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週刊READING LIFE vol.67

ヘルプマークで気づいた無言の会話《週刊READING LIFE Vol.67 「世間体」》


記事:なつき(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

私はその存在を知らなかった。でも知ってしまった。それでも私は持とうと思わなかった。頑なに持つことを良しとしなかった。それを持ったら、自分が弱い人間なのではないか、周りからそう見えるのではないかと思った。大変そうに見られるのはちょっと違うと思った。自分はまだ持つべき状態ではない。自分はまだいい方だ。それを持つのは甘えだと思った。そして世間体もあまり良くないのではないかと思ってしまった。
 
そんな私がそれを手にする機会があった。父親がもらってきてくれたのだ。父が取りに行ってくれた。だから取り敢えず、ちょっと見るだけ、そう思っていた。それは赤地に白の十字とハートがデザインされたプレートだった。両面同じ仕様になっていて、鞄に付けられるようにもなっていた。それはヘルプマークだった。ヘルプマークは、見た目にはわからないけれど援助や配慮を必要としている人のために、東京都がつくったマークだ。今や全国に広まりつつある。一部の地下鉄や私鉄の駅やバス、福祉センターや一部の病院でもらうことができる。
 
だから持ちたくない。このプレートをつけて外を歩けば、見た人は一目で私が弱い人間だとわかる。私はあまりきついと思っていることを知られたくない。このプレートをつけなければ、少なくとも一目では弱者だと感づかれなくて済む。私は風を切って大股で歩くのが常だった。それが好きだった。大股でサッサッサッとかっこよく歩く姿に憧れていた。でもこのプレートを持ったら「弱みを持つ人」と見られてしまうのでは。それを私は「世間体が悪い」と感じてしまった。私は普通に見られたい、と思ってしまった。
 
だから見るだけと思っていたのだ。頭ではそう思っていたのに、体は使いたがった。朝の通勤時の混雑がきつくて使いたがった。通勤時は誰もが急いでいる。こんなのつけていると迷惑になる。普通の体力でも気力体力共に削がれる通勤、それにこんなのをつけている人が混じったら邪魔になるだけではないか。頭と体は激論を交わした。そして体が勝った。そして私は使うことへの一歩を踏み出した。
 
「がん、ですね。手術して取って、抗がん剤もしましょう」そう医師から告げられた。幸い命に別状はない部位と種類のものだった。1か月後には入院と手術を行い、手術から2か月後に抗がん剤が始まった。私が受けることになったのは、3週間に1回の点滴治療を約1年。髪が抜けたり、手足の爪が変色や欠けたり、味覚障害などの体にとってダメージの非常に大きいタイプの副作用が出る薬だった。治療中は薬によって血管がもろくなるので荷物は極力持たないこと、医師から注意を受けていた。
 
荷物を持ってはいけないって大げさな、と思っていた。会社に行くにはどうしたって荷物がある。私は力のある方だったのでいつも色々持ち歩いたり、仕事帰りにも重い物を買って帰ったりした。それだけ力があるんだから大丈夫だよ、と軽く考えていた。最初の頃はそれで良かった。点滴を初めて1回目の後は殆ど変わらず日常をこなした。私ってもしかしたら副作用が出ないタイプのラッキーな人なのでは? と思ったりもした。点滴2回目が終わって2週間経った頃だろうか。体に異変が起こった。予告通り髪が抜け、全身を金属針で刺されている様な痺れる痛みが常時現れ始めた。そして、手足のむくみ、爪の変色、味覚障害、次々と現れた。歩くだけでやっとだった。とてもじゃないけど、荷物が持てない。
 
どんどん身軽にしていった。軽い鞄に変え、中に入れるものも必要最低限にした。時にはまっすぐに歩けないこともあった。体中がだるく、気合だけで行動している様な状態が続いた。それまで当たり前に通っていた会社すらもとてつもなく遠く感じた。それに加えた朝の通勤混雑。それが更に会社に行く道のりを困難にした。今まで乗っていた混雑の人の波のリズムに合わせるのがきつくなった。
 
それでも人とはすごいもので、だんだんそんな状態に慣れていった。抗がん剤は回を追うごとに体へのダメージも大きくなる。それでも、痛みの感覚に対する適応力が少しずつできてくるものだ。自分の体の痛みに合わせて状態を見極めて行動ができるようになった。私ってすごい、これなら大丈夫かなと思っていた。
 
そんな時の父からのヘルプマーク。私は結婚していたが、実家は近くにあった。お正月に帰った時に私がげっそりと顔色が悪いのが心配になったらしかった。本当は持ちたくなかったが父の厚意に甘えてみようか、とその時は思えた。渦中にいた私は気づかなかったが、それほどに気力体力ともに疲弊していたのだろう。鞄の見える位置につけることにした。
 
この時私が持っていたのは黒い鞄だった。黒い色に目立つ赤いヘルプマーク。かなり抵抗があったが、鞄を変える気力も無かったのでそのまま使うことにした。
 
一歩外に出る。恥ずかしかった。手でそっとヘルプマークを隠しながら歩く。私は普通の人です、と強調したい気持ちを持ってできるだけ背筋を伸ばして歩く。弱い者を見る目で見ないでください、という気持ちで歩く。それでも常に体がだるく重いのでシャキッと歩けていたかは定かではないが。
 
最初は何も変わらなかった。ところが、持ち始めて1週間経った頃だろうか。気持ちに変化が表れ始めた。何かあった時は助けてください、を意味するヘルプマーク。私はつける前は気丈に振舞っていた。通勤ラッシュにも負けないぞ、という気概を持って行動していた。それが、このマークがあることで、もし万が一何かあっても周りに声を掛けやすくなるという気持ちになってきたのだ。そうして身体中を強張らせて自分を守るように行動していたのが少しずつ解け始め、気持ちにゆとりが生まれた。
 
通勤が少し楽になった。この時も特に私の通勤時の歩く速度は変わっていない。通勤時に速く行動できない邪魔ものになるのが嫌だから無理に周りに合わせようとしていた。周りに溶け込もうとしていた。でも、通勤の波の速度に乗れなければ溶け込むなんて到底無理だ。私はそれを認めたくなかった。それがヘルプマークを持つことで、周りに合わせられない私が一緒に交じってもいいんだということに気がついた。
 
通勤時、正面前方から速足で向かってくる男性がいた。そのまま行けばぶつかる。けれども男性は私のつけているヘルプマークに気づいたようでスッとかわしてくれた。そういったことが何度もあった。そして、電車では席を譲ってもらったこともある。大丈夫な時には遠慮したが、きつい時には甘えさせてもらった。本当にありがたかった。ヘルプマークをつけていなかった時には負けないよう気丈になった。ヘルプマークをつけると自分をガードし過ぎなくて良くなった。一目で伝わるようになったことで相手が動いてくれた。
 
私は勘違いをしていた。相手にヘルプマークを見える位置につけるのは、これ見よがしに労わってね、と伝えているような失礼なことなのではないかと思っていた。そうではない。自分からシグナルを出すことで、相手に自分の状況をわかりやすく伝える手段と言うだけのことだ。これを見た相手が、判断をしやすくするための道具だったんだ。
 
例えば、先ほどの正面前方から向かってくる男性が、かわしてくれた話。私が彼の側だったら、と考えてみる。咄嗟の判断。通常は、①このまま進んでも相手が避けるだろう、②自分から避ける、と二つの選択肢がありそうだ。そこで前から来る相手を見る。相手はヘルプマークをつけている人。避けられないかもしれない。避けるのが大変かもしれない。こちらの都合で言えば、避けてくれるとしても手間取ってお互い待たされるかもしれない。それなら自分が避けよう。そうして、瞬時に②の自分から避ける、を選択できることになる。視覚から入るその情報は、咄嗟の判断を手助けする。ヘルプマークをつけている人はもちろん助かるし、それを見た人も気持ちよく接することができる。
 
これは一種のコミュニケーションなのではないだろうか。ここではヘルプマークから気づいたことを取り上げたが、ヘルプマークに限らず、昨今様々な携帯用マークがあって見かけることも増えた。マタニティマークは一番有名だろう。これも、お腹に赤ちゃんがいるということを自分から示すことで、それを見た人はその情報を得たうえで接することができる。そして最近では、席を譲ります、マークもあると聞く。人は見た目だけでは判断できない。元気そうに見えても実は体調が悪くて席を譲れない人もいるかもしれない。そんな時でも一目でわかる情報をもらうことで無言の会話が行われているのと一緒だ。お互いが気分よくいられる。
 
そういった無言の会話を最近飲食店でも目にする機会が増えた。禁煙店、喫煙可能店の表示だ。私は煙草が全く駄目なので街の飲食店に入る時には勇気がいる。何も表示がないと、勇気を出してお店に入って、お店の人に禁煙店か聞くことが必要になる。それが最近はお店の入り口に禁煙が分かるマークのシールが貼ってあるお店が増えた。喫煙可能店も同様だ。このマークが入口にあることで、お店に入る前に自分が入れるお店か判断できる情報が手に入る。そして、ここでも「私は禁煙店です、入れますよ」といった無言の会話が繰り広げられているのだ。
 
私はこういうものです、と相手に必要な情報を与えることで相手も気持ちよく受け入れたり、遠慮したりの判断が容易にできるようになる。そして、この無言の会話はお互いが気持ちよくいられるので、あったかもしれないトラブルを未然に防いでいる効果もあるだろう。
 
最近は言葉の交わしあいが減ったと言われているが、言葉にしなくても、無言でも、ちゃんと受け継がれている。今、ヘルプマークをつけようか、マタニティマークをつけようか、席を譲りますマークをつけようか、禁煙表示のシールを貼ろうか、などなど悩んでいる方がいたらぜひ胸を張って、つけたり貼ったりしてほしい。これは素晴らしい無言の会話であるのだから。

 
 
 
 

◽︎なつき(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
東京都在住。2018年2月から天狼院のライティング・ゼミに通い始める。更にプロフェッショナル・ゼミを経てライターズ倶楽部に参加。書いた記事への「元気になった」「興味を持った」という声が嬉しくて書き続けている。

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2020-02-03 | Posted in 週刊READING LIFE vol.67

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