週刊READING LIFE vol.225

母親が変わった瞬間《「他人」が変わった瞬間》《週刊READING LIFE Vol.225 「他人」が変わった瞬間》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2023/7/31/公開
記事:松浦哲夫(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「みなさん、今日まで本当にありがとうございました! 最高の舞台でした」
「ありがとうございました!」
 
舞台の上演が終わって観客と出演者が全員劇場から退出すると、劇場の外では出演者と観客が記念撮影をしたり、握手をしたり、談笑したり、まるで一時の出会いを惜しむかのようにその時を楽しんでいた。そしてその中心には舞台の主催者である酒井さんがいて、その隣には舞台演劇のモデルとなった女の子が車椅子に座って微笑んでいた。
 
私はそんな和やかな雰囲気の場を離れ、一人空っぽになった観客席に座って、空っぽになった舞台を眺めていた。そして今日の日を迎えるまでの激動の2年を思い出していた。酒井さんと出会い、ものすごく苦労して脚本を書き上げ、役者のオーディションや舞台稽古にも立ち会った。
 
約2年間もの準備期間を要したこのチャリティー公演は今日、この瞬間をもってすべて完結した。生活のすべて、とまではいかなくとも多くの時間と労力を費やしたチャリティー公演。全くの未経験から挑戦した脚本作成は、まるで真っ暗闇の中を手探りで歩くようだった。2年前の私にとって暗闇の中のたった1点の光を見つけることは本当に難しく、何度も暗闇の中に埋もれそうになった。
 
今回の舞台を成功に導いたもの。それはたった1人の女性の変化だった。彼女が大きく変わってくれたからこそ私は脚本を完成させる事ができた。今にして思う。彼女の変化は病気を患う自分の娘の心を救ったのだと。そしていずれ彼女は、このチャリティー公演を通して先天性の障害を持つ多くの子供たちの心も救うはずだ。私は彼女に会いたい衝動に駆られた。会って一言感謝の気持ちを述べたいと思った。しかし、できない。なぜなら彼女は、私が創作した脚本の中にしか存在しない架空の人物なのだ。
 
あれは2年前の5月くらいだったと思う。暑すぎず寒すぎない心地よい季節の中、私は大阪市内で開催されたビジネス交流会に参加、そこで酒井さんという女性と出会った。劇団の主宰をしているという酒井さんは脚本家を求めていた。ダンサーと役者、そして演出家は劇団に数名所属しているが、ストーリーを作成する脚本家がいないという。
 
「一緒に舞台をやりませんか?」
 
唐突に酒井さんは私に言った。2年後にチャリティー公演を予定しており、その脚本を作成してほしいという。その時、私はすでにライターとして活動をしていたが、脚本を書いたことはない。ただ、面白そうだとは思った。自分が作ったストーリーが役者さんによって具現化されるのだ。面白くないわけがない。多少の不安はあったが、好奇心の方がはるかに勝った。
 
「わかりました、脚本を書きます」
 
後日、私は脚本の詳細について打ち合わせをするために酒井さんとカフェで会った。ソファ席と高級テーブルを並べる高級店だ。席に着くなり彼女は話し始めた。
 
「2年後に開催予定のチャリティー公演はレット症候群という先天性の病気の認知度を高めるためのものです。その出し物の1つに舞台演劇があり、その脚本を書いていただきます。レット症候群をテーマにしたものでお願いします」
 
そう話す彼女は交流会であった時とは別人のようだった。交流会での彼女はどこかフワフワしてあどけない可愛らしさを持っていたが、今目の前にいる彼女は劇団の代表者で、真剣に舞台に取り組もうとする舞台人そのものだった。
 
「レット症候群をテーマにしていただければ、ストーリーはお任せします。あと役者のオーデションもやりますので、脚本家として審査員もお願いします」
 
私の胸は高まった。舞台演劇など全く経験ないが、脚本と役者のオーディションが舞台演劇にとっていかに重要か、ということは容易に想像できた。彼女は私に今回のチャリティー公演の中枢を託そうとしているのだ。もちろん私に断る選択肢などない。ただ1つ気になる事があった。
 
「あの……レット症候群とは? 始めてきく病名ですが」
「あまり認知されていませんが、レット症候群は2万人に1人のかかる先天性の病気で女の子の症例が90%です。生後1年を経て徐々に発症、全身が不自由になり日常生活もできなくなる病気です。病気のメカニズムは未だに不明で治療方法も見つかっていません」
そう話す酒井さんはどこか悲しげな表情を浮かべた。
 
「数年前に私はこの病気に苦しむ女の子と知り合いました。すごく可愛い笑顔ができる子で、お父様がものすごく立派な方です。自分の娘のためにレット症候群のNPO法人を立ち上げて、積極的に活動されています。うちの劇団としてもその活動を支援したいと思っています」
 
帰宅後、私はレット症候群についてネットで調べ、脚本のストーリーについて考えた。いくつかの案が思い浮かんだが、やはりレット症候群を患う子供を持った家族のストーリーが面白い。特に酒井さんから教えてもらったNPO法人のホームページが参考になった。代表者である父親とその娘である女の子が紹介されており、その子はレット症候群を患っているとのことだった。私はその子を主人公の1人にすることに決めた。
 
主人公が決まるとあとストーリーだ。NPOの代表を務める父親の家族に対する想い、母親の子供に対する想い、そして子供の想いを織り交ぜると、まるで化学反応のように1つのストーリーが出来上がる。細かい点はネットや本から知識を仕入れるとして、これでストーリーの流れ、骨組みのようなものは完成した。あとはそこに肉付けしていけば脚本全体が仕上がる。
 
それから2ヶ月ほどで私は脚本を書き上げた。ひとまずの完成だ。大役を1つ果たして祝杯をあげたい気分ではあったが、それにはまず酒井さんの反応を見る必要があった。私は酒井さんに脚本を書き上げたことをメールで報告、そのメールに脚本を添付して送った。
 
1週間後、私が夕飯の支度をしている時にスマホに着信があった。酒井さんだった。
 
「脚本ありがとうございます。読ませていただきました。すみませんが、これは採用できません」
 
私が書いた初めての脚本だ、1本目でオッケーなどあるはずがない、と自分に言い聞かせるが、やはりダメ出しは辛い。私は沈む気持ちをなんとか持ち上げて彼女に聞いた。
 
「わかりました。どこが問題でしたか? 修正します」
「いや、修正とかではなくて……この脚本を通して言いたいこと、つまりコンセプトは何ですか? それが見えてきません」
「コンセプト……ですか?」
「はい、この舞台演劇を通して観客席のお客様に何を訴えかけたいのか。それが一番大切です。他にも問題はありますが、まずはそこです。書き直していただけますか?」
 
私は愕然となった。彼女の口ぶりだと、この脚本全てダメと言っているようにも聞こえた。私は彼女の真意を知りたいと思い、この脚本のどこがダメなのかを聞いてみた。すると彼女は申し訳なさそうに言った。
 
「せっかく書いていただいたのに言いづらいのですが、コンセプトが見えてこない以上、どことも言えません。敢えて言わせていただくと全部です。修正しようがありません」
「わかりました、とにかく書き直します」
「お願いします」
 
その日の夕食後、私は部屋にこもって脚本を見直した。コンセプトがない、と酒井さんは言った。それを踏まえてみると、確かにストーリーは淡々と進んでいるだけで盛り上がりも何もない。まるで平坦でまっすぐな道をただ歩いているようだ。面白くもなんともない。当然そこにコンセプトなど生れようもない。私は最初から書き直す決心を固めた。
 
酒井さんのダメ出しから2ヶ月ほど経過し、私は2作目となる脚本を書き上げた。コンセプトもしっかり決めた。設定は奇抜だが面白いし、感情の盛り上げもある。私は自信を持って酒井さんに脚本をメールで送った。
 
1週間後、酒井さんから着信があった。
 
「脚本ありがとうございます、面白いストーリーだと思います。コンセプトもしっかりしていますね。ただ、少し違和感があります。なんとなくですが……」
「違和感ですか?」
「はい、松浦さんはこれまで障害福祉に関わったことはありますか? 業務でなくとも、例えば話を聞いた、関係者へのインタビューといったことでもいいのですが」
「いえ、まったくありません。本は読みましたが……」
「そうですか、わかりました、私ももう一度しっかり読んでみますね、少し時間をください、また連絡します」
「わかりました」
 
そう言うと通話が切れた。違和感? なんだろう。確かに私はこれまで障害福祉の分野に関わったことはない。ただ、この脚本を作成するにあたり知識を仕入れるための本を読んだ。そこから業界のことはよくわかったし、ある程度詳しい知識を仕入れることもできた。それで十分だと思った。
 
私はもう一度自分の脚本を読み返した。最初から最後まで文字を拾い上げるかのように丁寧に読んでみた。それでも酒井さんの言う違和感などまったく感じなかった。前回以上にしっかり時間も手間もかけて、まさに心血を注いで仕上げた脚本だ。それだけに正体のわからない違和感、などと言われると気になって仕方がない。特に急いで仕上げる必要もないが、酒井さんからの連絡を待っていられなかった。
 
そこで私は障害福祉に携わる友人に連絡を取ってみた。しばらく連絡していなかったが、事情を話すと、彼は喜んで協力すると言ってくれた。早速私は彼に脚本をメールで送った。2日以内に中身を読んで連絡する、と彼は言った。
 
2日後、彼から連絡があった。劇団の主催者の人が感じた違和感の正体がなんとなくわかったという。彼が指摘した違和感の正体、それは私を驚愕させた。
 
「君の脚本を読んで思ったんだけどさ、なんとなくわかったよ。怒らないで聞いて欲しいんだけど、この脚本をそのまま舞台演劇で発表すると、気を悪くする人が出てくると思うよ」
「え、どういうこと?」
「確かにストーリーとしては面白いし、感情も盛り上げるし、コンセプトもしっかりしてる。でもな、この主人公の女性、レット症候群の女の子のお母さんなんだけど、自分の娘が不幸だと決めつけてないか? この子はレット症候群だから不幸に違いないってな」
 
それを聞いて私はハッとした。確かに私は無意識に障害を持った、ハンディキャップを持った人たちを、そのことだけで健常者よりも不幸だと決めつけていた。彼は続けた。
 
「俺は障害福祉に関わってるからよくわかるんだけどさ、ハンディキャップを持った人って別に自分たちを不幸だなんて思ってないんだよ、そりゃ確かに日常生活では不便なことも多いだろうけどさ。幸せの形って人それぞれ違うんだよ。俺がこの脚本から感じた違和感はそれかな、参考になった?」
 
それはとてつもなく大きな気づきだった。私は彼に礼を言って通話を終え、すぐに脚本を読みなおしてみた。すると、私自身も感じる違和感があらわになった。脚本の中に登場する母親は、確かにレット症候群を患う我が子を不幸だと決めつけていた。もはや違和感どころではない。この母親は露骨に我が子を差別していたのだ。
 
私はすぐに酒井さんに連絡した。酒井さんの言う違和感の正体がわかったこと、そしてもう一度最初から脚本を書き直したい旨を伝えた。
 
「わかりました、まだ時間はあります。それで違和感の正体を伺ってよろしいですか?」
「端的に言うと、母親が一方的に自分の幸せを我が子に押し付ける、我が子が不幸だと決めつける違和感、母親の差別と言ってもいいかもしれません」
「なるほど、わかりました。次回作、楽しみにしています」
スマホ越しに酒井さんの声が弾んでいることがわかった。おそらく私の回答で全てを察したのだろう。そして私の次回作に対する期待感も伺えた。私はその期待に応える必要があったし、その自信もあった。
 
ストーリーのコンセプト、盛り上がり、感情の起伏、そして障害を持った子に対する差別、人それぞれ異なる幸せの捉え方、全ての要素を手に入れて私は第3作目に取り掛かった。
 
そうして2ヶ月が経過し、私は脚本を書き上げた。
 
脚本のタイトル
「幸せの伝え方」
 
コンセプト
「幸せの形は人それぞれ」
 
あらすじ
「レット症候群を患う我が子の幸せを想うあまり、我が子の気持ちを無視した行動をとってしまう母親。そんな母親の行動は1つの事件を引き起こし、その事件をきっかけに母親は自らの過ちに気がつく。そして母親は病気で話すこともできない我が子とこれまで以上に意思疎通を交わすことを決意し、それこそが我が子にとっての一番の幸せだと理解する。そうして家族は1つの大きな困難を乗り越え、幸せな人生を歩んでいく」
 
ストーリーの見所は、母親が自らの過ちに気がつく瞬間、そして母親が変わる瞬間と成長である。
 
交流会での酒井さんと出会いから約1年、こうして私はチャリティー公演で上演する舞台演劇の脚本を完成させたのだった。
 
それから酒井さん主導で役者のオーディションが行われ、厳正な審査の元、舞台に立つ役者さんと配役が決定した。私も脚本家として審査に関わった。
 
数日後稽古がスタート。初日は役者同士の顔合わせ、脚本の読み合わせが行われ、2回目の舞台稽古から酒井さんによる演技指導が始まった。同時に舞台演出の打ち合わせを実施、演出に合わせるために脚本を何度が修正した。
 
私は稽古の様子を毎回見学していたが、稽古は厳しいものだった。役者さんの中には演技経験が少ない人もおり、酒井さんの演技指導にも熱が入った。暴力を振るうことこそなかったものの酒井さんの熱血指導はまるで軍隊のようだった。そんな彼女の熱血指導についていけず、心が折れそうになった役者さんもいた。それでも作品は確実に完成へと近づき、舞台本番に向けて最後の練習では、見る人の誰もが完璧だと評するであろう作品に仕上がった。
 
酒井さんをはじめとした劇団関係者、舞台演出、ダンス指導、役者、そして脚本を担当した私も心を1つにした瞬間だった。
 
チャリティー公演が終わり、私の初めての脚本挑戦が終わっても、私の心に残り続けるものがあった。自らの過ちに気づき、レット症候群を患う我が子の本当の幸せに気づくことができた母親。脚本はそこで終わるが、家族のストーリーはこれからも続いていくのだ。それからこの母親は、そして女の子はどのような人生を歩んでいくのか。
 
ストーリーは母親のこのようなセリフで締めくくっている。
 
「この子はレット症候群という病気とともに生まれました。多くの人は、そのことが不幸だ、と決めつけます。以前の私もそうでした。でも、この子はきっと他の誰よりも幸せな人生を自分で見つけ、誰よりも精一杯生きてくれると思います。レット症候群なんか関係ない! この子は私たちの本当に大切な子です。」
 
もちろんストーリーも登場人物も私の創作であることは承知している。しかし、約2年もの長きにわたり関わってきた架空の家族なのだ。私にとってあまりにも思い入れが強い。これは架空の家族であり、ストーリーはここで終わりなのだと割り切ることもできなくなっていた。
 
私は一人空っぽになった観客席に座り、空っぽになった舞台を眺めながら、このセリフの言葉通り、本当にこの家族が幸せな人生を歩んでくれればいい、と心から願った。そしていつの日かこの脚本の後日談を書いてみたい。それが駆け出しの脚本家としての最高の幸せなのだろうと思った。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
松浦哲夫(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

大阪生まれ大阪育ち。某大学文学部卒。
大学卒業後、大手化学系の企業に就職。経理業務に従事。
のちに化学系、環境系の国家資格を4つ取得し、研究開発業務、検査業務に従事する。
約10年間所属した同企業を退職し、3つの企業を渡り歩く。
本業の傍ら、副業で稼ぐことを目指し、元々の趣味である登山を事業化すべく登山ガイド業を始める。この時、登山ガイド業の宣伝のためにライティングを身につける。
コロナ騒動により登山ガイド業が立ち行かなくなり、宣伝のために覚えたライティングで稼ぐことを思いつく。そうして個人や企業からの執筆依頼を受け、ライターとしての経験を積み重ねる。
2023年4月ライティングゼミを初めて受講。現在に至る。

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2023-07-26 | Posted in 週刊READING LIFE vol.225

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