自分の靴を脱ぎ、他者の靴を履くと新しい自分が見えてくる《週刊READING LIFE Vol.217》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
2023/5/29/公開
記事:深谷百合子(READING LIFE編集部公認ライター)
できなかったことができるようになって、「私もなかなかやれるじゃん」と思い始めたころ、伸びた鼻をペキッとへし折られることが起きる。つい最近も、そんなことが起きた。「いい気になっていたけど、思い違いだった」と思い知らされたのが、「朗読」だった。
それまでの私にとって、朗読は「自己表現」のひとつだった。文学作品の中で描かれている情景がありありと思い浮かぶように読むことができたり、登場人物のセリフを臨場感たっぷりに読むことができたりすれば、満足だった。もっと言うと、朗読を学ぶのは上手に話せるようになるための、「スキル習得」のひとつだったと思う。
朗読ゼミを受講し始めて最初のころは、滑舌を良くする練習もなかなかうまくできなかった。「お茶立ちょ、茶立ちょ、ちゃっと立ちょ。茶立ちょ、青竹茶筅でお茶ちゃっと立ちゃ」なんて、何度練習しても、「お茶立ちょ、茶ちゃちょ」になってしまう。
それでも、今までしたことのない練習をするのは楽しかった。最初はうまくできなくても、回数を重ねるうちに、できないことができるようになっていった。朗読する文学作品も、童話から短編小説まで、様々な作品に挑戦した。中には、どう読んだらいいのか、最後までつかめなかった作品もある。でも、自分の中の「はずかしい」というリミッターを外し、登場人物になりきって、大きな声を出してみたこともある。
とにかく、私が朗読するときに一番意識していたのは、途中でつまずくことなく、「うまく」読むことだった。そして、朗読を学び始めて2年が経ち、滑舌も前よりは良くなり、なんとなく「できる気」になっていた。
ところが、まりこさんという朗読家の女性と出会って、私はガツンと頭を殴られたような気持ちになった。まりこさんのいう朗読とは「表現」ではなく、「語り手の体験を追体験する」というものだ。登場人物を演じるのでもない。作品の中で繰り広げられている世界を見ている「語り手」になりきることが大事なのだという。
「なぜ、ここに読点があるのか。ここはなぜこの言葉が使われているのか。そこまで考えて読むの。たとえば、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』は、冒頭と最後で、使っている言葉が違うところがあるのよ」と、まりこさんは教えてくれた。
「えっ? 私、『蜘蛛の糸』を朗読したことがあるけれど、全然気づかなかった」
「『蜘蛛の糸』って、3つのパートに分かれているのだけれど、その3つめのパートの冒頭の文は、最初のパートの雰囲気と明らかに違うのよ」
「そうなんですか?」
私はスマホを開けて、『蜘蛛の糸』を探し、内容を確かめてみた。3つめのパートの冒頭はこう書かれている。
「御釈迦様は極楽の蓮池のふちに立って、この一部始終をじっと見ていらっしゃいました」
まりこさんは、この一文に「語り手」の心情が表れているというのだ。
「御釈迦様が主語なのに、『立って』になっているでしょう? どうしてここは『お立ちになって』のように、敬語じゃないのかしら。『見ていらっしゃいました』のところも、一応敬語になっているけれど、1つめのパートでは『見る』ではなく、『ご覧になる』という言葉が使われているの」
「本当ですね。全然気がつかなかったです」
「なぜ言葉が変わったと思います?」
「さぁ……」
「この語り手は、ここまでのいきさつを全部見ていたの。御釈迦様が地獄に蜘蛛の糸をおろしたところ。その蜘蛛の糸を罪人たちがのぼってきたところ。途中で糸が切れてしまい、罪人たちが真っ逆さまに落ちていってしまったところ。その一部始終を見て、語り手は興奮していたと思うのよ。それで、つい敬語を使うのを忘れてしまったのではないかしら。そして、『見て』と言ってしまったあとで、敬語を使っていなかったことに気づいて、慌てて『いらっしゃる』と、とってつけたように付け加えたと思うのよ」
熱く語るまりこさんの隣で、私は自分がいかに何も気づかずに、ただ字面だけを追って読んでいたのかを思い知らされた。
私は、「どうしたらうまく読めるのか」だけしか考えていなかった。つまり自分目線だったのだ。確かに、文学作品を朗読する中で、「なぜ、こんなところに読点が?」と思うことはあった。でも、それを理解しようとはしていなかった。『蜘蛛の糸』なんて、何度も何度も朗読したのに、敬語表現が変化していることなんて、気づきもしなかった。見ているようで見ていなかったのだ。自分の都合の良いようにしか見ていないし、受け取ってもいない。同じものを見ていても、顕微鏡で見るのと、ピンボケで見るのとでは、見えるものは全く違うのだ。まりこさんと私とでは、見えている世界がまるで違っていたのだ。
「観察力」の違いだろうか?
それもあるかもしれない。けれども、私は「理解しようとする力」が自分には足りなかったのだと思った。
実はこれは、朗読だけに限らない。振り返ってみると、「私は何が好きか」「私は何が得意か」「私は何ができるのか」「私は何をしてきたのか」と、「私は」「私は」で、「私」を理解することには熱心だった。では、相手を理解しようとしていただろうか。自信をもって「YES」と言えない自分がいた。
「私、いかに自分のことしか見ていなかったか、思い知りました」
私は自分の感じたことをまりこさんに伝えた。
加えて、私は自分がうまく読めればよくて、同じ作品を読んでいる他の人の朗読を「参考」にすることはあっても、理解しようとはしていなかった。なんとまぁ、自分本位であったことか。
そんな私にまりこさんは、「他の人の朗読を聴くことは、自分を理解することにつながる」と教えてくれた。
たとえば、同じ作品を他の人が朗読したとき、自分の追体験と、他者の追体験がすべて一致するとは限らない。
「なぜこの人は、このように読んだのだろう?」
「なぜこの人は、このテンポで読んだのか?」
そうした違いから、「なぜこの人はこのように理解したのか。何が自分と違うのか」を探っていくと、物事に対する自分の見方や考え方を発見することができる。そして、「そういう見え方もあるのか!」と気づき、理解を深めることで、自分自身をバージョンアップできる。
自分だけに目が向いているときは、自分の知っている自分にしか出会えない。けれども、他者を理解しようとすることで、自分も知らなかった自分に出会えるのだ。それが、「朗読」を通じてできるなんて、思ってもみなかった。
「自分の靴を履いたままでは、自分の見たいものしか見えない。自分の靴を脱いで、他者である語り手の靴を履き、語り手の体験を追体験し、頭の中に作品の世界を描き出す。でも、頭の中に描いただけじゃ、見えないでしょう? それを見える形にするのが朗読なのです」
まりこさんの「靴を履き替える」という話を聞きながら、私はふと、子供向けの作文教室を主宰している知人から聞いた話を思い出していた。
その知人が、作文のレッスンで、「丸くて大きいものを挙げてみよう」というワークをしたときのことだ。ひとり、「蜘蛛の巣」と答えた子供がいたという。
「蜘蛛の巣って聞いたとき、私はそんなに大きいものじゃないなって思いました。それで、どうして蜘蛛の巣って思ったのか、その子に聞いたんです。そうしたら、その子は『虫にとっては大きいから』って言うんですよ。そりゃそうだと思ってね。その感性に驚いたのよ」
その知人の話を思い出しながら、「その子は自分の靴ではなく、虫の靴を履いていたんだな」と私は思っていた。自分の靴を履いたままでは見えない世界があるのだ。
この5月からまた朗読ゼミが始まった。ちょうど今、今回練習する文学作品を選ぶところだ。これまでの私は、自分の「靴」を履いたまま朗読していた。でも、今回は、語り手の靴に履き替えてみよう。作品を演じるのではなく、追体験してみようと思っている。日常ではできない体験を、作品を通じて体験するのだ。そして、ゼミの仲間の描き出した作品世界も体験しよう。そうしたら、ゼミが終わる頃にはきっと、新しい自分を見つけているに違いない。
□ライターズプロフィール
深谷百合子(READING LIFE編集部公認ライター)
愛知県出身。
国内及び海外電機メーカーで20年以上、技術者として勤務。2020年に独立後は、「専門的な内容を分かりやすく伝える」をモットーに、取材や執筆活動を行っている。現在WEB READING LIFEで「環境カウンセラーと行く! ものづくりの歴史と現場を訪ねる旅」を連載中。天狼院メディアグランプリ42nd Season、44th Season、49th Season総合優勝。
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