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週刊READING LIFE vol.121

世代差はいつしか都市伝説に為りかねない《週刊READING LIFE vol.121「たとえ話で説明します」》


2021/03/29/公開
記事:山田THX将治(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
「先の戦争? それは、応仁の乱のことどすか?」
今でも伝わる、京都の都市伝説だ。
京都の街は歴史が長く、太平洋戦争の戦災に巻き込まれなかったことで、こんなたとえ話が話題となる。多分、こんな都市伝説を実(まこと)しやかに言っているのは、京都に劣等感を抱いている周辺の人々だろう。
その証拠に、京都を兪(ゆ)やして言っているつもりが、いつしか反対に京都の歴史を礼賛する結果と為っているのだから。
そう、京都の街は、今でもどこか独特に根付いた歴史を感じるものなのだ。
 
京都の歴史程ではないが、御高齢の方の御言葉は、ちょっとした例えにその方の人生を感じるものだ。
私は2年程前から、御年107歳の女性と知り合いに為った。
東京都調布市では、名の知られた名家に21歳で嫁いで来られたその女性は、私に近代史を実体験として伝えて下さるのだ。
何といっても、107歳ということは御生まれの1913年は、19世紀ではないものの元号は大正、それも明治から変わったばかりの2年だ。世紀は、20・21の二世紀だが、元号は大正・昭和・平成・令和の4つも経験されているのだ。しかも、その内3つの殆どを生きてこられたのだ。
これはもう、経験談がそのまま大変な歴史となるのだ。
 
その方は御実家も裕福だったらしく、東京・多摩地区では、最も早く電話が敷かれたそうだ。御近所の、といっても周りは農家ばかりだったが、方々が事ある毎(ごと)に電話を借りに来たそうだ。そればかりか、役所や今でいう農協も電話を掛けに来たというのだ。
現代に例えるなら、Wi-Fiの中継基地みたいのものだ。
 
小学生の時には、御実家にラジオが来たそうだ。テレビではない。何しろ、97年も前のことだ。
当然の結果として、近所の人達が始終実家に入り浸り、ラジオが置かれた茶の間、今だとリビングルームに当たる、には常に誰かが居る状態だったそうだ。
茶の間を現代に例えるなら、居心地の良いカフェみたいなものだったのだろう。
その証拠に、子供ながらに御茶出しの手伝いが大変だったそうだ。
 
嫁いで来た現在の御住まいが、甲州街道に近いこともあり、前回の東京オリンピック(1964年)のマラソンを沿道から御覧に為ったそうだ。
「アベベ(ビキラ、エチオピアの金メダリスト)を実際に御覧に為ったのですか?」
と、私が尋ねると、
「観たわよ。ただね、ピュっと行ちゃって、直ぐに観えなくなっちゃったのよ」
と、お答えになった。何かに例えて頂こうと、私は、
「そんなに、速かったんですか?」
と、質問を変えてみた。すると、
「そうよ、自転車なんかより全然速くって、前の単車(バイクのこと、先導する白バイを指すと思われる)も追い越しそうだったわよ」
と、大正生まれらしい例えで答えて下さった。
加えて、
「でもね、朝から大勢の人が甲州街道沿いに集まっちゃって、皆、御弁当を広げたりしているものだから花見みたいになっちゃって、終わってから沿道の清掃が大変だったの」
と、私が知る由(よし)もない話をして下さった。そして、
「だから私は、白い割烹着を着て出て、ちょっとだけ観て後は沿道の掃除をしていたの」
と、笑顔で教えて下さった。
 
私にとっては、幼き日にテレビで観ていたものを実際に御覧に為ったなんて、羨ましい限りだ。加えて、半世紀以上前に第一線で活躍されていたことを、手に取る様に教えて頂けて、とても幸せだとも思った。
考えてみれば、57年前には既に50代だった筈(107歳だから)なので、記憶は確かだろうし町内でも頼りにされる存在だったと考えられる。単車という語句を用いたたとえ話は古臭くも感じるが、余計に血が通っている感じがするし、その分伝説とはならないリアル感が増している。
 
時には少々辛い思い出も聞かせて頂いた。
大正12年(当時9歳)の関東大震災を実体験されているので、今年10年が過ぎた東日本大震災のことを、
「最近の方の震災」
と、より解り易く表現為さるのだ。
107年の人生では、10年なんてつい最近なのかもしれない。実際、このところテレビでよく流れる東日本大震災の映像を御覧になる際によく、
「あの時より、大変ねぇ」
と、仰ったりする。“あの時”とは勿論、関東大震災のことだ。
この方は、関東大震災当時、都心部へ炊き出しに行ったそうだ。現代に例えると、ボランティアということになる。その時の混乱は、いつまでも夢に出てくる程衝撃的だったらしい。何しろ、九段の坂に敷かれていた路面電車の線路が、飴の様に曲がっていたそうだ。
ただ私は、この関東大震災に関してのくだりに、失礼ながら少しだけ疑問を感じてしまった。それは以前、大正当時のことを別の方からお聞きしたことがあったからだ。
別の方によると、建物が倒壊したり火事なったりしたのは、上野・浅草・蔵前・両国・神田・銀座といった一帯だけだったそうだ。都心部では、混乱していたものの、命に迫る危険は少なかったそうだ。
ところが、知り合いの107歳の女性は、
「母に連れられて、九段の先迄歩いて行ったのよ」
と、頑として主張されるのだった。都心部では、伝えられている程の混乱にはなっていなかったと事前に聞かされていた私は、この記憶はもしかしたら、太平洋戦争時なのではないかと勝手に思っていた。
私の想像を伝えると、
「それは違いますよ。だって、私は終戦時には30歳を越えていて、自分の子供のことで手一杯だったから」
と、ごもっともな結論を出して下さった。107歳には歯向かえない。私は黙って、関東大震災の記憶を信じることにした。
 
そこで私は、太平洋戦争時のことも伺ってみた。
調布市は、都心部から離れていたこともあり、空襲の被害を免れたそうだ。しかし、自宅近くに防空壕を掘ったり、自宅の庭に大きな穴を掘って、大事な家財道具は埋めて保管したそうだ。
水に強いプラスチックやビニールが無かった時代に、どうやって防水したのかを伺ってみた。すると、
「昔はね、どこの家でも‘油紙’を防水に使ったのよ。‘油紙’は防虫の為に色々と使い勝手が良かったの」
と、教えて下さった。そして、
「ただ、湿気が溜まるから麻袋に干し飯(ほしいい、ご飯を干して乾燥させたもの)も一緒に入れるのよ」
と、当時の生活の知恵を私に授けて下さった。その上、
「干し飯は乾燥剤と違って、湿気が足りなくなると反対に吐き出すの。スポンジみたいで便利だったわよ」
と、たとえ話もして下さった。
 
ただ、当時小学生だった御子さん達のことは、ことのほか気に掛けていらした様だ。特に、より勉強させようと3km程離れた世田谷の小学校に通わせていた長男さんのことは、大変心配したと御話下さった。
何故なら、地元・調布市の小学校は学童疎開地域ではなく、他の御子さんは戦時中もずっと一緒に暮らすことが出来たからだ。世田谷の小学校は、疎開地域に為ってしまったので、長男さんだけは長野県に疎開となり、ただ一人で見知らぬ土地へ送り出すこととなったらしい。このことを彼女は、
「身が引き裂かれるより辛かった」
と、実感がこもった例えをして下さった。
この例え等、僅か数kmがとんでもない距離に変わってしまった無念さを、戦争を知らない私達世代にも訴え掛けて来る様で心が痛むものだ。
 
日本の近代史を、身をもって経験されてきた107歳の女性の人生は、その半分と少ししか生きてはいない私にとって、まさに現存する知恵袋だ。発せられる一言一言は、生ける教科書だ。
“人生100年時代”といわれる現代でも、100年を優に超えて生きて来て下さったその人生は、どんな例えよりずっと解り易い。そこには、例え様のない重みを感じるからだ。
しかも、年齢以上に確かな記憶や見識を御持ちで健康な御姿は、私達にとって大変立派な手本ともいえると思う。
 
現在その方は、既に老人の域に達した御子さんと一緒に暮らしている。戦時中に長野へ疎開してしまった御長男さんと、独り身に為り帰って来られた地元の小学校に通わせていた次女さんとだ。
もしかしたら、他所(よそ)から見れば世にいう『老々介護』かも知れない。
しかし、107年も生きて来られた実績は、陰で何を言われ様が揺るぐことは無いだろう。実際、今でもテレビのニュース等を御覧になっていても、昔のことを引き合いに出し、至極真っ当な見解をおっしゃることが多い。
「昔は、家族や隣近所に迷惑を掛けない様に、言いたいことも我慢していたの。自由にものが言えて、誰にも迷惑を掛けないのが一番いい社会」
そんな何気ない一言が、私には何物にも代え難い貴重な宝物に感じるのだ。
 
京都の歴史程ではないが、107年の長い人生。
時折、
「もう、十分に生きたわ」
と、どこか悟った様に仰ることがある。
無理をお掛けしたくはないが、もう少しだけ長生きして頂いて、もう少しだけ教えを請いたいと思う。実体験を、聞かせて頂きたいと思う。
ほんの、もう少しだけ。
 
でも、
それは、典型的な私の我儘なのかもしれないが。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
山田THX将治( 山田 将治 (Shoji Thx Yamada))

天狼院ライターズ倶楽部所属 READING LIFE公認ライター
1959年、東京生まれ東京育ち 食品会社代表取締役
幼少の頃からの映画狂 現在までの映画観賞本数15,000余
映画解説者・淀川長治師が創設した「東京映画友の会」の事務局を40年にわたり務め続けている 自称、淀川最後の直弟子 『映画感想芸人』を名乗る
これまで、雑誌やTVに映画紹介記事を寄稿
ミドルネーム「THX」は、ジョージ・ルーカス(『スター・ウォーズ』)監督の処女作『THX-1138』からきている
本格的ライティングは、天狼院に通いだしてから学ぶ いわば、「50の手習い」
映画の他に、海外スポーツ・車・ファッションに一家言あり
現在、Web READING LIFEで、前回の東京オリンピックを伝えて好評を頂いている『2020に伝えたい1964』を連載中
加えて同Webに、本業である麺と小麦に関する薀蓄(うんちく)を落語仕立てにした『こな落語』を連載する

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2021-03-29 | Posted in 週刊READING LIFE vol.121

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