いして婚活に勤しみ、いざ結婚できたら「こんなはずじゃなかった」と離婚したりする。結婚自体をゴールにしてしまっているから、そのあとの結婚生活がうまく行かないというカップルを、もう死ぬほどたくさん見てきて知っている。
妊娠も同じだ。決して子どもができればそれで終わり、じゃない。子育てが始まり、新しい生活が始まる。きっと大変なことも多いだろうし、いいことばっかりじゃないはずだ。それでも人が家族を持ちたい、結婚したい、妊娠したいと思うのは、やっぱり、幸せになりたいからなんだよねと、この時初めて腑に落ちた。
 
私は充分幸せだった。
 
妊娠しないとはいえ、カラダ自体は健康だった。大きな病気も怪我もなく、風邪も引くことがないぐらいだ。実家には健康に幸せに暮らす家族がいて、おまけに猫まで飼っている。そしてなにより、彼の存在が大きかった。100%フラットに接してくれるこの人の存在があるだけで、私は充分に幸せだったのに、私はそれに気づいておらず、無いものを埋めようとばかりしていた。しかし本当に大切なことは、有るものを認めて感謝することだったのだ。
 
そのことに気づいた瞬間、まさかの自然妊娠を果たした。
平穏無事で健康な妊婦生活を経て、真夏のある日、深夜3時に息子が生まれた。そこから慣れない育自が始まり、怒涛の生活が始まった。赤ちゃんだった息子は幼児になり、歩きだしたと思ったら次の瞬間には走り出してた。子どもの成長は驚くほど早い。まだまだ子どもだと思っていたらこの頃では、なかなか生意気なことを言うようになってきた。そして息子は今、8歳になった。暗いオンナだった10年前の私は、そのころには考えられなかった生活をしている。
 
だから、大丈夫だと、心から言える。
何も心配することはないって。
10年もあったら、想像もしていなかった世界が目の前にやってくる。
大変に思うこと、ツライなと感じることは、そのときはその感情に支配されてしまうけれど、それでもやっぱり、大丈夫なんだよね。
 
とにかく前さえむいて、愚直に素直に生きることをやめなければ。
 
10年前の私へ。
「よく、がんばったんじゃない? じゃあ、また10年もっとがんばってみようか」
 
きっとまた10年後には、今では考えられないぐらいの幸せが待っているに決まっている。だから、まいぺんらい!

 
 
 
 

◻︎ライタープロフィール
ギール里映 (READING LIFE編集部公認ライター)

食べかた研究家。京都の老舗料亭3代目として生まれ、現在は東京でイギリス人の夫、息子と3人ぐらし。食べることが好き、が仕事になり、現職は食べるトレーニングキッズアカデミー協会の代表を勤める。2019年には書籍「1日5分!子どもの能力を引き出す!最強の食事」、「子どもの才能を引き出す!2ステップレシピ」を出版。


日大芸術学部写真学科卒業
学生時代カメラマンを志すも、サラリーマンになる。
現在は広告会社を経営しているが、
50歳となった今頃、昔の志の燻った火が灯り初め生き方を
改めて模索している。

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2019-10-21 | Posted in 週刊READING LIFE vol.54

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