週刊READING LIFE vol,115

復讐に燃える6歳の天使《週刊READING LIFE vol.115「溜飲が下がる」》


2021/02/15/公開
記事:秋田梨沙(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
ひざまずくクラスメイトを見ながら、全身を言いようのない快感が駆け巡るのを感じた。足元から沸き上がったそれは、ビリビリと私を這い上がり、天に大きく広げた10本の指の隅々にまで行き渡った。体温が上がり、自然と口元が緩む。魔女のような高笑いが出そうな自分を必死でなだめながら、私は厳かなセリフを吐き出した。
「恵まれた女よ、おめでとう」
2年分の恨みと妬みがスーッと洗い流されていくかのように感じた6歳の冬。演劇発表会でのことである。
 
幼稚園時代の私には、とてつもなく嫌いな女の子がいた。彼女はいわゆるクラスの女王様で、気が強い性格と巧みな演技力でクラスメイトを出し抜き、年中クラスに私が入園した時には、完全にヒエラルキーの頂点に君臨していた。女子の世界は怖い。幼稚園にして、既に無言の階級社会が存在するのだから。当然、途中から入園した新参者は最下層扱いで、彼女からの扱いも酷いものだった。おままごと遊びの配役は「犬」。話すことは許されず、家に見立てたレジャーシートの端っこで、外を向いてじっと座っている係。面白いわけもない。でも、勝手に離脱することも許されない。背中にお母さん役の女王様の声を聞きながら、ただぼんやりと、走り回る男の子たちを眺めていた。
 
「いいなぁ、私も遊びたいなぁ……」
 
私だって、お母さん役がやってみたかった。
でも、そんな事を言おうものなら女王様は激しく責めるだろう。もう仲間にすら入れてもらえないかもしれない。けれど、ただ待っていても私に役が回ってくることは無い。幼い私は考えて考えて、1週間くらい考えて……1つの作戦を思いついた。女王様から奪うことは難しい。ならば、先に取ってしまえばいいのだ。
 
その日は、お弁当を必死にかき込んで、誰よりも早く昼食を終えた。おもちゃスペースには誰もいない。今がチャンスだ。ほくほくとした気持ちでシートのど真ん中に座る。まだ誰もいない。私がお母さん役だ! 菜箸を握っておもちゃの野菜をかき混ぜる。誰が来たって譲らないぞ。だって、早い者勝ちだもの。次に来た子にはお父さん役をやってもらおう。その次の子は子供役。おもちゃのご飯をこしらえながら、家族が増えるのを待った。
 
「ねぇ、代わってよ」
 
突然後ろから、ぎゅっと心臓を鷲掴みにする声がした。もう、誰が来たのかは分かる。予定より早すぎる登場だ。恐る恐る振り返れば、そこにはやっぱり女王様。彼女もかなり急いで食べたのだろう。イライラと腕組みをして、私の横に仁王立ちしている。見下す目が冷たい。
 
「ずっと遊んでたでしょ? 代わってよ」
 
ずいっと押しのけるように座った彼女は、私の返事も待たず、ひったくるように菜箸とお母さん役を私から奪っていた。あまりの強引さに、声も涙も出ない。代わりの役を提案されることもない。そもそも一緒に遊ぶつもりなどないのだ。また、犬役でもやっておけということか。私は呆然と彼女の横顔を見つめていた。視線には気が付いているだろうに、女王様が私に目を向けることは無い。
なんで? なんで、取るの?
気づけば、手のひらにはジットリと汗をかいていた。カーッと頭に血がのぼる。こんなの、絶対におかしい。何か言わなければ、言い返さなければ……。怒りで背中がボッコリと膨らみそうな気がする。感情が強過ぎて、言葉が出てこない。結局、顔を真っ赤にした私は何も言えなかった。何で私は何も言い返せないんだろう。黒い思いを抱えたまま、1年進級した。
 
そしてまた、女王様は同じクラスになった。
 
通う幼稚園ではクリスマスに年長さんの演劇発表会がある。ミッション系の幼稚園だったこともあり、演目は決まって「イエス・キリストの誕生」。年少〜年長すべての保護者も観劇に来る、1年で一番盛り上がるイベントだ。年長さんになると春からこの発表会に向けて気分が盛り上がる。1年前の年中さんで観劇した時に、みな自分の憧れの役を見つけている。それは私も例外ではなくて、劇をみたその晩から母に宣言していた。
 
「私はお星様役やるから!」
 
劇中でみんなを導く星の役だ。星なのでセリフはない。けれど、とても目立つ。1人で客席から入場すると、先端にお星様の飾りをつけたステッキをキラキラと輝かせて歩くのだ。何人も登場するナレーター役とは違って、たった1人しか演じられない人気の役。どうしても勝ち取りたかった私は、配役の日までお父さんとじゃんけんの特訓をして備えたくらいだ。
 
それなのに、待ちに待った役決めの日。なんと私は、熱を出した。当然、幼稚園へは行けない。1年楽しみにしていたのに、参戦すらできないなんて。あんまりだ。熱のせいなのか、悔しさなのか目は涙で一杯だった。お休みの子は、先生が適当に役を割り振ってくれるのだと母が言う。立候補があれば埋まってしまうのだろう。お星様役はおろか、その他大勢のなんでもない役が回ってくるに違いない。やりきれない気持ちが溢れて、もう布団をかぶって寝てやった。
 
ところが、数日後に私を待っていたのは思いがけない役だった。
 
「あなたはガブリエル役です」
 
先生の一言に開いた口が塞がらない。ガブリエルといえば、聖母マリアに受胎告知をする天使だ。劇は例年そのシーンから幕を開ける。つまり私は、劇の冒頭を担う大切な役を任されたということになる。子どもにとっては地味な役だから、単に希望者がいなかったのかもしれない。それでも劇中で1、2を争う長台詞の役でもある。先生が何も考えなかったはずもない。幼心に「任せてくれた」のだろうと思い、誇らしくなった。よし、頑張ろう。素直にそう思った。
 
顔を上げると、壁にはみんなが覚えられるように、台詞と配役が書かれた画用紙が貼られていた。意外な名前と役の組み合わせもあるし、これはピッタリだなというのもあった。念願だったお星様役はピッタリの方で、クラスで一番小さくて可愛らしい子が選ばれていた。残念な気持ちより、納得感が勝った。となると、気になるのは誰がマリア様をやるのかということだ。受胎告知のシーンは、ガブリエルとマリア様しか登場しない。舞台上にたった2人だけ。唯一のパートナーだ。画用紙をさまよって、ピタッとその名を見つけた。
 
太いマジックで書かれた女王様の名前。
 
ショックで思わずしゃがみこんだ。いや、なんとなく予感はしていたのだ。この劇の中でヒロインやプリンセスと呼ばれるものがあるとすれば、これしかない。そんな美味しい役を彼女がみすみす他の子に渡すはずがないのだと。誇らしさで浮上した気持ちも、奈落の底まで突き落とされたような気持ちになった。帰り際、先生から渡された長台詞の紙が、岩のように重い気がした。
 
「やだなぁ……あの子と同じシーンなんて……」
おやつを食べながら、つい母に本音がこぼれた。ガブリエル役を喜んでくれた母にこんなことを言いたくはない。それでも、あの女王様の前で自分が冷静に台詞が言えると思わなかった。それ以前に口が開けるかどうかも怪しい。萎縮して小さな声しか出せないでいる自分が容易に想像できたからだ。
「先生は、できると思ったから任せてくれたんでしょう?」
母は言うが、それでも、もごもごとおやつを頬張りながら文句を言う。いかにこの役が嫌なのか共感して欲しかった。最終的には「あの子は嫌いだ」を連呼していただけだったろう。止まらない愚痴。
 
バンッ!
 
しばらく黙って聞いていた母が急に机を叩いた。
怒られるのか? 叱られるのか? ビクッと肩を上げると、母は言った。
 
「ねぇ、これってつまり、大嫌いなあの子が、あなたの前に喜んでひざまずくわけでしょ?」
 
唐突な一言に一瞬ぽかんとする。
どういうことだ? 喜んで? ひざまずく?
 
「だから、台詞を言っている間、マリア様はガブリエルの前にひざまずいてるんでしょう?」
 
どんな悪役にも負けない悪い顔をした母と目が合う。雷に打たれたような衝撃だった。完全なる悪魔の囁き。そのシーンを想像して、私の中にもフツフツと黒い欲求が生まれた。あの女王様が私の前にひざまずくのだ。長年私を苦しめたあの子が、それも本人から喜んで……。
 
それはなんとも楽しそうではないか!
絶対にこの目で見たい!
この役は絶対誰にも譲らない!
 
真っ黒なモチベーションを得て、私は舞台に立つことに決めた。積年の恨みを晴らすべく、この舞台が用意されたのだ。完璧に台詞を叩き込み、ソファに立ち上がってポージングを研究した。台詞の抑揚から目線の角度まで母の演技指導は厳しい。よそから見て不審に見えるほど悪意をダダ漏れにしてはならない。あくまで、自然に。けれど、私の欲求が満たされるギリギリのラインを追求した。さらに、体調も万全に整えた。この前のように、熱を出しては台無しである。最新の注意を払い、いよいよ発表会の日を迎えた。
 
閉じた幕の裏で、私と女王様の2人が先生に連れられてスタンバイをする。薄暗い舞台の上で、天使の私は1段高いところに上がり、その下にマリア様は座る。いよいよだ、いよいよこの時が来た。緊張とは別の高揚感が私を支配する。
 
しばしの静寂。ブザーが鳴る。幕が上がる。
 
薄暗かった舞台に光が差し、スポットライトが私たちを照らした。大勢の観客の視線が今ここに集中している。広げた両手の先が真っ白に輝いている。足元の女王様に一瞥をくれる。それ以上、見下げることはしない。見てもやらない。ただ厳かに台詞を吐く。
 
「恵まれた女よ、おめでとう」
 
女王様はうっとりとヒロインである自分の姿に酔いしれている。文句も言わない。ただ私を見上げて祈りを捧げている。たまらない瞬間だった。心の深いところから笑いがこみ上げてくる。これまでの2年分の恨みと妬みが光とともにスーッと消えていくのがわかった。この姿をみたら、これからは女王様の前で平気で笑える気がして、今までのことはどうでもいいかな、と思った。女王様とは別々の小学校へ行く。あと3ヶ月くらい、余裕だ。
 
やがてスポットライトは消え、天使の翼からは真っ黒な液体がボタボタと流れ落ちていったのだった。
 
今思い出しても、あの時の囁きに母の狂気を感じずにはいられない。
「みんなと仲良くしましょう」と教わる幼稚園児にあんな事を吹き込むなんて、母親ながらぶっ飛んでるなと思う。ただ私はその「狂気」に救われて、今もたくましく生きている。意外にも、あれからブツブツ誰かを恨む時間は減った。「正しさ」ばかりが人を救うわけじゃないのだろう。
 
ただし、母の教えのせいで、残念ながら私はすっかり性格が悪くなったと思う。
今も階段の下から大嫌いな上司が上ってくるのが見えて、思わずニヤッとする。しばし、その頭頂部を見つめる。あくまで自然に。あぁ、そうそう、この快感。なんて今日はラッキーなのかしら。心の悪魔におやつをあげて、私は今日もにこやかに階段を降りていく。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
秋田梨沙(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

愛知県出身。
2020年8月から天狼院書店のライティング・ゼミ受講。2020年12月よりREADING LIFE編集部ライターズ倶楽部参加。
頑張る誰かの力をそっと抜いてあげられるような文章を書けるようになることが目標。

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2021-02-15 | Posted in 週刊READING LIFE vol,115

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