第12回:Road To 「TOR DES GÉANTS」③ ~青天の霹靂~《ウルトラトレイルランナーが案内する日本一過酷な鎌倉・湘南観光》
2023/10/2/公開
記事:佐藤謙介(READING LIFE編集部公認ライター)
高山病
人間は高所に登ると様々な不調があらわれる。
頭痛、吐き気、倦怠感、睡眠障害、疲労、怒りっぽさなど。
これらの症状は皆さんもご存知のように「高山病」と言われるものだ。
近年、ニュースでも富士山に宿泊せずに登頂しようとする「弾丸登山」が取り沙汰されるが、色んな問題があるが一番は高山病になり、動けなくなることに対するリスクを検討していないことだと思っている。
高山病とは、高いところに上がれば上がるほど気圧が下がり空気中に含まれる酸素濃度が薄くなるなるため、体に十分な酸素を取り込むことができずに不調が出るという症状のことである。最悪は高地肺水腫という死に繋がる症状が出ることもある。そのため決して高山病を侮ってはならない。
ちなみに富士山の山頂では酸素濃度は地表のおよそ65%ほどとなる。
【酸素濃度表】
今回トルデジアンを走って最も苦労したのがこの高山病の症状だった。
特に最初の2日間は2500mを超えるたびに頭がフラつき強い眠気に襲われ、自分が蛇行していることに気が付かなほどだった。
眠気対策として私は普段からカフェインをとらないようにして、レース中に眠気が来たときにカフェインの効きを最大限高められるようにしていた。しかし、今回は途中でカフェインの錠剤をとっても効き目が弱くこれは一回寝ないことにはどうしようもないレベルだと思った。
そこで第一ライフベース(LB)のValgrisenche(ヴァルグリザンシュ)では2時間の仮眠を取ることを決め、とにかく早くそこまで行くことにした。
当初ヴェルグリザンシュでの仮眠は60〜90分程度(トータルの休憩は3時間)と見込んでいたが、ここは計画を変えてでも眠気を取らないと2日目以降走ることができないと考え、タイムよりもこの先のことを優先した。
【さきに到着した選手たちが休憩していた】
ヴァルグリザンシュまで計画では13時間と予想していたが、実際には12時間39分で到着することができた。タイムに関しては予想通りというか、これだけフラついていたにも関わらず予想より早かったことに目標時間は自分にとってはかなりゆとりがある設定だったのかなとホッとした。
デポバックを受け取り仮眠所に入るとすでにたくさんの選手が簡易ベッドで寝ていた。
私もデポバックからビビイという薄手の寝袋のようなものを取り出しその中に体を滑り込ませ目を閉じた。
ところが周囲で他の選手たちが動いたり話したりする声が聞こえ思うように眠ることがでず、寝ては起き、寝ては起きを繰り返し、結局熟睡できずにあっという間に2時間が経過してしまった。
「まあ、仮眠所で寝るとはこんなものだろう」と理解はしていたが、計画を変えてまで仮眠時間を伸ばしたのにこの程度しか眠ることができないのかと、少し残念な気持ちになった。
その後軽く食事を摂り、散らかった荷物を急いでデポバックに詰め直して第2セクションへと歩き出した。
結局ヴァルグリザンシュでの休憩時間は3時間17分だった。
【エイド食。ここのはちょっとアレだった(苦笑)】
セクション2
セクション2はValgrisenche→Cogne(コーニュ)まで距離55.5kmの最長区間となるセクションである。
コーニュまで峠を3つ越えなければならないのだが、3つ目に「Col Loson(コル・ロソン)」というコース内で最も標高が高い3294m地点を越えるため最難関区間の一つと言われていた。
ヴァルグリザンシュを出たのは深夜2時。熟睡できたわけではなかったが、眠気はさほどなく疲労も幾分とれたように感じた。通常のトレイルランニングのレースではここまでしっかり休憩を取ることはないので、疲労がレース中に回復するという感覚は新鮮だった。
外に出ると寒さはそれなりにあるものの、登り始めればすぐに体は暖かくなったので、気持ちを新たに最初の峠、標高2843mの「Col Fenetre」を目指して進んだ。
突然の訃報
ヨーロッパの山は日本に比べてとにかくデカい。そのため自分の前を行く選手を遠目に見ることができた。ところが昼間は明る過ぎて逆に見えにくいのだが、夜になると前を行く選手のヘッドライトが点々と遠くに続くのが見えるため、どこまで自分が登るのかはっきり感じることができた。
Col Fenetreまでは比較的なだらかな斜面が続いているため、私は日本から一緒に参加している他の選手の様子などを確認しようとスマホを取り出してチェックすることにした。
順調に進んでいる人もいれば、初日の暑さでペースを崩している人もいたが皆一様にこの旅に挑戦していることがわかり勇気をもらえるようだった。
ところがたまたま開いたFacebookをみて私は大きな衝撃を受けた。
そこには「Sさんの追悼」という文字が浮かんでいた。
Sさんとは白血病の診断を受け治療している友達だった。
私が友達というのもおこがましいのかもしれない。Sさんは私よりも20歳も年上の人生の先輩だ。しかしSさんは年下の私を「友達」と呼んでくれて、なんの気づかいも感じさせないほど親しく接してくれた。何度も家に遊びに来てくれ、酒を飲み、ときには悩み事を相談したりもした。また私の妻や娘にも家族のように接してくれた。10年前に父を亡くした自分にとっては、どこかSさんに父親を重ねていたのかもしれない。
60歳を過ぎ定年を迎えてからのSさんはさらに積極的に活動するようになり、マリンスポーツを始めたり、世界中に旅行に出かけたり、また筋トレも始めてその体はとても60歳を過ぎた人とは思いないほど健康そのものであった。
ところが今年に入りたまたま献血で血液を調べると異常が見つかり、精密検査を受けたところ「急性骨髄性白血病」と診断された。しかも放っておけば余命は数ヶ月だというのだ。
私はその話しを聞いたときには「心身ともにこれほど健康的な人がなぜ?」と信じることができなかった。しかもすぐに入院しなければいけないとのことで、できればその前に一度会いましょうということなり自宅に招き食事をした。その時も自分の体調のことやこれからどのような治療をすることになるのかなど大病にも関わらず明るく話しをしてくれた。
白血病といえば最近では競泳の池江璃花子選手も同じ病になったが見事に復活したことが記憶に新しい。私はSさんの体力と現代医学ならきっと池江選手のように乗り越えられるだろうと思っていた。
ところがその後の病状は思わしくなく、私がトルデジアンに出発する直前の8月末にこれから抗がん剤や放射線による治療、そして骨髄移植をすると報告をいただいた。しかもその成功率は極めて低く、生存率は10%ぐらいとのことだった。
ところがSさんは「僕は諦めてないよ。たとえ10%でも生き残る可能性があるならそれに挑戦したいし、それでダメならそれは運命だから仕方ないよね」と前向きで、そして人生を満喫してきたSさんらしい口ぶりで私の心配などどこ吹く風といった感じだった。
しかし治療が始まれば話すことも難しくなるかもしれないからと、8月29日にT V電話で私の妻と娘も一緒に話しをすることができた。
久しぶりに見たSさんは治療のために気管に管を通してはいるものの、以前とそれほど変わりがなく、相変わらず自分の状況を冷静に受け止めているようであった。私は9月8日に日本を離れるが帰ってきたらトルデジアンのことを話したいと伝えると「それは楽しみだね。僕も頑張るよ」と言ってくれた。
【これが最後に見たSさんだった】
あまりに元気でいつもと変わらないSさんを見て、このあとわずか一週間で亡くなるなんて想像することすらできなかった。
前向きな気持ち
私はスマホでSさんの訃報を見た瞬間に全身の力が抜け、歩くことすらできずにただその場に立ちすくんでしまった。画面越しに見たSさんの明るい表情、Sさんとお酒を飲んだときの楽しかったことを思い出し私は溢れ出る涙を止めることができなかった。
そして私は
「レースなんてしている場合じゃない」
「これから葬儀があるだろうから帰国しよう」
「でも今から行って間に合うだろうか?」
そう考え、今ここでレースをリタイヤするにはどうしたらいいかを考え始めた。
しかし、そのとき私の右肩に何か「コツン」と当たる感触がした。
木の枝か何かが風に舞ってぶつかったのかなと思って振り返るも特にそんな風が吹いているわけでもない。
しかし、私の右肩には後ろから何かで押されたようなかすかな感触が残っていた。
その時、突然私の頭の中に
「サトケン、僕のことは気にしなくていいんだよ」
「サトケンは自分のレースの事だけ考えて楽しんできなよ」
そう語りかけてくれるSさんの声がした。
それはいつものSさんの明るく元気な声だった。
「そうだ、Sさんがレースをリタイヤして来て欲しいなんて絶対に言うはずない」
「自分は今このレースに集中し、とにかく前に進む事だけを考えなければいけないんだ」
私にはSさんなら絶対にそう言うに違いという確信があった。
そう思うと突然力が戻ってきて、私はまた足を前に進めることができるようになった。
【満天の星空とヘッドライトの灯り】
途中で何度もSさんを思い出し涙が出そうになったが、空を見上げると満天の星空と峠に向かう選手たちのヘッドライトの明かりが見え、私は生きてこんな素晴らしい景色を見ることができることをただただ幸せに感じた。
そしてSさんに「トルデジアンは楽しいですよ」と自分の気持ちを語った。
「そうなんだ、よかったね」とSさんも言ってくれた。
私はこの夜はSさんと二人で話しながらトレイルを進むことにした。
翌日になってSさんの娘さんがFacebookに投稿した内容を見て知ったことだが、実はSさんが亡くなったのは9月5日だった。私たち家族とTV電話で話したわずか一週間後のことだ。しかも私がトルデジアンに出発するよりも前だったのである。
しかしSさんは葬儀も身内だけで行うことを望み、亡くなったことを公開する時期まで娘さんに指示し、私たちがSさんの訃報を知ったのは全てが終わった後だった。もし通常の形で通夜、葬儀が行われていたらきっと私はトルデジアン行きをキャンセルしてでもSさんの葬儀に参加しただろう。
自分のことより他人のことまで考えるSさんだからこそ、誰かの予定を変えることがないように気を遣ったのだと思う。本当にSさんには最後の最後まで生き方を教えてもらえる。
「あっそ!? サトケンはサトケンの人生を楽しみなよ」
きっとSさんはそう笑うと思う。
でもSさん。
僕は本当に寂しいよ。
□ライターズプロフィール
佐藤謙介(READING LIFE編集部公認ライター)
静岡県生まれ。鎌倉市在住。
幼少期は学校一の肥満児で、校内マラソン大会では3年連続最下位。ところが35歳の時にトレイルランニングに出会い、その魅力に憑りつかれ、今ではウルトラトレイルランニングを中心に年に数本のレースに参加している。2019年には世界最高峰のウルトラトレイルランニングの大会「UTMB」に参戦し完走。普段は鎌倉・湘南エリアを中心にトレイルランニングを日常として楽しんでいる。
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