週刊READING LIFE vol.208

地上3776m上空から迎えた朝《週刊READING LIFE Vol.208 美しい朝の風景》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2023/3/13/公開
記事:小田恵理香(READING LIFE編集部ライターズ俱楽部)
 
 
「おかえりなさーい」
「今日のご来光、物凄い良かったでしょう?」
地上に降り立ってきた私たちに現地のガイドの人達が声をかけてくる。
ここは富士山5合目。
つい半刻前までは地上3776mという高さにいた私たち。
身体はもうボロボロだ。
「あなたたち、本当に運がいいわよ。5回登ってもご来光を拝めなかったって人もいるんだからね」
「私が知る限り今日のご来光は、これまでで3本指に入る美しさだった。断言する」
「地元の方が言うなら間違いないですよ。小田さん」
確かに朝がこんなに美しいと感じたのは初めての経験かもしれない。
 
“富士山”
2013年6月に世界文化遺産に登録された、日本を象徴する山。
新幹線や飛行機、旅の途中で富士山を見かけると心高まる人たちはそこそこいると思う。
標高3776m、日本で1番高い山。
1度は登って、山頂から朝を迎えたいなとは思う。
私もその一人だった。
だが一人で登るのは寂しいし、知識も経験もない。
そんな私の重い腰を上げてくれたのは“山ガールブーム”だ。
登山に行く女子が増え、周りの友人たちも当時登山に目覚める子も多かった。
SNSを開くと週末は山に登ったとか、山頂でこんなことをしたなんて投稿も溢れていたように思う。
“富士山に登った”
そんなワードを聞く機会も増えた。
同じ部署の先輩も富士山に登って登頂し、たいそう感動したらしい。
いつか登ってみたい気もするけれど、3776mも果たして登り切ることが出来るんだろうか。
登山の経験もないし、しっかりトレーニングを積まないと登れないんじゃないか。
そんな私が富士山に登ることを決めたのは、登山に目覚めつつある後輩と話していた時だ。
 
「小田さん山は滑る人ですもんね」
「いや、登ってみたいなって気はあるんだよ」
「ほんまですか?」
「ほんま、ほんま。富士山も1回は登ってみたいなとは思ってるよ」
「私も登りたいんですよ。一緒に行きましょうよ!」
「マジ?」
この後輩の一言と軽いノリで私は富士山に登ることとなったのだ。
遠足以外での登山経験は未経験である。
さすがに1度も山に登ることなく、いきなり日本一の山に登るのはまずいので、とりあえず予行演習に兵庫県にある六甲山には登っておいた。標高は931m。
富士山は約4倍だ。
富士山は登頂できる期間が決まっている。
登山者の大半の目的は山頂から朝を迎えて日が昇るご来光を拝むこと
登山の終盤は道がご来光を拝むための登山者で渋滞するのでそこまで過酷ではないと前情報で聞いていた。
『まぁ、なんとかなるだろう』
この時の私はそんな余裕をぶっこいていたのだ。
 
出発当日。
大阪から、静岡県に向かってバスに乗り込む。
今回はツアーで申し込むことを選択した。
いくらなんでも登山経験が少ないうえに、登頂率の高い吉田ルートを選択したとはいえ迷子になったらシャレにならない。
朝、大阪から静岡県に向かって移動し、実際に登り始めるのは夕方から。
それまではバスでゆっくり寝て、途中のサービスエリアで美味しいものを食べてしっかり英気を養うつもりでいた。
足元はサンダルにゆったりとしたワンピースを着て完全にリラックスモード。
そんなリラックスモードが吹っ飛んだのは、バスも出発して静岡まであと半分というぐらいの頃。
母からLINEの通知がやってくる。
 
『あんた、登山用の着替えセット置きっぱなしやけど大丈夫なん?』
 
シジミ味噌汁を飲んでいい感じにお腹も満たされ、うとうと昼寝をしようとしていた私は飛び起きた。
大丈夫なわけない。
これから富士山に登るのに。
まさかのサンダルと、ワンピースで登るのか?
いや、登山リュックに靴と着替えは入れたはず……
軽くパニックを起こした私は、バスの添乗員さんに無理言ってお願いし、次のサービスエリア休憩で荷物を改めて確認させてもらうことになった。
「まぁ、最悪5合目にモンベルさんがありますからね。そこで調達することもできますよ」
と慰めてくれたものの、気が気ではない。
荷物を確認すると、登山用の靴・靴下、雨具、防寒ウェアと必要最低限のものは揃っていた。
私が家に忘れてきたのは、万が一途中で着替えることになった時用に用意した着替えだった。
「よかったですね」
後輩が言う。
私もほっと胸をなでおろす。
『無くても登れるから大丈夫』
と母に返信し、事なきを得た。
だが、このトラブルがこの先起こるとんでもない事態の前兆だとは私も含め、誰も知らなかった。
 
 
そんなハプニングもあったが無事に富士山5合目に到着し、当日お世話になるガイドと一緒に登る仲間たちと合流した。
ガイドは真っ黒に日焼けした、いかにも頼れる兄貴というようなお兄さんだった。
登るにあたっての注意事項、ガイドがこのままでは登山が続行不可だと判断した場合は容赦なく下山するという話を聞く。
そして入山届を提出し、いよいよ登山開始だ。
天気は良好。
雲一つない快晴。
幸先のいいスタートだ。
スタートの5合目とは言え、標高2300m。
地上とは明らかに酸素が薄い。
最初はあえてゆっくりと歩き、身体を酸素の薄い状態にならしていく事から始まった。
初日は7合目にある山小屋を目指し、そこで仮眠をしてから山頂を目指す。
ガイドに合わせてゆっくりゆっくり歩いていく。
 
“ポツッ”
“ポツッ”
 
肌に感じる冷たい感覚。
雨だ。
今はまだ小雨程度。
「雨か……」
「雨だと中止とかにならないんですかね?」
後輩が心配そうに言う。
私たちの雰囲気を察したのか、
「これぐらいならまだ大丈夫! 行きましょう」
というガイド。
もうこの人を信用してついていくしかない。
だがそんな私たちを嘲笑うかのように、雨足はどんどん酷くなってきた。
「皆さん雨具、持ってますよね? もう着ておきましょう」
途中でガイドにそう言われ、雨具を装着する。
山の天気は変わりやすいとはよく言う。
着いた時は雲一つない快晴だったのに、徐々に天気は荒れていく。
雨足は激しさを増し、強い風も吹き、雷まで鳴っている。
例えるなら天空の城ラピュタに出てくる“龍の巣”そのものだった。
 
『さすがに、これは下山するかもしれないな』
最低限のいるものではなかったとはいえ、荷物忘れ物事件もあり最悪の事態も頭によぎる。
そんな不安をよそにどんどん進んでいくガイド。
「雲を抜けちゃえば大丈夫ですから!」
え?
そんなもんなんですか?
と思った。
すぐ横で鳴り響く雷と、激しい雨風。
身体は冷たい。
だが歩くしかない。
山小屋を目指して必死に歩いた。
そうしてしばらく歩くと、あれだけ吹き荒れていた雨風は止み、静かな夜となった。
「雲抜けましたね」
とガイドは言った。
ほぼ夜となり、あたりはうっすらと何かを確認できる程度だ。
そんな暗さでもわかる分厚い、灰色のどす黒い雨雲。
これを抜けてきたのかと思うと我ながらびっくりする。
そして無事に山小屋へと辿り着いた。
前情報で山小屋は人がいっぱいで寝るのもかなり窮屈だったと聞いていた。
だが実際はガラガラだった。
平日だからと一瞬思ったが、山小屋のスタッフ曰く
「この天気だから引き返したグループが多いんですよ。今日はキャンセルだらけ」
とのことだった。
「まぁ、ちょっと出発が遅かったら引き返してましたけどね。行けると思ったんで突っ切りました」
笑いながら話すガイド。
このガイドにあたったことは幸運だったのかもしれない。
しばらくの間談笑し、仮眠を取る。
人が少ないこともあって、広々とゆったり眠ることが出来た。
とは言え、日付が変わってすぐくらいには起きなければならない。
ご来光を拝むには、4時には山頂に付いておく必要があるからだ。
やや眠い目を擦りながら登山を再開していく。
 
きつい
下山したい
しんどい
 
標高が高くなっていくにつれて下がる気温と薄くなる酸素。
よく登っているなと思う傾斜。
それらは確実に体力を奪い思考も回らなくなってくる。
グループ内でもほとんど会話もない。
みんな疲れ切っているのだろう。
いよいよ9合目にさしかかった。
これを乗り切れば頂上に辿り着く。
「ここが一番しんどいですけど、これを登れば山頂です。あと少し頑張りましょう」
ガイドの一声に少しやる気が出た。
先に登っていた人たちから
『9合目はご来光を待つ人たちの列で渋滞になるから、あってないようなもんだよ』
という前情報を手に入れていた。
あってないようなもんだよ、というぐらいだからそこまできつくはないんだろう。
「あとちょっとやって。がんばろか」
「……はい」
 
後輩もさすがに疲労がピークのようだ。
意を決して9合目に挑む。
だがその決意はすぐに打ち砕かれた。
 
誰だよ……、あってないようなもんだなんて言ったやつ。
めちゃくちゃしんどいぞ、9合目。
グループの皆が必死に登っているから私も気合で登っているけれど、1人だったら引き返している。
心の中では
「下山します!」
と叫んでいたが気合だけで、ただただ登っていく。
そのうち脳内は目の前の断崖をひたすら登っていくこと、
「絶対にやればできる!」
というボイスが流れていた。
これは私がパワーをもらいたい時に見る、エディーマーフィーの映画“ナッティ・プロフェッサー”の主人公、巨漢のクランプ教授がダイエットをする自分を鼓舞するために自分に度々かける言葉。
脳内で何度も再生されていた。
もはや低酸素で若干おかしくなっていたのかもしれない。
『頂上は……、頂上はいつだ……』
そんなことを考えていた矢先、断崖は突然いなくなった。
 
そう、頂上に着いたのである。
気付くのには時間がかかったが、3776mを登り切った。
グループのメンバーは誰も脱落することなく、皆が登頂することが出来たのだ。
山頂にある山小屋で朝食を食べ、日の出までは各々自由行動。
自由行動の時間は実質あまりなかった。
「実は、ご来光は山頂で見るよりもちょっと下がったところから見るのがちょうどいいんです。なので、時間になったら少し下ります。そこでまた時間を取るのでゆっくりとご来光を拝んでください」
山頂に上がった時にガイドに言われていた。
そこまで山頂の余韻に浸ることなく下山を始めた。
朝が近いのか周囲は少しずつ明るくなってきていた。
『こんなところを登ってきたんだな』
ヘッドライトのみ、ほぼ暗闇で何も見えなかった景色。
3776mの高さは伊達ではないなと改めて感じる。
そして山頂から少し下ったあたりでガイドは止まった。
「ここが、一番きれいに見えるところです。もうすぐです」
 
そう言われてしばらく待つと、周りが少しずつ明るくなってくる。
定規を当てたように直線の地平線から、朝を告げる太陽が顔を出した。
最初はオレンジの線香花火の玉のような光。
徐々に大きくなっていき、放射状に光を放っていく。
「ばんざーい!」
山頂からはご来光を見て万歳三唱をする団体がいた。
他にも家族あてに電話をする人。
何かのサプライズ用ムービーの撮影を始める人。
プロポーズをする人。
この日地上3776mで迎えた人たちの朝は、それぞれにストーリーがあった。
「なんか、これ見ると疲れ吹き飛びますね」
「そうやなぁ、なんやかんやで登れてよかったね」
そして地上を目指し、思い思いに山を降りていく。
「突っ切りましたけど、あれって雲の上を抜けたらいけるってガイドの勘でわかったんですか?」
ガイドのお兄さんに後輩が聞いた。
「まぁ、勘もありましたけど山頂に忘れ物して、どうしても取りにいかないといけなかったんすよ」
と笑った。
「え?」
後輩と私は驚く。
「もちろん、危険だったら引き返してましたよ」
「なんてこった」
「でも、忘れ物のお陰で私たち頂上へ行けたんですよね」
「そうそう。でも今日のご来光は僕の登山歴の中でもベスト3入りだね」
「忘れ物様様だね」
下山はあっという間だった。
 
 
「おかえりなさーい」
「今日のご来光、物凄い良かったでしょう?」
地上に降り立ってきた私たちに現地のガイドの人が声をかけてくる。
ここは富士山5合目。
昨日の出発地点だ。
「はい、めちゃくちゃきれいなご来光でした」
後輩と無事に下山できたことにほっとした。
 
夜明け前が一番暗いとよく言う。
もがいたところで何も見えないし、手探りで進むしかない。
あの9合目のように、目的まであと一歩と言う状態が一番辛い。
だが夜は必ず空けて、朝がやってくる。
乗り切れば、そこで待っているのは美しい朝。
明るい世界が待っている。
標高3776m、日本一の高さで迎えた朝はそんなことを私に教えてくれた。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
小田恵理香(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

大阪生まれ大阪育ち。
2022年4月人生を変えるライティングゼミ受講。
2022年10月よりREADING LIFE編集部ライターズ倶楽部に加入。
病院で臨床検査技師として働く傍ら、CBLコーチングスクールでコーチングを学び、コーチとして独立。日々クライアントに寄り添っている。
スノーボードとB‘zをこよなく愛する一児の母でもある。

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2023-03-08 | Posted in 週刊READING LIFE vol.208

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