週刊READING LIFE vol.122

人生を好転させる心の使い方《週刊READING LIFE vol.122「ブレイクスルー」》


2021/04/05/公開
石川サチ子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
その会社に入社して3ヶ月が経とうとしていた。
 
私は、オフィスの隅っこの席で、みんなに背中を向けて座っていた。
机の上には空白のスケジュール手帳。転職先も決まっていなかった。
 
入社してから、私はミスの連続で、毎日「申し訳ありません」と謝ってばかりいた。
 
コピーを取る仕事を頼まれて、コピー機に紙を詰まらせ、その紙を取り除こうと引っ張ったら、インクが吹き出した。コピー機の周りは真っ黒のインクが飛び散った。真っ白のシャツが黒い返り血を浴びたようにインクで汚れた。
 
別の日は、パソコンの入力ミスで、発注単位を一ケタ間違えて、取引先の担当者にこっぴどく叱られた。余分に納品してしまった商品を引き取りに、他の社員さんたちも巻き込んで行った。みんなの仕事の妨げをしてしまった。
 
更に他の日は、大事な契約を決める取引先への接待の席で、私は酒に酔っ払い、末席で鼻音を立てて居眠りしていた。
 
取引先の失笑を買い、社長からはこっぴどく叱られた。
 
私はいったい何をしているのだろうと焦った。
 
社会人になって7~8年くらい経つのに、使えない人間だった。
 
普通は、社会人経験が7~8年もあれば、何かひとつくらいプロとして認められているのに、私には何も無かった。
 
新卒で就いた営業職は、イヤで、イヤで仕方が無かった。
人には、向き不向きがあると言われて他の職種も経験してみた。
何をやっても不器用な私に合う仕事など一つも見つからなかった。
 
この会社での試用期間がそろそろ満了になろうとしていた。
 
私は近々、社長から「契約終了」を言い渡されるだろう。覚悟していた。
 
早く、次の仕事を見つけなければならない。

 

 

 

軽快なハイヒールの音が廊下から響いた。
 
社長だ。
 
ワンフロアー扉がない、吹きさらしのオフィスは、風通しが良く、遠くからでも足音が聞こえてきた。
 
カツカツカツ。私の方に音が近づいている。
 
身体が硬直して心臓がドキドキ高鳴る。
 
刑務所で死刑を宣告される死刑囚の気持ちが痛いほど分かった。
 
契約終了の書類でも持ってきたのだろうか。
 
私は、ゆっくりと顔を上げて、近づいてくる社長の顔を見た。
 
社長は、半分笑っているように見えた。
 
私は、席を立って挨拶した。
 
「おはようございます」
 
「おはよう、ちょっと話があるの、一件アポを済ませたら向かうので、先に会社出て右にあるルノアールで待っててもらえる?」

 

 

 

ルノアールで社長を待っている間、私は社会人になってからのことを振り返っていた。
 
当時、労働意欲がまったくなく、大学を卒業して数年したら、結婚するのが夢だった。
 
会社員をするのは寿退社するまでの時間稼ぎ程度くらいにしか考えていなかった。
 
しかし、その夢は叶わなかった。
 
結婚すると信じていた人に婚約者がいた。私はその事実を元彼のお母さんから知らされた。元彼の婚約者が私の存在に感づき、探偵を雇ったのだ。
 
彼女が元彼のお母さんに事情を伝え、元彼のお母さんが私の住んでいたアパートを探して押しかけてきた。
 
「H(元彼)と別れてください、Hには婚約者がいます、あなたがそそのかしたせいで、みんな不幸になっています」
 
まさか、私の知らないところで、自分が悪者になっていたなんて。まさに寝耳に水だった。
 
この件があってから、元彼からの連絡が途絶えた。
元彼は、その婚約者と結婚したという事実を人伝えに聞いた。
 
正直、すごくショックだった。
 
人間不振になった。全ての男性が信じられなくなっていた。
 
結婚できないなら、仕事しかない、仕事に生きようと決めた。それなのに、どんな仕事をしても本気になれなかった。
 
その頃から、私は占いに凝るようになっていた。
 
当時傾注していた占い師が言うには、私は、一生天中殺という星めぐりで、一生苦労する人生を送ると言われた、妙に納得した。
 
私は運命に翻弄される弱い生き物。私の人生は生まれる前から決まっていて、思い通りにならない。だから努力してもムダだと諦めるようになった。
 
私の人生は、不幸な星巡りに振り回されている、育った環境のせいにもした。
 
不幸な星巡りならば、もっと容姿端麗で、お嬢様だったら良かったのに、と思った。
 
せめて何かしらの才能があったら、クリエイティブな仕事をして華々しく活躍できたのに、と思った。
 
容姿も育った環境も才能も無い自分の人生を呪っていた。
 
全てにおいて、普通以下で生まれてしまったことに無性に腹が立っていた。
 
自分で人生を終了させる勇気も無かったから、仕方なく生きている、そんな状態だった。

 

 

 

後ろら私の名前を呼ぶ声がして振り返った。社長だった。
 
社長は、向かいの席に座るなり、単刀直入に言った。
 
「そろそろ試用期間が終わるんだけど、仕事、これからどうする?」
 
どうするも何も、社長が決めることではないのだろうか?
私には、何も決める権利などないはずだ。
 
社長は続けた。
 
「石川さんを見ていると、何でも受け身なんだよね、だいたい日本の女性はそうだけどね、だけど仕事を本気でやっていくなら、受け身のスタンスだと、早かれ遅かれ、そのうち破綻するよ」
 
私はきょとんとした。
 
受け身でいることの何が悪いのだろうか?
 
仕事は誰かに頼まれたことをする、クビだと言われれば、はいと従い、期待通りの業績を上げられなかったら、お給料を減額だと言われて、ハイと従う。
 
これが当たり前だと思っていた。
 
雇われている身の私に反論する権利などあるのだろうか?
 
「試用期間なので、私は石川さんとの契約を切ることができるけど、石川さんの意見も聞かせてもらえるかしら」
 
私に、社長に何か発言する権利がある、というのも始めて知った。
 
だったら、もう少し働かせてもらいたい、せめて次の会社が見つかるまで……というのが本音、こんなこと、社長に直訴して、いいのだろうか。
 
「うちの会社は、今のところ人手不足だから石川さんが続けるならば、それはそれでありがたい」
 
仕事を干されて、私は暇なのに、人手不足???
私を辞めさせて、別の人を採用するつもりなのだろうか?
 
「実は、来月から動かしたい事業があって、その事業を石川さんにやってもらいたいんだけど、どう?」
 
私はこの会社に自分の居場所が合ったことに喜んだ。
社長が、私に温情をかけてくれて、仕事を作ってくれたのだろうか。
久々に人の優しさに触れたような気持ちになって、涙が溢れていた。
 
「ぜひ、やらせてください、お願いします」
 
即答していた。
 
「だけど」
 
社長が続けた。
 
「条件があるの」
 
「今回の事業は、全て石川さんが決めて、全責任を負ってもらうつもりなのだけど、その覚悟はあるかしら?」
 
私は息をのんだ。
 
「仕事をしていて、どんな理不尽なことがあっても、誰かのせいにしちゃダメ」
 
「もし、理不尽なことが起きた場合、こんな風に考えてもらえるかしら」
 
「私は、何が知りたくて、このような出来事を引き起こしたのだろうか?」
 
社長は続けた。
 
「最終的な責任は、もちろん私が取るけど、事業が回り出すまでは、石川さんの責任でやってもらえるかしら?」
 
私は、もちろんです、やらせてくださいと答えていた。
 
「相談は何でも聞くので、どんどん報告してきてね」
 
私は二つ返事で引き受けていた。

 

 

 

仕事は四国の工場でできる商品を、全国のスーパーマーケットの棚に並べることだった。
目標の数字も、やり方も全部私が決めて、進めた。
 
責任を任されると、仕事は楽しくなる、あれだけ嫌いだった営業の仕事も面白くなっていた。
 
そんなある日、私が取り扱っていた商品がキー局のテレビ番組で紹介された。それがきっかけで、電話線がパンクするほどの注文が入った。
 
四国の工場は、生産が追いつかず、注文があっても、商品を出荷できなかった。私は取引先からは怒られ、最短でいつ出荷できるのか、できるだけ早く出荷して欲しいなどとせき立てられ、パニックになっていた。
 
東京の販売窓口が、注文があるのに商品がない状態で、てんやわんやなのに、四国の工場長は、通常通りの営業をして、商品の生産を渋った。
 
パート社員を残業もさせて、商品を増産しようとしないのに腹が立った。
どうやら、工場長は事前にキー局からテレビ番組で取り上げるという情報が入っていたようだった。
 
知らなかったのは私だけだった。
 
私は腹が立って、四国の工場長にクレームの電話を入れようとしていた。その寸前だった。この事業を始める前に社長と約束した言葉を思い出した。
 
「仕事をしていて、どんな理不尽なことがあっても、誰かのせいにしちゃダメ」
 
「もし、理不尽なことが起きた場合、こんな風に考えてもらえるかしら」
 
「私は、何が知りたくて、このような出来事を引き起こしたのだろうか?」
 
気づいたら、怒りが収まっていた。
 
注文の嵐は、数週間で過ぎ去り、平静に戻った。
 
私の手がけた事業は、数億円規模の売り上げを誇るようになっていた。

 

 

 

社長の言葉をきっかけに、私は仕事に対する向き合い方はもちろんのこと、生活全般に対しての考え方が180度変わった。
 
自分の人生に起きる全ての出来事に対して、責任を取るという覚悟を決めてから、私の人生は上手くいくようになっていた。
 
仕事も人間関係も面白いくらい上手く回り出した。
 
自分で責任を取るという覚悟が、私にとってもブレイクスルーだったのだと思う。
 
それまでは、依存だった。
自分の人生さえも、誰かが操っていると信じていた。
 
しかし、「自分で責任を取る」と決めてからは、見える景色がガラリと変わった。
 
あれほど、どうにもならないと諦めた自分の人生を、自分の力で、いかようにでもなると確信した。
 
責任を覚悟すると、自由が手に入った。
 
責任と自由はセットだった。
 
依存は、誰かのせいにする人生だから、不自由がつきまとう。誰かに依存している限り、自由は手に入らない。
 
ブレイクスルーをきっかけに、人の心の人生は連動しているということも分かった。
 
現実は、心の中の映写機が映し出す映画のようなものだ。
 
目の前の現実は、自分の心が作っている。
 
だから、望まない現実が起きたとき、私は自分の心に問う。
 
「私は何を知りたくて、この現実を作り出しているのだろうか?」
 
その答えを探し出すと、自分では意識できなかった心の奥底が見える。
 
これまで見えていなかった自分の心を発見して、驚く。
 
心の中に映写機はどんどんブラッシュアップされて行き、どんどん思い通りの現実が現れていくのかもしれない。
 
自分の心次第で、現実が如何様にもなると気づいてから、人生はとても楽しいものに変わった。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
石川サチ子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

宮城県生まれ、宝塚市在住。
日本の郷土料理と日本の神代文字の研究をしている。

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2021-04-05 | Posted in 週刊READING LIFE vol.122

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