週刊READING LIFE vol,118

救世主は白いバスに乗ってやって来る《週刊 READING LIFE Vol.118「たまには負けるのもいいもんだ」》


2021/03/09/公開
記事:緒方愛実(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
初春の夜、私はポツンと一人、バスの停留所にいた。そこには、屋根付きの小さなバスの待合所がある。屋根と側面にしか囲いはなく、強い風と雨が横に吹けば、濡れてしまう。私が腰掛けている椅子も、自然にさらされ、もともと白かったはずのボディが灰色にくすんでいる。
 
まるで、今の私の心みたいだな。
 
コートのポケットに手を突っ込んで、私は首をすくませた。昨日は、交通機関が麻痺するほどに、雪が積もった。その雪も、今日にはすべて溶けてしまったけれど、まだそれなりに寒かった。
私は小さく震えながら、濡れたアスファルトを睨んだ。
 
はやく帰りたい。バス、いつ来るんだろう。
 
田舎の停留所は、時間を潰せる場所もなく、ここが唯一の避難所だった。寒くても、ここに留まるしかない。眉間にシワを寄せて、私は、スニーカーのつま先でアスファルトを引っ掻いた。
 
本当なら、もう家に到着しているはずだったのに。
どうして。どうして、こんな目に合わないといけないのか。
 
顔を上げて、暗闇に目を凝らす。バスはおろか、自家用車のランプすら見えなかった。田舎のバスは、運行している本数が極端に少ない。
それは十分にわかっている。
だが、たった先程、信じがたい仕打ちに合った私は、そのショックから抜け出せずにいた。
 
10分ほど前のことだ。
私は、椅子に腰掛けて、かじかんだ指先で、スマートフォンをいじっていた。すると、かすかに、光が見えた。顔を上げると、白色の二本の光が見える。それは、徐々に大きくなる。バスの白い車体が、じんわりと浮かび上がった。
 
お、バス来た!
 
今日は運がいい。自宅近くまで行けるバスが、10分と待たず来た。うまくバスの乗り継ぎができそうだ。
ポケット深くにスマートフォンを突っ込み、私は立ち上がった。
「お待たせしました、◯◯行きでーす」
少しガビガビと割れた、車外アナウンスが響いた。バスの降車口から、男性が降りてくるのを横目に見つつ、私もバスに乗り込もうと近づく。
さて、乗ろうと、乗車口につま先をかけた瞬間だった。
 
ピロンピロン
 
『ドアガシマリマス』
無機質な自動音声が聞こえた。
 
え?
 
バスの扉がガタリと動いた。
迫ってくるドアに驚き、私は片足を離してしまう。
 
バタン
 
私の鼻先で、鉄の扉が閉まる。たまに、ドアの誤作動で、扉が閉まることがある。今回もそうだろう、私は大きな車体を見上げて待った。
だが。
 
ブロロ~ン
 
え!?
 
無情にも、バスはそのまま、発車してしまった。
 
えぇ~~~!?
 
私は、思わず、歩道のぎりぎりの所まで踏み出す。
白い車体が夜の闇に飲み込まれ、赤いテールランプすら見えなくなった。
先程、下車した男性は、迎えの車が来て、去っていった。
停留所に、ポツリ。置き去りにされた、哀れな女が残された。しばらく、バスの行き先を見つめていたけれど、戻ってくるはずもない。
ビュウ、と大きな風に揺らされ、そこでハッとして、また、待合所に慌てて戻った。
 
何で?
 
脱力して、椅子に腰掛ける。
 
私が黒い服を着てたから、気が付かなかったのだろうか。いや、明るい場所から歩いて出てきたのだ、見えないはずがないだろう。
だが、実際に、運転手の目には止まらなかったようだ。
 
え、私、そんなに、存在感ない?
 
実は、これまでに、バスに乗車していたにもかかわらず、運転手さんに知覚されないということが多々あった。私が居眠りしていた時は、仕方がない。だが、ごく普通に、腰をかけていたにもかかわらず、車庫に連れて行かれそうになったことがあるのだ。
 
何なんだ、一体? 私が全部悪いの?
 
額に思わず手を当てる。指先も、額もひんやりとしていた。幾分か、視界がクリアになる。だが、悲壮感でいっぱいだった思考が、変な方向に転がりだした。
 
いや、私、何にも悪くないでしょう?
 
ただ、ごく普通にバスを利用したいだけ。それなのに、私が、気を使う必要があるのか、と。
バスの運転手さんに気がついてもらうために、私は、「ここに居ますよ!」とアピールしなくてはいけないのか。
黒いコートをやめて、白や黄色の交通安全的にも目立つファッションに切り替えなければいけないのか。
バスに乗車したら、キリッとした顔で、目をパッチリ開けて腰掛けていなければいけないのか。
 
おかしい。絶対におかしい!
 
ジリジリと、スニーカーで、アスファルトをこする。
連日の激務と、残業、そして、空腹が私の神経を高ぶらせる。悲しくて凍えていた手足が、汗ばむほどに熱くなった。
私は、ポケットからサッとスマートフォンを取り出した。血走った目で、目当てのサイトを探す。サイト内をさぐり、目当てのページを見つけ、電話をかけようとした瞬間。「本日のお問い合わせ受付は終了しました」の無機質な文字が目に飛び込んできた。
ガクリと、首を折り、スマートフォンを持った手が力なく垂れる。
「クッ、何なんだ、一体。今日は最悪の日だ!」
本来私は温厚な方で。他人に怒りをぶちまけるとか、クレームを言うなんてことはしない。むしろ、そういう荒いことをするのも、している他人を見るのも嫌いだった。
グ~と、腹の虫が鳴いた。
 
私、何してるんだろう。
 
感情のジェットコースターだ。怒りが去ると、また身体が一層冷えた。虚しくて、悲しくてうつむく。
田舎のバスは一時間に1~3本。ここから自宅まで、歩いて帰れる距離ではない。私は、大人しく、身を縮こませて、次のバスを待つことにした。
 
「お待たせしました~、◯◯行きです」
30分後。少し間延びした、穏やかそうなアナウンスが聞こえた。ハッと顔を上げる。鞄を胸に抱えて、急いで、でも慎重に、バスに近づく。恐る恐る、バスの乗車口に足をかける。あの、アナウンスもブザーも鳴らない。ICカードを使い、無事、乗車することができた。
フカリ、腰掛けた椅子はやわらかく、やさしく私を受け止めてくれた。車内は暖房がきいていて、そのあたたかさにジンとした。ホッと、息をつく。胸を撫で下ろした瞬間。何かが脳裏をかすめた。
 
あれ、前にも、こんな風に安らいだ記憶があるぞ?
 
何か、とても大切なことだったはずだ。鞄を抱いたまま、首をひねる。ふと、顔を上げると、運転手さんの後ろ姿がチラリと見える。紺色の制服と帽子、そしてその背中に記憶がぶわりと蘇った。
 
あの日は、今日よりもうんと寒かった。
雪は、数日降り続け、家も、道路も、木々も白く覆い尽くした。雪は膝に届きそうなほど、世界は白と灰色に染まっていた。私は、なんとかバス停までたどり着いた。そこには、大人3人がなんとか入れるほどの、小さな、屋根付きの待合所があった。私は、そこに逃げ込んで、バスを待つことにした。すぐにバスはやって来た。だが、それは、目当ての路線を走るバスではない。これに乗ると寒い中乗り継ぎをしなければならないのだ。
「思ったより、都会の方は積雪が深刻じゃないのかも。いつものバスも来るでしょう」
私は、そう思い、バスを見送った。だが、10分、30分経ってもバスが来ない。スマートフォンを見て知った。先程のバスは、雪の影響で、定刻より1時間以上遅れて到着したバスであることを。
慌てて、待合所を出た。バスはおろか、車も、私以外の人の気配もしない。雪と風が強くなる。待合所の屋根の意味はもはやない。凍てつくブリザードがなだれ込んでくる。ブーツはすでにぐっしょりと濡れていた。もともと体温の低い私は、凍えるばかりだ。
空は、灰色から、より暗く濃くなる。風のゴウゴウとした音しか聞こえない。
ジリジリと、体温と精神が削られていく。足も手も、もう感覚はない。
 
どうして、さっきのバスに乗らなかったんだろう。
どうして、会社を休むと決断できなかったんだろう。
どうして、どうして。
 
後悔しても、もう遅い。わかっていても、頭の中は不安と焦りでいっぱいになる。
 
こんなに、雪がひどいなら、徒歩で20分かかる自宅まで帰るにも、遠すぎる。
 
涙が零れそうになった時だった。
仄暗い道を、白い光が射した。
 
光のやって来た方に目をこらす。灰色の世界に飲まれそうになりながら、白い車体がこちらに走って来る。
 
バスが来た!
 
私は、希望を込めた目で、白い車体が、ブリザードをかき分けてくるのを見守る。
 
あ、違う。
 
バスの上部。行き先が表示された、電光掲示板を見上げ、私は落胆した。
 
「回送」
 
オレンジ色の文字は、私に残酷な事実を告げた。
このバスは、乗客を乗せず、次の目的地に向かうため、バスの営業所に帰る。
まるで、砂漠で、オアシスの幻影を見つけた瀕死の旅人のようだった。一度希望を感じてしまった分、落胆は大きい。かろうじて保っていた心が、ボキリと、根本から落ちて砕けた。
 
あと、どのくらい待てば、私は救われるのだろう。
 
呆然と、バスを見上げる。すると、バスの前方、降車口のドアが開いた。分厚いショート丈のジャンバーを来た、眼鏡のがたいの良い運転手さんが降りてきた。
車体の点検だろうか。雪の日に、大変だな。
ぼんやり見つめていると、彼と目が合う。
「ちょっと、待っとって!」
彼は、ポケットからスマートフォンを取り出した。
吹雪の中、誰かと話している。
「お疲れさん、Aやけど。バス停に、お客さんが待っとるんよ。他のバス来とらんみたいやけん、乗せて良かろう?」
私は、その言葉に目を見開いた。
「うん、うん、そうそう。じゃあ」
運転手さんが通話を切る。そして、私を見て、眼鏡の奥の目をやさしく細める。
 
「乗ってください! 営業所までなら、乗せて行けるけん」
 
紺色の野暮ったいジャンパーを来ているのに、彼の姿は眩しく輝いて見えた。目の前が涙でゆらゆら揺れる。私は、懸命にコクコクとうなづいた。震える声を絞り出して、応える。
「あ、ありがとうございます!」
「寒かったでしょう、早う乗ってください」
雪を払い、バスに一歩乗り込むと、暖房のあたたかい空気に包まれる。涙目で、椅子に腰掛ける。やわらかい座席に沈んで、やっと、ホッと一息ついた。
凍えた心が溶けていくようだった。
バスが、灰色の世界を駆けていく。ライトが照らす先、傘をさした人影がかろうじて見えた。この猛吹雪の中、屋根のないバス停で、同じようにバスを待ちわびる人々がいた。バスは、その前へ滑り込み、停車してドアを開ける。運転手さんが、身を乗り出して彼らに声をかける。
「良かったら、乗ってください。営業所まで連れて行けますけん!」
虚ろだった、みんなの目に光が戻る。口々にお礼を言いながら、人々が乗車する。
「あったかか~!」
「たすかったぁ、ありがとうねぇ!」
「よかった、よかった! 生き返る~」
他人同士だと言うのに、みんなで顔を見合わせて、微笑み合う。
人が増えるとさらに、車内があたたかくなった気がした。
でも、本当にあたたかい気持ちになったのは、彼のお陰なのだ。バスの前方、運転席を覗き見る。
真剣に前を向く、仕事をする男の後ろ姿。
本当ならば、回送バスは、乗客を乗せることはない。
しかし、凍えるお客の姿を見て放っておけなかった。自分の判断で、彼はルールを曲げた。そして、それを快く受け止めたバスの会社の方。
このバスは、人情で走っている。熱くてやさしい思いを持った、地元の人々に寄り添う人々が私達を守ってくれている。
なんて、ありがたいことだろう。
私は、このバスに乗せてもらえることに誇りを持ち、これからもこのバスを利用しようと心に決めた。
 
「本当に、ありがとうございました。助かりました」
「いや~、待たせてすいませんでしたぁ。気をつけて!」
 
雪はねで、黒く汚れたバスを、私は見えなくなるまで見送った。
 
私って、心が狭いなぁ。
 
バスの中、私は眉間を指でもんだ。人からもらった恩を忘れるなんて、とんでもないことだ。
人間は機械じゃない。
うっかり間違うことも、見落とすこともある。
バスの扉が閉まった時、ぼんやりしてないで、「乗せてください!」って、叫んで、ドアをノックすればよかったのだ。
温度のある人間なのだから、運転手さんも無視することなく、乗せてくれただろう。
チラリと、運転手さんの横顔を見る。
真剣な眼差しが、今日も前をじっと見つめている。
 
まぁ、今回は、お互い気をつけましょう、ということで。
良しとしましょう!
 
私は、鞄を胸に抱き、窓により掛かる。家の最寄りバス亭まで、あと10分。
試しにコートの色をもう少し明るい色に変えてみようか、とか思いながら、微笑して目を閉じた。
いつもの、安心安定の乗り心地だ。
今日も明日も、明後日も。私達は、人情バスに揺られてく。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
緒方 愛実(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

福岡県出身。多彩な特技・資格を持つ「よろず屋フォトライター」。神社仏閣、城などの建築物を含め、アンティークな事物を求め、一眼カメラを持って国内外を旅する一人遊び上手。モーニングと喫茶店愛好家でもある。貪欲な好奇心とハプニング体質を武器に、笑顔と癒しを届けることをよろこびに活動している。

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2021-03-04 | Posted in 週刊READING LIFE vol,118

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