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週刊READING LIFE vol,115

「祭りのあと」《週刊READING LIFE vol.115「溜飲が下がる」》

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2021/02/15/公開
記事:久一 清志(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
日曜日の夕方、ふと携帯電話の画面を見た。着信の履歴が写っていた。
会社の上司から……
 
「見なかったことにしょう」
 
私は地域の駅伝大会を終えた直後のことで、達成感にひたっていた。
片づけを済ませて身支度をした後には、打ち上げも待っている。
 
「休みの日に電話を掛けて来るなよ!」
 
ひとり言をつぶやきながら、直ぐにカバンにしまった。
着替えを済ませた後、しばらく、仲間を待っている時間があった。
何気に携帯電話を手にとっていた。
すき間時間ができれば、携帯電話を手に取るいつもの癖だった。
2回目の着信履歴はなかったものの、1回目のそれが気になった。
 
直属の上司にあたる為、翌日に気まずくなるよりはマシだという判断から電話を掛けた。
電話を掛けてきたその理由は、突然の訃報であった。
 
彼とは前日の土曜日も、お互いに元気よく仕事をしていた。
日中は会話をしたし、普段と変わりもなかった。
当日は残業もなく業務を終えて、同僚と一軒立ち寄り、餃子をあてにビールを飲んだで帰宅した。
入浴を済ませて夕食をとった後、2歳の娘に添い寝をしながら、そのまま眠ってしまった。
丑みつ時に、大きないびきによる異変に気づいた妻が救急車を呼んだ。
しかし明け方、帰らぬ人となった。40歳だった。2008年の出来事である。
 
死因は、特発性心室細動とされた。
 
業務の内容は、営業事務による顧客対応で過酷な肉体労働をすることは一切なかった。
リフォーム事業部の責任者であるため、あらゆる顧客の無理難題に対応していた。
長時間労働が目立ち、精神的なゆとりはなくて、大きな負荷が掛かっていたのは確かであった。
彼の家庭は、妻と2歳の娘がいた。妻は看護士をしていて、2ヵ月後に生まれてくる子どもが宿っていた。
とても心優しい男だった。会社想い、家族想いであり、休日は妻と子どもに精一杯の愛情を注いでいたことは、私が一番知っていた。
彼とは、1992年4月に同期で入社した。年齢は2つ年上だった。
当時、同期は3名がいて、仲良く研修を受け、時には、仕事終わりに食事を共にした。
不平不満を言い合える唯一の仲間であった。バブル経済が崩壊した頃、1人が離職したため、2人だけになった。その彼が死んだ。私はひとりになり、心の中にぽっかりと穴が空いた。
 
私は労務管理の担当をしていた。使用者からは、責任者として対応するように命じられた。
大変な仕事であると理解し、彼のこと、ご遺族のことを思って全力で取り組む覚悟をもった。
悲しんでいるご遺族のことを想うと、自然と気持ちは舞い上がった。
 
早速、ご遺族からは業務災害の承認を求められた。
住まいの中で起こった事故であるため、私が業務上の災害として判断できるほど、簡単なものではなかった。
奥さまには、「働きすぎが原因である」と断言されて噛み付かれた。私にはどうすることもできなかった。
私は、彼が結婚した後、奥さまと面識ができた。それだけにつらい思いをすることになった。
同期としての個人の立場と、責任者としての、会社の立場の両面を持つことになったからである。
しかし、奥さまは私以上につらかったことがわかる。窓口が私であったからである。
言いにくくても、言う人は私しかいない。言わざるを得ない状況になることは必然であった。
その後、奥さまは弁護士に依頼をした。
私は相手弁護士からFAXで送られてくる難しい書面と向き合い、対応していくことになった。
 
過労死であるかどうかの判断はいったい誰がするのだろうか?
医師ではなく、労働基準監督署が判断を行うのである。
判断の基準は、労働時間がすべてであった。所定外の労働時間である。
「脳・心臓疾患の労災認定」(厚生労働省)というガイドラインによると、「発症前1ヶ月間におおむね100時間又は発症前2ヶ月ないし6ヶ月にわたって、1ヶ月当たりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合は、業務と発症の関連性が強いと評価できること」と記載されている。
もっというと、労働時間しか見ないと言っても良いだろう。
とにかく、始業と終業の時刻がすべてで、管理方法は何でもよかった。
 
彼の場合も、ガイドラインに則して、発症前の6ヶ月をさかのぼって調査が行われた。
労働基準監督署員は、会社を訪問し、出勤簿と賃金台帳をもとに労働時間と支払状況を精査した。具体的には、労働時間が管理されているか。その通りに正しく賃金が支払われているかが調査の対象になっていた。
6ヶ月のうち、100時間超は4回。80時間超は2回の計6回。認定の理由は、この部分だけで足りていた。
後は何を言っても無駄だった。聴く耳はあっても聴き入れる姿勢は1ミリも感じられなかった。
労働時間だけで「過労死」は認定された。ガイドラインの基準が満たされているから、それ以外は何もなかった。
監督署員により準備された遺族補償給付の請求書に会社の承認が求められて、それに応じた。
労働者災害補償保険。略して、労災保険は使用者にとって強制加入であるため、応じたことで余分なお金の負担はなく、痛くも痒くもなかった。けれども、精査の結果からは未払賃金が見つかった。見解の相違といえば聞こえは良いが、彼は管理者であったため、残業代は支払われていない状態であった。よって、その分は支払わなければいけなかった。ひとり分であったため、この時点では神経質にならずにいられた。
 
労働災害の認定が整った。
ご遺族への未払賃金の支払いを終えて、ここで一旦は、監督署との接点は途切れた。
次に待っていたのは、遺族との問題であった。
彼の年齢と家庭環境から弾きだされた損害賠償の請求である。
ここから奥さまの視点は、私を会社の責任者と位置づけて、敵対関係を持つようになった。
過労死を専門に扱うプロ弁護士を立て、損害賠償請求を打ち立てた。
指一本とまる8つを超える額が請求された。
 
私には敵対意識はなかったが、相手の都合に応じ、顧問契約の弁護士に協力を求めた。
弁護士と仕事をすることは初めてであり、勝手がわからない中で、自然と背中を押された。
主な内容は、弁護士間で、互いの言い分を意見書にまとめて、交わすということであった。
言い分といえば聞こえはいいが、相手を否定し、自己の正義感を主張しあうだけにすぎなかった。
「死人に口なし」である。
真実はわからない。だから根拠は、労働時間だけになりがちなのである。
「長時間労働が過労死につながった」という言い分に対して、
「あいつが勝手にやったこと。こちらから、やってくれなどと頼んではいない」という反論があった。
私は混乱した。
 
「そんな言い方されるの?」
 
使用者が発したそのひと言は、人として疑った。
会社の立場としての自分は薄れ、個人の立場としての自分が濃くなった。
 
対応をしてわかったことがある。
事件は、過去の判例により落としどころは概ね決まってくる。その折り合いをつけるのが弁護士なのである。
本件の場合は、裁判をするか、和解するかのどちらかであった。
時間が掛かるほど、お互いに精神的な苦痛が伴う。
よって企業側は、和解をすることを最善の近道とする。「金で揉み消す」ということである。
年末の気忙しい頃でもあり、私たちは早期の解決を選び、和解金を支払ってその年を終えた。
 
新年を迎え、朝一番に電話がなった。
正直に驚愕した。
裁判所、もしくは、相手弁護士と労働基準監督署はつながっていたのか?
労働基準監督署からであった。
ご遺族との問題が解決した途端に、次は全従業員の調査を求められた。
過労死と未払賃金が見つかった企業には、他の従業員にもいる可能性は高い。
調査の目的は、他にも過重労働はないか。未払賃金はないか。の2点であった。
過去2年分の書類を準備して、調査に応じた。その結果、2点共に見つかり、是正勧告がなされた。
内容は、所定外労働時間を改善し、さらに、2年にさかのぼって未払賃金を計算し、期限までにそれぞれの従業員に支払いを求めるものであった。
 
私は担当者として、真面目に対応した。
膨大な作業ではあったが、パソコンの優れた機能に助けられた。
できあがった資料を使用者に提出した。
「お前は終わった」と言われた。
その資料を作った時点で、「否を認めた」ということになるという意味であった。
 
その場で手渡した資料を奪い取り、破り捨てたい気持ちだった。
もしくは、目の前で火をつけて焼き捨てたいとも思った。
悔しかった。
使用者は「否を認めない」ということから、「未払賃金はなく、支払う必要もない」と言い張った。
彼の未払賃金は支払ったにも関わらずである。資料を作ったこと自体がかんにさわったのだろう。
相変わらずの理不尽さに呆れつつも冷静に「会社を良くしようとして作成した」ということは、はっきりと主張した。
 
私はどうしたらよいのかわからなくなってしまった。
監督官と使用者の間に板ばさみにされた。
私は監督官の是正勧告に応えることが法に従うことだと理解していた。
言われた通りに、全てを鵜呑みにするのはちがうかもしれない。
正しく理解して納得した上での対応が絶対あると信じていた。
一方で私は雇われの身である。
使用者に背けば評価は下がり、窓際に追いやられる弱い立場である。解雇もありえる。
迷い、そして悩んだ。
是正勧告に従い、使用者と喧嘩することもできた。退職することもできた。
また、その逆も有り得た。使用者の言いなりになり、監督官に背くこともできた。
どちらかを選ぶかということで悩んだわけではなかった。選ぶのは自分が信じた方である。
どうすれば、終りが見つかるのかを明確にするために頭を抱えた。しかし、すぐに答えは見つからなかった。
 
悩んだ結果、私がどうにかしようとは、しないことに決めた。
自分の信念だけはブレさせないと心に決めて、担当者として取り次ぎ役に徹することにした。
そして双方とは、戦わないと決めた。どちら側にも立たずに中立を貫くことにした。
そう決めた理由は「人は変えられない」ということを知っているからである。
 
トラブルというものは、当事者間では解決できないということが良くわかった。
できるとすれば、法か権力で抑えつけることしかない。
その為には、解決役が間に入ることが必要なのである。
私は使用者側の立場であるため解決役にはなれない。
こういう時に、人間性はあらわれるものである。私は虫けらでしかなかった。
特に使用者の扱いはそうだった。
しかし、監督官はちがった。話は聞いてくれたし、方向性を示してもくれた。
私がどのように進めば良いかを助言してくれた。
 
私は解決役として再び、顧問弁護士に相談することにした。
年が明けて、3ヶ月の月日が過ぎようとしていた。
弁護士という仕事は、巧みなものであることを再認識させられた。
こういう問題の着地点も良く知っていた。
年度末になると公務員には異動がある。当監督官もその対象者ということだった。
私は「なぜ知っているか」という疑問が湧き出てきた。
しかし、当たり前に内部事情をつかみ「それまでに花を持たせてやればよい」という助言をいただいた。
何のことだか、理解が進まなかった。私が世間知らずなだけだったのか。
監督官は異動で管轄地域を離れる。それまでに本問題を解決すれば、成果につながる。
その為の「花を持たせてやる」ということであった。解決さえすれば、中味はどうでもよかった。
顧問弁護士からの指導により、使用者は未払賃金の計算をした。
私が出した計算結果とは、大きくかけ離れた数字が算出された。
その結果でもって、是正勧告の解決策とした。
事前に監督官には、計算結果の相違は伝えていたものの、労使のトラブルがともなわなければ、それで良いという条件付きで承諾がなされていた。こうして、落としどころに上手く落ちた。
「正直者はバカを見る」
私の苦労は何だったのだろうと正直、腹が立った。
 
未払賃金の問題は、解決することができた。
労使のトラブルもなく、最低限の出費に抑えることができた。監督官は成果をあげ、花をもって栄転していった。
それはそれで良かった。互いに幸せな物語に終わった。
 
その後、社会保険料の追徴。個人労組との論争へと問題は、時系列に連鎖して発展していった。
私は全ての対応にたずさわった。
全て初めて経験することばかりで多くの時間を要した。怖い目にもあった。
彼が死んでから平穏無事で前向きな仕事ができる日がくるまでに約5年の月日を要した。
 
正直に疲れ果てた。
 
長い年月の中で結局、一番つらい思いをしたのは誰だろう?
私ではなかった。なぜなら、私には終わりがあったからだった。
ご遺族の悲しみに、終わりはなかった。
その答えに気がついた時に、自然と全身の力が抜けた。
ご遺族を想い、全力で取り組む覚悟を持って誠心誠意に取り組んだこと。
自分の信念を曲げずに、対応して解決に導いたことで、私の気持ちは白紙に戻った。
祭りのあとに似ている。
責任者として押し付けられたことも、逃げずに挑んだ対応が実力になった。
私にしかできない経験であった。
理不尽に振り回されたことで世間というものも多く学べた。
人間は、よかったことはすぐに忘れる。
厳しかったことやつらかったことは、はっきりと覚えているものである。
つらかったことを乗り越えれば、良かったことに変わる。
やりきった後の脱力感は、私の心にきざみこまれている。
彼の心に届いていたら、最高の喜びである。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
久一清志(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

大阪生まれ。2020年11月ライティング・ゼミ「秋の集中コース」を受講。
継続してREADING LIFE編集部ライターズ倶楽部での受講を決意し勉強中。

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2021-02-15 | Posted in 週刊READING LIFE vol,115

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