週刊READING LIFE vol.224

下に見ていたはずの妹が兄を超えた日《週刊READING LIFE Vol.224 「家族」が変わった瞬間》

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2023/7/24/公開
記事:山田 隆志(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
7月1日私はきんぞく20周年を迎えた。印刷工場の断裁係がキャリアのスタートであり、今度こそはできるだけ長く勤めることができるように頑張ろうと思っていたが、すべてが思い通りだったわけではなく、何度も辞めようと思うこともあり、時には私の馘がはねられる寸前まで行ったこともある。平坦そうに見えてそれなりにドラマのあった20年だったが、こんな日を迎えることができたのは感慨深い。
 
7月1日の土曜日には実家に帰って両親と一つ違いの妹とでお寿司をごちそうになりながら、私の勤続20周年を祝ってもらった。私の家族へのアピールがやたらとうるさいのは間違いないのだが、勤続20周年を一番喜んでくれたのは意外にも一つ下の妹であり、お寿司屋さんの手配も率先して行い、決して安くはなかっただろう食事代もすべて妹が出してもらった。兄が妹に何かをおごってもらうことはあまりなかっただけに、かなり面食らったのだが、ここはおとなしく妹の行為に甘えさせていただくことにした。
 
妹が私の勤続20周年をここまで喜んでもらえるとは正直思わなかった。お会計の時ぐらいは私がお金を出そうとしてカッコつけたりはしたのだが、涙が出るぐらい嬉しかった。
 
そんな妹は高校卒業してからすぐに社会に出て、テーマパークの衣装係として勤続25周年を4月に迎えたばかりだった。それにもかかわらず私は何もしていない。
 
私はいったい何をやっているのだ……

 

 
 

妹は私のひとつ下で20年前に私が仕事のために静岡県の印刷工場に配属になって、一人暮らしを始めるまで20年以上一緒にいた。それでいて私と妹との関係は決して芳しいものではなく、両親を含めた家族旅行こそ一緒に行動するものの、私と妹が2人で一緒に行動することはほとんどゼロといってもよい。それどころかそれぞれが感じていることは決して良い感情とはいえないだろう。
 
わたしが通う小学校に妹が通うことが嫌でたまらなかった。妹の性格はワタシと真逆で正義感が強く、思ったことを必ず口にしなければ気が済まないキャラだ。相手は自分よりも体の大きい男子だろうが上級生だろうが、挙句の果てに先生にまで誰かれ構わず意見していた。ここでいう上級生というのは、ほとんどが私のクラスメイトであり、妹の蛮行に対する苦情が私にやってきて代わりに謝ることもしばしばだ。一番きつかったのが私の目の前で友人を怒鳴りつけているところに居合わせたときだ。
 
わるいことに妹は小学校2年生で学習する掛け算九九のあたりから学校の授業についていけなくなってしまっている。その原因について素人の私が言及するのは避けておくが、こういう展開になると子供というのは残酷であり、妹をバカにする輩も現れる。案の定そのようなクラスメイトと妹は毎日のようにケンカばかりであり、同じ学校にいる私はいつも何かしらの形で聞かされることになる。
 
小学校での生活もクラスメイトに恵まれて楽しく過ごすことができた方だとは思うが、妹のことが原因でクラスメイトと喧嘩をすることもしょっちゅうあった。妹を守る正義感の強いお兄ちゃんという美談では決してない、単純にバカにしてくるクラスメイトがひたすら憎かっただけであり、泣きながら家に帰ることもしょっちゅうだった。「妹さえいなければいいのに」ととんでもない暴言を浴びせてしまったこともあるぐらいだった。
 
兄の私でさえこんな風に思うのだから、当の本人にとって小学校生活は決して愉快な場所ではなかったのだろう。私の知らない苦労がかなりあったはずだ。そんな妹の一番の味方であるべき兄が一番の敵になってしまったのだから、最低の兄といっても過言ではない。
 
そして私は私立の中学へ、妹は中学・高校と養護学級に進学した。

 

 

 

中学校以降は妹が同じ学校に通うことはなかった。友人から私の妹について聞かれることはあるけど、何となくごまかしながら答えていた。小学校のころに散々悩まされていた妹のことを意識することなく、普通に学校生活を送ることができた。
 
妹も中学と高校を地元の養護学級に通いながら無事に6年間を過ごすことができ、家族が妹に悩まされることもあるにはあったが、総じて何事もなく過ごすことができた。養護学級の生活は全然わからないけど、普通の学校に行くよりも妹にはあっていたのかもしれない。
 
わたしが一年の浪人生活を終えて大学に進学した時に、妹は高校を卒業しテーマパークの衣装係として社会人生活が始まった。
 
養護学級を卒業した後にいきなり社会に放り出されたときの不安はかなり大きかったと思う。慣れない作業や人間関係の中での仕事は想像を絶するものに違いない。事実、家にいるときには同僚に怒られるたびにイライラを募らせ、家では愚痴や文句を四六時中聞かされていた。
 
そんな妹に対して「仕事は文句を言わずにやりなさい」とか「もう少し我慢をしたらどうだ」といつも正論を言っては妹を怒らせてしまっていた。私も大学に入学してからアルバイトをするようになり、仕事というものをわかったような気になっていた。数年後それがとんでもない間違いであることを思い知らされる。妹からしてみれば、大学に行って何も苦労もせず遊んでいる兄にだけはいろんなことを言われたくないと思っていたようだ。
 
妹が社会人生活で苦労しているときには、私は大学生になってアルバイトもしていたが、お世辞にも真面目な学生とはとても言い難い。学校に行くふりをしながら途中で遊んでは授業をさぼっていることもしばしばで、四六時中学校に行くのがかったるいとか言っていた。そのくせ、妹には生意気にも偉そうなことばかり言っているので、子供のころのように喧嘩にはならないものも、どこか白けたような目で私を見ていた。
 
わたしが一年浪人して勉強を頑張ったというプライドもあった。それが悪い方に傾き、妹をはじめとした高卒で社会に出ている人に対して、ちょっとバカにしたような態度をとっていたのかもしれない。どこかで高校卒業して働きに出ることを勉強ができないから就職するという思い上がりも甚だしい勘違いをしながら、接していたのだろう。

 

 

 

大学卒業してから私は大手ファミリーレストランに就職した。就職氷河期といわれてそれなりに苦労したのだが、終わってみればあっさりとファミリーレストランから内定をもらいそのまま近所の店に配属になった。大学時代もイベント警備のバイトでリーダーを務めていたこともあったので、何とかなるだろうと思っていたが、とんでもない間違いだった。
 
最寄り駅付近の店舗が配属先であり、注文を取ったり料理を運んだりする接客業務と実際にキッチンで料理を作ることが仕事だ。接客も料理も今でも得意ではない業務であり、なぜファミレスに就職ができたのかが不思議でならない。
 
案の定、配属初日から上司や一緒のシフトにいるアルバイトに毎日怒られてばかりであり、来店するお客様からのお叱りの声も数えきれないほどいただいている。朝からシフトインしたはずなのに、帰宅はいつも日付が変わっていた。休日のシフトだというのに店長から呼び出しを受けて、長々と説教されたことも一度や二度ではない。もちろん、仕事が遅く容量の悪いダメな社会人である私に原因があるのだろうけど、ここまでの理不尽な扱いに社会人になって働くことが本当に嫌になっていた。それこそ、家に帰ってもいつもうなされて眠れることがない日々が続いていた。
 
そして、半年持たずしてファミリーレストランを退職した。私の強みとして認識していたはずの我慢強さやコツコツと継続することが音を立てて崩れた。そして、就職氷河期に同じように苦労してきた高校や大学の友人からのまるで犯罪者を見るような目がすごく痛かった。さらにきつかったのが、入社式で出会い一緒に頑張ろうと誓い合ったはずの同期を早々と裏切ってしまい、逃げるようにお別れをしたことが本当につらかった。自分で選んだ道とはいえ、自分の周りにもはや味方はいないと思っていた。
 
そのころ、妹は衣装係として5年目を迎え部下を持つようになっていた。5年も経験することでなれなかった衣装係の仕事もすっかり板につき、指導者を任されるようになっていた。妹がはじめて仕事をしていた時も、同僚から怒られてばかりでストレスのたまる日々を送っていた。そんな時に味方になるべき兄も心のどこかで見下してしまい、それが伝わって険悪になっていた。私が大学でお気楽に生活しているうちにいつの間にか妹はたくましくなっていた。養護学級から上がってからの職場は想像絶する苦労だったのだろう。それこそ辞めたくなってしまうことも数えきれないほどあったはずだ、私が半年で退職したころには、情けない兄への言葉は何もなかったが、仕事とは何かということを背中で語っていた。就職氷河期に半年持たずに退職した人間に世間の目は厳しく、転職活動もしばらく苦労していた。その時の面接官から人格を否定されるようなことも言われたりもした。社会人になることさえも疑問に思うようになって、いじけている毎日を送って親からも怒られることばかりだった。
 
しかし、妹はそんな兄を見ながらも何も言わず、ただ同じように衣装係の仕事を続けている。妹からはどんなふうに見ているのだろうか。

 

 

 

ファミリーレストランを退職してから1年後、静岡県の印刷工場に転職が決まった。これを機に千葉の親元を離れ、初めての一人暮らしとなる。
 
2003年7月1日が転職先のスタートとなり、一年でも長く仕事を続けることを心に決めた。私の社会人デビューは散々なものであり情けない姿をさらしていた。子供のころからさんざん見下してきた妹ももはやベテランとなり、あまりに未熟な新人を送り出すように私の再出発を見送ってくれた。
 
2023年7月1日、私の勤続20周年を両親と妹がささやかながらも祝福してくれた。その年の4月に妹は勤続25年を迎え、最優秀社員の表彰をもらったようだ。
 
勤続20周年とはいえ、定年まであと20年はある。まだまだ人生は長い妹をライバルとしながら頑張っていこうと思う。
 
妹は私をライバルとも思わずにただ無言で今日も仕事に向かうのだろう。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
山田 隆志(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

2022年10月よりライターズ倶楽部に復帰、早いもので通算4期目の参加となる。
5000文字の射程を手に入れ自分オリジナルの文章を求め、いまだ研鑚の日々をおくる。
今年一年で私はどんなライターになるのか、未知数ではあるが楽しみでもある

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2023-07-19 | Posted in 週刊READING LIFE vol.224

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