今日もあいつが目に沁みる《週刊READING LIFE Vol.208 美しい朝の風景》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
2023/3/13/公開
記事:今村真緒(READING LIFE編集部公認ライター)
3月に突入した。
年明けからあっという間の時間の速さに驚くものの、迫ってきた春の訪れに心が弾む。朝晩の冷え込みはあるけれど、日中には冬の気配が次第と和らいでいることが肌で感じられる。新緑が芽吹き、陽の光が鮮やかになって、洗濯物を干すときなんかは、取り立てて日常が何か変わったわけもないのに清々しい気持ちになる。
暖かな日差しを受ける我が家の庭を見渡すと、3年前に実家から移植したクリスマスローズが花をつけているのに気づく。おお、やっと今年初めて花が咲いた。朝露に濡れた薄ピンクの花に、しばしうっとりする。まさに美しい朝の風景といったところだ。洗濯かごを傍らに置いて庭先で大きく伸びをすると、私は陽の光に目を細めた。
春は私の大好きな季節だ。何もかもが、キラキラした希望をまとっているように見える。
卒業、入学、新入社員。心新たに出発をする人達の期待が、春の明るい光と重なっているのかもしれない。浮き立つ気持ちに背中を押され、新たなことを始めてみたいと思う人も多いのではないだろうか。
希望に満ちた春。寒さで強張った体が解凍されて、ようやく外で活動したくなる春。
キラキラと輝き始めた季節に、私の心も弾む。
外は、思ったよりも風が強かった。お天気につられてつい外に干したけど、やっぱり部屋干しにすべきだったかな。ちょっと後悔しながら洗濯物を干し終わると、家に入った私は、本日のスケジュールを確認するために手帳を開いた。
そのときだった。
ポタッ。ポタ、ポタ。
ふいに、手帳の上に水滴が落ちてきた。え、雨漏り? 晴れているのに?
天井を見上げても、何の変化もない。この水滴は、一体どこからやってきたのだろう? 不可解な現象に首をひねる。
ボタッ。ボタ、ボタッ。
今度は、さっきよりも大きな水滴が手帳に落ちてきた。
ここでようやく私は気づいた。無色透明の水滴は、私の鼻の中から滑り落ちてくる。いつの間にか、鼻の下がびっしょりと濡れていた。ティッシュ、ティッシュはどこだ! ティッシュの箱をひったくると、慌てて鼻をかむ。こうなると洪水は止まらない。無限に湧き出る鼻水の製造所は私の体のどこかにあるのだろうけれど、誰かそこの電源をオフにして! 必死に鼻をかみながら、頭の中で叫ぶ。鼻をかんだティッシュが早くもテーブルの上に山になっていて、きりがない。水のように流れ落ちていた鼻水は、そのうち鼻の中のどこかを堰き止めて詰まってくる。
しまった。やっぱりこの季節は油断できないんだった。呼吸がしづらくて、金魚のように口をパクパクしていると、体の奥から外へと大きな衝撃が走った。
「ぶ、わっくしょん!! はっ、はくしょん! ひー、へくしょん!」
くしゃみの三段活用みたいだ。家の中で良かった。電車の中とか、しんとした会議中だったら、明らかに冷たい視線が突き刺さったことだろう。しばらく発作のようにくしゃみを連発すると、肋骨が痛くなった。しかも体中、汗びっしょりだ。
加えて、さっきから目の周りが熱を帯びてきている。痒い。ひりひりする痒さだ。目の表面も、ちょんちょんと針の先でつつかれるような刺激を感じる。けれど、ここで目を擦ってはいけないと経験上分かっている。一度触ったが最後、真っ赤に腫れ上がるくらい擦らずにはいられなくなるからだ。慌てて目薬をさす。ひんやりとした刺激に目の表面が焼けたようにチリチリとして、しばらくは目を開けることができない。
ああ、やっぱりと後悔した。ちょっとでも洗濯物に直射日光を当てたいと思ってのことだったが、もうこの状態で再び庭に出て洗濯物を動かす気力はなかった。とにかく薬を飲んでやりすごそう。症状が出てから飲んでも、あまり効き目がないことは分かっているがお守りのようなものだ。
大好きな春を満喫したいのに、そうできない事情が私にはある。
「花・粉・症」。この3つの漢字を見ただけで、鼻がムズムズした人、お仲間ですよね。この道35年のキャリアを誇る私は、毎度この時期には、美しくない朝の風景を披露する羽目になる。
日によるけれど、夜明けに、突然何かを無理やり鼻に詰め込まれた感覚で目が覚めるという、寝起きドッキリもビックリな起こし方をされることもある。
「スピッッ!」と乾いた高い音が鼻の中に張り付くと、堰き止められた鼻腔内は空気を取り込むことができなくなって、むせて目が覚めるのだ。大抵、うっかりして前日に花粉を大量に摂取してしまった日にそうなる。意外と雨上がりの日にもそんなことが起こったりする。湿気で花粉が飛びそうにないのに不思議だ。何とか鼻を開通させようと、しきりに鼻をかむけれど、一旦詰まった鼻は簡単に解除できない。スズメの涙ほどの鼻水が、ティッシュを濡らすだけだ。口呼吸になるから喉も乾くし、くしゃみの頻度が高くなる。
私が花粉症を発症したのは、15歳の春だった。しかも第一志望の高校受験日である。その頃は花粉症という名前もあまり馴染みがなかった。必死で試験に臨んでいると、鼻水が止まらない。何とかハンカチで押さえながら問題を解くけれど、突然の出来事にパニックになった。お腹が痛くなるとかの想定はしていたけれど、風邪をひいているわけではないのに、鼻水が止まらなくなるなんて想定外過ぎた。そのうちムズムズしてきて、くしゃみが出そうになった。
お願いだ。ここは試験場なんだ。どうにか持ちこたえてくれ! 静かな教室に、みんなが答案に書き込む音だけが響く。こんなときにくしゃみなんかしたら、どうなる? もし合格して入学しても、「ああ、あのくしゃみマンね!」なんてあだ名だけは勘弁してほしい。
5科目の試験中、私は問題を解くだけでなく、いろんなものに耐えながら受験を終えた。一体何の苦行かと思ったが、ぐったりして家に帰ると、やはり同じような母の様子を見て、ようやく思い当たった。
そういえば母は、花粉症の大先輩だった。毎シーズン、この頃になるとティッシュの箱を片時も離さない。「かわいそうだね、辛そうだね」なんて人ごとのように言っていたけれど、いざ自分が体験すると、そのどうしようもなさを痛感した。
「あー、ついに花粉症デビューしたんだ。しかも受験当日とは大変だったね」
母は力なく笑って、鼻をかんだ。鼻の下が真っ赤だ。よく花粉症は、誰でもかかる可能性があって、その人が持っている器が溢れれば発症するなんて言われる。母の器も、私の器も極浅だったということなのだろうか。
その日から、私と花粉症との闘いが始まった。予防はもちろん、対処療法しかないから、いろんな情報を聞けばそれを試した。当時お尻に打つ注射が効くらしいということで、数回病院に通ったこともある。確かに、威力は絶大だった。ピタリと症状が止まるのが怖いくらいだった。うら若き乙女がお尻を晒すのは恥ずかしくて嫌だったけれど、背に腹は代えられなかったのだ。ところが、症状が治まっても、どういうわけか生理のサイクルがおかしくなった。恐ろしくなった私は、その注射を止めて、それからは内科や耳鼻科を巡り、良いと言われるサプリや整体を様々に取り入れる花粉症療法ジプシーとなって、何とか花粉症の季節を乗り越えてきた。
ああ、スギが憎い。たまに山の近くを通ると、思わず息を止める。山が白く見えると、花粉の飛散が多いような気がして、もうそれだけで目が痒くなる。第二次世界大戦後に、荒廃した土地に緑をもたらすために、そして木材の供給のためにスギが大量に植えられたのだと聞いた。そして長い年月を経たスギは、1970年代ごろから大量の花粉をまき散らすようになったという。伐採してほしいと花粉症患者である私は思うけれど、保安林の役割も果たしているので、そう事は単純ではないらしい。
目の敵にして悪いけど、スギ自体が悪いんじゃないのは私もわかっている。今では花粉の少ないスギや無花粉のスギも少しずつ植え替えられているそうだけれど、私が生きているうちにその効果を実感できるかどうかはわからない。
今日も、朝からうららかな陽光が庭に降り注ぐ。遠くに見える向こうの山が、白く煙っている。
出かけるときには万全の備えをしておかないと、また大変な目に遭う。今年は、全国的に花粉の飛散量が多いらしい。某CMの女将さんみたいに、「アンタ、これで効き目はあるんか?」とでも言いたくなるくらい、いつもの薬を飲んでも症状が改善する気がしない。現在では日本国民の約4人に1人が花粉症に罹患しているというし、都市部になると複合条件によって、もっと割合が増えるそうだ。もはや国民病ともいえる花粉症だが、高校生だった私がこの状況を見たら、ここまでメジャーな症状になっていることに驚くだろう。
確かに「大変だね」と言う人より、「このグッズがいいらしいよ」とか「これ飲んでみたら、ちょっとすっきりしたよ」なんて、自分が試したオススメ方法をシェアしてくれる人が増えた。自分ごととして辛さを理解してくれる人は、この30年余りで確実に多くなった。花粉症が撲滅されるのはまだ先の話だろうけど、私一人ではないと思うと、同志たちと辛さを分かち合っているような不思議な連帯感が生まれている。
さあ、私はヒノキの花粉にも反応するから、5月のゴールデンウィーク過ぎまでこの闘いは続く。気合いを入れて、体調を整えることを最優先にこの時期を乗り越えていこう。花粉症になれば、普段から散漫な注意力がさらに散漫になるし、頭は重く、体力を奪われる。花粉が沁みた目が、真っ赤で泣いているみたいに見えて、人に心配されることだってある。
けれど全国の花粉症の同志の皆さん! この時期は、生きているだけでエライ! そう自分に言い聞かせながら、この闘いを何とか一緒にしのいでいきましょうね。
□ライターズプロフィール
今村真緒(READING LIFE編集部公認ライター)
福岡県在住。
自分の想いを表現できるようになりたいと思ったことがきっかけで、2020年5月から天狼院書店のライティング・ゼミ受講。更にライティング力向上を目指すため、2020年9月よりREADING LIFE編集部ライターズ倶楽部参加。
興味のあることは、人間観察、推し活、ドキュメンタリー番組やクイズ番組を観ること。
人の心に寄り添えるような文章を書けるようになることが目標。
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