大事にしまっていたノートに、何か意味はあったのか?《週刊READING LIFE vol.119「無地のノート」》
2021/03/15/公開
記事:中川文香(READING LIFE公認ライター)
子供の頃、何かを夢中で集めた経験がある人はきっと多いのではないだろうか?
お菓子のおまけ、ミニカー、お人形、セミの抜け殻なんて人もいるかもしれない。
私は小さい頃、文房具を集めるのが好きだった。
今でも文房具が好きで、うっかり書店の文具コーナーに入ってしまおうものなら小一時間ほどぶらぶらしてしまうことだってザラにある。
小学生の頃は可愛い消しゴムが流行っていて、フルーツの形をしたのやらいい香りがするのやら、ありとあらゆる消しゴムを飽きもせずに集めていたし、手紙を書くのも好きだったのでレターセットを集めて友達と交換したりしていた。
カラフルなペンを筆箱に入れて持っているとなんだか気持ちも明るくなったし、香り付きの糊なんてものもあった。
ノートやメモ帳の類もたくさん集めていた。
当時好きだったサンリオのキャラクターのものや、少しお姉さんっぽい花柄や空の写真の表紙のノート、少女漫画の付録でついているノートなど、気に入ったものを “大事なもの入れ” にしまって、時々取り出しては「かわいいな~」とぱらぱらめくって眺めていた。
文房具が好きで色々集めてもいたのだけれど、その集めたものたちを使うことはあまり無かった。
ペンも消しゴムも、当たり前だけれど使ったら無くなってしまう。
お気に入りのものが無くなってしまったら悲しいではないか。
ときどき眺めてうきうき出来れば良い。
だから使わない。
たまに手に取って、「自分はこんなかわいいものを持っているのだ」という優越感に浸れればそれで良かったのだ。
ノートなんて特にそうだった。
お気に入りのかわいい絵柄が入ったノートに自分の見慣れた文字が綴られたら、可愛いノートに急に日常臭さが混ざってしまう。
万が一、間違ったりでもしたらお気に入りが汚れてしまう。
それなら使わないで綺麗なままでとっておいた方がいいや。
そう思って大事に大事にしまいこんでいた。
大事なノートはしまい込んで使わずにいて、さらに他のノートを使う時でさえも私は慎重だった。
ノートを使うとき、私は頭のページから順番に使っていかないと気の済まない子だった。
最初のページから順番に、書き終わったら次のページ、またページが下まで埋まったら次へ、というように。
ページを飛ばして使うなんて、私の中では絶対にあり得ないことだった。
妹は対照的で、お絵かきをするときも自由帳のどこからでも平気で使う。
いきなり真ん中のページから描き始めたりするから仰天して「最初から使わないとダメだよ!」と怒ったこともあるけれど、きょとんとした顔をされたのを覚えている。
ノートをどこから使おうが、その人の自由だ。
けれど、その時の私はそんな風には考えられなくて、杓子定規のように始めから終わりまで几帳面に1ページずつノートを埋めていっていた。
月日は流れ、社会人になった私は、実家を離れて一人暮らしをしていた。
年末年始の休暇の時だっただろうか。
実家に帰省して暇を持て余していたとき、思い立って自分の部屋の掃除をすることにした。
押入れにしまってある引き出しの中に、小さい頃から学生時代までのありとあらゆる思い出の品がしまいこんである。
いい機会だから整理してすっきりさせようかな、と思ったのだ。
引き出しを開けると出てくる出てくる、思い出の品の数々。
どこかに旅行に行った時のキーホルダーや友達と撮ったプリクラ、過去綴っていた日記帳や交換日記など、当時の私が大事だと思っていたものたちが引き出しの中に溢れんばかりに詰まっていた。
ひとつひとつ取り出しては懐かしさで当時を振り返る。
中には「これ何で取ってたんだっけ?」というような白紙のメモ用紙も大量に出てきた。
同じく大量に出てきたのは、使っていないノートたちだった。
サンリオのキャラクターのものや、少しお姉さんっぽい花柄や空の写真の表紙のノート、少女漫画の付録でついているノート、それらは使われないまま、実家の押入れの中でひっそりと眠り続けていたのだ。
当時はかわいいと思って集めていたけれど、大人になった手に取ってみてもときめかない。
中は何も書いていない白紙のノートだけれど、今更10年以上前の少女漫画のキャラクターがのったものは使いたくない。
第一気に入ったノートをため込む癖は幼い頃から変わっていなかったので、今一人暮らししている部屋にも未使用のものがたくさんある。
持って帰ってもしょうがないし、と思い、母に「もし何かに使うんだったら」と半ば強引に押し付けた。
ちょうどその頃、私は転職を考え始めるようになっていた。
「この先ずっと、この会社で働いていくのか?」
という自分への問いに、疑問が生じてきていたためだ。
でも、いざ転職しようとなると途端に足がすくむ自分がいた。
「私、これまで何か身に付けてきたのだろうか?」
「これから、どんなことをしたらいいんだろう?」
「誰かの役に立つことが出来るだろうか?」
「そもそも、私は何をしたいんだろう?」
次の仕事について考え始めると、自分の中に強みに出来るようなものが何も無いような気がして愕然とした。
大学を卒業して最初に勤めた会社では、もう7年近く働いてきていた。
7年もいればそれなりに色々学んできたし、大学生の頃に比べれば出来ることだって格段に増えたし、社会人としての経験もそこそこ積んできたと言えるはずだ。
けれど、どうしても自信が持てなかった。
今の会社を辞めて社会に放り出されたら、何も出来ない自分の哀れな姿がさらけ出されるような気がしてものすごく恐ろしかった。
今ここで仕事が出来ているのは周りの人がいるからで、私なんてスキルも人脈も無いし、会社という看板が無ければ何も出来ないんじゃないのか?
言いようのない恐怖が背中から覆いかぶさってくるような思いがした。
ふと、実家の部屋を掃除した時のことを思い出した。
使われずに大事に押入れにしまわれていたたくさんのノートたち。
私はあのノートたちと一緒だ、と思った。
本当なら、日々の出来事や、何かを勉強した記録や、イラストなんかで埋めつくされるのを待っていたかもしれないノートたち。
「大事だから」「汚したくないから」という理由で使われることなく真っ白のまま放っておかれた、可哀想なノートたち。
それらが自分と重なった。
「ちゃんとやってきたつもりだったけれど、本当に自分で考えて仕事をやってきたのだろうか?」
「とりあえず言われたことだけやってたんじゃないの?」
「目の前のやるべきことばっかりで、自分がどうなりたいのか考えるのは放ってきたのでは?」
順番に、前からきちんと書くことばかり考えてノートを自由に使えないように、自分のことについてもその時その時にすべきことしか考えていなかった。
目の前の仕事をとりあえずこなしていれば、たぶんなんとなく描く未来にぼんやりと近づいていくのだろう、そのうちふわっとスキルもついていくのだろう、だんだん成長していくのだろう。
深く考えることも無く、根拠も無いのにそういうことを思っていた。
その日をちゃんと生きることが出来れば、すごろくが進むように人生もなんとなくうまい具合に進んで行くのだろう、と、今考えると本当におめでたい思考で働いていたのだった。
転職を考え始めて思い悩むのは当然だった。
私は、人生という白紙のノートに、色々なことを書きこむのをためらっていたのだ。
一度しかない大事な私の人生ノートを汚く使いたくない、ともったいぶっていたのだ。
“自分が何をしたいのか” なんて、大学生の就職活動の時にあれだけ苦しんで考えたこともキレイさっぱり忘れ、一生懸命働けばだいたい決まったお給料がもらえる現状にあぐらをかき、自分の未来を考えることを放棄してその場しのぎで与えられたことだけこなして「自分はちゃんとやっている」と満足していたのだ。
“これは何の役にも立たないかもしれないから”
“これは失敗するかもしれないから”
そう思って無難な道だけを選びとり、何の冒険もせずに安穏と暮らしてきた。
何かに興味を持っても、今の仕事に役立つかどうかの基準のみでジャッジして挑戦しなかったこともあったし、そもそも仕事以外のことに興味を持つこともあまり無かった。
忙しい仕事の邪魔になってしまうかもしれない、と無意識的に自分の興味に蓋をしていたのかもしれない。
そうやって幼い頃と同じように、人生というノートにも決まったことしか書いてこなかった。
ページが飛んだりもしない、何の遊びも無い私の人生ノートには、自分が経験してきた事実だけがただつらつらと書き連ねられているに過ぎなかった。
後ろを振り返るとこれまで自分が歩いてきた道のりが綴られていて、一見良い記録が残っているように見えることもある。
けれど、時折振り返って “まとめページ” を作っているかどうかで、その後の人生に活かしていく経験に出来るかそうでないかの差がつくように思う。
私はこの振り返りをしてこなかったので、過去の仕事上の経験が何に活かせるか見当もつかなかったし、自分には何も無いような無力感に襲わることになった。
さらに、自分の未来についてあれこれ想像を巡らせてみることもほとんど無かった。
私の人生ノートの未来部分は全くの白紙。
そんな状態で次にどうしたいのかいきなり考えるのは不可能だった。
それから5年経ち、私はいくつかの仕事を経験し、結婚して生活環境もがらりと変わった。
自分の人生ノートを上手く使いこなせているのかどうかは、今でも悩むことが多い。
けれど、転職時に迷って一つだけ分かったことがある。
それは、ノートと同じように、人生だって自分が何かを書き込まなければ白紙のままだということ。
興味があることはお金と時間と気力が許す限り何でもやってみればいい。
自分に合わないと思ったら、潔くやめればいい。
「これは自分に関係ないから」とか「面白いかどうかわからないから」とかやってみる前に勝手に判断しないで、チャレンジしてみればいい。
直感で開いたページから大胆にノートを使い始めるように、予定調和から外れて自分の予想外の展開に巻き込まれてみるのもいい。
どこから始めても、戻っても汚しても、やぶれてしまってもいい。
心のどこかで「やってみたい」と思ったことには躊躇せずに何でも挑戦してみることにした。
働いて、暮らしていく上で役に立つのか分からないようなことに興味を持つこともたくさんあった。
役に立つ、立たないはとりあえず置いておいて、色々やってみることにした。
何でもやってみたらその分だけ、白紙だった人生ノートは色鮮やかに染まっていく。
そう気付いてから、自分の人生が以前よりも面白くなった気がした。
自分の思うようにいかない時も、反対に予想外にスムーズに事が運ぶ時も、人生には色んな時期があって浮いたり沈んだり忙しい。
時には流されたり、流れに逆らったり、振り返ったり、この先に思いを馳せてみたり、なんでも考えたことを思いのまま綴っていけば、世界に一つだけのオリジナルな人生ノートが出来上がる。
思うさまたくさん書いて描いて、もっともっと人生ノートをぐちゃぐちゃに汚して生きたい。
白紙のまま使わずに手放してしまった、あの時のノートのようにはしたくない。
□ライターズプロフィール
中川 文香(READING LIFE公認ライター)
鹿児島県生まれ。
進学で宮崎県、就職で福岡県に住み、システムエンジニアとして働く間に九州各県を出張してまわる。
2017年Uターン。2020年再度福岡へ。
あたたかい土地柄と各地の方言にほっとする九州好き。Uターン後、地元コミュニティFM局でのパーソナリティー、地域情報発信の記事執筆などの活動を経て、まちづくりに興味を持つようになる。
NLP(神経言語プログラミング)勉強中。
NLPマスタープラクティショナー、LABプロファイルプラクティショナー。興味のある分野は まちづくり・心理学。
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