週刊READING LIFE vol.60

鬼軍曹は誰よりも新弟子を見ている《週刊READING LIFE Vol.60 2020年からの「子育て」論》


記事:篁五郎(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

「子育てに正解はない」
 
よく聞く言葉だ。独身で子育て経験がまったくない僕でも聞いたことあるくらいだから、現在子育て真っ只中の方は嫌というほど耳にしているかもしれない。
 
「そんなこと言われたってどれが正解かなんてわからないじゃない」
 
子育て中のお父さんお母さんからそんな声が聞こえてきそうだ。経験がまったくない僕が子育てについて書いたところで説得力は皆無なので、記事を書くにあたってちょっと調べてみたことを紹介してみたい。
 
これは東洋経済に「ハーバードで聞いてみた「できる子の共通点」」という記事に載っていたことだ。子供をハーバードに入学させた親には共通点があるという。それは、単純に努力を惜しまなかったということだ。
 
努力と聞くと、親が頑張って子供を「いい子」「できる子」にするために塾や習い事に通わせて英才教育を施すイメージが沸いてくるが、全く違う。
 
《子どもが5歳になるまでに簡単な数の概念と文字の読み方を教えていた。また、子どもを対等に扱い、子どもの意見を尊重し、何か質問されればよく考えたうえで答えていた。》
 
つまり、子供に積極的に関わり、ビジョンを示し、手助けをしながらどんな力を身に付けてほしいか考えていたという。そこで大切なのは、かつての「自分の夢」を押しつけることなく子供の意見を尊重したそうだ。
 
「そんなこと言われなくてもわかっているよ」
 
そんな声が聞こえてきそうだが、僕はそうは思えない。
 
2018年に高畑充希主演のドラマ「過保護のカホコ」というドラマがある。高畑が演じる主人公の女子大生は、母親がいなければ自分で起きることはもちろん、着る服も選べないという設定だった。ドラマだからオーバーな部分はあるが親が子供に構い過ぎて子供の自主性や成長を奪っているのはないか? と眉をひそめるような出来事は彼方此方で耳にしたことがあるからだ。
 
もう一つ調べてみたのが、子供4人を全員東大に入れた佐藤亮子さんという方がいる。その方の子育ては「3歳までに1人につき、のべ1万冊の読み聞かせをし、のべ1万回童謡を歌って聞かせた」というものだそうだ。そしてうんと自信を持たせて甘やかしたそうだ。そうすることで喜んで自ら学ぶという。
 
精神分析学者のハインツ・コフートの説によると「褒められて育った人間のほうが野心的になるし、ストレス耐性も強くなる」というのがあって、教育で大切なのは叱られる体験や子供ががイヤだなと思うことを徹底して排除することが大切だというのだ。
 
佐藤さんがこれを知っていたかどうかは不明だが、ご自身で「私も子どもたちが6歳になるまではうんと甘やかしたんです。習い事の準備などは全部私がしました。すると先生から、「忘れ物をしなくてえらいね」って褒めてもらえる。それが自信になっていくんですね。」と語っている。自信が付けば、自分は大丈夫という自己肯定感を育むことができるそうだ。
 
子育てに悩むパパ・ママにとっては有り難い話かもしれない。幼いときは褒めに褒めに褒めまくって自信を持たせるといいそうだ。そこで注意をしないといけないのが「子供扱い」をしないことだという。子供は2~3歳くらいから背伸びをしたい願望が生まれてきて何でも自分でやりたがる習性があるらしい。そこで大人に止められてしまうと自信を失ってしまうそうだ。
 
しかし、そうした自信というのは根拠がなく非常に薄っぺらい。ちょっとしたことで簡単に壊れてしまう。「根拠のない自信」を「根拠のある自信」に変えていくのが大切で、そのために早い段階から読み書き、1桁のたし算、九九、そういう基礎学力をしっかりと丁寧に身に付けさせることだという。こうした基礎学力の部分は誰でもやれば身につくものでできない子どもというのはまずいない。しかも、子供は単純作業とか、ものを記憶するとかいうことが好きだという。中には嫌いな子がいるけど、そこは親が工夫をして興味を持つようにしたらいいらしい。
 
先述した佐藤さんの家でも小さい頃から公文式に通わせたそうだが、中々興味を持たないので「これ楽しそうだな」なんて言いながら自分でプリントを解いていたという。もちろん、一回では子供の気を引けないので半年くらい続けて自分から近づいてくるのを待っていたそうだ。
 
「どうしてやらないの?」
 
なんて問い詰めたり、きつく当たってしまうと子供は勉強嫌いになってしまうので待つことが大切だという。
 
好きにさせてやる気スイッチを入れることで子供は自分で学んで努力をしてくれるそうだ。
 
そんな話を調べていたら、とある人物のことを思い出した。それはかつて新日本プロレスで多くの名レスラーを育て上げた山本小鉄だ。
 
名前を聞いてピンと来る人は間違いなく30代後半か40代以上なのは間違いない。山本は昭和のプロレスブームを牽引した一人で、現在フリーアナウンサーの古舘伊知郎と一緒に金曜8時に生放送されていたプロレス中継の解説を担当していた。身体は小さかったがたゆまぬ努力でプロレスラーになる夢を叶えて、新日本プロレス設立後は道場の「鬼コーチ」として若手レスラーを鍛え上げていた。
 
当時の山本には数多くの逸話が残っている。
 
藤原喜明は、あまりの山本の厳しさに「殺してやろう」と決意し、道場の裏庭にある白樺の木に向かって包丁で刺す練習をしていたら、たまたま山本に見つかってしまった。藤原は「殺される」と思ったが、「藤原、その気迫を練習で見せてくれたら俺は嬉しいよ」と言って立ち去ったという。その言葉を聞いた藤原は人を刺す練習をしてた自分が馬鹿馬鹿しくなって道場での練習に打ち込んだ。その後に「関節技の鬼」と呼ばれて、遅咲きながら大輪を咲かせた。
 
現在の総合格闘技の大本を作った前田日明も山本に指導を受けた一人。入門当時の前田を山本は「ヒョロだね。身長はあったけど細くてね。でも目つきはギラギラしていたから鍛えれば必ず伸びると思っていた」と語っている。一方の前田は、中学2年のときに両親が離婚して父親に引き取られたが、育児放棄をされていて大人を信用していない子供だった。
 
そのことを山本が知っていたかどうかは不明だが、入門して二ヶ月経ったら前田の父が腹膜炎で倒れたという。それを山本に伝えると「すぐに帰ってお父さんに会いに行け」と言って前田に札束を持たせて入院先に送り返した。しかも、入院費用もすべて山本が支払ったのだ。前田はそのことに感激をして以来、山本を尊敬し親代わりとして慕ったという。
 
そんな前田を山本も可愛がり、自分の付き人として礼儀や行儀を厳しくしつけていった。前田がデビュー戦を迎えたも若手レスラーが前田を敬遠したので「しょうがない。親分子分でやるか」と自ら名乗り出るほど可愛がっていた。
 
他の若手レスラーにも愛情たっぷりに接し、練習の成果が出れば「腕が太くなったな」「おまえ強くなったな」と励まして選手を鼓舞した。しかも、当時40歳を超えていたにも関わらず若手と同じ練習量をこなし、練習が終われば一緒に食事をとって同じ時を過ごした。
 
新日本プロレスは1990年代になって道場でのコーチ役は元文科大臣の馳浩と現在タレント活動をしている佐々木健介に変わって山本が指導をすることはなくなった。その頃に入門をしたのがスイーツ真壁こと真壁刀義だ。
 
真壁は、高校時代は柔道に打ち込み、大学では学生プロレスを経験して新日本プロレスに入門をした。特にレスリングや柔道の実績はない。先輩だったレスラーにはアマレスで全日本選手権出場やオリンピック出場など錚々たる実績を持つ者ばかり。しかも同期の藤田和之もアマレスからスカウトで入門していた背景もあって真壁はまったく期待をされていなかった。
 
その真壁を待っていたのは厳しいを超えた練習だった。本人曰く「地獄だよね」と語るほどだ。
 
「スクワット500回やって、「お前だけダメだから後500やれ」なんて言われた」
 
そんなのが日常茶飯事。理不尽なしごきを毎日毎日繰り返された。
 
「要するに、辞めさせるために殴ってるわけよ。理不尽な暴力でふるいにかけてるんだよな。殴られて殴られてまた殴られて。その繰り返しでも、お前生き残れんのかよ? だったら認めてやるぜっていう世界だったからさ」
 
真壁は後日こう語っている。誰よりも声を出して練習しても殴られ蹴られ、正しいフォームでスクワットをしても『テメエ何やってんだこの野郎!』と怒鳴られ、練習から外されてしまうのだった。22歳の若者がそんな日々を送れば当然心は壊れてしまう。真壁は道場の裏で毎日泣いていた。
 
その姿を見つけたのが山本小鉄だ。山本は「真壁、どうした?」と声をかける。当時、先輩が新弟子を名前で呼ぶなんてあり得ない世界で大先輩の山本は真壁を名前で呼んだ。そのことが嬉しかったが「いや……ちょっと」と言葉を濁してしまう。
 
「ちょっとじゃねえよ、バカ野郎! 言ってみろ」
 
山本は真壁に強い言葉で問いただす。すると真壁は今までの経緯を話し出した。
 
「誰よりも声を出しているし、正しいフォームでスクワットをしても毎回「やってない」って殴られて、何が正しいかわからないんです」
 
それを聞いた山本は真壁にこんな言葉を送った。
 
「バカ野郎! 誰よりも強くなれ。誰よりも強くなったら、お前に対して誰も文句を言えなくなる」
 
その言葉を聞いた真壁は、今までの考えを改めて理不尽なしごきを受けても食らいついて練習に打ち込んだ。スパーリングでも一番強い相手に飛び込んでいった。最初はひねられていたが徐々に負けないようになり、気がついたら真壁をしごく先輩はいなくなっていた。
 
真壁は山本の言葉に救われたと後に語っている。そんな山本を慕うレスラーは数知れない。2010年に亡くなったが、葬儀には前田日明、真壁刀義はもちろん藤波辰爾、長州力、アニマル浜口氏、武藤敬司、蝶野正洋、船木誠勝、高山善広、鈴木みのる、神取忍など約300人が参列し、弔辞は前田が務めた。
 
鬼軍曹と呼ばれながらも多くのレスラーに慕われ、尊敬された山本小鉄は前田日明にしたように愛情を持って選手に接した。
 
これも子育ての一つの答えではないか?
 
子育てに正解はない。でも、一つだけあるとしたら「愛情」と「子供の姿を見守る」ことではないか? 山本小鉄のレスラー教育をみてそう感じた次第だ。《終わり》

 
 
 
 

◻︎ライタープロフィール
篁五郎(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

初代タイガーマスクをテレビで見て以来プロレスにはまって35年。新日本プロレスを中心に現地観戦も多数。アントニオ猪木や長州力、前田日明の引退試合も現地で目撃。普段もプロレス会場で買ったTシャツを身にまとって港区に仕事で通うほどのファン。現在は、天狼院書店のライダーズ倶楽部で学びつつフリーライターをしている日々を過ごす


2019-12-02 | Posted in 週刊READING LIFE vol.60

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