週刊READING LIFE vol.2

あなたの涙が会社を変える。《週刊READING LIFE vol.2「私の働き方改革」》


 

 

記事:江島ぴりか(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

 

数年前、私は故郷の北海道を離れて、はるばるこの地に来た。
以前は大学の事務職をしていて、それはそれはのんびりと仕事をしていた。全体的にそういう雰囲気だったし、そもそも契約職員という立場だったせいか、基本的に定時退社、毎日ゆっくり夕食を作って食べ、十分な睡眠が取れる生活だった。
しかし、ほぼ毎日同じルーティンワークの繰り返しで、新しい企画を提案するとか、事業の改善に取り組むとかもなく、やりがいという点ではいまひとつだった。
そして、自分がこれまで培ってきた知識や経験を活かしたい、と思い始め、縁もゆかりもないA県に飛び込んだのだ。

 

転職は、いつだって期待と不安が隣り合わせだ。
緊張感と高揚感でいっぱいになる。
でも、その時の私には、なんだってやりこなす自信があった。
今まで失敗や反省がなかったわけではないが、新しい仕事でもどんどん覚えるし、どんな仕事でも基本的に嫌がらないし、職場環境への適応力も高いし、人間関係もうまくやれる方だ、と思っていた。だから、職場や仕事のことで悩んだことはあまりなかった。
それに、今度の職場はずっと長いこと希望していた職種だった。
これまであちこちさまよっていたけど、今度こそ、最後まで勤め上げよう。
私は、今までになく希望に満ちあふれていた。
それから数か月後に、「仕事ができない」と上司の前で大粒の涙を流すことになろうとは、まったく予期していなかった……。

 

新年度の初日に会社に行くと、私と同期入社の女性がもう1人いた。
彼女は夫の転勤にともない、A県にやってきた。
10人しかいない職場で、2人が新人というのもなんだかな……と感じたが、1人が3月末で退職し、夏にもう1人退職予定ということだった。
しかし、実際には産休に入ったばかりの女性がもう1人いて、この時点で、夏以降は通常体制より1人少ない状態になることが判明した。

 

新しい職場への私の期待とは裏腹に、初日から、なんだかピリピリした空気を感じていた。後で知ったことだが、その頃、かなり大きな新規事業を受託し、20年以上勤めているバリバリやり手の上司、中村さん(仮名)でさえも、「今までで一番大変な時期だった」とふり返る。それなのに、何もわからない新人が2人も来て、中村さんがほぼ1人で面倒をみなくてはいけない状況だった。今考えれば、かなりしんどかっただろうと思う。

 

私と、同期入社の井村さん(仮名)にはそれぞれ業務が割り当てられ、前年度の担当者から引き継ぎがされたが、皆が目の前の仕事に追われているせいか、その都度軽く説明があるだけで、「あとは去年のファイル見て」で終わってしまうことが多かった。
それとも、これがOJT=オン・ザ・ジョブ・トレーニングとかいうやつなのか?
新人の私たちにとっては、分厚いファイルに目を通して、そこから必要な情報を読み取るだけで、相当な時間がかかる。全体の業務スケジュールを理解できていない状態で、複数の事業を同時に効率よく進めていくのは困難だった。

 

そして、私は、連日暗くなった職場に残るようになった。
でも、私だけだった。
基本的に残業はほとんどない職場で、17時15分になると、待ちかねたように皆が足早に去っていく。
でも、私1人が、夜遅くまで残っていた。
同じ新人の井村さんでさえ、定時に帰っていた。
毎日いっぱいいっぱいで、やってもやっても、終わりが見えなかった。
なんで、私だけこんなに時間がかかるんだろう?
慣れていないから、初めての業務だから、しかたないのかな……
当時の私の担当業務量が、前任者に比べると、2倍、いや3倍近かったことに気づくのは、もう少し後だった。

 

殺伐とした空気、質問に対する冷たい応答に、すっかり中村さんに話しかけるのが怖くなっていた。容赦なく降りかかってくる仕事を受けとめることに必死で、どう考えても不公平で〝ブラック〟な状況に、どう対処してよいか、わからなかった。残業は全くしていなかった井村さんだが、それでも上司たちの対応や、仕事の多さに我慢がならないと不満を漏らしていた。そこで、一緒に局長に直訴しようということになったが、結局はうまくいかなかった。局長にとっては、長く勤めている上司たちの言葉の方が信頼できる。仕事に慣れていない新入社員に対して、「まあ、最初は皆大変だから。もう少し頑張って」程度の助言しか思いつかない。なぜなら、局長もまた、2年程度で交代になる職位だからだ。

 

井村さんとは、同期がいて良かったね、と毎日のように励ましあったが、ついに彼女も不満を解消できないまま、2か月で辞めてしまった。
彼女が、ほぼ一方的に怒りを訴えて、突然いなくなったことで、いっそう職場の雰囲気は険悪になった。中村さんも、明らかに限界を感じているようだった。
私は、昼休みに愚痴を言い合える仲間を失った。
そして、さらに追い詰められていった。

 

ある日、あまりにも腰が痛くなり、整形外科に行った。
原因ははっきりしなかったが、その頃の私は、体中のあちこちが、順番に不調を訴えるようになっていた。
コルセットをはめて帰宅途中、突然、左前方に現れた車に驚いた。
キキキキキーッ。
甲高いブレーキ音に、我に返った。
私は、赤信号の横断歩道を堂々と渡ろうとしていた。
そのとき、初めて自分の心が危機的状況にあることを察した。
自分の心が、そこになかった。
意識がもうろうとしていた。
私の精神が崩壊しつつあることを感じた。

 

しかし、故郷から1人で出てきた私には、すぐに辞めるという選択肢は、金銭的にも厳しかった。有利に辞められないかと、ユニオンやハローワークに相談もしてみたが、あまり良い解決策は得られなかった。契約職員の不利な点も、この時知った。
転職も考えたが、そもそも転職をしたために苦しんでいる状況で、その先の未来に明るい展望を描けなかった。

 

いたたまれなくなり、局長に2度目の相談をした。
でも、その返答は、あまりにも冷たいものだった。
「むしろ、君の仕事の手際が悪い、と聞いているよ。もう少し、テキパキとやれないか」私は、失意のどん底に突き落とされた。

 

残業と休日出勤で、疲れ果てていた。
いや、仕事量よりも、職場にいても味方がいない、誰にも気持ちを打ち明けられない、孤独な状況に疲れていた。
逃げ出したくても逃げ出せなくて、頑張りたくても頑張れなくて、もう限界だった。
中村さんと小さな丸テーブルをはさんで向かい合い、事業について打ち合わせをしていたはずなのに、私は突然泣き出してしまった。
「やっても、やっても、仕事が終わらないんです……。
全然終わらなくて、ああ、私はなんてできない人間なんだろうって思って、つらくなるんです……」
仕事のことで悩んで泣くなんて、後にも先にも記憶がない。
でも、そのときの私はつらすぎて、一度気持ちを吐き出したら止まらなくなり、しばらく泣きじゃくってしまった。泣きながら、会社で、上司の前で泣くなんて、なんて情けないんだろうと自分を責めたが、もはや自分の感情を抑えることができなくなっていた。

 

ふと顔を上げると、中村さんの目が赤くなっていた。
私はやっと冷静になった。
その頃の私にとって、彼女は冷酷な人としか映っていなかった。
彼女が涙ぐむなんて、そんな反応はまったく想像できなかった。

 

ああ、そうか。中村さんも、きっとしんどかったんだ。
すごくしんどくて、つらかったんだ。
彼女にはまだ小さい子どもが2人いる。
だから、育児のために早朝出勤して、16時前には退社していた。
彼女は誰よりも仕事が早いが、それでも、急激に増えた業務量を時短勤務でこなすのは、相当ハードだったに違いない。
待っている家族がいるから、いつでも残業するというわけにもいかないだろう。
そして彼女も、ずっと耐えてきたに違いない。

 

どんな人間にも限界がある。
人によって違うだろうが、まずはその限界を自分が認識していなければならない。
しかし、私たちは、我慢することにあまりにも慣れすぎている。
そして、耐えることが美徳だと信じている。
その雰囲気に抵抗できなくなっている。
結果、限界を超えても我慢を続け、心と体のバランスを崩していく。
その影響は自分自身にとどまらない。
周囲をも傷つけてしまうのだ。
我慢をする人は、他人に対しても知らずに我慢を強いてしまうからだ。
「私だってやってるんだから」と。

 

我慢することは、とてもえらいことのように感じる。
頑張っている人のように見える。
でも、本当はそれが楽だからじゃないだろうか。
我慢せずに、問題に正面から向き合い、それについて会社や上司と話し合うことは、精神的な体力を必要とする。
時には数日、いや数か月間かけて、相手と話し合わなければならないかもしれない。
もしかしたら、やっぱり解決しないかもしれない。
しかし、本当に何かを変えたいと思うなら、それを乗り越えなければならない。

 

過酷な状況に耐えているとしても、実は現状に向き合うことから逃げて、怠けているだけなのかもしれない。
だから、いつまでたっても会社は変わらない。
そして、社会も変わらない。

 

私も、中村さんから逃げていた。
直接向き合って、もっと早く自分の気持ちを伝えるべきだった。
ひどいことをされた、いやなことを言われた、と思うと、私たちは勝手に相手を悪魔のように思い込んでしまう。でも、悪魔なんていない。そこにいるのは、同じようにつらい状況を耐えている人間だ。そして、だからこそ、私の涙の意味を理解してくれたのだ。共感して、泣いてくれたのだ。

 

いや、私の上司は違う。
うちの会社は違う。
そう思う人もいるかもしれない。
でも、本当にそうだろうか?
誰も自分のことを理解してくれない、と感じているかもしれないが、あなたは周囲の人間のことをどれくらい理解しているだろうか?

 

あれからもう5年が過ぎた。
会社で泣きじゃくった日から、中村さんの接し方も、私の中村さんへの印象も180度変わった。相変わらず忙しかったが、わからないことはどんどん質問したし、大変な時には愚痴も言い合えるようになった。そして、自分では抱えきれないと判断した場合は、他の職員に積極的に頼ることも覚えた。しまいには、
「私の業務量多すぎるんで、この担当外してくださいよ!」
と、局長にきつく詰め寄るまでに態度がでかくなってしまった。
私だけではない。
他の職員も、基本的に自分の家庭生活を中心に考えているし、無理はしない。それでいいという雰囲気がある。大変な仕事のときは、お互いに助け合う。そして、半期に一度は、上司たちと個別面談をし、意見を交わす機会もできた。

 

あなたが感じている苦しみや悲しみは、あなただけのものじゃない。
きっと、共感してくれる人がいる。
そしてそれが、周囲を、会社を、社会を、変えていくきっかけになるはずだ。

 

❏ライタープロフィール
江島 ぴりか(Etou Pirika)
北海道生まれ、北海道育ち、ロシア帰り。
大学は理系だったが、某局で放送されていた『海の向こうで暮らしてみれば』に憧れ、日本語教師を目指して上京。その後、主にロシアと東京を行ったり来たりの10年間を過ごす。現在は、国際交流等に関する仕事に従事している。2018年7月から天狼院書店「ライティング・ゼミ」を受講、同年9月からREADING LIFE編集部ライターズ倶楽部に参加。
趣味は映画館での映画鑑賞とタロット占い。ゾンビとオカルト好き。中途半端なベジタリアン。
夢はベトナムかキューバに移住することと、バチカンにあるエクソシスト養成講座への潜入取材。

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2018-10-15 | Posted in 週刊READING LIFE vol.2

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