私が年齢に負けてわかったこと 《週刊READING LIFE Vol.118「たまには負けるのもいいもんだ」》
2021/03/09/公開
記事:伊藤朱子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
「お母さんはやめてください。おねえさんか、せめて、おばさんでお願いします」
ハッとした。なんてことを言っているのだろう……。
その一言は打ち合わせの中で、私の口から自然と出た。
和やかに進んでいた打ち合わせの席。私が「あれ、なんだっけ」と思うような、ちょっととぼけた反応をした時だった。
クライアントである社長は親しみを込めて、「おいおい、お母さん」と突っ込んだのだ。
私は、子供はいないし、ましてやお母さんじゃない。
それを自然と否定したかったのか……。
でも、それで、「おばさん」でいいの?
私の心の声とは裏腹に、そのまま和やかな雰囲気で打ち合わせは進んでいった。
帰り道、車を運転しながら、自分で発したフレーズが耳元で聞こえる。
「おばさんか……」
「ねえ、あんなこと言ってしまったけど、嫌な感じに聞こえなかった?」
一緒に打ち合わせに出ていた女の子に尋ねた。
「全然、何も問題ないですよ。社長、笑っていたし」
そう言われても、何だか自分で言った一言がずっと耳から離れなかった。
「おばさんね……」
またつぶやきながら、夕焼けで染まり出した道の先を見ていた。
とうとう認めてしまった。正直に言うと、そんな気持ちだった。
今まで、自分を何か時に「おばさん」と言いながらも、それをあまり認めていないところがあった。でも、今回はなんだか全面的に認めてしまったような気分になっていた。
それはクライアントが同世代の男性だったからかもしれない。いつも「おばさん」と言う時は、若い子に向かって「あなた達と違って若くないから」という比較の意味を込めて言っているような気がする。でも、今回は何か違う。
そもそも、同世代の男性に「お母さん」って言われるのは違和感がある。嫌な気持ちになったということではないが、何かその違和感を否定したかったのだ。
「お母さん」じゃなければ、私は何? あ、「おばさん」なんだ。
とっさに出た言葉だからこそ、普段認識している真実が現れているようだった。
老いを感じている、自分の心の声を認めてしまった。
「おばさん」を認めざるをえない出来事は、この2週間ほど前にも起こっていた。
久しぶりに男友達と会っていた時のことだった。
混雑を避けて、少し古びた喫茶店に入った。注文していたレモンスカッシュがきて、マスクを取った時、彼は私の顔をじっと見た。
「なんか、痩せた? 頬がこけているし、シワが深くなっている、おばさん顔だ……」
男性特有の遠慮のない言葉に絶句した。
「そう?」と言いながら、自分の頬を手で押し上げた。
「マスクのせいかな」
そう言ったものの、それだけではないことを感じていた。
このところ、鏡を見て思う……。顔がたるんできている。
普通なら、たとえ友人でも「女の人にそんなことを、思っていても言ってはいけない」と言い、怒ったりするのかもしれない。でもその時の私は、自分の老いを言い当てられてしまったという気持ちが強く、それを隠すために、言われたことに対して気にしていない素振りをするしかなかった。
やっぱり、そうだったのか……。
久しぶりに会った友人だからこそ、この変化をしっかり感じることができたに違いない。
そんな出来事があった後だったからか、私はクライアントの前であんな一言を発してしまったのだと思う。
自分を心の底から「おばさん」と認め、もう目の前に来ている50歳という年齢に抗うことの限界を感じた。
そうだ、もう認めてしまおう。この年齢を認めてしまえば気持ちも楽になる。
遅い時間まで仕事をした日の夜、お風呂の準備をするためにお風呂場に行く。洗面所に映る顔は疲れていた。
「やっぱり、おばさん顔になっているな」
残念な気持ちになりながら、これが私だと、認めている自分に気がつく。
お風呂にお湯がはれるまで、何気なくテレビをつけると、世界的に有名な建築家である隈研吾さんがテレビに映った。隈研吾さんは国立競技場の設計者である。
ぼんやりと眺めていた。
「隈さんも、老けたよな……」
とても失礼なことを言っているのはわかっているが、そんな思いがよぎった。
建築学科に通っていた大学生の頃、隈研吾さんが設計の授業の講評会に来てくれたことがあった。その頃の隈さんはまだ40代。その印象は鮮烈で今でもはっきりと覚えている。
背が高く、スラッとして優しい物腰。いつも指導してくれる先生たちよりもかっこよかった。まだ世界的に有名にはなっていなかったが、若手で注目されている建築家だった。建築家としてのオーラがある。私も含めてその場にいた女子は、うっとりとその一挙手一投足を見つめていた。
そんな思い出があるから、年を重ねた隈研吾さんの姿になんとなく、老いを感じてしまったのかもしれない。
でも、考えてみれば、私も同じだけ年をとったのだ。20代の若さはなく、老けた自分がそこにいるわけである。
隈さんは木造建築にも積極的に取り組んでいて、木という材料を良く使うことでも知られている。番組の中では、今のその取り組みの原点になった場所を訪れていた。
「工業製品はいつまでもピカピカなもの、というイメージじゃないですか。
木という材料は新しい時も美しいけれど、経年変化で、その時、その時も美しい。味があるんだよね」
今、建築の材料は工業製品で溢れている。床も壁も天井も外壁も、多くが自然の素材ではない。身近な木目のもののほとんどが、本物の木ではない。住宅の外壁に貼られた煉瓦のようなものは、よく見れば煉瓦風に描かれた工場で製造された板である。工業製品はいわばフェイク、本物を模したものが多い。
この工業製品が年を重ね、老いていくと、どんな風になっているのか。いつまでもピカピカであり続けられるのか。
例えば、木目が印刷されたシートが貼られたドアが古くなると、ドアの角からシートがめくれてくる。表面は、紫外線の影響で色褪せて、カサカサになる。傷がつけば、そこは白い線が入り、ただの傷になる。なんとも寂しく、今までピカピカだった物の、化けの皮が剥がれてくるような感じだ。
本物の木だったらどうだろう。
使っているうちに傷がついているかもしれない、角が丸くなっているかもしれない。紫外線の影響で、色褪せてくるかもしれない。
でも、何かが剥がれたりはしない。傷も白くなったりせず、凹むが、光の角度によっては線状に影が見えるくらいだ。気になるようであれば、少し紙やすりで削ってあげて、オイルをつけてなじませてあげると目立たなくなる。
本物の木材なら、オイルをつけて磨いたりすることで、メンテナンスができ、より味わいが増す。
ファイクはフェイクのままである。傷はただの傷で、本物のような味わいは出てこない。
その場所にある木造の芝居小屋の中で、隈さんが思いを語っている。
70年以上前につくられたその建物は、町の人に大切にされてきた。丁寧に磨かれ、手入れを怠らず、愛されてきたにちがいない。
その建物を始めてみた時、隈さんは「木の可能性と面白さを感じた」と話した。フェイクではない、本物が持つ可能性だ。
そして、「本物だから経年変化を受け入れられる。大切にされてきたから味わいが出る」と伝えていた。
隈さんが建物を眺めながら「味がある」と言った時、その姿はとても穏やかで、若い頃より深くシワの入った横顔も味わいがあった。
建築に向かい合い、本気で人生を歩んできた人の横顔だ。
人間の顔も年を重ねる中で、笑ったり怒ったり、泣いたりするのだから、シワもよる、傷もつく。紫外線に当たって、劣化もする。
でも、本物であれば、その経年変化は味わいを生み出すのかもしれない。
そして、人間には心があり、その感情が顔に出る。だから傷の付き方は、この感情の影響を受けるだろう。
いつも笑顔でいる人は、いいシワが入る。不機嫌な人は眉間にシワがより、口角が下がったようなシワが入る。
人生の経験が、人の顔に刻まれるというが、自分を大切にしていれば、刻まれたものはただの傷ではない。
そして、ただ、老いていくということではなく、味わいになる。
いつまでもただ年齢に負けないようにと思うのではなく、たまには負けて、自分の立ち位置を確認するのもいいのかもしれない。自分の今を受け入れることも大切だろう。
年を重ねた隈研吾さんと本物の木の持つ魅力を感じながら、そんなことを思った。
味わいのある顔、人という生き物であるために、忘れてはいけないことがある。
「本物であること。自分を大切にすること」
偽物の人間なんていないけれど、自分の心に嘘をつくような、表面だけをそれらしく見せるような生き方では、きっと本物ではいられない。
そして、自分の心の手入れをして、大切に扱っていく必要があるのだ。
人間は誰でも年を重ね、「老い」という変化をしていく。それを味わいに変えることができるかどうかは自分次第だ。
でも……。
「おばさん」を認めた日から、一生懸命鏡の前で、毎朝、毎晩、顔面体操を続けている私がいる。
シワの一本も味わいになる可能性があることは十分わかってはいるけれど、これくらいのささやかな抵抗も、やっぱりまだまだ必要な年齢なのだと、年齢に負けてみて初めてわかった。
□ライターズプロフィール
伊藤朱子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
建築設計事務所主宰。住宅、店舗デザイン等、様々な分野の建築設計、空間デザインを手がける。書いてみたい、考えていることをもう少しうまく伝えたい、という単純な欲求から天狼院ライティング・ゼミに参加。これからどんなことを書いていくのか、模索中。
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