うさちゃんの心臓が止まった日
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
うさちゃんの心臓が止まった日
記事:歩楽三(2026年1月開講・渋谷/通信・4ヶ月コース)
うちでは、うさぎ(オス。7歳くらい。ネザーランドドワーフ。毛色はチョコレートオター)を飼っている。
そのうさちゃんの様子が、最近少しおかしかった。
食欲はあるけれど、どこか食べづらそう。
目はうるうるして、鼻も詰まっている。
鼻が詰まっているというか、白い鼻水がすでにじんわり出ている。
そして、息をすると「プープー」とちょっと苦しそうな音を立てる。
「一度、ちゃんと診てもらおうか」
奥さんとも相談して、久しぶりに近所の動物病院へ連れて行った。
レントゲンの結果は、思っていたよりも深刻だった。
一年前には綺麗だった歯並びが、奥と手前とでずれている。
下の前歯もかなり伸びていて、全体としてうまく噛めない状態になっているらしい。
どうやら歯根が目や鼻を押し、涙目や鼻詰まりを引き起こしている可能性もありそうだ。
これは、長年ペレットばかりを偏食して、牧草をしっかり食べてこなかったため、歯が十分擦り削れずに引き起こされた状態のようだった。
「歯を切り揃える処置をしましょう」
動物病院の先生はそう提案した。
ただし、問題は方法だった。
小動物は麻酔に弱い。 最悪の場合、心臓が止まってしまうこともある。
一方、麻酔などを行わない場合、暴れて手術器具で怪我をしたり、手術台から飛び出して骨折するリスクもある。
そのため、今回は麻酔よりも弱い鎮静剤を使う方針だという。
鎮静剤なら、心停止のリスクはかなり低いらしい。
——ただ、リスクはゼロではない。
リスクが低いことは頭では分かっている。
でも何かが引っ掛かった。
手術の日程は、万が一に備えて、家族全員が揃う日に合わせた。
「万が一」があったとき、家族の誰かが最後に会えないという事態だけは避けたかった。
手術の日、キャリーバックの中で、うさちゃんはいつも通り大人しくしていた。
自分がこれから何をされるのか、分かっていないようにも見えたし、逆に、すべて分かっているかのようにも見えた。
車で動物病院に向かい、その付近のスーパーの駐車場に停める。
家族揃って病院に到着した。
動物病院では承諾書にサインを求められた。
「最善は尽くしますが、リスクがあることをご理解ください」
何度も聞いたはずの言葉が、その紙の上で急に現実味を帯びた。
だが、「リスクはかなり低いから大丈夫。すぐ帰れるさ」と自分に言い聞かせ、不安を押し殺してサインをした。
病院にうさちゃんを預けた後、僕たち家族は呑気にスーパーで買い物をして、ゆっくりと家に帰った。
その、ほんの数十分後だったと思う。
家の電話が鳴った。
嫌な予感がする中、恐る恐る受話器を上げる。 ——動物病院からだった。
「処置中に、心臓が止まりました」
自分の内臓が圧迫されたように胸や腹部が苦しくなる。
「急いで病院の方へお戻りください——」
「わかりました」と言って電話を切り、奥さんと息子に「心臓が止まったらしい」と伝え、みんなで急ぎ車へ戻る。
立体駐車場の地下からゆるゆると上がってくる車に少しイライラする。
奥さんが「事故しないように気を付けてゆっくり行こう」と言ってくれた。
その通りだ。 もちろん事故なんか起こせない。
湧いてくる不安や焦りを腹の奥底に抑え込み、出来るだけ冷静に車を走らせる。
間に合うだろうか——少なくとも最後に息子には会わせてやりたい。
あの日ペットショップで、「この子がいい!」と選んだのは息子だった。
動物病院の前で二人を降ろすと、僕はコインパーキングを探した。
「うさちゃんは幸せだっただろうか?」
少なくともこれまでは幸せであってほしい。
この先の健康を考えての手術だったはずが、逆に命を奪いかねない事態になり、申し訳ない思いで一杯になる。
もう7歳になるので、人間換算なら60歳くらいか。
最近のうさぎの寿命は結構長くなっていて、10歳くらいまで生きる個体も普通にいるようだが、それでも6、7歳は寿命と言ってもおかしくはない範囲だ。
ただ、数年後、家で静かに看取ってあげるつもりでいたところに、急な「死」を突きつけられ、その不条理に心がもやもやしていた。
付近で空いていたパーキングに車をねじ込んで、小走りで病院に戻ると、うさちゃんは小さな体を小刻みに震わせながら、手術台に横たわっていた。
——生きている!
心停止後、獣医さんがマッサージを続けて、心臓はなんとか再び動き始めたようだ。
でも、心電図の音は、時折弱く不規則になり、一瞬止まる。
「今、なんとか動き始めていますが、まだ不安定です」
家族で名前を呼び、声をかける。
「みんなそばにいるからね」
「大丈夫だよ」
「一緒にお家に帰ろうな」
声が届いているのかは分からない。
それでも、何かを信じるように、ただひたすら声を掛け続けた。
ふと時計を見ると、病院に着いてから一時間近く経っている。
少しずつ、心拍を示す機械音がしっかりとしてきた。
目も、わずかに動き、まばたきをし始めた。
「このまま安定して、ちゃんと目が覚めれば、大丈夫だと思います」
その一言で、ようやく息ができた心地がした。
その日は一旦病院に預け、夜にまた迎えに来ることになった。
鎮静剤が抜けた後に、異常がないかを確認するのだ。
一時的とは言え、心臓が止まったので、脳の一部が損傷して障害が残る可能性もあった。
再度家に戻ると、さっきまでの出来事が現実だったのか分からなくなる。
静かすぎて、逆に落ち着かない。
ただ、どんな状態であっても、うさちゃんが家に戻って来れることに、心底ほっとした。
夜になり、迎えに行くと、うさちゃんは少しおどおどしていた。
当たり前だ。
さっきまで、命の境目にいたのだから。
それでも、ちゃんと自分の足で立っていた。
「特に問題は無さそうですね。何かあったらご連絡ください」
獣医さんからそう言われ、家族みんなで喜んで家に戻った。
——翌日。
うさちゃんは何事もなかったかのように、いつもの場所でくつろいでいる。
普通にエサも食べるし、動きも戻っている。
その姿を見て、ようやく実感した。
「助かったんだな」と。
小さな体の中にある、ほんの小さな心臓。
それが止まるということが、どういうことなのか。
いつかはそんな日が来る。
頭では分かっていたつもりだった。
でもそれが実際に目の前で起きるとは——。
私たちは、当たり前のように一緒に過ごしている。
けれど、その「当たり前」は、実はどこにも保証されていない。
「死」は意外と近くに息を潜めて待っているのだ。
今日、目の前で元気にしているこの時間を、大切にしよう。
しかし、そもそもが甘やかして牧草をしっかり食べさせないのがいけなかったのだ。
本調子に戻るまだは許してあげるけれど、これからペレットは朝晩だけにして、あとは牧草をきっちり食べてもらおうか。
なんかメタボおじさんの食事改善みたいだけど、もう歳だからな——。
まあ、うさちゃん、君のためなんだから我慢してね。
そして出来るだけ長生きしてくれよ!
そう言うわけで、お夜食のペレットは牧草に変わりますので、よろしく。
《終わり》
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