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週刊READING LIFE

人生最後の恋が連れて来たもの《週刊READING LIFE vol.1「自分史上、最低最悪の恋」》


 

記事:相澤綾子(READING LIFE編集部 ライターズ倶楽部)
*この記事はフィクションです

「ちょっと、頼みがあるんだけれど……」
一息に言ってしまおうと思っていたのに、語尾が震えそうな予感がして、私はそこで言葉を止めた。
「何? 言って」
まさに帰ろうとしていてバッグを肩にかけた娘は、はっとしたような表情で振り返った。目を少し見開いて、口元が心なしかゆるんでいる。私のために何かをしてくれようとしているのが分かる。でも私がこの望みを口に出したら、娘はどんな風に思うのだろうか。勘繰らないだろうか。
今言い出さなければ、次に娘が来てくれるまで、私はきっと後悔しながら過ごすことだろう。分かっていた。でもなかなか言い出せなかった。
「うん、あのね」
もう何か、他のことでも頼んで取り繕うかとも思った。その言葉の裏にある、ひそやかな気持ちに気付かれるのではないかと、不安になったのだ。でも言わなければまた同じことの繰り返しだ。先週来てくれた時に言えなかったことを、私はずっと悔やんでいたのだ。
「その……口紅が」
娘は目を輝かせた。
「口紅が欲しいの?」
思いがけず明るい声で訊き返してきた。
「その、リップクリームでいいんだけれど、ここは病院だし……でも色つきをお願いしたいんだけれど」
やっとのことで私は言った。声の震えには気付かれなかっただろうか。これだけのことを言うのに、どうしてこんなにドキドキするのか、自分でも不思議だった。
「分かったよ、次に来れる時に持ってくるね。似合う色を見つけてくるから」
「ありがとう、引き留めてごめんね」
娘は部屋を出る時に、ドアのすき間から嬉しそうに顔をのぞかせ、手を振った。
「また来るね」

娘には言えない。けれど、私は今、恋をしていた。
自分でも信じられなかった。こんな風にもう一度、恋をすることがあるとは思えなかった。その人は、息子とほぼ同じくらいの歳だった。最初に会ったときは、なんとも思わなかった。その瞬間は突如としてやってきた。私に向けた笑顔に、それはもちろん、仕事上の笑顔だったのだけれど、私の心の中の何か小さなものが音を立ててはじけた。
その人には、毎日夕方になると病室に来る。会話をするのはほんの1分程度。私の体調を尋ねて、そして次の担当患者のところに行く。それまでは気付かなかったのに、気になるようになってからは、5時から6時までの間ということに気付いた。
だからどうということもない。その人と私は住む世界や時間の違う人だ。私はもう死に向かっているだけだし、その人には輝かしい未来があった。一人きりの時に、その笑顔がどんな風だったかを詳細に思い出すだけだった。幸い、一人になる時間はいくらでもあった。その人が私に問いかけたこと、その後のやりとりを何度も頭の中で反芻した。毎日天井の模様を見るだけの生活がずっと続いていたし、こういう時間があとどれくらい残っているのか分らなかったけれど、少しも飽きることはなかった。
自分がどんなに年老いて醜いか、私は鏡を見る勇気などなかった。ただ、ふとした時に自分の唇がひどくかさついていることに気付いて、私はリップクリームが、しかも、ほんのり色がついたものが欲しいと思ったのだ。
少しでも身綺麗に見えれば、という自分の中の気持ちを、ごまかせなくなっていた。それくらい、悪いことでも恥ずかしいことでもないだろう。でも、色つきのリップクリームをつけたくなった理由は、誰にも絶対に気付かれたくなかった。

もう化粧なんてずっとしていなかった。きっかけは、化粧をすると肌荒れするようになったからだけれど、肌に合うものを見つける努力だってできたはずだった。
でも私はそうしなかった。そんな気分にはなれなかった。
長いこと、私の心と身体を、怒りが支配していた。もう15年以上前に亡くなった夫のことが、どうしても許せなかったのだ。
夫は登山にでかけて、そして帰って来なかった。
遺体は見つかっていなかったから、本当に亡くなったのかどうかは分からない。7年が経ち、法律上、死亡という取り扱いになった。
夫がいなくなったのは、夫と私が46歳の時だった。
週末や休暇を取った時には、山に行くようになった。きっかけは、子どもたちがそれぞれ就職し、家を出ていったからだった。私も一緒に行くこともあったけれど、正直なところ、アウトドアはあまり好きではなかったし、体力が足りなくて、いつも夫を待たせることになった。私が嫌がるので、徐々に彼は一人ででかけることが増えていった。本当は私は二人でゆったりと過ごしたかった。でかけるにしても、観光地などが良かった。私がその希望を伝えると、
「もっと体力が無くなってからでも、そういうのは行けるだろう」
と答えた。家にいる時も、夫は山で見た写真を整理していることが多かった。延々とパソコン部屋にこもり、保存したり削除したりを繰り返している。私は横に座り、一緒に眺めることもあった。訊けばいろいろと答えてくれたけれど、別に私に話したいという様子も感じられなかった。
私たちふたりが最後にでかけたのは、いなくなる1カ月前だった。車で2時間程度のところに、あじさい山を見に行ったのだった。山の斜面いっぱいに水色のあじさいが広がっていた。私たちはその間を観光客たちに混じって歩いた。久しぶりに手をつなぎたくなって、私は彼の手を触った。彼の指の間に手を滑り込ませ、手のひらの温かみを感じた。彼も握り返した。しばらくそのまま歩いていたけれど、彼がそっと手を払った。その感じが、まるでタイミングを見計らって、拒絶したと怪しまれないように私の手をふりほどいたような印象を受けたのだった。

私は、夫がどんな状況で帰って来られないのかをいろいろと想像した。捜索隊がどうしても見つからない場所で、でも水があって、生きられているのだろうか。ひと月くらい経つと、その想像さえ難しくなった。記憶喪失になって、どこかにいるのだろうか。ドラマみたいに、誰かと出会って、新しい生活を送っているのだろうか。
でも今の日本で、見つからないということが、本当にあるだろうか。
やはり夫はもうこの世にはいないのだ。仮に生きていたとしても、それはもう私の夫ではなく、違う人になってしまっていた。
諦めの気持ちになった後は、私は、帰って来ない夫への苛立ちと、寂しさの間を往復するようになった。家族がいながら、危険を冒して山に登ったのは裏切りだと思った。でかける朝の日も「気を付けてね」と言った。それは私の中では祈りだった。危険な場所に行ったりしないでねという懇願だった。でもそのごく自然で当たり前の、ささやかだけれど大切な願いは、聞き入れられなかった。
夫は私よりも、山の魅力に憑りつかれていたのだ。私と一緒に生きていく道よりも、山の色んな姿を目に焼き付け、写真に撮ることの方を選んだのだ。夫は自ら危険な場所に行ってしまったのだ。
それはもう怒りだった。彼への怒りを燃え上がらせることで、自分を保っていた。生きる力にもなったし、寂しさを紛らわせることもできた。
夫がいなくなって7年が過ぎてから、娘と息子から、失踪宣告の申し立てをするように言われ、私は手続きをした。だから何かが変わるということなど、なかった。
特に夫のことについて娘や息子と話すことはなかった。けれど、どこかで私のかたくなな気持ちに娘は気付いていたのかもしれない。数年前になって、娘がこんな風に私に言ったのだった。
「もう解放してあげれば?」
どんな文脈だったかは思い出すことはできない。でも私はその言葉を聞いた途端、体中の血液が沸騰するかと思うくらい、激しい怒りを感じた。
「あの人の味方なの? 私が悪いっていうの」
私は娘にまで裏切られたのかと思って、大声を出した。すると、娘は驚いたような表情をして、それからみるみる目が潤み始めて、涙でいっぱいになった。
「違うよ、もう自分を解放してあげなよってことだよ」
娘が部屋を出ていくと、私は久しぶりに涙が出てきた。涙はいつまでも止まらなかった。

私の人生はこんなだった。だからその最後の方に、自分がこんな風に誰かに恋するなんて、想像していなかった。恋の種が残されていたのなら、娘のいう通りに、もっと早く自分を解放できていればよかったのかもしれない。50代には50代の恋があるのだろう。楽しい時間を過ごせていたということもありえる。この恋は実らないものだけれど、そんな想像までしてしまうくらい、私をゆったりした気持ちにしてくれた。
娘が来るのは一週間後だと考えていたけれど、2日後にはリップクリームを届けてくれた。つけっぱなしにしても身体に悪くないものを選んできたという。
「つけてあげようか」
私はうなずいた。娘は少しだけリップを繰り出すと、私の唇にそっと置いた。私は久しぶりに間近に見る娘の目尻に、しわが刻まれていることに気付き、目を閉じた。当然のことだ。娘でさえ、あと数年で、私が夫を亡くした歳に差し掛かる。私は自分のことだけで頭がいっぱいだったけれど、娘にも長いこと心配をかけていたことに気付いた。リップには油分が多く含まれているからだろうか、かさついた唇の上でさえ、なめらかに動いた。
「やっぱり顔色が良くなるね。似合ってるよ、鏡見てみる?」
「いいよ、ありがとう。しっとりしていい感じだね」
娘はにっこりと笑った。

その日、その人はなかなか回診に来なかった。来たのは7時頃だった。
「失礼します」
いつもの声だった。私は唇を閉じてリップクリームの感触を感じてから、声を出した。
「どうぞ」
カーテンがそっと開いて、その人が入ってきた。いつもは眼鏡をかけているのに今日はかけていなかった。眼鏡をかけていないその人を見るのは初めてだった。その顔つきをみたとたん、心臓がどきんと大きくなったような感じを受けた。私がもっとずっと若い頃、こういう感じを一度だけ受けたことがあった。夫を最初に見たその瞬間と同じだった。
「先ほど、眼鏡を壊してしまいましてね」
私が顔を不自然に見過ぎてしまったからだろうか、彼はそんな風に眼鏡をかけていない理由を話した。いつもと同じ、私の体調を尋ねる質問に答えつつ、もう心は、うわの空だった。
どうしてその人のことが気になるようになったか、私は今頃になって気付いた。夫に生き写しだったからなのだ。眼鏡をかけていたから、ずっと気付かなかっただけだった。小柄で痩せた感じ、癖のある髪の毛、色白の肌。夫は山に出かけてもなかなか日焼けすることはなく、日焼け止めをきっちり塗りつばの広い帽子をかぶった私の方が黒くなってしまうくらいだった。
そうだった。まだ夫と出会ったばかりの頃、暇さえあれば、夫との言葉のやりとりや表情をいつも思い返していた。それはとても幸せな時間だった。そんな風に恋をしていたはずなのに、いつの間にか、一緒に暮らすことで色んな面を見て、複雑な気持ちが混じり込んで、濁り切っていた。そして夫がいなくなったことを、裏切りとしか思えなくなっていた。
夫が本当はどんな風にいなくなったのかは、分からない。けれど、一瞬の判断の迷いで死に至ったことを後悔していたかもしれない。浅はかだったと自分を責めていたかもしれない。山に憧れる気持ちはあったとしても、自分の命まで落としたいと考えていただろうか。私が観光地に行くのんびりした旅行がしたいと行った時に、「もっと体力が無くなってからでも、そういうのは行けるだろう」と言っていたのだった。それは、もっと歳をとってから行こうという意味だったのだ。あじさい畑で彼が手をふりほどいたと思ったけれど、もう一度手に触れれば、また繋いでくれたかもしれない。そして私の気持ちの持ちようで、山に憧れる気持ちまで、好きになれていたかもしれなかった。

夫との恋を、史上最低の恋にしてしまったのは、私の方だった。突然湧き起った新しい恋心のおかげで、そのことに気付けた。最後にこのことに気付けて、良かったのかもしれない。

 

❏ライタープロフィール
相澤綾子(Ayako Aizawa)
1976年千葉県市原市生まれ。地方公務員。3児の母。
2017年8月に受講を開始した天狼院ライティングゼミをきっかけにライターを目指す。

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