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週刊READING LIFE vol.57

嘘のない人生なんて、味気ないから《週刊READING LIFE Vol.57 「孤独」》


記事:大杉祐輔(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

「またカズエさんと同じベッドで眠りたい。」私が小学校4年くらいのことだっただろうか、母の携帯のメールをたまたま見てしまい、見つけた言葉だ。あのころは意味がよくわからなかったが、今ならわかる。母は、父以外の言葉と関係を持っていた。でも見なかったことにしたかった。それを見てしまった後に感じた、ざらついたチクチクとした痛みは、今も私の胸にこびりついている。誰にも言えない秘密を胸に秘めたとき、人は孤独になる。文章を書きながら、長らく誰にも言えなかったこの痛みと向き合ってみたい。
私は物心ついたときから、岩手県の盛岡で育った。四方を山に囲まれ、夏は涼しく、冬は真っ白に雪が降り積もる街。家族は4人で、父と母と私に姉が一人。父は乳製品製造関係で勤めるサラリーマンで、母は専業主婦。家族はみんな本好きだったため、土日はだいたい近くの大型書店に行き、みんな思い思いの時間を過ごした。今思えば家族のだんらんは少ないほうだったかもしれないが、私にはそんな時間が宝物だった。
しかし家族みんなで過ごせる時間は長くは続かなかった。ある日、父のワイシャツから見慣れぬ口紅の跡が発見された。母と父の関係はこの日を境に一触即発の状態に突入。父はいつも大仰に構えて堂々としていたが、それを機に強気な姿勢が失われていつも平身低頭。母は父への冷徹な態度を崩さず、いつもイライラしていた。私と姉は、そんな二人を見て行き場のない思いを募らせた。
ある日の夜、我々兄弟が寝静まったころに、居間からピシャリと高い音が響いた。母が父の頬に鋭い平手打ちを食らわせたのだ。いつもは温厚な母が、そのような暴力的な手段に出ることはまずない。私と姉は、ふすまをほんの少しだけ開き、ことの次第を息を飲んで見守っていた。「私を幸せにしてやる、って、あの言葉は嘘だったのね」母の冷たく沈んだ声が、異様な静けさの居間に重たく響く。ああ、この二人の関係改善は見込めないのだな。まだ3年生ぐらいだった私は、幼心に思い事実を受け止めた。軽度の自閉症を持ち感情のコントロールがうまいほうでない姉も、この事態はさすがに騒がずに見守っていた。忘れられない夜だった。
これを機に、二人の夫婦関係は徐々に解消の方向に向かっていく。父が「仕事の関係で単身赴任」することになり、我々家族三人とは別な場所に引っ越すことになった。つまり別居生活である。そのころはそう聞かされていたが、のちに父は我が家から徒歩5~6分の場所にあるアパートに住み始めたことが分かった。まだ小学生だった私と姉には、この事実は重すぎると判断したのだろう。まあまっとうな判断だと思う。
この日から、母と私と姉の3人暮らしが始まった。この生活は、私が小学4年生のころから高校卒業まで続くことになる。両親は、私の大学進学を機に正式に離婚した。それを聞かされたときは、「ああ、やっとか」、と思ったが、なぜか涙が止まらなかった。覚悟はしていたものの、やっぱりちゃんと聞かされると辛いものだ。父は、その後すぐ、離婚のきっかけとなった女性と籍を入れ、知らぬ間に結婚式をあげた。久々に会った父は、晴れやかな顔で、やっと顔に輝きが戻ったな、と私は少し安心した。そのほうがよかったのだろう。
この別居+離婚問題については、私は十分納得ができている。父の再婚相手であるケイコさんと会って、私は感じたのだ。「ああ、父は母カズエよりもこの人のほうがあっている」、と。父はものごとをキッチリ進めたがるタイプで、よく言えば几帳面、悪く言えば神経質。対して母は片付けや整理がうまいほうではなく、父の立てるプランに納得できないことも多い。また、父は仕事人間で家にいないことも多かったが、母は父に家族や自分との時間をとってほしいと常々感じていた。二人にはいろいろな部分で噛み合わない部分が多かった。
対してケイコさんは、父の考えや人間性に対して深い理解を持ち、「立てる」姿勢があった。聡明で気遣いができる、上品な女性だ。父は、母カズエよりもケイコさんと一緒にいるときのほうが顔に輝きがある。のちに父が酔っているときに「ケイコさんのどこがよかったの?」と聞いてみると、「出会った瞬間から『この人だ』と思った」という返事が返ってきた。父の直感は私も正しいと思う。二人には幸せになってほしいと心から思う。
また、この離婚によって起こる様々な問題にも、父は適切なアフターケアをしてくれた。「離婚しても家族は家族」だと私と姉に告げ、いまもそうした言動を貫いている。私は父方・母方の両方の実家に出入りできるし、金銭的な面でも、私の大学の学費まで全額出してくれた。姉は自閉症でこだわりが強い部分があり、最近までケイコさんに会うのも嫌だという考えだったが、姉の意志を尊重して無理に納得させることもなかった。ケイコさんもそんな父の姿勢を理解し、サポート体制をとっている。離婚したとしても、「家族」という関係がフラットな状態になっただけなのだ。この事実は、私をとても勇気づけてくれた。
しかし、ここまでの経緯の中で唯一納得できない部分がある。それが冒頭で述べた、母の浮気疑惑である。母の携帯メールBoxにあったこのメッセージを見てしまったのは、確か両親の別居期間である小学4年生のころだったと思う。「またカズエさんと同じベッドで眠りたい。」携帯ゲームで遊ぼうとして開いた母の携帯電話。見てしまった瞬間、しまったと思った。まだ性に関する知識も浅く、よく理解できない文言。しかし、見てはいけない文章だったことはわかった。私はすぐにメールBoxを閉じ、携帯を寝ている母の枕元に戻した。
このころの母は、デパートの洋服売り場にパートの仕事を持ち、朝から夜遅くまで働いていた。私と姉は学校から帰ると母の作ってくれいた夕飯を温め、食べる。我々が食べ終わって食器を洗っている20~21時ごろ、母が帰ってくる。そのまま次の日の我々の弁当のおかずや夕飯を作り、お風呂に入って夜遅くに寝て、起きたらまた仕事。そんな生活を約10年間繰り返していた。そんな状況でも、母は強く明るく、時に厳しかった。本棚には美輪明宏や江原啓之などのスピリチュアル系の本が増えていった。「オーラの泉」を録画し、エンドレスに見ていた。「千と千尋の神隠し」を見て、「私にも千尋の苦労がわかる」とつぶやき落ち込んでいたときもあった。今考えても、母の苦労には頭が下がる。父からの仕送りもあったはずだが、長い間女手一つで我々兄弟を育ててくれたことに感謝は尽きない。
だから、正直な話、そんな状況で母に寄り添う男が現れたなら、母が一夜の過ちを犯すことも仕方のないことだったと思う。ただ、母からは全くそういった男の匂いも、浮気しているという雰囲気も感じなかった。私の勘が鈍いだけだろうか。だからこそ、このメールの一件が胸に刺さる。私の知らない「母」の一面が、必ずあるのだ。センシティブな問題なので、このことを母に直接聞くことも憚られる。本当かどうか確証がないので、父にも姉にも友達にも相談できない。おそらくこのことを知っているのは、母と私だけだ。誰にもいえない秘密を抱えるというのは、孤独なものだ。見ないようにしていても、時々胸を去来してヒリヒリした痛みを味わう。そんな思いを、あの瞬間から15年間抱えてきた。
しかし、この謎に対して終止符を打とうと決意する瞬間がやってきた。大学を卒業して2年間、新規就農のために農業研修をしていたのだが、研修後に当時お付き合いしていた女性と同棲する運びになったのだ。こうして自分も所帯を持つ一歩手前に来たのなら、一人前の男になるために、親子の関係を改めて見つめなおしたい。「人間関係のトラブルの根底は、親子関係にある」という言葉もある。一人前の社会人になるべく、母に同棲の件を相談しがてら、あの日のメールの件に踏み込む決意をした。
大学を卒業して以来久々に会った母は、一回り小さくなった気がしたが元気そうだった。最近はスピリチュアル方面に拍車がかかり、アカシックレコードについて学ぶセミナーに通い、その方面の能力開発にいそしんでいるらしい。実際にスプーン曲げができるようになったらしく、目の前で見せてくれた。いとも簡単に曲げる彼女を見て、まあ好きなことをやっているようで何よりだなと思った。
いろいろとつもる話をしながら、映画を見たり、母のいきつけの自然派雑貨店などをぶらぶらしたりしたが、帰り際に意を決して聞いてみた。「母さんさ、言いたくなかったら言わなくてもいいんだけど、浮気してたんじゃない?」
母は思わせぶりに言った。「うーん……、好きな人はいたよ。」それ以上はなんだかはぐらかされそうだった。そうか、と言って、私たちはそれぞれの帰路に就いた。
この件が事実なのかどうかは今でもよくわかっていない。真相が明らかになる日が来るのかもまだわからない。でも、それでもいいと思う。嘘のない人生なんて味気ない。誰にも言えない秘密や謎を抱え、孤独を感じているから、人生は味わい深くなる。そんな気がするから。

 
 
 
 

◻︎ライタープロフィール
大杉祐輔(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

1994年生まれ、岩手県出身。2016年に東京農業大学 国際農業開発学科を卒業後、栃木県の農業研修施設で有機農業・平飼い養鶏を学ぶ。2018年4月から、学生時代に10回以上訪問してほれ込んだ、鹿児島県 南大隅町に移住。「地域に学びとワクワクの種をまく」をモットーに、自然養鶏・塾講師・ライターを複業中。

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2019-11-11 | Posted in 週刊READING LIFE vol.57

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