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週刊READING LIFE vol.18

「今年こそ痩せる」を10年言い続けている誰かへ《週刊READING LIFE vol.18「習慣と思考法」》


記事:水峰愛(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

「この子は、舌の肥えた子になるわ」
幼少期の女にご飯を食べさせながら、老女は言った。
女を生んだ母親は料理の上手な人で、おまけに「こどもには、お腹いっぱい美味しいものを食べさせてあげたい」
という固い信念のようなものを持っていたから、どれだけ仕事が忙しくても、必ず手作りの料理を食卓いっぱいに並べた。休日の昼にはお菓子も自作した。添加物の入っていない、体にやさしくて美味しい手製のお菓子や料理は、彼女にとっての愛情表現そのものだった。
「オーガニック」や「スローフード」という言葉が持て囃され始める、もう何十年も前の話だ。
水や土のきれいな田舎の土地で育った女は、ありあまる新鮮な食材を丁寧に調理してもらい、来る日来る日もそれを食べてすくすくと成長した。
幼稚園の身体測定のとき、前に並んだ同級生の細い太ももを見て、
「はて、なぜに私とこうも太さがちがうのかしら」と、一瞬思ったことがあったが、理由はわからなかったし、特に気にも留めなかった。
 
小学校に上がると、クラス内の生徒を男女別にわけて身長順で並べるのが公式のやりかたになった。
女は、後ろから二番めだった。卒業するまでの6年間、2度のクラス替えを経ても、その順序が変わることはなかった。
身長と体重の増減は、記録簿に記されていた。
毎月の身体測定で、身長と体重の増加があった場合は緑のシールを、無かった場合は黄色のシールを、そして体重が減少した場合は赤のシールを貼ることになっていたのだけれど、ずらっと並んだ緑色を見て、学校医の先生も両親も、嬉しそうだった。何より、自分自身がなんとなく誇らしい気持ちになれた。
結局、中学2年までに女の身長は165センチまで伸び、それを最後に、ぴたりと成長を止めた。壊れた時計のように、そこからは1ミリも伸びなかった。
 
緑のシールはそこで終わるかに思えた。
ところが、終わらなかったのだ。
身長が伸びなくなっても、女の体重は増えた。
そこになって初めて、女は、体重だけが単体で増えるものだということを強く認識した。概念的には知っていたけれど、自分の体重が増えているのは、身長が伸びているからだとばかり思って生きてきた意識の転換を余儀なくされたのはその頃だ。
改めて振り返ると、幼少期から女は決して痩せ型ではなかった。
しかし、特徴的なほど太っているわけでもない。
だが、時は「スーパーモデルブーム」に沸く90年代の終わり頃。スリムは正義、美人はみんな痩せている。そんな時代だった。
雑誌でもテレビでも、ダイエットの特集を見かけない日はなかった。もともとミーハー気質があった上に、美意識の育っていなかった女は、あらゆるダイエット記事に片っ端から食いついた。うまくいけば、赤いシールがつく時もあった。
緑のシールで喜んでいた少女は、気がつけばいつからか、赤いシールのために躍起になるようになっていた。
 
女は昨年で34歳になった。
堂々と正月明けに宣言したことは、「今年こそ−5キロ!」
今日、キーマカレーとケバブを食べた。女はエスニック料理が好きである。複雑なスパイスの味わいと、馴染みのない食材や調理法で味の「アハ体験」ができるのがたまらなく刺激的なのだ。おまけに、エスニック料理店というのは概して店内の雰囲気が良い。運が良ければベリーダンスショーも開催していて、エキゾチックなムードにお酒も進む。
昨年は大久保に通い、チュニジア料理やネパール料理を堪能した。
エスニック料理に多く含まれるスパイスには、自律神経を整えて、風邪を予防する効果もあるらしい。だから、体にいいのだ。エスニックは。
女は頑なにそう信じている。
 
さらに、冬はおでんをよく作る。おでんはお酒に合うし、休日に作っておけば、その後2、3日は食事の心配をしなくても済む。おまけに、糖尿病の人が療養中に食べるくらいヘルシーなのだ。だから、おでんも体にいい。出汁の染みこんだ、大根や白滝はあんなに美味しいのに、信じられないくらい低カロリーだ。神のような食べ物だと思う。
だから先週は、3日もおでんを食べた。
 
「低カロリーのものを食べれば食べるほど、痩せると思ってる人がいるからね」
女が最近おでんばかり食べているという話を先日の飲み会でした時、知人が言った。さらっと辛辣なことを言われたような気がしたが、あまり深く聞きたくないので流した。しかし知人は追い討ちをかける。
「牡蠣って美味しいよね」
女は牡蠣も好きなので、「美味しいよね」と、素直に同意した。
「でも、牡蠣グラタンってあるじゃん。あれってほとんどが炭水化物だから、牡蠣が低カロリーでも全然ダイエットにはならないけど、牡蠣が低カロリーっていう一点で自分を納得させて食べてる人だと思う。痩せたい痩せたい言いながら、いつになっても痩せない人ってさ」
「……」
偶然にも、女は年末に牡蠣グラタンを食べたところだった。
新宿の老舗ショットバーのメニューにあって、牡蠣の殻がそのまま器になって、一粒一粒にホワイトソースとパン粉をまぶし、きつね色に焼き上げられて提供される。それが、サントリー白州のソーダ割ととてもよく合い、女は3つだか4つ、食べた記憶がある。
その時に思ったのは、
「グラタンはカロリーが高いけど、牡蠣は低カロリーだからいいか」
だったのだ!
付け加えて言うなら、女は酒が好きだ。暇さえあれば飲酒をしている。それなのに、酒のカロリーはノーカウント。会社の健康診断で、毎年微増してゆく腹囲の数値を睨みながら、「腹筋でもしようかしら」などと言いつつ、ぜったいに酒をやめない。病気になってもやめない。週に8回、1年で500日くらい酒を飲んでいる。おまけに、運動は超苦手ときた。
 
この「痩せたい痩せたい言いながら、いつになっても痩せない女」とは、言うまでもなく私のことである。
新年一発目の飲み会で、知人にいきなりストレートパンチを食らわされた。
「ぐうの音も出ない」とはこのことか、というほどの言われようだったが、それでも今日も元気にカレーとケバブを平らげている。
こんな私が本当に痩せるには、いったいどうすれば。
 
まず、「低カロリーのものを食べれば食べるほど痩せると思っている」その思考に問題がある。と、思った。
おでんにしたって、食べ過ぎだ。好きな具材を、それぞれ2個は食べている。1個だと食べた気がしない。この「食べた気がしない」も、肥満の口癖のように思える。
さらに言うなら、「高カロリーのものでも少量なら問題ない」と言いつつ、つい食べ過ぎる癖も私にはある。お酒を飲むとそれは加速する。酔っ払って理性のタガが外れるのか、「ごちそうさま」を経てからが本番、みたいなところがある。やめようやめようと思って、「お酒を飲んだあとに食べない」と、手帳に書く。毎年書いている。
それなのにどうだ。冷蔵庫には、明らかに「それ用」の、チーズやサラミが常備されている。無論、自分で買ってくるものだ。
 
一言で言えば、自分に甘すぎるんだろう。
自分への甘さは、たぶん癖のようなものだ。
そして、思考の癖が行動の癖を作る。
食生活は習慣化されたもので、その習慣は、紛れもなくこの甘え果てた思考が種になっている。
あるいは、一気に価値観も行動基準も変えるほどのショッキングな体験が必要なのかもしれない。
私の例で言えば、「痩せ型でもないけれど、特徴的なほど太っているわけでもない」と言う、この中途半端な立ち位置が、だらしなさに弾みをつけているような気がしてならない。
「このまま痩せなければ、心臓に負担がかかって死にますよ」
医師からそう宣告されたらどうだろう。必死で痩せる気にはならないだろうか。
もしくは、「おい! デブ!」と、近所の小学生から石を投げられるとか。太っていることを理由に、恋人に振られるとか。
しかし、現在の私は、医学的に見て病的な体重でもなければ、入る洋服がないわけでもない。人から後ろ指を指されて笑われるほどの肥満体でもないし、飛行機のシートに挟まって抜けなくなるような面白悲しい体験をしたわけでもない。
ただ、鏡に映る自分の姿を見て、暗澹たる気分になることがあるくらいだ。
街ゆくスリムな女性たちを見て、「あの細い二の腕!」とか、「スキニーパンツが似合うって羨ましいな」とか、そんなことを思って気分が落ち込むくらいだ。そのくらいの薄いショックだから、本気で取り組む気が起きない、というのは大いにある気がする。
おまけに、「別に痩せなくてもいいんじゃない?」と言って私を甘やかす人も、周囲にはいる。要は、本気のどん底を体験していないのだ。
 
具体的な躓きポイントは、目先の食欲に勝てないこと。そしてその食欲が、「おでんならたくさん食べても大丈夫」という風に、思考まで歪めてしまっている点だ。
つまり、長期的に叶えたい理想と、目先の欲望の戦いという構図が浮き彫りになる。
浮き彫りになった上に、ずっと痩せたい痩せたい言っている私は、その戦いに全敗していることになる。
情けない。が、その情けなささえ、今に始まったことではない。
 
そこで私は、意思に頼るのをやめることにした。
「意思が強くなくては痩せられない」という思考そのものを反転させてみる試みだ。
 
「ショック療法」も無理なら、その逆のポジティブな動機付けがないものか。
人生で何度か、するすると痩せたタイミングがある。
それは、彼氏ができた時だ。新しい恋人ができると、あまりご飯が食べられなくなるし、それ以上に何らかのホルモンが出て、3キロくらいは簡単に体重が落ちた。
それを応用してみるのはどうか。
いま私が彼氏をつくると不倫になるので、さすがに堂々と「恋をします!」とは言えない。
しかし、その「何らかのホルモン」をまた分泌させればいい。
ホルモンの正体はわかっている。「ときめき」だ。
芸能人の追っかけをしている主婦が、いつまでも若々しくいられるというのは有名な話。
なので今年は、ときめきを全力で探しに行こうと思う。その対象は、必ずしも異性とは限らない。
もしかしたら素敵な同性かもしれないし、夢中になれる趣味かもしれないし、あるいはこのライターズ倶楽部が何らかのきっかけになるかもしれない。
これで本当に痩せたら、こんなに楽しい話はない。痩せるだけでなく、肌艶もよくなるなら一石二鳥。おまけに人生が豊かになるような、そんな体験ができたら。
 
そう考えたら、なんとなく希望が持てそうな気がしてきた。
この謎のポジティブさも、私の思考の癖のひとつなのだけれど。

 
 
 

❏ライタープロフィール
水峰愛(Mizumine Ai)
1984年鳥取県生まれ。2014年より東京在住。
化粧とお酒と読書とベリーダンスが趣味の欲深い微熟女。欲深さの反動か、仏教思想にも興味を持つ。好きな言葉は「色即是空」

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2019-02-04 | Posted in 週刊READING LIFE vol.18

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