週刊READING LIFE vol.257

「偉大さとは作られたものではなく、あるがままそのものである」とアラスカの自然が教えてくれた。《週刊READING LIFE Vol.257 忘れない》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライティングX」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2024/4/9/公開
記事:松本萌(READING LIFE編集部ライティングX)
 
 
「そろそろだよ!」
船内にガイドの声が響き渡り、乗客たちが甲板に出てくる。目の前には大きな氷河が静かにたたずんでいる。あたかも海の下から何かが湧きだしてくるかのようなゴロゴロゴロゴロという音が聞こえてきたと思った瞬間ザザーっと崩れ落ちる音が鳴り響き、ドカンと大きなものが落ちる爆音が辺り一帯を支配した。固唾をのんで見守っていた乗客たちは歓声の声を上げた。
アラスカの海で人生始めて氷河が崩れ落ちる光景を目の当たりにした瞬間だった。
 
私の人生におけるモットーは「行きたいところに行く、会いたい人に会いに行く、食べたいものを食べる」だ。一言で表すと「旅」そのものだ。
行きたいとなると国内外問わず旅に出るので「今度旅行に行きます」と報告する度に同僚から「今度はどこに行くの? いつもおもしろいところに行くよね」と言われる。
 
私がアラスカを意識するようになったのは、アラスカを拠点に活動した動物写真家の星野道夫さん(以下星野さん)の本との出会いだ。
旅行好きの友人と「人生に一度はオーロラを見たいよね」と盛り上がり、お正月休み明け早々フィンランドに旅立ったのは2013年のことだ。オーロラへの思いを高めるためにフィンランド行きの前にオーロラに関する本を読もうと自宅の本棚を物色していたら、星野さんの「ノーザンライツ」が目に留まった。星野さんの写真が好きな姉が買った本だった。
私自身も星野さんの写真が好きで、何度か写真展に行ったことがある。夕日をバックに空高く持ち上げられたクジラの尾びれ、夕日の中物憂げな表情で宙を見つめるグリズリー、目をつむり前足を合わせた状態で優しい日の光にまどろむシロクマ、格闘で角が絡み合ったまま息絶えたのであろう苔の生えた二頭のカリブーの角がひっそりと転がる川の景色…… 自然の雄大さが伝わってくる写真に魅入ってしまう。
「ノーザンライツ」とはオーロラのことを指すらしい。今回の行き先はアラスカではないがまぁいいだろうと思い、手に取った。
 
「オーロラのことを知れたらいいな」という軽い気持ちで読み始めたのだが、引込まれるように読み進めあっという間に読破した。「ノーザンライツ」には星野さんのアラスカへの愛が溢れんばかりに詰め込まれていた。
駆け足のように春と夏が過ぎていき、雪深く太陽が昇らない時期が多いアラスカの地での生活は暗く静まりかえったものなのではと想像していたが、本の中では厳しい自然環境の中をたくましく支え合いながら生きる優しさと、果てしなく広がるアラスカの地を愛する冒険心溢れる人々の生活が描かれていた。
いつどこに出現するか分からないカリブーの群れを写真に収めようと数週間一人で放浪する話や、ひょっこり現われたオオカミに大切なカメラを奪われそうになり慌てた話など、およそ日本にいる限り体験できない話にワクワクした。
日本にはない大自然の描写に心打たれた。星野さんが「自然には身近な自然と遠い自然がある。日本の自然は身近な自然で、アラスカの自然は遠い自然だ」と書いていたが納得だ。足を踏み入れる人に対し「君は本当にこの地に足を踏み入れるのか」と問われているような、厳かで敬意を払わなければいけない偉大さをアラスカの自然は持っていると感じた。
 
私は「泣ける」と言われている本を読んだり映画を見ても、そこまで感情が動かない。ファンタジーやフィクションでは「現実世界ではありえない」と冷めた目で見ていたり、例えノンフィクションでも「自分事ではない」と客観的に捉えてしまうところがあり感情移入しないからだ。
そんな私が星野さんの本にはまってしまった。
何気ない言葉とリアルな生活が綴られている文章の端々から、アラスカの自然そして自然と共に歩む人々への星野さんの深い愛が感じられた。二度と訪れないであろう一瞬一瞬を切り取る写真家はきっと自分にも他人にも厳しいに違いないと思っていたがそうではなかった。星野さんが愛してやまないアラスカに行ってみたい。そして本に描かれた景色を見てみたいと思うようになった。
フィンランドでオーロラを楽しみながら星野さんの本の良さを友人に熱く語ったところ、友人も「読んでみたい」と興味を示したので帰国後本を貸した。読み終わった友人から「絶対いつか一緒にアラスカに行こう」と言われた。
 
旅の話になると俄然燃える友人と私なのだが、お互い仕事の事情もあり即実行に移すことができず、アラスカの地を踏むことができたのは2年後の2015年7月だった。
深夜になっても明るい白夜、さえぎるものの無い大自然を縦横無尽に吹く夏と言え冷たい風、雄大なマッキンリー、アラスカの様々な景色を楽しませてくれるアラスカ鉄道、果てしなくどこまでも地平線が続くデナリ国立公園、遠目でも分かるグリズリーの隆々たる体格、まるで遊んでいるかのように私たちの乗る車に付かず離れず併走するヘラジカ…… 五感をフルに使ってその地、その場にいるからこそ感じられるエネルギーを堪能した。今の時代テレビやネットで見ようと思えば見られるものの、画面を見るだけでは感じ取ることのできないリアルな体験に心が震えた。
 
帰国前日、最後の観光の目玉は「氷河クルーズ」だった。アラスカの氷河の景色を楽しもうと集まった各国の観光客を乗せた船は、空と海の境界線が判断できないほど果てしなく続く海を進んでいった。私達乗客は岩の上でのんびりするトドの群れや雄大な姿で飛ぶ白頭鷲の姿を楽しんだ。船内では氷河を使ったウイスキーが振る舞われ、お酒に弱い私も試しに飲んでみた。氷河で作られた氷の中には遙かかなた前の空気を含んだ気泡がいくつもあった。
 
見渡す限り氷河で囲まれたエリアに着くと、遠くで地鳴りのような音がするのが聞こえた。「氷河が崩れる音だよ」とガイドが教えてくれた。一つの氷河の前に来たとき、ガイドが「そろそろだよ!」と乗客に声を掛けた。乗客がいっせいに甲板に集まると同時に、目の前の氷河の一部が爆音を立てながら海に落ちていった。高い声で歓声を上げる人、指笛で感動を表す人、迫力にたじろいで驚きの声を上げる人、始めての光景に乗客は様々な反応を示した。
 
私は声が出なかった。
果たしてどのくらい前にできたのか分からない程昔に生まれた氷河が、ほんの数秒であっという間に崩れていくさまに声を失った。湧き上がってきた感情は畏怖の念だった。
温暖化の影響で年々氷河が消えていっていると言う。それに伴い北極圏に住むシロクマ等の動物たちの生態系にも影響が出てきている。今目の前で崩れ落ちた氷河の音が、まるで自然の怒りの声のように聞こえた。
氷河の崩れ落ちる姿はそうそう見られるものではないので貴重な経験だ。だが果たして自分にとって見ることは良いことだったのだろうか。楽しい旅の最後になんとも言えない気持ちになってしまったことに戸惑った。
 
氷河のあるエリアから港に戻るにはそれなりに時間が掛かる。迫力ある氷河の姿を堪能した乗客達が船室に戻る中、帰国したら見ることのできない景色を目に焼き付けようと甲板に残ることにした。
進行方向とは逆の方角を向きながらボーッと流れゆく景色を見ていたとき、「さっきの氷河が崩れるのは必然だった」ということに気がついた。
 
私は温暖化や自然破壊の影響で氷河が溶け、罪のない動物たちの数が減っていくことに悲しさや焦りを感じる。自然はどう思っているのだろうと思いを馳せたとき「自然には感情がない」という当たり前のことに気がついた。
さっきの氷河が崩れたのは温暖化による影響かもしれないし、温暖化に限らず何かしらの影響で崩れる運命だったのかもしれない。氷河は自分が小さくなっても「悲しい。許せない」という感情は抱かない。崩れるなにかしらの要因があったからそれを受け入れ、崩れただけなのだ。最後のかたまりが海に消えても氷河は悲しいとは思わず、ただ崩れるのみだ。そしてその姿に人はハッとさせられ、時に魅了させられ、時に畏怖の念を抱く。
 
感情に左右されないとはこういうことなのだと気づかされた。
現状を受け入れあるがまま崩れていくあっぱれな氷河に比べ、見栄っ張りで感情に振り回され堂々巡りをして、そんな自分に嫌気がさしてを繰り返している私はなんてちっぽけな存在だろうと思った。あるがまま受け入れ揺るぎのない自分でありたいと思った。
「偉大さとは作られるものではなく、ただあるがままである」ということを崩れゆく氷河が教えてくれた。
 
そうは言っても私には感情がある。どうしたって抗いたくなるときはあるし、ついついファイティングポーズを取ってしまうことがある。氷河のようにあるがまま受け入れられない。
そんな時はまず「そうなんだね」と現状を受け入れてみよう。否定せず受け止めてみよう。その上で自分はどうしたいのか、どうありたいのかを考えよう。だれかの言葉に「えっ? そうなの? 私はそう思わないけど」と思ったときは「この人はそういう考え方なんだな」と一旦受け入れてから「私はこう思うんだけど、あなたはどう思う?」と問いかけてみよう。
意固地になっている自分に気がついたら、目をつむろう。目をつむると、今でも私の脳裏には崩れゆく氷河の光景と、言葉では表しがたい音が甦ってくる。あの時の光景と自分が思ったことを一生忘れずにいよう。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
松本萌(READING LIFE編集部ライティングX)

兵庫県生まれ。千葉県在住。
2023年6月より天狼院書店のライティング講座を絶賛受講中。
「行きたいところに行く・会いたい人に会いに行く・食べたいものを食べる」がモットー。平日は会社勤めをし、休日は高校の頃から続けている弓道で息抜きをする日々。

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2024-04-03 | Posted in 週刊READING LIFE vol.257

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