気づかぬうちにかけられた呪いを解くための呪文を探して《週刊READING LIFE Vol.213 他人の人生》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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2023/5/1/公開
記事:田口ひとみ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
「それってあなたの感想ですよね?」
ネット界隈で有名な論破王、ひろゆき氏が討論の際に発したこのことばは、もはや、彼の代名詞といっても過言ではない。相手の論点が偏っている時に、絶妙なタイミングで繰り出されるそのフレーズ。仮に討論の相手が偏見で発言していると自覚していたとしても、そのセリフを言われた側は、ぐぬぬ……となって一瞬怯むのだ。
こんなパワーワードにもっと昔に出会えていたならば、そして自在に操り間髪入れずに繰り出すことができたならば、どんなによかっただろうと思うことがこれまでに幾度もあった。
少し前に流行った「毒親」だとか「親ガチャ」ということばを、自ら使ったことはないけれど、私自身、親、特に母との関係に多少なりとも困難を抱えていた時期がある。もしかすると、大なり小なり誰もがそのような思いを抱えて生きているのかもしれない。きっと私の心のキズなんて、とても些細なものだったと思う。
些細なキズに気づかないまま気がつくと大人になっていた。友だちと温泉に行った時に指摘されてはじめて、背中の3つ並んだホクロを認識した時のように。鏡で自分の顔をまじまじと眺めてはじめて、前髪の奥のおでこに引っ掻きキズがあることに気づくように。知らないうちに痛みを抱えていることはよくあることなのかもしれない。
そして、数々の小さなキズは、認めた途端、コピー用紙で指を切った時みたいに地味に痛みを放ち、無数の小さなキズたちが発する痒みに似た鋭い痛みがつきまとう。
一緒に暮らす猫が愛らしいしぐさをする瞬間も、深夜に見たくだらないコメディ映画にバカ笑いしている瞬間も、YouTubeで見たミュージシャンの歌声があまりに素晴らしすぎて涙を流した瞬間でさえも、じんわりじんわりここにあるよと主張して、しばらくの間痛みを忘れさせてくれない。
知らぬ間についてしまったキズ。私と同じように親との関係に苦しむ満身創痍の子どもたちには、親の人生を生きることなく、自分の人生を生きてほしい。そう強く願う私から、エールを送る意味でも、何があってどんなことを感じたのか過去に戻って紐解いてみようと思う。
幼い頃から中学生時代にかけて、尊敬する人はと聞かれたら「ママ」と答えていた。「ママみたいになりたい」と恥ずかしげもなく人前で言っていた。
母は頑張り屋だ。父はサラリーマンだったが、実家は商売もしていて、両親共に昼夜働いていた。貧乏だった訳でもなく、むしろ当時はバブル真っ只中。働けば働くほど儲かる、そういう時代だ。
母は商売の他に一人で家事をこなし、食卓にインスタントの食事が並ぶことはめったになかった。そうやって、私と6つ年の離れた弟を一生懸命育ててくれたし、愛情も感じた。そのような頑張りって必要だったのかと今考えてみれば疑問に思う部分も多くある。でも、当時は何でもこなす母=スーパーウーマンで尊敬の対象であり、私にとって自慢の母だったのだ。
そんな母は、私が幼い頃から自立した大人に至るまでに、いくつもの呪いをかけた。ジェンダー問題にこだわりを持つ方々が耳にしたら、卒倒しそうな内容が並ぶかもしれないけれど、そういう時代に育った人たちの言ったことということで、寛容にご容赦いただきたい。
「お姉ちゃんの名前はね、お寺さんで字画を見てもらって、“良妻賢母”になる名前を選んだのよ」
今考えると、妻にも母にもなれない年齢の子どもに向かって繰り出されたこのことばは、よくある小学校の『自分の名前の由来を調べる』という宿題が出た時の呪い。
なぜ、お寺さん? と思わなくもなかったが、その点は、そういうもんなのねと気にも留めなかった。けれど、そこはかとなく漂う違和感に私は気づいてしまった。ここには「娘が幸せになりますように」という純粋な願いだけでなく、「いつか必ず結婚して良き母になり、孫を抱かせるのがおまえの努め」というプレッシャーが潜んでいる。
「いつか結婚するのが当たり前で、子ども産むのが当たり前で、孫を抱かせることが親孝行なんだ」という刷り込み。それは「結婚できなかったらどこかおかしくて、子どもを作らないなんてありえなくて、孫を抱かせないなんて非常に親不孝」と脅迫されているに等しい。残念ながら、この呪いは半分解けたため、私は結婚はしたが子どもは作らなかった。もちろん、幸せだ。
当時「どうして、子どもができないと幸せじゃないの?」と質問した私に、「だって、お姉ちゃんも弟も産んで育てて、赤ちゃんを抱っこできたママはとっても幸せだったから」と母は言った。
「それってあなたの感想ですよね?」あの時、母にそう言ったならば、どんな答えが返ってきたのだろうか?
「オンナはニコニコイソイソマメに」
小学校高学年に、プチ反抗期を迎えた。それまで優等生で良い子ちゃんだった私は、尖った友だちと仲良くなり、親に口答えしたりツンケンするのが格好良いという謎ロジックにハマったのだ。折しも不良少女が主人公のドラマが流行っていた時代でもある。
自宅では、したくもない仏頂面をキメ込みながらドラマを見て、翌日の学校で「親ってムカつくよね」と我が親のムカつき度合いを披露し合う子どもたち。なんと健全で微笑ましい光景だろう。
その日も不機嫌な顔をキメ込み、手伝えと言う母に「うっさいなぁ!」を繰り出していた時、呪いは発動した。「女の子というのはね、いつもニコニコしながら、よく働くの! 面倒くさがらずに人の役に立てる人がみんなに好かれるんだからね。」
ガーンとなった。その頃の私にとって、女子特有のグループ構成において何よりも「人に好かれる」ことが優先事項だったから、母の言うことも一理あるかもしれないと思い込んだのだ。結果、友人の前では「ニコイソマメ子」を演じるようになり、その仮面はつい最近になるまでかぶり続けることになる。
じゃあ、その「ニコイソマメ子」はモテたのか? といえば、そんなことは決してなかった。周りからは重宝がられていたかもしれない。いくら尊敬していたとしても、親の言うことを鵜呑みにしてはいけないのだ。
どうだろうか? ここまで読んでみて、暗い気持ちになっている人はいないだろうか?
親の顔色を見ず、自由な大人になったあなたには、もしかすると退屈な内容で、ちっとも胸に響かないかもしれない。でも私と同じように、知らないうちに呪いをかけられて育ってきたあなたであれば、胸が痛くなってきたのではないだろうか?
「私(母)が無理したとしても、みんなが楽しければそれでいい」
先にもあるとおり、母は頑張り屋だった。自分を犠牲にしてでも、誰かのために何かをすることに喜びを感じるタイプだと言っていたこともあるくらいに。
商売をしている関係で、お客さんを繋ぎ止めるための営業も兼ねて、我が家が主催するイベントは本当に多かった。春はお花見、夏はキャンプ、秋は紅葉狩り、冬は鍋パーティーなど、年がら年中バス旅行だ何だとお客さんと一緒に出かていた。おかげで、子どもたちは多くの大人に可愛がられ、遊び相手にこと欠かなかった。
出かける前の晩は、必ず母が道中や現地でお客さんをもてなすための何かを仕込む。仕事が終わってから寝ずに、だ。そして、半分自慢も含めつつ、さらりと「夜中まで準備したの」とか、「寝たのは4時だった」とか、何かにつけて挟み込むのだ。誰も頼んでいないのに。
生意気にも私は、そういう自慢はするもんじゃないのにな、と思っていた。もしかすると、子どもながらに周りの大人たちの空気を察していたのかもしれない。当の母はと言えば、行き帰りのバスの中でも、時には現地でもウトウトし、みんなと楽しむはずの会話は半減する上、帰ってからの話題にもついていけないことがあった。
自己満足でやっているのであれば、それでいい。でも今なら、無理の上に成り立つ努力だったら別にしなくてもいいんじゃない? と母に伝えられると思う。いや、当時そう思ったのであれば、はっきりと言うべきだったのかもしれない。なぜならば、その後、自分の頑張りをあまり認められなくなっていくと、次第に母のアピールはエスカレートしていったからだ。
「私(母)があんたの言うことをすべてのんで、やりたいことは全部やらせてあげたんだから」
学生の頃、念願叶って親元を離れた。行きたい大学は田舎にあって、同じく田舎にある自宅からは最低でも2時間半〜3時間かかる。最初の2年は寮で過ごしたが、3年目になり授業数も減ったので、往復6時間かけて自宅から通っていた。そんな無理が長く続くはずもなく、もちろん地元で就職する気がなかったこともあって、半年ほどで一人暮らしをすることにした。
進学の時、大学に行きたい私に「女は短大で充分」と言っていた父は、一人暮らしに当然反対したが、地元には就職先がないから都内で就職活動したいと言って母に取り入り、最終的に母が説き伏せる形でお許しをもらった。
元々自立心が強かったため、一人暮らしは天国だった。淋しさなんて感じることもなく、何の邪魔もないし、好きなことだけできる。バイトにサークルに明け暮れた。それでもバイトだけでは足りなくなり、たまに生活費を前借りすることがあった。その前借りは、断られることもあったけど、母はビタ一文出さないとは言わなかった。
とはいえ、私は私で、やりたいことを全部やりきれたわけではない。留学したいと思いつつ、説明会まで行ったけれど金銭的に諦めた。もともとは海外留学するために選んだ大学だったけれど、これ以上親に負担をかけるわけにはいかない。
でも本当は、留学したいと言うべきだった。諦めるのはそれからでも遅くはなかったと思うから。母も母で、生活費の前借りを突っぱねればよかった。身を削る思いで捻出してくれていたとしたら、感謝はする。でも、社会人になってしばらく経ってからも、ことあるごとに「私がすべてしてあげた」と言われても、どうすることもできない。
そして、この呪いは「若い時に好きなことはやらせてあげたんだから、老後は面倒見てくれるのが当然」というニュアンスも含まれている。完全なる後出しジャンケンだが、この不幸なジャンケンはしばらく続く。
誤解しないでもらいたいが、当時も今も、母とは険悪な訳ではない。当然感謝もしている。けれど、爆弾にじりじり迫る導火線の火が消えることは、なかなかなかった。
13年前、父が亡くなった。数年患った後だったから、家族全員、心の準備はできていた。昔からそうなのだけど、父が病気になるとまず私に病状が伝えられる。そして病院につき添い、病気や治療方針等、医師からの説明には、なぜかすべて私が立ち会うことになる。私も当然のように、父にまつわることすべてをイソイソマメに調べ、ニコニコしながら母を支えられるよう心がけていた。
若い頃、好きなことをすべてやらせていただいた私は、一人になった母の元に毎日通い続けた。役所まわりの手続きをはじめ、父の代わりを努めるため母がやりたいということにはなるべくエスコートした。もちろんすべてではないが、寝る間も惜しみ、自分の時間さえも犠牲にして尽くした。
「わかんない。お姉ちゃん決めて。お姉ちゃんなら何でも知ってるでしょ?」
その頃から、徐々に増えていったセリフがこれ。 実はこの呪いは強力で、過去の呪いが集約され、巧妙に組み込まれていた。なかなか気づくこともできなければ、気づいた時にはもう逃れることもできない類のもの。言葉にはされないが、この呪いにはこう続く。「知らなかったとしても何とかしてくれるでしょ?」
気がつけば、まんまとその呪いどおりに母の描いた人生をなぞって生きていた。母が「毒親」かもしれない。私の人生は、一体どこにいったのだろう? がんじがらめになって、しばらく経過した頃。思わぬ形で呪いが発動した。強力な呪いは余計なものを巻き込む力も強い。恐らく、あらゆる方面でのストレスが溜まりに溜まっていたであろう頃のことだ。
職場での会議中、元々苦手だった同僚から大きな声で机を叩かれて反論されたことによって、私の中の何かが弾けてしまった。いつのまに拵えた小さなキズが、時間をおいていっせいに開いたような感覚。手が震え、嫌な汗が出てきて仕事にならなくなった。そして、奇しくも父の三回忌も兼ねた家族旅行の道すがら、会社からの電話で休職が決まり、その後、母の元へ通うこともできなくなった。
親の呪縛に苦しむ子どもは、程度の差こそあれ、少なくないと聞く。例えば、とある研究によると、自宅の冷蔵庫にローカロリーを謳った食べ物がある場合、その家の娘は十中八九「痩せ」に対する信仰があり、無理なダイエットに走る傾向があるのだそうだ。ダイエットを意識する母の元に生まれた娘には痩せていないと自分は認められないという、脅迫観念にも似た価値観が芽生えるということだ。
子は親の背中を見て育つ。良くも悪くも。そして私のように、頑張り屋の母の背中を見たことにより、先の痩せの信仰と同じように「頑張らなければ認められない」的な脅迫観念が育まれ、知らず知らずに自分の人生を見失ってしまうことだってあるのだから。
その後、しばらくの休養を経た私は臆面もなく「それってあなたの感想ですよね?」と論破できるようになった。母ともいい感じの距離を保てるようになったと思う。
家庭という狭い囲いの中で、子どもは自分の価値観を形成していく。そんな時、あなたはどうしたいのか? と本当の気持ちを子どもから引き出すことは非常に大事だと思う。つまり、あの時こう言えばよかったという後悔をしないようにするということだ。そして時には、他人の人生ではなく自分の人生を生きるための術を、できれば一緒に考えることも忘れないであげて欲しい。
□ライターズプロフィール
田口ひとみ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
群馬県生まれ。太田市在住。在宅ワーカー。流行病(はやりやまい)と五十肩で失われた体力を取り戻すべく、一日一空一散歩を開始。スマホを持って近所をウロウロし、突然人目も憚らず写真を撮るのが日課。 2022年ライティング・ゼミ12月コースに参加。 2023年4月よりREADING LIFE編集部ライターズ倶楽部に参加。
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