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私には、ときどき会いに行く神様がいる。本当は神様だったかもしれない話《週刊READING LIFE Vol.360「本当は“神様”だったのかも」》


 

 

 

 

*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

TOKIS55(2026年5月開講 新・ライターズ倶楽部)

 

私には、ときどき会いに行く神様がいる。

本当は神様だったかもしれない話

 

日本の会社員のうち、自分の仕事に「熱意を持っている」と答える人は、わずか6%だという。ギャラップ社が毎年発表する「グローバル職場環境調査」の数字だ。先進国の中でも最低水準に近いこの数字を、私はどこかで「他人事」として読んでいた。私は仕事が好きだったから。

でも今なら思う。熱意があることと、消耗していないことは、まったく別の話だと。

 

神様とは、私を見守り、窮地では守ってくれる存在だと、そんなふうに思っていた。

ただ、一度神様に見放されたと感じたことがあった。それは、仕事でパワハラを受けた時。パワハラを受けたってことを証明できないなって思ったから、申告しなかった。

 

小さい頃から私には神様がいて、正直に頑張っていたら見ていてくれていて、私が大丈夫な方向に導いてくれているという感触があった。頑張ったら、神様が見ていてくれる。頑張っていなかったら、神様は私が頑張るように試練を与えてくれる。そんなふうに思えた。

だけど、神様に見放されたとき、私は理由がわからなかった。こんなに頑張っているのに、理不尽なパワハラを受けた私を救うことなく、私を窮地に追いやったままだった。

パワハラだけでなく、職場の人からよくわからないけど、そっぽを向かれた。体調が悪くなり、きっとあのまま行ったら、休職していただろう。

休職できない自分の強さに、嫌気がさした。

弱くて、誰かが守ってくれるような人ではないのだ、私は。

 

あの頃の朝のことを、今でも思い出す。

目が覚めた瞬間から、もう体が重かった。駅のホームで電車を待ちながら、ぼんやりと線路を見ていた。満員電車に押し込まれて、誰かの肘が背中に当たっても、もう何も感じなかった。感じないようにしていたのかもしれない。

会社のビルのエレベーターに乗るとき、ほんの少しだけ躊躇う自分がいた。このボタンを押したら、また始まる。また、あの空気の中に戻る。それでも押した。毎日、押し続けた。強いのか、鈍いのか、自分でもよくわからなかった。

 

少し機転が利きすぎるし、正論も言う。「それ、正論ですよね」って引き気味に言われても、それを引いているなんて思わずに、「正論がなかったらいい仕事できないよ」なんて言い返す、負けん気の強いタイプ。人に頼らずに生きてきたはず、要領よく切り抜けてきたはず。それなのに、じわじわと理不尽は引き起こされる。

会社組織に嫌気がさした。でもなぜか仕事が楽しくて、辞める気にならなかった。そこもまた、私が空気を読まない人間だってことの証明になってしまう。

そうやって、「ここにいなくていいよ」、もしくは「ここにいたら自分が壊れる」という経験をして、私は仕事以外の道を模索し始めた。

 

私とは何者なのか。私は一体何をしたいのか。どんどん短くなるであろう人生をどうありたいのか。

自分探しといったら寂しいが、こんなに落ちぶれた状態で人生を終わりたくないっていう、自分の中の尊厳センサーが働いたのかもしれない。

 

 

「正論」という鎧の下にあったもの

私はいろいろな模索を始める。その中で出会ったのが、コーチングだった。

コーチとクライアントの協働関係で、私自身が私らしく、自分自身の可能性を最大限にするってどういうことなのかを学び始めた。4ヶ月にわたる研修はグループコーチングで進んでいった。オンラインなのに、一度も会ったことのない人たちなのに、なぜか自分の素を見せることができた。自分のありのままを大人になってさらけ出すなんてことは、これまでになかった。

セッションを重ねるごとに、「私は私のままで受け入れられる、そのことが尊いことなのだ」と思えてきた。

自分の言いたいことを言う。一見、私はそれが得意なタイプに見える。正論を言い、負けん気も強い。

 

でも、コーチングで気づいてしまった。

 

私が言えていたのは、「仕事上の正論」だけだった。

 

「自分はどうしたいか」「自分は何を感じているか」——そういう、もっと内側にある声を、私はずっと封じてきた。正論という鎧を着ながら、本当の自分の言葉は、どこか遠くに置き去りにしていた。

これは、私だけの話ではないかもしれない。日本の組織文化には、「空気を読む」「根回しをする」「発言の順番を守る」という暗黙のお作法がある。

個人の意見よりも、場の調和が優先される。その中で長く生きていると、自分の内側の声と外側の言葉が、いつの間にか乖離していく。「忖度」という言葉が日常語として定着したのは、その乖離が社会全体で起きているからだろう。

 

コーチングは、その乖離に気づかせてくれた。矯正された世界はある意味安全だ。

でも私のように、その安全な世界から弾き出された人間は、外の世界の空気を吸ってしまう。外の世界の居心地の良さを知ってしまう。

 

里山という選択肢

そんな時に、長野県松本に住む方と知り合いになった。

最初は、SNSでつながったひとりの女性だった。彼女の投稿にはいつも、澄んだ空気と、広い空と、山のシルエットがあった。満員電車も、残業も、忖度も、何ひとつない世界がそこにあった。

なんて自由で、なんて健やかに毎日を過ごしているんだろう。

気になって、松本のことを調べ始めた。松本は、南アルプスと北アルプスに挟まれた盆地だ。あの雄大な北アルプスの稜線が、街のどこからでも見える。朝、目が覚めたら窓の向こうに山がある。夕暮れになれば、山が赤く染まっていく。

気がついたら、松本の地図をスマホで何度も眺めていた。路地の名前、川の流れ、山までの距離。東京にいながら、指先だけが松本を旅していた。里山の写真を見ていると、なぜか懐かしい気持ちになった。行ったことなんて一度もないのに。

さらに調べていくうちに、「里山」という場所の存在を知った。里山とは、街と山を結ぶ、共創の場のようなところだという。農地があり、森があり、人が集まり、何かを一緒につくっていく。都市の論理でも、山奥の孤立でもなく、その中間に生まれた、人が人らしく生きられる場所。

コロナ禍以降、地方移住や「関係人口」への関心が急速に高まっている。総務省の調査によれば、東京圏在住者の約4割が地方移住に関心を持つと回答している。しかしその多くは、「何かが嫌になったから逃げる」移住ではなく、「自分らしく生きられる場所を選ぶ」という能動的な選択に変わりつつある。里山という概念が注目されるのは、そこが単なる「田舎」ではなく、新しい共同体のかたちを模索する実験場になっているからだ。

松本には、朝市がある。地元の農家が野菜を並べて、知り合いと立ち話をしながら、ゆっくりと一日が始まる。里山では、何かをつくることが生活になる。野菜を育てる、薪を割る、味噌を仕込む。消費することが当たり前になっている東京の生活とは、時間の密度がまるで違う。

雄大な北アルプスを見ながら、里山で一棟貸しの民宿なんてできたらなぁ、と思った。いっそ、移住とか。二拠点生活とか。

満員電車に揺られて毎日通勤するのが当たり前だった私の生活。それしか考えてなかった毎日が、今、急速に塗り替えられていく。

何?この感覚?コーチングを学び始めてからか。だとしたら、たった4ヶ月。この4ヶ月で、私の中の何かが大きく変わった。しかもかなりの熱量をもって。

 

里山で民宿を始めた私を、神様はどう見ているか

少し先の未来を、想像してみる。

 

松本の里山に、小さな一棟貸しの民宿ができた。古い農家を丁寧に改装した、白い漆喰の壁と、太い梁が残る建物。朝になると、北アルプスの稜線が窓いっぱいに広がる。宿の庭には、自分で育てた野菜が並んでいる。

旅人が来る。東京から、大阪から、ときには海外から。仕事に疲れた人、人生の岐路に立っている人、ただなんとなく、ここに呼ばれた気がして来た人。

ある夜、東京から来た女性と、囲炉裏を囲んで遅くまで話したことがあった。彼女は、仕事は順調なのに、なぜか毎朝起きるのが辛いと言った。理由がわからない、だからどうしたらいいかもわからない、と。

私はただ、聞いた。

「毎朝起きるのが辛いって、いつ頃から?」

彼女はしばらく考えて、「昇進してから、かな」と言った。それ以上は、何も言わなかった。でも、その一言を口にした瞬間、彼女の表情が少しだけほぐれた気がした。翌朝、彼女は北アルプスを見ながらコーヒーを飲んで、「なんか、答えが出た気がします」と笑った。私は何も答えを出していない。ただそこにいただけだ。でも、それでよかった。

あ、これって、コーチングと同じだ。

答えを与えるんじゃない。その人の中にある答えを、その人自身が見つけられるように、そばにいる。それが、コーチングで私が学んだことだった。そして、それが民宿という空間でも、自然に起きている。

里山で暮らす私は、かつての私をどこかから見ている気がする。満員電車で疲れ果てて、それでも辞める気にならなくて、でも心はじわじわと壊れていた、あの頃の私を。

正論という鎧を着て、本当に言いたいことには気づいてすら、いなかったあの頃の私を。

 

見放されたと思っていた神様が、実は一番近いところで見ていてくれていたように、里山で民宿を営む未来の私も、今の誰かのことを、静かに見守っている。

里山の民宿は、宿泊施設であり、コーチングの場でもあり、そして、私にとっての神様がいる場所でもある。ここに来た人が、少しだけ自分に戻れるように。ここから帰った人が、自分の可能性を信じられるように。それを願いながら、私は今日も、北アルプスを眺める。

 

神様の正体

ずっと、神様が何者なのかわからなかった。

パワハラを受けたとき、見放されたと思った。でも今になって思う。あのとき神様は、私を「箱の外」に押し出そうとしていたのかもしれない。辛かったのは本当だ。でも、あの経験がなければ、コーチングに出会わなかった。コーチングに出会わなければ、松本の里山を知らなかった。松本の里山を知らなければ、この夢は生まれなかった。

点と点が、繋がって見えてきた。

個人の変容は、小さく見えて、実は社会を動かす。

一人が「ここにいなくていい」と気づき、外に出て、新しい場所で誰かを迎える。その連鎖が、少しずつ、働き方の選択肢を増やし、地域に新しい命を吹き込み、「里山」という言葉に新しい意味を与えていく。

私の話は、私だけの話ではないかもしれない。

そしてようやく、気がついた。

その神様は、松本の里山で暮らしている、未来の私だった。

あの澄んだ空気の中で、山を見ながら、自分の手で何かをつくって、来た人を温かく迎えて生きている、未来の私が、ずっとここから手招きをしていたんだと思う。

見守っていたのは、神様じゃなかった。見守っていたのは、私自身だった。

そして今、私は誰かの神様になれる場所に向かっている。

ただし、私自身はずっと神様にはなれない。

神様が未来の私になって、私を見守ってくれているんだろう。

 

 

私には、ときどき会いに行く神様がいる。

その神様は今、松本の里山にいる。

そしてその神様は、まだ見ぬ誰かのことも、見守る存在なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

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