週刊READING LIFE vol.153

母が教えてくれた「生きること」の答え《週刊READING LIFE Vol.153 虎視眈々》


2021/12/27/公開
記事:深谷百合子(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
週末の朝、いつものようにSNSを開いた。すると、友人の投稿のあるタイトルが私の目に真っ先に飛び込んできた。
 
「生きること・死ぬこと」と書かれたタイトルの記事には、彼女がここ数か月の間に、乳がんと宣告され手術を受けたことが報告されていた。そして、彼女が感じた恐怖と、そして「生きること」に対して今感じていることが、淡々と、でも強い決意をもって記されていた。
 
私は、彼女の快復を祈りながらも、どんな言葉も薄っぺらくなるような気持ちがして、彼女へかける言葉を探していた。そして一方で、
「そう言えば、今年はまだ健康診断に行っていなかったな」
と自分のことをぼんやりと考えていた。
 
私は今55歳。母が入院したのと同じ年齢になっている。
 
母は、55歳になる少し前から、「腰が痛い」と口にするようになっていた。
 
「あまりに腰が痛いから整形外科に行ったの。そしたら、骨粗しょう症って言われたのよ」
「骨粗しょう症? そんな病気があるの?」
「女の人に多いらしいよ。年齢があがると、骨がもろくなるんだって」
 
初めて聞く病名。当時はインターネットもない時代で、簡単に情報を得る術はなかった。ただ、それまでと変わらずに仕事をし、元気そうにしている母の様子を見て、私は「その内よくなるだろう」と勝手に思っていた。
 
それが、3ヶ月ほどたったある日、母は急に体を動かすことができなくなって緊急入院した。そして検査の結果、ガンが骨に転移していたことが分かったのだ。
 
「乳がんが最初にできて、そこから骨に転移したそうだ。もう手遅れで手術も無理らしい。もってあと半年って……」
 
父からそう聞かされて、私は目の前で起きていることが信じられなかった。
 
そこから、母を看病する日が始まった。父の考えで、母には本当の病名も余命も告げていなかった。ただ、母は自分の左胸にしこりがあることは知っていた。
 
母の体を拭いている時に、
「左胸の上あたりに、固いしこりがあるでしょう?」
と母は私に話しかけてきた。
 
「うん」
「カニのような形をしているって先生が言ってたけど、そう?」
「うーん、そう見えなくもないかな。いつからあったの?」
「いつ頃かなぁ。半年位前かな。こんなのあったっけ? と思ったけど、そのままにしてた」
 
病名を伏せている手前、私はそれ以上なんと答えてよいか分からなかった。ただ、母がしこりに気づいた時、すぐに病院で検査をしていたら、結果はもっと違っていたかもしれないと思っていた。
 
抗がん剤と放射線治療を続けながら、症状が落ち着いてきたところでリハビリが始まった。最初は台に寝たまま少しずつ台を起こし、「立つ姿勢」を維持する練習から始まった。日を追うごとに、台の角度が大きくなっていく。そうやって目に見える成果が出てくると、母も少し前向きな気持ちを取り戻したようだった。
 
「早くまた歩けるようになって、教壇に立ちたい」
それが母の目標だった。
 
母はリハビリに懸命に取り組んだ。やがて、立つ姿勢を保てるようになり、ベッドの上で姿勢を変えることができるようになり、イスから立ち上がれるようになり、歩行器を使って歩けるようになり、そして、杖をつきながら歩けるようになった。
 
「もってあと半年です」と言われてから半年が経った頃、母は退院した。そして仕事も再開し、教壇にも立った。
 
ある日、高校時代から仲の良かった私の友人が、お見舞いをかねて家に遊びに来てくれた。母も私たちに混じって話を聞いていたが、私の友人が薬剤師をしていることを知ると、奥の部屋から薬を持ってきてテーブルの上に広げた。
 
「薬も値段の高いのが色々あるのね。びっくりしちゃった。これ、どういう薬なの?」
母は私の友人にたずねた。
 
友人は一目でそれらがどういう薬かを理解したが、母には上手く取り繕って答えてくれた。あとで私に
「あの答えで良かったかな。でも、自分の病気のことを、本当はもっと知りたいと思っているのかもしれないね」
と話してくれた。
「うん、薄々気づいているんじゃないかな。それで聞いてみたのかも」
「それにしても、きっと体はつらいはずなのに、仕事にかける意欲がすごかったね」
「そうだね、それが支えになっているんだと思う」
友人と言葉を交わしながら、私はそう感じていた。
 
母は復帰後、精力的に仕事をしたが、数か月後に再び体調を崩した。そして、入退院を繰り返した後、あの世へと旅立っていった。「あと半年」と余命宣告を受けてから1年半後のことだった。
 
当時私は20代前半だった。母の姿を通して、「人はいつどうなるか分からない。悔いのないように、やりたいことはやって、精一杯生きよう」と思うようになった。そして、その通りに生きてきた。でも、あの時の母と同じ年齢になって、当時の母の気持ちを想像してみると、また違う考えが浮かんでくるようになった。
 
まだ23歳だったあの日、私は母の胸にあるしこりを見ながら
「なぜ見つけた時に、すぐに病院に行かなかったのだろう? 病気が分かるのがこわかったのかな」
と思っていた。でも、その「こわい」にも色々な意味があったのではないかと今は思う。
 
その頃母は、仕事の幅を広げていた。私も弟も大学に入り、母は自分の仕事に専念できるようになったところだったのだ。
 
母はなかなか子どもができず、諦めて仕事に専念しようとした矢先に私を身ごもった。育児のために仕事はセーブし、以降はずっとフリーランスとして母は仕事を続けてきた。
 
仕事が絶えることはなく、新たに舞い込んできた仕事も母は進んで引き受けていた。電車で片道2時間近くかかる県外へも仕事に出かけていた。色々なところからお呼びがかかって、母は充実感を感じていたに違いない。私が生まれてから20年以上、ずっとどこか不完全燃焼のままでいたのが、ようやくアクセル全開で動けるようになったのだ。今ここでブレーキは踏みたくなかっただろうし、引き受けた仕事に対する責任感もあったと思う。それに、自分の都合で仕事に穴をあけるのは勇気がいる。
 
「今ここで立ち止まるわけにはいかない」
そんな母を病魔は虎視眈々と狙っていたのだろう。あっという間に母の体を蝕んだ。
 
それでも母は「もう一度教壇に立つ」という目標を持ち、宣告された期間より1年も長く生き、希望を持って生きることを私に教えてくれた。そして今、母と同じ年齢になった私に、「自分の体と向き合いなさい」と教えてくれている気がする。
 
私もずっと「仕事第一」で過ごしてきた。「健康第一」と頭では分かっていても、やりたいことも沢山あるし、ついつい夢中になって睡眠を削ることもしばしばだ。もし体に異変を感じても、母と同じように「今の仕事が一段落したら」等と後回しにしただろう。母の姿を通して、「悔いのないように生きる」と誓った私だけれど、そんな私に母は今こんなメッセージを送ってくれたのかもしれない。
「自分の健康を後回しにしたことを後悔する日が来ないように」と。
 
そして、母と同じ年齢になってみて、もし自分が同じ状況になったら? と想像してみた時、「悔いのないように」の意味が以前とは少し違っていた。若い頃は、「やりたいと思ったことはやる」、それが悔いのない生き方だと思っていた。でも今もし自分の命の期限を突きつけられたら? 「やりたいことをやる」というよりも、「何かを残したい」と思う。自分がこの世に生きたという証と実感を残したいと思う。
 
乳がんの手術を終えたという友人の投稿には、こう書かれていた。
「何を残せるのか、何を大切にしたいのか、何をするために生きているのか」
 
彼女の心の葛藤を私は想像するしかない。でも、彼女の言葉のひとつひとつから、「生きること」に対する覚悟と強さが感じられて、私は勇気をもらっていた。
 
私はこれから何を残して生きていくのか。そのために今できることは? そう自分に問いかけながら、これからの日々を生きていきたいと思う。そして、母より1日でも長く生きることが、母が身をもって私に教えてくれた「生きること」への答えなのだと思っている。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
深谷百合子(READING LIFE編集部公認ライター)

愛知県出身。
国内及び海外電機メーカーで20年以上、技術者として勤務した後、2020年からフリーランスとして、活動中。会社を辞めたあと、自分は何をしたいのか? そんな自分探しの中、2019年8月開講のライティング・ゼミ日曜コースに参加。2019年12月からライターズ倶楽部参加。現在WEB READING LIFEで「環境カウンセラーと行く! ものづくりの歴史と現場を訪ねる旅」を連載中。天狼院メディアグランプリ42nd Season総合優勝。
書くことを通じて、自分の思い描く未来へ一歩を踏み出す人へ背中を見せる存在になることを目指している。

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2021-12-22 | Posted in 週刊READING LIFE vol.153

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