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屋久島Life&People

【岳参り】山々に棲む神への祈りの意義を問うてみる《第2回 屋久島Life&People 》


記事:杉下真絹子(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
毎朝、起きたらすること。
それは、私たちの住む尾之間(おのあいだ)集落の頭上に空高くそそり立っている岩山を見上げること。
 
花崗岩でできた1000メートル近くある岩むき出しのモッチョム岳(本富岳)は、海岸から屹立(きつりつ)し私の目の前に立ちはだかる。正直、視界にモッチョム岳以外何も見えないほどの大きさと姿かたちは、ただただ圧巻ものだ。
 
そう、私たち人間には到底真似などできない大自然の造形がそこにどんと座っている。
 

(尾之間集落にいますモッチョム岳)

 
そして、この島全体がそうであるように、モッチョム岳も花崗岩が毎年何ミリかずつ成長しているのだ。また、場所によってこの山が見せる顔が全く違い、こちらの集落からは男性的、あちらの集落からは女性的な姿と言われ、日本一の陰陽山とも言われている。
 
この巍然屹立(ぎぜんきつりつ)する岩峰に一旦雨が降ると、晴天時にはなかった白い滝が何箇所も生まれ、垂直に一気に落下しているのが我が家からも見える。また、雷が山に落ちると、地響きで山近くの家はもちろんのこと、地面全体が揺れる。それが、夜中じゅう続くとなると、本当に恐ろしさしか残らない。これをどう表現できようか……。
 
同時にこの島の人々は、古来山々から様々な恵みを受けてきた。
 
そう、【山も生きている】とはこのことかもしれない。
 

(上空からのモッチョム岳)

 
そんなモッチョム岳を見上げると、人間を超えた大きな何かがあることを感じざるを得ない。それ故に昔の人たちが、山に畏怖の念を抱き、神々として崇めてきたことが、実際にいまこの山を目の前に、現代を生きる私たちでさえもよく分かる。
 
気がつくと、そんな荒々しい岩山に向いて手を合わせている自分がいる。
 
そこに、説明はいらない。
 
本や映像から得る感覚とは、全く違うなにかがあって、本来私たちに備わっている【自然と共に生きてきた】という本質のDNAが奮い起こされるような感じだ。

 

 

 

そんな背景からか、屋久島では山々においでになる神さまに、人々の健康と集落の繁栄・安泰を願い、山に登りお参りする【岳参り】(たけめ・たけまいり)という伝統行事が昔から続いている。
 
私が住む島の南部に位置する尾之間集落でも、10月18日(旧暦9月2日)に恒例の岳参りが執り行われた。そして、屋久島にある二十四の集落のほとんどは、今でも何らかの形で岳参りの伝統行事を先代から引き継いでやっている。
 
今回、私たちが参加した尾之間集落の岳参りについて紹介する前に、屋久島の岳参りの背景について少し触れたいと思う。
 
【岳参りの始まりと歴史】
岳参りの起源については、定かでないようだが、約500年前の戦国時代あたりからと言われている。
 
諸説あるが、1487-1488年ごろ屋久島に大きな地震が頻繁に起こったことに遡るそうだ。当時島民の多くは恐れと不安の中にいたところ、領主が種子島を巡歴していた京都本能寺の高僧(日増上人)に祈祷をお願いしたのだ。
 
最初は、御岳(永田岳)が見えるお寺に入り祈祷を試み、高僧の弟子3人を御岳に送り込んだが、その地球の怒り(鳴動)はやまず、最後の砦として自らが永田岳に登り、笠岩という大岩の洞穴に入ること7日間、ひたすらお経を唱えたという。その後鳴動は鎮静し、島に再び平穏が戻ってきたと言い伝えられている。
 
屋久島には、永田岳に限らず巨石・岩からできた洞穴がどこにでもゴロゴロある。岩のみならず、屋久杉の根っこに人が容易に入ることができる大きな洞穴もたくさんあってそれを森の中で見つけると、思わず仙人がそこに入って修行している姿を想像してしまう。
 

(森の中から現れた巨石の上に立つ)

 

(切り株の中から森を見る)

 
また、聖願(鳴動鎮静)のお題目であった
『一品法寿大権現(いっぽんほうじゅだいごんげん)』
の文字は、その後神さまが鎮守していると信じられている山頂(永田岳や宮之浦岳など)の祠や前岳の祠、郷の詣所などに刻まれている。そう、別名『権現結びの神』と言われる神を祀っているのだ。
 

(牛床詣所の祠に刻まれている『一本法寿大権現』の文字)

 
ちなみに、この文字が刻まれた石碑は屋久島のあちこちに今でもひっそりと佇んでいるという。森の中に突如現れるウイルソン株や石塚山などの巨樹や大岩を見て神の姿を見立て、自然への畏怖を忘れない自然崇拝の形が今でも残っている。
 

(突如現れる巨木の切り株、ウイルソン株)

 

(ウイルソン株の中に祀られている祠)

 
【戸頭(とがっしゃ)の役割】
さて、尾之間集落の岳参りについて少しずつ説明していこうと思う。
まず、集落の伝統行事を住民がどのように行っているのか、少し紹介していきたい。
 
約730人(417世帯)が住む尾之間集落は、小組合と言われる3つのエリア(東町、中町、西町)に別れていて、特に古くから受け継がれてきた3大伝統行事(①岳参り、②氏神神社の大祭、③二十三夜祭り)などを毎年当番制で取り仕切る仕組みになっている。
 
今年は私たちの住む中町が回ってきた。
その中から、戸頭(とがっしゃ)としてこれら行事のお手伝いができる希望者を集落の回覧紙などで募っていたので、単純に私たち(杉下家)は手を挙げたのだ。「私たち」と言っても、東京にいるパパに相談せずに、ほとんど独断で私が勝手に話を進めた。そのため、パパは後になってそのことを知り、わけが分からずだったらしい。
 
パパがどう言おうが、このような集落の大切な行事のお手伝いができるチャンスが回ってきた、これを逃がすと、次は3年後になる!と思うと迷わず区長さん(昔でいう村長さん)のところに申し出た。そして、今回戸頭を取りまとめる責任者の戸口(とぐち)と連絡を取って、無事戸頭のメンバーになった。
 
さて、最初の顔合わせ・打ち合わせに参加するため、土曜日の夜、集落の集会所にやってきた。と言っても、初参加は杉下家だけでほかは常連の戸頭だったと、後で知ることになるが(笑)。
 
部屋に入ると、中町に住む12世帯の戸頭から各1名と区長さんの総勢13名がすでに全員勢揃い。
おっ、いきなり年齢層高い!
私が新米で一番若い。
しかも、女性はその中で私ともうひとりのみ。
 
これまで、戸頭夫婦ペアで打ち合わせに参加していたそうだが、今年のコロナ禍で、各世帯1名づつとなり、当然のことながら家長が出席していた。東京にパパを残してきた杉下家は当然のことながら私が代表での出席だったのだ。
 
【岳参り:だれがどこで】
岳参りの場所として、多くの集落では、①奥岳(御岳・奥宮とも呼ばれる)と②前岳(集落の麓にそびえる山々)に登拝する。
 
尾之間集落では、奥岳として宮之浦岳、前岳として頭上にそびえるモッチョム岳(本富岳)の2チームに別れて岳参りが行われる。
 
基本的に、尾之間では集落の男性が岳参りを行ってきた。どうして男性のみ山に入るのか。はっきりとした理由はわからないが、そもそも道がなかった昔の岳参りは厳しく、奥岳は丸二日、前岳は一日がかりの行程で行っていたことから、体力のある若い男性がやっていたようだ。ただし、屋久島の北に位置する漁村の永田集落などでは希望すれば女性でも集落外の人でも、岳参りに参加できるらしく、完全に女人禁止というわけではなさそうだ。
 
【岳参りへ出発】
そして、10月18日(日曜日)、尾之間集落の岳参りの朝がやってきた。
朝4時半ごろから戸頭とその家族たちが集会所(尾之間管理センター)にぞろぞろと集まってきた。もちろん、外はまだ真っ暗。
 
奥岳に行くメンバー(今回は5名)は、半被(はっぴ)を着て、頭には角笠(つのがさ)をつけて、周囲に見守られる中、さあ5時きっかりに出発。
 
いってらっしゃーい!とみんな手を降って見送った。
 

(朝5時、奥岳チームの出発前の様子)

 
今や、道路が整備され8合目まで車で行って山頂できるようになったものの、それでも現代人にとって宮之浦岳(1936m)登頂はかなりきつく、登山の難易度は「上級」とされている。そう、九州最高峰の山で登山ファンの間で一度は登ってみたい憧れの山だ。
 
途中の花之江河などにある祠にもご挨拶を行い、男たちはどんどん突き進む。
これまで、雨の年も晴れの年も、霧が濃い年もあった。
 

(雨の岳参り、道中の花之江河の祠にもご挨拶)

 
昔の人たちは、集落のために厳しい山への岳参りをする戸頭たちの背中をどんな思いで見送ったのだろうか。それでも最後は、山々や大自然という大いなる存在に頭(こうべ)を垂れることを通して、自然と共存してきた島の知恵がこのような形で今でも引き継がれているようだ。
 
さて、戸頭たちは登拝する際に、供え物を持っていく。
季節の野菜、果物、塩、米とお酒、そして555円のお賽銭。
 
最近では日本酒を供えることがあるが、この地域でも昔は焼酎だったようだ。
なぜ555円なのか。昔も今も変わらず【ご縁があるように】の願いは同じかもしれない。
 

(今年の岳参りのお供え物)

 
奥岳の宮之浦岳に到着すると、いよいよ狭い大岩と大岩の間に神さまが鎮座する祠にお供え物を捧げ、集落の代表として聖願を行う。
 

(宮之浦岳頂上にある祠の巨石から永田岳が見える)

 

(大岩の隙間に入っていく戸頭)

 
まるで、狭い産道(参道)を通ってお母さんの胎内に入り、【生まれ変わり】を体験するかのようだ。年に一度、禊祓いをして生まれ変わり、また新たな日々がやってくる、それと似ているのかもしれない。
 

(祠の前で請願をする戸頭)

 
そして、シャクナゲが集落や神社などで一緒に祀られる。
(**基本的に、国立公園などから許可なく植物を持ち帰るのはNGとされている)
シャクナゲに山の神さまが宿るとも、それはまた岳参り参拝した証とも言われていている。
そもそも、高い山の厳しい岩場に似合わない美しく豪華に咲くシャクナゲの花の姿から、昔から山の精霊の化身と信じてきた地域もある。
 

(春に開花するシャクナゲの花)

 
残った戸頭の男性は区長さんと共に、同じお供え物を持って、前岳に入る。
昔は、祠があるモッチョム岳の山頂まで登っていたが、今はモッチョム岳を見上げることができる場所からお参りをしている。
 

(前岳に向かう道中からみたモッチョム岳)

 
今回、杉下家のパパは、岳参りに参加するために、前日東京から屋久島入りしていた。さすがに、奥岳登拝は日頃の運動不足と過労から腰が引け(笑)、結局ぎりぎりになって前岳チームに入ることになった。そのため、息子の悠もついでにジョインして参拝することができたのは良かった。
 

(前岳参拝チームと尾之間区長)

 
さて、前岳チームが近くの参拝から戻ってきた後は、翌週の御神事に使われるしめ縄づくりが始まった。集会所前で男たちがしめ縄づくりを始めると面白いことに、どこからか80代の長老のような人が現れた。そして、シャキッとした趣で「しめ縄の編み方が違う、こうするんだ!」と、60代後半の戸頭の男衆に向かって大声を張り上げている。それを、みんなは(ハイ、ハイ)と少し笑みを浮かべながらも、しっかりと受け止め、聞いているのだ。
 
しめ縄づくりを続けていると、また80代の違う長老が杖をついて現れた!
長い間区長をされていた方だ。
そんな長老たちの存在がここではまだまだ大きく、先代からの知恵を引き継いだ生き字引のような長老たちは、様々な意味でレスペクトされ、また大切にされているのが垣間見えるのだ。
 

(集落の長老と共にしめ縄をする戸頭たち)

 
【戸頭女性メンバーの役割】
これまで、戸頭の男性のお役目について説明してきたが、実は戸頭の女性たちも、重要な役割がある。それは、料理だ。女性たちは登拝から戻ってきた戸頭たちをねぎらうべく直会(なおらい)のために郷土料理を作るのだ。
 
前日の準備から始まり、当日の朝から晩までずっと台所にいて料理の準備をする。
だからか、岳参りの行事で一番忙しくまた活躍するのは誰でもない戸頭の女性だ、とみな口を揃えて言う。季節の採れた野菜、捕まえたヤク鹿や新鮮な魚を持ち寄って男性たちに振る舞うという。
 

(戸頭の女性チームによる料理風景)

 
残念ながら、今年はコロナ禍で、直会含むすべての料理を振る舞う行事は中止となった。個人的には、屋久島の郷土料理を作るお手伝いをするいい機会だったので、少し残念だが、三年後を楽しみに待っていよう。
 
【岳参りからの帰還】
夕方、岳参りから奥岳チームを出迎えるために、集会所に戸頭が全員集合してきた。
いつもであれば出迎えた後、岳参りチームはそのまま尾之間温泉に入り身を清め、集会所に再び集まって直会が始まり、夜中までご馳走と共にワイワイが続く。
 
今も昔も変わらず、身体を清めるために【尾之間温泉】に入る、さすがこの集落ならではだ。そう、温泉が発見されて数百年経っても住民が健康と長寿のために毎日通うという尾之間温泉は、今でも皆に愛されているのだ。硫黄のにおいが漂うこの温泉に入ると、ほんと生き返る!若返る!
 

(住民から愛される尾之間温泉)

 
今年はというと、悪天候からいつもより登拝時間が長く戻ってきたのが遅かったため、温泉に入る前に、みんなで帰還したばかりの奥岳チームを囲む会になった。前にずらっと並んだ奥岳チームを囲み、無事登拝の挨拶とねぎらいの言葉がお酒と共に交わされた。そして、前のテーブルには、チームと共に尾之間集落にやってきたシャクナゲがそっと飾られているのだった。
 

(集落に飾られたり、神社に奉納されるシャクナゲ)

 
実は、本当かどうかわからないが、奥岳登拝した者はこれから1年間【神さま扱い】されるそうだ(笑)。翌年の3月に行われる二十三夜祭りでは、登拝者は神さまの領域に入って、皆からお酒を振る舞われるという。
 

今回、戸頭責任者の戸口の方が、最後まで我が家のパパに「宮之浦岳の奥岳チームに入って頑張って登ってほしい」と言ってくださっていた意味が、今となってはよくわかる。
 
「いや~~~、杉下さんには(奥岳に行って)神さまになってほしかった」
 
尾之間集落に引っ越してきた新参者の我が家に、少しでも神さまに近づけるチャンスを、と思っての計らいだったに違いない。なんだかとても嬉しい気持ちになった。
 
結局、パパは奥岳から前岳チームに自ら懇願して降格したのだが(笑)、いつか身体を鍛えて、トライしてもらいたいところだ。あ、いや、もしかして我が息子の悠(5歳)がいつか奥岳に登る日も来るかもしれない。そうすると、我が家も少し神さまの垢をいただける日がいつの日か来るかもしれない。
 
ちなみに、今回最後に神にふるまわれたお神酒として、パパが東京から担いできた八海山の大吟醸が登場した。このような形でもパパの貢献が見られ、なんとか面目は保たれたのかも(笑)!
 

(奥岳から無事帰還した奥岳メンバーを前に戸口がねぎらいの挨拶をする)

 
【新しいコミュニティ(集落)に入るということ】
私たちが尾之間に引っ越してきた今年3月の頃は、新型コロナの感染が日本でも拡大しつつある頃で、引越し後も人が集まる行事がことごとく中止になった。
 
だから、今回の岳参りの行事は、初めて集落の人たちと知り合いになれる機会でもあった。今思うと、みんな顔見知りばかりの集落に、新しい人が引っ越して来ると、注目度が半端なく、新参者の私たち杉下家も(あの人たち何者?)と今までみんなから思われていたに違いない!
 
そんな中、勢いで戸頭に手を挙げていた私は、中町の戸頭メンバー構成を知って、一瞬緊張が走った。というのも、中町の戸頭13家族のうち、私たちを除くと一家族だけが島外からの移住者であり(その家庭も移住歴がほぼ20年と長い!)、ほとんどの人は、屋久島ネイティブ、しかも尾之間で生まれ育った人たちが多い。
 
最初はドキッとしたが、海外で長年住んできた私たち杉下家にとって、実はよそ者として知らないコミュニティに入っていく経験はたくさんしてきて、慣れているのだ。
 
しかも、アジアやアフリカなどの村やスラム地域で地域保健事業やコミュニティづくりの活動に長年携わってきた経験から、やはり地元の行事に参加したり、積極的に関与し貢献していくことがコミュニティの一員になる近道の一つということも実感している。
 
そう、こんなところで、これまでの経験が役に立つなんて!
 
ただし、そこにいる人々と完全に同化・同一になるというより、『よそから来た者』と少し意識しながらも、そのコミュニティにうまく調和していくことで、そこに新しい風が吹き込まれ、お互いが停滞することなく成長していく、そんな姿になればいいなと思っている。
 
とは言えども、何よりも大切なこととして、新しいコミュニティに入ったら、とペコリと頭を下げ【わからないので、色々教えて下さい!】という態度を忘れないことだと思う。
 
そう、ソクラテスの【無知の知】(Knowing Unknown)が言っているように、【自分がいかに知らないことがたくさんあるか】を自覚すること。そうすることで、より新たな学びが可能になり、さらに広い世界のドアが開くように思う。
 
その姿勢を持つと、尾之間集落の歴史についても、岳参りの伝統行事についても、もっともっと知りたいと自然に思うようになる。そして、集落の皆さんからたくさんのことを教えて頂く。アフリカのコミュニティでも、同じように素晴らしい人たちからたくさんのことを教えてもらったように……。
 
しかも、たいてい食事やお酒を囲んでの楽しい会を通して様々なことを知り、学ぶのだ。
今回、戸頭メンバーとの交流でも、たくさんの笑いと学びがあって本当に楽しかった。
 
そして、そんな大人の学びを、ここ屋久島、尾之間でもさせてもらっていることに、感謝が湧いてくる。
 
【岳参りの意義】
最後に、
尾之間区長の日高典孝さん(72才)に岳参りの意義を尋ねてみた。
 
「科学が飛躍的に発展した現代においても、村人の心の奥底には、何かを念じる、祈るという対象に対峙している山岳があると考えます。だからこそ、山に棲む神様にかねての御見守りを感謝し、また今後の見守りと集落の安寧、五穀豊穣、区民の家内安全を祈願するところに【岳参り】の意義を見出しているのではないかと思います」
 
そしてこう続けた。
「また、現代においては、古(いにしえ)の人たちが育み、今に伝える伝統行事を絶えることなく継承していく、そのこと自体が意義だとも言えます。尾之間集落においては、あまり形式張らずに、自然体で当たり前のこととして、営々と行事を継承し続けていると感じています」
 
これまで、様々な理由から岳参りの行事を中断してきた集落もある中、ここ尾之間集落では記憶の限り、一度も中断されたことはなく、ずっと継続してきたそうだ。
 
伝統行事がどんどん簡素化し、廃れてしまう時代にあって、どんな形であっても先代から引き継いだ行事を続けること、その継承の努力に意味があり、また意義がある。そうすることで集落に団結が生まれ、その先に初めて未来が見えてくるのだろう。
 
そんなことを尾之間区長の言葉を聞きながら思った。
 
益々ここ尾之間の集落に住む魅力が見えてきた!
そしてこの島の暮らしがさらに楽しくなる!
山の神さま、ありがとう!
 

(尾之間集落にて)

 
 
<参考資料>
屋久島町郷土史
熊毛郡宗教史
屋久島世界遺産センター資料
尾之間区事務所、戸頭および区民からの聞き取り
 
写真提供:杉下智彦、杉下真絹子
©︎2020 Tomohiko Sugishita & Makiko Sugishita. All Rights Reserved.

□ライターズプロフィール
杉下真絹子(READING LIFE編集部公認ライター)

大阪生まれ、2児の母。
1998年より、アフリカやアジア諸国で、地域保健/国際保健分野の専門家として国際協力事業に従事。娘は2歳までケニアで育つ。そこで色んな生き方をしている多種多様な人々と出逢いや豊かな自然環境の中で、自身の人生に彩りを与えてきた。
その後人生の方向転換を果たし、2020年春、子連れで屋久島に移住。【森の中でウェルビーングする/archaic FORESTING】をキーコンセプトに屋久島で森林浴・森林セラピーなどの活動開始(カレイドスコープ代表)。
関西大学卒業、米国ピッツバーグ大学院(社会経済開発)修士号取得、米国ジョンズホプキンス大学院(公衆衛生)修士号取得。

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2020-11-02 | Posted in 屋久島Life&People

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