週刊READING LIFE vol.21

地球の上であることには間違いない《週刊 READING LIFE vol.21「文系VS理系!」》


青木文子(天狼院公認ライター)
 
 

あれは高校3年生の夏の終わり。
ちょうど夏休みの終わりかけの時期だった。
クーラーが家になかったので、勉強時間は自室の窓を網戸にして扇風機を回す。汗をかきかきしながらの勉強が一段落すると、お風呂に入る。遅い時間にぬるめのお風呂にゆったり入るのが好きだった。
 
お風呂に入りながらぼんやり考えるのは進路のことだ。そろそろ大学の希望校を決めなくてはいけない時期だ。足を伸ばして、浴槽の壁に身体を預ける。天井を眺めながら考える。
 
通っていた公立高校では理系クラスに所属していた。高校3年生の当初は、医学部を受験しようと思っていた。そのまま脇目もふらず目標に向かって勉強すればよかったものの、興味の幅が大きすぎる私にそれはムリだった。
 
生物部の部長をやっていたのは生物が好きだからだ。医学部でなく理学部にも興味がある。なんだったら、農学部も面白そうだ。いやいや、よく考えるとやはり哲学を学びたいのではないのか。本を読むたびに学びたい方向性がくるくると風見鶏のように変わる。
目的は一つ。人間とは何かを知りたかった。そう考えるとすべての学部がそれに関係してくるように思えるのだ。くるくると変わる私の希望学部を聞かされている友人たちからは「なんかさぁ~日替わりで希望学部が変わるよね」と笑った。「今日の希望学部はなに?」と朝の挨拶に冗談半分に聞かれるようになった。
 
日本の大学進学では「理系」と「文系」という大きな区分けがある。その区分けの根っこはそれぞれに必要な受験科目が違うのが一番の大きな理由だ。もちろん国立と私立では事情が違うが、受験科目が「理系」と「文系」で大きく違うことには変わりはない。
 
「君は理系だよね」「私は文系だからぁ~」
そんな言葉をよく聞く。これは単純に数学が強いとか、文章を読むのがすきだからとか、そんな意味で使われることが多い。その意味で言えば私はどちらでもなかった。数学は好きだ。物理も得意だ。文字中毒で本は乱読状態。いっそ数学が決定的に弱い、とか、本はみるのも嫌だとなっていたら理系文系の区分けにも迷わずにいられたのかもしれない。
 
その上、幸いにというか、マズイことに、というか、私の高校は理系であっても文系科目をしっかりと選択させられる高校だった。逆もしかり。文系であっても理系科目は必須で選択する仕組みになっていた。
なので、理系から文系へ、文系から理系へと希望学部を変えることが割とできる環境にあった。
 
ではさて、私はどちらに行こうか。
自分に問いかけてみる。お風呂のお湯がチャプリと揺れる。
 
このまま理系の学部を選ぶのか。それとも文転して文系の学部に舵をきるのか。理系から文系へ希望を変えることを文転、文系から理系へと希望を変えることを理転という。私は文転するのか、どうなのか。
 
目の前にある分かれ道。右へ行くのか左へ行くのか。
三叉路の真ん中で人は迷う。右の道の先の風景はどんな風景だろうか。左の道の先にはどんな出会いがあるだろうか。どちらかの道へ行ったら、もう片方の道の先の風景がみられない。道のどちらかを選ぶということは、別のもう一つの道の先の風景の前にたつ可能性を捨てることになる。迷うのは、そのことを人は直感するからだろう。
 
ぼんやりとお風呂の天井を眺める。
お湯に身体を任せていると腕が自然に浮力で浮かんでくる。
不意にひとつの考えが浮かんだ。
 
「どちらかを選ぼうとするから迷うんじゃないかな」
 
「両方できる方法を考えればいいんじゃないかな」
 
そうか、両方できる道を探そう!
 
そんなことは思いつきもしなかった。
どちらかを選ばなくてはいけないと思いこんでいたから。
 
お風呂の中でサブリと立ち上がった。
 
お風呂を入っていた時に浮力の原理を発見したのは古代ギリシャの学者アルキメデスだ。街の共同風呂に入っていた時にこの発見をしたアルキメデスは「エウレカ(わかったぞ)!」とさけびながら、裸で家まで帰ったというが、その時に気持に近いかもしれない。
 
流石に私は裸で走り回りはしなかったが、心の中で叫んだ。
 
「両方できる道を探そう!」
 
頭の中に思い浮かべていた分かれ道が、急に分かれ道でなくなった。
幅の広い、大きな道を、人が縦横無尽にそれぞれの好きなようにあるいている風景。
 
翌日、高校に置いてある進学資料で大学の学部を片っ端から調べ直した。理系でもなく文系でもない。そんな学部がきっとあるはずだ。
 
あった。理系でもなく文系でもない学部が日本に2つあった。
当時理系と文系の間という意味で「学際学部」と呼ばれている学部。早稲田の人間科学部と、大阪大学の人間科学部だ。そして私は早稲田の人間科学部人間基礎科学科に進学した。
 
大学に入って、生態学、脳科学、心理学、社会学を学ぶことになった。私はその中のどれかを選ぶのでなく、結局隣の学部にあった民俗学にハマり、そのまま民俗学で卒論を書くことになる。民俗学はバリバリの文系かと思いきや、論文を書く際のデータ処理にはそのまま数学や統計の感覚や知識が要求された。
 
「理系」「文系」という区分けがひとつの学問の入口の分かれ道であることは確かにそうだった。でも今振り返って思う。その別れ道は道の向こうで、いくつにも枝分かれしていたのだ。一見右と左に別れたように見えた道は、枝分かれした先で、また交差したり、また離れたりしていた。
 
「理系VS文系!」は行ってしまえば地球で言えば北半球と南半球のようなものだ。もちろん優劣はないし、それぞれを比べることもできない。北半球、南半球どちらに旅をしてもそれぞれの風景があり、旅の途中にまた別の半球にいくことだってできるのだ。
 
北半球南半球を選びきれずに、学際学部を選ぶという赤道上ぎりぎりの空路をとった私は、結局その先もふらふらと北半球南半球を旅してきた。
 
北半球、南半球の区分けは、人間がつくったものだ。地球はそんな区分けはどこ吹く風で、その分け目も関係なく、自転と公転を繰りかえしている。
 
だから思う。どちらを選んだっていい。そのどちらかに行ってもその先で旅の目的を変えることだってできるのだから。今私が高校3年生の私に伝えることができるのなら、そう伝えるだろう。
 
今、私は自分の立ち位置が北半球であるか南半球であるかは意識せずに生きている。
 
そう、そこは地球の上のどこかであることには間違いないのだから。

 
 
 

❏ライタープロフィール
青木文子(あおきあやこ)
愛知県生まれ、岐阜県在住。早稲田大学人間科学部卒業。大学時代は民俗学を専攻。民俗学の学びの中でフィールドワークの基礎を身に付ける。子どもを二人出産してから司法書士試験に挑戦。法学部出身でなく、下の子が0歳の時から4年の受験勉強を経て2008年司法書士試験合格。
人前で話すこと、伝えることが身上。「人が物語を語ること」の可能性を信じている。貫くテーマは「あなたの物語」。
天狼院書店ライティング・ゼミの受講をきっかけにライターになる。天狼院メディアグランプリ23nd season総合優勝。雑誌『READING LIFE』公認ライター、天狼院公認ライター。

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2019-02-26 | Posted in 週刊READING LIFE vol.21

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