週刊READING LIFE vol.91

少女がアイドルになるために必要な、「プロフェッショナルの愛想笑い」とは?《週刊 READING LIFE Vol,91 愛想笑い》


記事:タカシクワハタ(READING LIFE 編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「それじゃあ、社員証の写真撮りますからそこの壁の前に
立ってもらえますか?」
え? 今撮るの?
こういうのって証明写真撮ってくるものじゃないの?
まずいなあ、髪も適当にセットしてきちゃったし、
変なメガネとネクタイをつけてきてしまった。
新しい職場で迎える初日、
緊張の中、簡単な職場の説明と入社書類を渡して
少し気が緩んだところに
予想外のイベントが飛び込んできた。
 
僕は写真を撮られるのが苦手だ。
物心がついた時から
カメラを向けられると泣き叫んでいた。
「写真を撮られると魂を吸い取られると思っていた」
と当時について両親が誰かに話しているのを耳にしたことがあるが、
僕はそんなことを考えたことは一度もない。
ただ、カメラを向けられるのは嫌なことをされるということで
泣き叫ぶものだ、としか言いようが無かった。
その名残か、今でも写真を撮られると緊張してしまう。
 
「ハイ、それじゃ笑ってくださいね」
総務部の社員はそう言いながらカメラを構えた。
その、「笑ってくださいね」が一番苦手なのだ。
「自然に笑ってください」
そう言われるとさらに不自然になる。
目の周りと口の周りの筋肉が
不自然に動き、ほっぺたのあたりが
ピクピクと痙攣する。
その痙攣を止めようとさらに変な力が入る。
そのようにして撮った社員証の写真は
惨憺たるものであった。
笑顔が引きつっているだけではなく
どこか疲れた、慣れない愛想笑いをしている
冴えない男の姿がそこにはあった。
 
そもそも「自然な笑顔」を見せられるのは
赤ん坊かプロかどちらかである。
大人になって自然な笑顔をカメラの前で見せられるのは
それを生業としたプロ以外にあり得ない。
特にそれを得意とする職業は女性アイドルだ。
彼女たちはいわば「愛想笑いのプロフェッショナル」だ。
彼女たちは何千枚、何万枚と写真を撮られている。
その中で再現性のある笑顔を要求されている。
我々一般人とは求められているレベルが違うのだ。
そしてその愛想笑いは大きな力も秘めている。
握手会などで、実際のアイドルを目の前で見ると
想像より遥かにちっちゃくて美しいことに気づく。
そしてそんな小さく美しい生き物が
こちらに愛想笑いをしてくれる。
すると奇跡が起こる。
「残業の連続で疲れた」
「疲れすぎてまたミスした」
「ああもう会社行きたくない」
「自分は何のために生きているのだろう」
例えそのようなどん底のテンションであっても、
彼女らの笑顔を見た瞬間、人生って楽しい!
明日からもお仕事がんばろう!
と思えるようになってしまう。
プロの愛想笑いとはそういうものなのだ。
 
もっとも、アイドルも最初からプロの愛想笑いができるわけではない。
「初めは、何でそんなことできるのかな、って思ってました」
著書の中で、モモコグミカンパニーはそう語っていた。
モモコグミカンパニー、通称モモカンは
BiSH(ビッシュ)という6人組アイドルのメンバーだ。
「可愛らしい洋服を着て、ニコニコ笑って可愛らしい歌を歌わされるのが
自分にはできないと思っていた」
だからBiSHというグループを選んだ、とモモカンは言っている。
確かにBiSHというグループはアイドル界の中で異彩を放っていた。
黒を基調としたコスチューム。
パンクロック風の激しい楽曲。
笑う時には笑うけど、笑いたくない時には笑わない。
アイドルには似つかわしくない言葉遣い。
自らを「楽器を弾かないパンクバンド」というように
「アイドル」という枠から自由でありたいというのが
彼女たちのコンセプトである。
そのような自由さが合っていたのか、
彼女はBiSHのオーディションに合格し
活動を始めるようになった。
「君、バイトとか続かない方でしょ」
オーディションの時、プロデューサーの渡辺淳之介がそういうほど
愛想がないと言われてきたモモカンであったが
BiSHでの活動を続けるうちに自らの変化に気づいてきた
「握手会って一人当たり何秒も話す時間がないじゃないですか、そんな中で
笑顔が感謝の気持ちを表すことに気づいたんです」
アイドルの握手会は、短い場合だと
5秒くらいで終わってしまうこともある。
さらにファンが話す時間も考えると、アイドル側は「ありがとう」も
伝える時間も残されていない。
そのための武器が愛想笑いなのだ。
感謝の言葉を伝えたい。
そのプロとしての仕事を達成するために
自然と身についてのが「愛想笑い」だったのだ。
本来は愛想笑いなどするはずのないモモカンですら、
アイドル活動を続けるうちに身につけてしまう。
「愛想笑い」というのはアイドルとしての免許皆伝の印ではないだろうか。
それにしてもアイドルの「愛想笑い」
誰もが身につけられるものだろうか?
身につくとするならいつだろうか。
それを確認するために、
僕はあるアイドルの無観客ライブを見ることにした。
 
7月26日、東京コットンクラブ。
その日は「ハロプロ研修生公開実力診断テスト」の日であった。
何やらアイドルのライブには似つかわしくない名前のライブ。
これはアップフロントプロモーションという事務所のアイドルブランド
「ハロープロジェクト(以下ハロプロ)」が
年に一度行う恒例のイベントである。
この「公開実力診断テスト」はデビューを目指すレッスン生
「ハロプロ研修生」が1年間のレッスンの成果を見せる発表会だ。
その一方で、この公開実力診断テストで良いパフォーマンスを見せると、
「モーニング娘。」などのハロプロユニットの新メンバーとして
抜擢される場合が多い。
したがって、実力診断テストという名の
実質的なオーディションと言っても良いだろう。
だから、参加する研修生たちはとてつもないプレッシャーに襲われる。
その中でたった一人でパフォーマンスを披露しなければならないのだ。
そして、このイベントの面白いところは、
観客も審査員の一人であるということだ。
僕の一票が彼女たちの人生を左右する。
だから、観客も緊張感に包まれ、
その分彼女たちのプレッシャーもさらに増していくのだ。
 
そのような究極の緊張状態の中、ライブは始まった。
トップバッターは中山夏月姫(なつめ)さん。
曲のイントロがかかると、にこやかな彼女の表情が一変する。
このあたりは研修生と言ってもプロだ。
スイッチの入った彼女は、多少の緊張感を感じさせながらも
堂々としたパフォーマンスを見せた。
それにしても、たいしたものだ。
もちろん、歌の上手い子、ダンスの上手い子から選抜はされている。
とはいえまだレッスン期間は短いのに
みんなしっかりと歌えている。
それだけではない。
みんなしっかりしている。
「なぜこの歌を選んだのですか?」
「どうしてこの衣装にしたのですか?」
パフォーマンスが終わってほっとする間も無く
審査員の先生から矢継ぎ早に質問がなされる。
しかし、研修生はそれに怯むことなく
理路整然と回答をしていく。
まだ中学生になりたての子でも
その辺の就活生顔負けの立派な回答をしている。
ただただ感心するばかりだ。
 
研修生のパフォーマンス披露は
次々と行われていく。
だんだんこちらも目が慣れてきた5人目、
米村さんという子だった。
これはものが違う。
明らかに他の4人と完成度が違う。
歌もダンスも全くわからないど素人の僕でも明らかにわかるほど
パフォーマンスが際立っていた。
そして、何よりも「笑顔」だ。
ここで初めてパフォーマンス中に笑顔を見ることができた。
プロフィールを見ると、研修生になって4年目。
4年目に入るとようやくこの笑顔が出せるようになるのか。
その後も研修生のパフォーマンスが進んでいった。
あえてピンクのフリフリの服で、
ベタなアイドルらしい曲で勝負してきた窪田さん。
ピンヒールで激しいダンスを踊る離れ業をやってのけた為永さん。
目立ったパフォーマンスを示したのは全て「4年目」の子であった。
4年間のレッスンを通じて、ある程度のパフォーマンスができるようになり、
自分のプロデュースまで頭が回るようになるのだろう。
その中できっちりと「笑顔」も抑えてきているのだ。
ただ、何かが違う。
確かに彼女たちのパフォーマンスは素晴らしい。
今すぐデビューしても何とかやっていけるだろう。
それでも。
僕が見てきたアイドルがくれた「愛想笑い」とは何かが違う。
厳しいことを言えば、まだ足りないのだ。
辛いことがあっても、元気と勇気を与えてくれるあの笑顔。
そこまでの力が彼女たちにはない。
本当に申し訳ないけどそんな気がしたのだ。
 
そして、残るは2人。
ここで現れたのはこれまた4年目の石栗奏美さんだ。
「早熟の天才」
そう呼ばれていた石栗さんは早い時期から才能を発揮し、
これまでも2回、審査員賞を取っていた。
しかしながら、これまでデビューの声がかかることがなかった。
特に昨年は、5人の研修生がデビューを勝ち得たにもかかわらず、
なぜか彼女には声がかからなかった。
そんな悔しさを抱えながら、彼女は今日、
どんなパフォーマンスを見せてくれるのだろうか?
彼女が選んだ楽曲はモーニング娘。’20の「リゾナントブルー」だ。
モーニング娘。’20は圧倒的な歌唱力とダンスを見せるグループ。
その彼女たちの楽曲の中でも
難しい部類に入るのが「リゾナントブルー」だ。
この時点で彼女の意気込みが伝わってくる。
ただ、問題はこの曲を歌いこなせるかだ。
楽曲のイントロがなると、彼女の雰囲気が変わる。
驚いた。
パフォーマンスになると魔法がかかったように美しくなる。
石栗奏美という一人の少女が
「アイドル・石栗奏美」へと姿を変えたかのようだ。
そしてそのパフォーマンスも完璧だ。
ただ音程が取れているだけではない、
歌詞を理解した歌唱。
決して広くはない舞台を最大限に使い、
舞台の狭さを感じさせない動き。
どれも他の誰も圧倒している。
そして、パフォーマンスが終わった時、
全てを出し切ったかのような笑顔が出た。
彼女は審査員の質問にも自然な笑顔をたたえながら答えていた。
これだ。
この笑顔が、プロフェッショナルの笑顔だ。
歌、ダンス、それだけではない。
天才と呼ばれ、実績を残してきたプライド
それなのに自分だけが選ばれない悔しさ。
そのために自分に課した厳しいハードル。
アイドルになりたい。
アイドルとしてデビューして
たくさんの人に笑顔になってほしい。
そのために自分に向き合って、
真剣に考え、悩んだ結果がこの笑顔だったのだ。
この笑顔を見た瞬間、僕は石栗さんの最優秀賞を確信した。
事実、彼女は全投票数の4分の1を獲得する圧勝で、
最優秀賞を得たのだった。
 
モモカンも石栗さんも、
最初からこの愛想笑いを身につけていたわけではない。
彼女たちがアイドルを職業とすることを決心してから、
活動を続けていくうちに直面した困難の数。
その数の分だけ悩んだ時間。
その時間の中で出会った人々。
それら全てが時間をかけてじっくりとプロの愛想笑いを作っていくのだ。
そしてその愛想笑いができるようになった瞬間、
「元気を与える」というアイドルとしての役割を
果たすことができるようになるのだ。
今は、新型コロナの影響で、
なかなかアイドルに会いにいくことができない。
でも、この状況が変わった時、
また彼女たちの実力を生で見に行こうと思っている。
そしてその時には
モモカンも、石栗さんも、全てのアイドルも
渾身の愛想笑いを見せてくれるはずだ。
その日が来るのを、僕はずっと楽しみにしている。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
タカシクワハタ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

1975年東京都生まれ。
大学院の研究でA D H Dに出会い、自分がA D H Dであることに気づく。
特技はフェンシング。趣味はアイドルライブ鑑賞と野球・競馬観戦。

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2020-08-10 | Posted in 週刊READING LIFE vol.91

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